「ではイリーナ先生に動きがあったら教えてください。先生これからブラジルに行くので」
と、殺せんせーは窓からマッハで飛んでいく。
普段はサッカーを見ないのに、全国的な祭がある時にだけ嬉々として応援に駆け付ける、いわゆるミーハーというやつだ。
まあそんなことはどうでもよくて……
ビッチ先生が教室から出て行ってから、三日が経過していた。
「来ないね、ビッチ先生」
矢田が呟くようにして言う。
顔も見せず、連絡も通じずってのはさすがに心配になる。
烏間先生は他の暗殺者と面接しているようだ。
これまで暗殺者を斡旋してくれていたロヴロさんとなぜか連絡がつかなくなり、政府が持っているパイプでかき集めるしかなくなったらしい。
だがコネは限られていて、質が大幅に下がったと嘆いていた。
こんな状況じゃなくても、ビッチ先生のことをプロの暗殺者として見ているから、去る場合は追わないのが烏間先生だ。
大人だから、自分のやることには自分で責任を持て、ということだろう。
ビッチ先生が自ら戻ってくるのを待つしかないが……今のところはそれも望み薄だ。
「……ビッチ先生にとっちゃ、この教室に染まりたくても染まれないんだろうよ」
資料に目を通したことがあるから、ビッチ先生の過去について多少は知っている。
小さいころに両親を殺され、その復讐として殺し屋になった。血と死に怯えるのではなく、それらに塗れてしまう決断をした。
一人の少女にとって、それは人生と心を狂わせてしまうのに十分すぎて……殺す技術を教えられるたび、暗殺を遂行するたびに心が冷えて、取り返しのつかない気持ちになっていったに違いない。
血で汚れた手を見て、もう普通の生活は望めないと彼女は思っただろう。
だからこそ殺す技術に自分の自信を乗せて、殺すごとに立ち位置を確認していた。
だけど、E組に来てからの彼女の役割は教師になって、ゆっくりと表の世界に感化された。
彼女が許せなかったのは、そんな世界に引きずり込んだ俺たちじゃない。浸ろうとしていた自分自身だ。
人を殺してしまったのだから表の世界に混じってはいけないと、気持ちにブレーキをかけた。
「不器用な先生だな」
お前が言う? みたいな目線を無視して、俺は続ける。
「まあ、きっと戻ってくるだろ」
「戻ってこなかったら、それこそ力ずくで戻ってきてもらおうよ」
片岡が賛同してくれる。
生徒に囲まれている時のビッチ先生は、心の底から楽しんでいるように見えた。
無理やりにでも囲んで、遊びにでも誘えばいい。頑なに固まった考えは壊してしまえることを、俺たちは自分自身で証明してきた。次はビッチ先生の番だ。
「そうだね。それが出来るだけの絆が、君たちにはある」
花屋さんもそう言ってくれる。
そうだ。今さらビジネスだけの関係だなんて……
「だから僕はそれを利用させてもらうだけ」
ぞくり、と鳥肌が立った。
いきなり会話に混じって、違和感なく俺たちの真ん中にやってきた花屋に、危険信号が走る。
一瞬遅れて全員が気付き、教壇に目を向ける。
あまりにも普通に入ってきて、俺たちの誰もが何も感じなかった。
そいつが教壇に立つまで、本当に、一切何も……
目には自信があったのに、それすら通り抜けてしまう男から目が離せない。
「僕は『死神』と呼ばれる殺し屋です。今から君たちに授業をしたいと思います」
爽やかな笑顔で、いきなりそんなことを言う彼を目の前にしても、まだ俺たちは動けないでいた。
「律さん、送った画像を表示して」
続けて、彼が言葉を続ける。
いつの間にかメールが送られていることに律は驚いて、そのまま画像をディスプレイに表示する。
縄で縛られているビッチ先生が映った。生きているようだが、ぐったりとしていて気を失っている。
「手短に言います。彼女の命を守りたければ、先生方には決して言わず、君たち全員で僕が指定する場所に来なさい」
急展開に頭がついていかない。
言葉を理解するのに時間がかかって、俺はようやく口を開いた。
「断れば?」
「その時は彼女のほうを君たちに届けます。全員に平等にいきわたるよう小分けにして」
それが意味するところは理解できた。
つまり従わなければビッチ先生を殺すってことか。そして、次にこの場の誰か、あるいは周りの大事な人を次の人質に選ぶつもりだ。
こんなに恐ろしいことを言われているのになぜ、こいつに対して警戒できないんだ。
風景の一部のように溶け込んで、そこにいるのが当たり前かのように存在している。
はっきり見えているはずなのに、こいつの正体が見えない。
そんなことがありえるのか?
