「おかしいな。気づくならもっと後だと思っていたんだけど……」
殺せんせーと烏間先生がこの建物のすぐそばまで来ているのを見て訝しむ『死神』に対して、俺はしてやったりと笑みを浮かべる。
放課後、学校に一人もいないというのはE組にとっては妙な状況だ。
それに烏間先生が気付いて、そこから殺せんせーと繋がれば、匂いを辿ってここに来てくれるだろうと踏んでいた。
予想よりも早めだったのは、殺せんせーも異変に気付いたからだろうか。
とにかく、状況は一変。
『死神』は数秒考えた後、部屋から出ていった。
そしてそれから間もなく、建物の中に入ってきた二人の前に、『死神』は姿を現した。ビッチ先生を人質にしながら。
まずいぞ。あの二人は、ビッチ先生が『死神』の手に落ちたのを知らない。
ここからじゃ声も届かないみたいだし……
「お前……この前の花屋か? お前が首謀者か」
「そう。聞いたことはあるかい、『死神』の名を?」
烏間先生も彼と会っていたようで、冷や汗を垂らす。
会っていたというよりは、『死神』が会いに行っていたというほうが正しいだろう。情報収集のために近づいたに違いない。
「生徒たちもここのどこかに?」
「そうだよ、殺せんせー。君さえ死ねば、この娘も生徒たちも殺しゃしないよ」
『死神』はビッチ先生を床に下ろした。ぐったりと倒れた彼女は、本当に気絶しているように見える。
「彼女と生徒全員の首に爆弾を着けた。僕の合図一つで爆破できる」
「ずいぶんと強引ですねえ」
と言いながら、殺せんせーは周りに気を配っている。
『死神』以外の敵はいないか、罠が張られていないか、殺意を持った者はいないか。
しかし、その注意網の隙を縫って、極小の銃弾が放たれた。
殺せんせーの触手一本の先がどろりと溶ける。
「な……」
手錠に偽装した、対先生弾発射機。放ったのはビッチ先生だ。
間髪入れず、ビッチ先生はもう一方の手に握っていたスイッチを押す。
殺せんせーの足場がパカっと開いた。落とし穴だ。
急激な環境の変化には、殺せんせーは反応が鈍くなる。
それ自体は殺気を孕んだ行為じゃないからだ。そして素早く考えられるからこそ、反射が遅れる。
殺せんせーは急いで触手を伸ばす。一瞬でも淵に手をかけられれば這い上がれるが……
その手を、何かが弾いた。もう一度伸ばしても、的確に阻まれる。
それをしているのは、もちろん『死神』だ。
銃による精密な射撃で、次々とうねる触手を邪魔する。
殺せんせーは最高速度マッハ二十で動ける。だがその初速自体は俺でも目で追える。
見切って銃撃するのはさすがの技能としか言いようがないが。
撃っているのは対殺せんせー弾じゃなく、普通の銃弾。
特殊弾を使って、万が一にでも頭や心臓に狙いをつけようものなら、ぱっと避けられて即座に逃げられてしまう。
だから、『死神』は落とすことのみに集中した。
その作戦は成功して、殺せんせーはあっけなく穴の底……みんなが捕らえられているところと同じ場所へ落ちる。
あっけなく殺せんせーが捕らえられたことに、俺たちは驚愕する。烏間先生でさえも唖然としていた。
こともなげに、『死神』はビッチ先生を伴って檻の前へと移動する。烏間先生も追って、後に続く。
「気に入ってくれたかな、殺せんせー。君が最期を迎える場所だ」
「ここは?」
「洪水対策で国が作った放水路さ。密かにアジトと繋げておいた。地上にある操作室から指示を出せば、近くの川から毎秒二百トンの水が流れ込んでくる」
いくら殺せんせーといえども、それほどの圧には耐えられない。
身体は押し出され、檻に押し付けられる。となれば、あの鉄格子は対先生物質を混ぜ込まれているということだ。
「待て! 生徒たちも殺す気か!?」
「当然。生徒と一緒に閉じ込めたのも計画のうちさ。乱暴に脱出しようとすれば、ひ弱な子供が巻き添えになる」
殺せんせーなら壁を破壊するくらいは出来る。だがそのためには、音速を超えて何度も壁に激突したりする必要がある。そうすれば衝撃波でみんなの身体が傷ついてしまう。