『人間の考えうる乏しい限界を超えた存在は、
立花の言葉が蘇る。
目の前にこうして現れている以上、疑問の余地なく存在を認めるしかない。俺たちの常識を超えた殺し屋『死神』を。
だが幸い、『死神』は武器もなにもないようだ。
相手の実力がわからないうちに戦闘は避けたいが、この人数差なら勝てる……はず。
敵が素手なら、ここで取り押さえるのがベスト。
臨戦態勢に入る。
アイコンタクトで、おおざっぱに作戦を決めた。
まず寺坂が突っ込む。続いて、避けられたとしても俺が追撃。初動はこれでいいはずだ。
あとは雪崩のように男子が突撃。女子は後方待機で必要に応じて援護。
だが、寺坂よりも速く、『死神』が先に動く。
全員の視線が宙へ投げた薔薇に集まる。
花束から散る花弁は『死神』の姿を隠し、風にさらわれて窓から出ていく。そこにいたはずの『死神』とともに。
一瞬で俺たちの包囲を抜け出したのだ。そして俺の目すら欺いて消えてしまった。
見回しても、当然いない。
たった一回、逃亡を許しただけ。だが力量に圧倒的な差があることを思い知らされる。
残された俺たちは、ただ茫然とするほかなかった。
△
話が理解できて、怒りが湧いてきたのは少し遅れてからだ。
三日前の花束に盗聴器が仕込まれているのに気が付いて、苛立ちながら踏みつぶす。
「完全にしてやられたな……あっちはこっちの何枚も上手だ」
磯貝がつとめて冷静に言う。
E組の状況を盗み聞いて、ビッチ先生が一人になるタイミングを見計らって拉致。殺せんせーも烏間先生もいない時を狙って脅しにきやがった。
素早く、用意周到、そして大胆。あれでもあの男の手腕の一端のはずだ。
思い返すだけで冷や汗が出る。
「國枝、お前にはどう見えた?」
カルマの問いに、俺は頭を振った。
「お前たちと変わらない。警戒できなかった」
今までイカれた奴ら……鷹岡や『レッドライン』、『蟷螂』と戦ってきたが、そいつらの誰に対しても、即座に戦闘態勢をとることが出来た。
なのに、あの『死神』に対して脅威を感じることができなかった。
殺されるその時まで接近を許してしまうだろう。暗殺者にとっては、これ以上ない技能だ。
『死神』……
その名はロヴロさんから聞いたことがある。この世で一番のアサシンだと。
力を見せつけられて、それを疑う余地はなかった。
いつの間にか彼が置いていった紙を木村が拾って読み上げる。
『今夜十八時までに地図の場所まで来てください』
ご丁寧に、先生や親、他の誰にも言わないことも条件に書いていた。
「……あと二時間もねえ」
「考える時間も奪って、大人しく従わせる気だな」
あんな化け物相手に、俺たちでどうにかするしかない。
最強の暗殺者の領域へ自ら足を踏み出せば、十中八九やられる。
だが……
「選択肢はない……か」
ビッチ先生を見捨てることはできない。
大事なE組の先生で、仲間だ。
「これ、いま使わないでいつ使うんだよ」
寺坂が超体育着を掴む。
そうだ。これがあれば、一泡吹かせられるかもしれない。
臆する者はおらず、みんなが超体育着を引っ張り出す。
「國枝は来るか?」
「え、俺をハブる気?」
「いやいや、だって傷はまだ完璧には癒えてないんだろ」
「あのなあ、体育祭だってやったんだぞ。足手まといにはならないよ」
「マジで大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫、心配いらない」