先生にそれは出来ない。最後の手段として取っておくほかないのだ。
「……一人足りないぞ」
「ああ、あそこだよ」
俺がいないことを訝しんだ烏間先生に、『死神』は壁のモニターを指差す。
「國枝くん!」
「あれは僕の趣味。だけどいいだろう? どっちにしても、ここにいる生徒たちは殺せんせーと一緒に死ぬんだから」
何かしら言葉を発したかったが、まったく力が入らない。
顔を上げることすら叶わず、意識を保つことしかできない。
「さ、行こうイリーナ。水を流してこのタコを殺す。その後の國枝くんの様子も見たいしね」
早速、最後の行動に移ろうとする『死神』。
それを許せば、みんな死んで、殺せんせーも死んで、全部全部無駄になる。
ここまでか……? なんて考えは、微塵も浮かばなかった。
烏間先生ががしっと『死神』の肩を掴んだ。
その手を見て、『死神』は不思議そうに振り返る。
「今、俺の意見は日本政府の見解だ」
笑顔を貼り付けたままの『死神』に、烏間先生は裏拳をかました。
「そして、俺は教師だ。大切な生徒をこんな目に遭わせたお前を許す気は一切ない」
「……ふん」
死神が逃げる。邪魔される前に放水を始める気だ。
させまいと、烏間先生が追う。
二人の音が聞こえなくなって、いまどうなっているかはわからない。
けど、俺の心はすっかり癒えていた。
ああ、やっぱり助けに来てくれた。約束を守ってくれた。張り詰めていた緊張の糸が切れ、安堵に変わる。
「岡島、そっちはどうだ?」
あちらでは、ただ待つだけでなく動き始めた。
三村が岡島に何かを調べさせてるみたいだ。
「強めの魚眼だな。モニターを見る限り補正もしてないみたいだし、画面の端のほうは大きく歪んで見えづらい」
「よし、だったら上手くいきそうだ」
どうやら『死神』を出し抜くための策を思いついたみたいだ。
首輪も、乱暴に外しても問題ないものだと堀部が看破して、手錠と一緒に殺せんせーが外していく。
三村は地味目だが、人の目を注目させる、あるいは欺くことにかけては何気に優秀。それに慎重かつ大胆。
その彼が先導になってやってくれる作戦なら成功するだろう。
烏間先生が負けることはないだろうし、きっとなんとかなる。
しかし、向こうは妙にざわついていた。
「國枝……大丈夫だよな?」
「うそ……嘘、だよね? 死んでないよね?」
「國枝くん!」
あちらの様子はあまり鮮明ではなかった。逆もまたしかり。うなだれた俺の姿しか見えないだろう。
身体は動かせず、浅い呼吸しか出来ないのもよく見えていないのかもしれない。
「お前笑ってたじゃねえか! 何も心配いらないって言ってたじゃねえか! あんときのは嘘だったのかよ、ふざけんな!」
返事したいのはやまやまだが、そう怒鳴られても動けないものは動けない。少しだけでも身をずらそうとするが、他人の身体かのように全く言うことを聞いてくれない。
「あ……あ……私が、私のせいで……わた、しが、國枝くんについてきてほしいって言ったから……」
震えて、絶望した声。
不破は罪悪感を感じて鉄格子を揺する。壊せるはずがないのに、曲げられるはずもないのに、それをわかっているはずなのに、掴んで叩く。
届かないモニターの向こうへ、どうやっても触れられない俺に手を伸ばす。
「國枝くんが私たちのためならいくらでも傷つくって、知ってたはずなのに……」
不破が檻を叩く。叩く。叩く。怒りと悔しさをどれだけ放っても、金属の檻は傷一つつかなかった。
それでもなお、彼女は叩き続ける。歯を食いしばって、涙を流して、力の限り叫んで。
「嫌だ! やだよぉ! 國枝くん、起きて起きて! お願い、お願い、立って、立ってよ!」
堰が切れ、溢れだした感情がぶつかってくる。それに応えたくてもできない。
女子数人でやっと彼女を檻から離す。それでもまだ諦めきれず、不破はじたばたと暴れた。
「不破ちゃん、残念だけど今は何も……」
「嫌! こんなところでじっとしてるなんてできない! あそこに行かなきゃいけないの!」
悲愴な声は次第に小さく、細くなっていく。
「お願い離して……まだ一緒に話したいこととか、やりたいことがたくさんあるの……こんなところが最後なんて嫌だよ……」
震える声のあと、不破はもう何も言えずに黙り込んだ。
「國枝、おい國枝! てめえ生きてんだろ! 返事しろ!」
悲愴に満ちた沈黙を破ったのは、寺坂の声だ。
生きてる。生きてるよ。
それだけのことも言えず、顔も上げられず、麻痺した臓器と喉で精いっぱいの呼吸を繰り返して生きるのに必死になっていた。
軽口でも言えれば、安心させられるだろうに。
「酷いよ……こんなの酷すぎる」
「國枝が……」
ガン、と派手な音がした。
「國枝がなんだって? その後の言葉次第じゃ、てめえぶん殴るぞ!」
音と声だけの判断だが、寺坂が菅谷を壁に押し付けたようだ。
先ほどの菅谷の言葉の先は、なんとなく察せられる。一切動かないように見える俺を見れば、誰だって同じ考えが頭をよぎるだろう。
それを認めたくなくて、寺坂は続きを止めた。
口に出してしまえば現実になってしまいそうで、怖いのだ。
「……さか」
「あいつは強ぇんだ! あんなクソみたいな奴に負けるはずがねえ。負けるはずが、ねえんだよ……」
俺が振り絞った声は、小さすぎて届かない。
生きているのにそれを伝えられないせいで、あそこにいるみんなはどんどん追い詰められていく。
「やめろ、寺坂……」
部屋隅の埃程度しか残っていない体力をかき集めて、精いっぱいの声を出す。
焼かれたように熱い内臓を奮い立たせて、生を伝えようとする。
「くに……えだ、くん?」
「なんだって、渚?」
「いま、國枝くんの声が聞こえたんだ」
「本当か!?」
渚が気づいたのをきっかけに、向こうが騒ぎ出す。
全員が俺の名前を呼んで、必死に届かせようとしてくる。
「黙ってっ!! 國枝くんの声が聞こえないでしょ!!」
叫んだのは、殺せんせーでも寺坂でもなく、意気消沈していた不破だった。
しん、と静まり返った空間に、震える不破の声だけが響いた。
「國枝くん。お願い、声を聴かせて」
その声の震えはどんどん増して、小さくなっていく。彼女もまた、振り払いたい疑念に囚われているのだ。
それでも呼びかけるのは、信じたいから。信じているから。
國枝響が生きていることに安心して、一緒に帰れることに希望を持ちたいから。
「お願い。お願いだから……一言だけでいいから……」
さっきの寺坂への呼びかけで全て使い切ってしまったと思っていたのに、不破の声を聞くと不思議と力が湧いてくる。
俺はもう一度だけ口を開いた。
大丈夫だ。それよりも自分たちの心配をしろ。
そう言ったはずだが、うめき声にしかならない。
それでもみんなのほうにはちゃんと届いたみたいで、にわかに活気づく。
「生きてる……生きてるぞ!」
「國枝が生きてる!」
みんながわっとなって喜ぶ。飛び跳ねているやつもいるみたいだ。
捕らえられているってのに、もうすぐで死ぬかもしれないってのに、のんきなやつらめ。
「よかった。よかったぁ」
よりいっそう震えた声と鼻をすする音。
歓喜するみんなの中で、不破の声はやたらと鮮明に聞こえた。
「國枝くん。絶対に先生たちが助けます。それまで持ちこたえてください!」
絶対に、か。
そんなこと言って大丈夫か、殺せんせー。あんたも簡単に捕まったくせに。
心でそう笑いつつ、その言葉を疑う気にはなれなかった。
E組の先生は、決して生徒を見捨てない。だから、俺のこともきっと助けてくれる。
俺が拷問を耐えられたのは、その信頼が根底にあったからだ。
実際そのとおり、烏間先生は殺せんせーを殺す絶好のチャンスを捨ててまで『死神』と戦っている。
信じてよかった。
俺の強さと、先生のことを信じられて……本当に……
本当に……ほん……とうに……
△
海の底にでも沈められたのだろうか。
何も見えなくて、冷たくて……独りだ。
死んでしまったのか?