それに、ここで一人お留守番なんて耐えられない。
俺だってビッチ先生を助けたい気持ちでいっぱいだ。
不破が俺の隣に並ぶ。
「個人的には、ついてきてくれたほうが安心かな。國枝くん頼りになるし、目を離したら何するかわからないし」
「いまいちまだ信用されてないみたいだが……とまあ、こういうわけだ。ついていくよ。一人でも多い方がいいだろう」
そう言うと、寺坂がぼりぼりと頭を掻いた。
「ま、お前を一人で置いてくほうが危険か……」
△
『死神』が指定してきたのは、林の中にぽつんとある倉庫のような建物だ。
フードを被って、木に隠れて様子を窺っているが、敵の気配はない。
超体育着の機能の一つ、特殊なスプレーで一時的に色を変えられる特性を使っているのが馬鹿らしいくらいだ。
堀部が改造したカメラ付きのドローンで偵察したものの、周りに怪しいものはない。
俺が凝視しても、特になにもなかった。
「罠はないみたいだな」
「入ってこいってか、上等だぜ」
寺坂が拳を合わせる。
これだけ無防備だと不安になってくる。『死神』はよほど実力に自信があるのか? あの倉庫の中に特大罠を仕掛けているのか?
嫌な予感がするが……突っ込むしかない。
足音を消して倉庫の前までたどり着く。扉に耳を当ててみるが、何も音はしない。
扉を開け、俺たちはぱっと中に入った。あちこちに注意を向けながら、お互いをカバーできる範囲で散り散りになる。
だが……何もない。
ビッチ先生や『死神』はおろか、物が一切なかった。
《全員揃ったね、それじゃ始めるよ》
壁に設置されたスピーカーから『死神』の声が聞こえる。
それと同時、出入口が自動で封鎖され、部屋の仕掛けが作動した。
壁がせりあがっていく。いや、俺たちが下がっているんだ。
この床がエレベーターのように地下に降りていっている。
しまった、と思った時には遅かった。
数階分下に降ろされ、止まり、目の前には……
「鮮やかなものだろう? 部屋ごと下ろして閉じ込めさせてもらったよ」
三方をコンクリートの壁に囲まれ、一方は鉄柵。手が届きそうなほどすぐ近くで『死神』がにこりと笑う。
対して俺はしてやられた悔しさでいっぱいだった。
あっという間にまとめて捕まってしまった。
まさかこんな手を使ってくるなんて……どこまでも予想外のことをしてきやがる。
「くそっ、ここから出しやがれ!」
『死神』との突然の相対。毒づきながら、寺坂たちは持ってきた工具でガンガンと壁を叩きだした。
「一度会ってみたいと思ってたんだ。『貌なし』くん」
『死神』と目が合うと、彼はにこりと笑って檻のすぐそばまで近づいてくる。
「いっけん誰よりも落ち着いて見えるけど、その実、誰よりも焦ってる」
見透かすように、『死神』は鋭い目線が突き刺さる。
「お仲間がこれからどうなるか、そんなに心配かい?」
「……」
俺は口を開かなかった。少しでも喋れば、心の隙を突かれそうだったからだ。
事実、顔は無表情を装っているが、心臓はばくばく鳴っている。
一人の人質で、E組生徒全員が釣り上げられてしまった。
わざわざ捕らえて、こうやってお喋りしてるってことは、俺たちもまた人質に過ぎない。
狙いはもちろん殺せんせー。ここにおびき寄せて、俺たちを逃がす代わりに暗殺を行うつもりだろう。
問題は、捕らえられたこの人数だ。
二十人以上。脅しのために一人二人殺しても、まだ余裕がある。見せしめにされる可能性があるのが一番怖い。
「俺たちをどうするつもりだ」