あのまま衰弱して、命の灯が消えてしまったのだろうか。
そんなこと認められるか。まだみんなの無事を確認してない。みんなで一緒に帰るって約束を果たせてない。
生きたい。生きたいんだ。
みんなとまだまだ一緒にいたいんだ。
馬鹿やって、勉強もして、残された中学生活をまだまだ楽しみたいんだよ。
こんなところで死んでられるか!
不意に、身体があたたかいものに包まれる。光が広がる。
「國枝くん……國枝くんっ」
耳元で、不破の必死な声が聞こえる。
ゆっくり目を開くと、みんながそばに立っていた。大きな怪我もなく、欠けることなく、E組全員がそこにいる。
捕らえられていたはずじゃなかったのか?
そんな疑問は、少しだけ傷ついている烏間先生を見て吹き飛んだ。
そうか。『死神』を倒せたんだな。
ほっとして、ようやく不破に抱きしめられていることに気が付く。
「不破、痛い痛い」
麻痺している口でそれだけ言うと、不破は俺を離して、鼻先が触れそうなくらい近くで顔を見つめてきた。
「國枝くん……」
「生きてるよ。ほら、足あるだろ。びりびりして動かないけど」
手錠は外されて、自由の身なのにまだ身体が言うことを聞いてくれない。
だけどとりあえず生きている。それだけで十分だった。
「ったく、どんだけ怪我すりゃ気が済むんだよ」
「泣くくらい心配してたくせに。聞いてよ國枝、こいつここに来るとき涙ぼろぼろ流しながら走ったせいで何度もこけてたんだよ」
「言うなや!」
「はは、は……いつつ……」
思いっきり笑いたいのに、ちょっとですら筋肉が許してくれない。
「救急を呼ぼう。すぐに到着するはずだ」
「いいえ、それでは遅い。私がマッハで病院に届けましょう。烏間先生は病院に連絡して、國枝くんをすぐ寝かせられるようにしてください」
「わかった」
すぐさま烏間先生は電話を取り出し、通話を始める。
「今回ばかりは絶対安静です。わかりましたね、國枝くん」
「動きたくても動けんよ」
殺せんせーが俺をおぶる。
一切の負担を感じさせないように、何本もの触手で身体を支えてくれた。
俺が気を失っていた間に起きていたことを聞くと、こういうことらしい。
烏間先生は『死神』を追い、途中使い捨てさせられるところだったビッチ先生を救出、そして『死神』を倒した。
俺たちが全員揃っても一蹴されたのに、彼は身一つで切り抜けたらしい。
化け物じみた強靭性は見えていたが、よもやここまでとは。
そんなわけで、俺たちは全員無事で任務を終えたのだが……
「で、ビッチ先生はなに逃げようとしてるんだ」
「げっ」
こっそりと逃げようとするビッチ先生を咎める。
「てめー、ビッチ!」
「なに逃げようとしてんだ!」
まだまだ元気な男子陣は、すぐに彼女を捕らえた。
「あーもー、好きなようにすりゃいいわ! 裏切ったんだから制裁受けて当然よ! 男子は溜まりまくった日頃の獣欲を、女子は私の美貌への日頃の嫉妬を、思う存分性的な暴力で発散すればいいじゃない!」
「発想が荒んでんなー」
「それ聞いてむしろやりたくなってきたわ」
口々に呆れ声。俺も大きなため息が出るほどだ。
あんな化け物を相手して、誰も彼もぎゃーぎゃー騒げるくらいに元気なのは、まあいい結果か。
「別に罰したくてここに来たわけじゃない」
俺は身体の力を抜いて、殺せんせーの背中に預けた。
俺たちの目的は最初から一つ。全員で帰ること。E組の校舎へ、一人も欠けることなく戻ること。
「帰るぞ、ビッチ先生」