「世界平和のために、ちょっとした犠牲になってもらうんだよ」
「……狙いは殺せんせーか」
「そう。地球が壊されるなんて見過ごせないからね」
表情が読みづらい。だが、その言葉が嘘だってことはすぐにわかった。
「相当自信があるみたいだな。本当の目的は……技術がどこまで通じるか、の腕試しか?」
『死神』は一瞬きょとんとして……それからにやりと笑った。粘っこくも鋭い視線に、悪寒が走る。
「おい、ここだ! 空洞があるぞ!」
壁を叩き続けていた三村が叫ぶ。
時間稼ぎはここまで。
全員がいっせいに捕まってしまったのは想定外だが、そのまま人質でいる気はない。
奥田がカプセルを床に叩きつける。一瞬にして割れたそれから煙が広がり、すぐに俺たちを視界から消す。
同時に、竹林が壁に小型爆薬を設置。みんなが離れたのを見て、爆発させる。
壁の一部が壊れ、人ふたりが通れるくらいの穴が空く。
外には通路。煙がそちらに逃げる前に、俺たちはすぐさま檻から逃げた。
右へ左へ、いくつか角を曲がり、一分全力ダッシュして、ぴたりと止まる。
地図もないところで逃げ回っても仕方ない。息を整えながら、周りを警戒する。
「律、ここの構造はわかるか」
スマホを取り出して助けを求めるも……
「やる気しねぇ~。『死神』さんに逆らうとかありえねーし」
いつものはきはきとした美少女はどこへやら、画面にはだらけきった律が映っていた。
「……ハッキングされてるからってこうなるのか?」
「実際になってるから、その質問はナンセンスだよ」
呆れ気味の俺に、竹林が返す。
ここで脅威だと感じるべきは、律が無力化されたことより、この短時間でそれを可能にした『死神』の手腕だ。
授業の途中で何度も殺せんせーに聞かされた言葉が蘇る。
『優れた殺し屋は、万に通じる』
気配を殺す技能、俺たちを一瞬にして捕らえる作戦立案技能、そして世界最高技術の粋である律をハッキングする技能。
どれもが極限まで鍛えられている。
「三班に分かれよう。戦闘担当のA班、ビッチ先生を探し出すB班、外までの出口を確保するC班に」
磯貝の提案に、俺たちは賛成した。敵の巣の中でいつまでも逃げられるとは思わない。
最初から戦闘は避けられないと考えていた。相手の力量が未知なのが気になるが……
「國枝は……」
「B班に行く。ビッチ先生を担ぐか、『死神』を足止めするか、どっちにしても力がある奴がいたほうがいいだろう」
「わかった」
一つの班にのみ戦力を集中させてしまうと、それ以外の班が不意の襲撃に反応できない。
A班が到着するまでの時間稼ぎくらいにはなってみせないと。
各自、用意してきたスタンガンや警棒などの装備をあらためて確認する。念のため、竹林から各班リーダーに小型爆弾が渡された。
さあ、作戦開始だ。と意気込む直前、C班の寺坂が俺の肩を叩いた。
「國枝、大丈夫かよ」
「どの班でも危険度は変わらん」
真正面から立ち向かうA班は言わずもがな。C班も同じくらい危険だ。
『死神』からしたら、人質に逃げられることが、つまり作戦失敗となる。出口を探すC班は真っ先に潰しておきたいだろう。
そしてB班は……ほぼ確実に『死神』と出会うことになる。
俺たちがビッチ先生の元へ向かうことは分かりきっているのだから、張っていれば間違いのないところ。
結局、全員が『死神』の相手をする可能性がある。
遭遇した時に対処できるかどうかは、俺たちの腕次第だ。
「俺の心配はいらない。それより、そっちは任せたぞ」