朝日が差し込んできて、目が覚める。
規則的な電子音と、絶え間なく何かを叩く音が聞こえる。それが心電図とキーボードの音だと気づいたのは、自分が寝かされているとわかってから少し経ってからだった。
ああ、そうか。
『死神』騒動が終わってすぐ、俺は病院に担ぎ込まれてそのまま入院させられたんだった。
烏間先生が用意できるもので、最高のサービスが受けられる病院の一つ。
ふかふかのベッド、広い個室。綺麗で真っ白な部屋を見れば、質問しなくてもここが病室だとわかる。
まだ寝ぼけているみたいだ。頭が回っている気がしないし、身体を動かす気力もない。
「起きたか」
首をひねると、すぐそこに烏間先生がいた。
簡素なパイプ椅子に座って、ノートパソコンを開いている。
「ぐっすりだったな。もっと寝てもらっていてもよかったが」
彼はパソコンを閉じて、そう続ける。
「まだ身体は痛みますけどね」
「しばらくは安静だ。そこのボタンを押せば、ナースが飛んできて世話をしてくれる。なんでも言うといい」
「VIP扱いですか」
「それほどの怪我と功績が君にはある」
そこでようやく彼は安堵のため息をつくと同時に頭を下げた。
「すまない。もっと早く駆けつけていれば、君がこんな目に遭う前に助けられたのに」
そんなこと気にしなくていいのに。
悪いのは『死神』で、烏間先生は手遅れになる前に助けに来てくれたわけなのだから。
「そういえば『死神』は? 結局、どうなったかは聞いてませんでしたよね」
「倒して捕らえた。みんなも無事だ。あいつもイリーナも含めてな」
「あなたは?」
「大した怪我はない。少し寝たら治った」
「あいつを相手にしてそれって……化け物じゃないですか」
うーん、流石はE組に配属されるだけはある。
鷹岡なんて足元にも及ばないレベルだが、まさか『死神』にもあっさり勝っちゃうなんて。
壁にかけられた時計の針の音がやけに大きく聞こえる。十時を少し越えたところ。窓から陽が差しているから、午前だろう。
「今は学校の時間では?」
「今の俺は君の監視役だ。君が逃げ出さないように」
「こんな状態で逃げられるわけないでしょう」
「E組の総意だ。なにせ君には前科があるからな」
「拷問が終わったと思ったら、また監視対象ですか……」
しかしこの体制に文句を言う気も起きない。
死神は痕が残るような暴力は振るってこなかったが、死の一歩手前まで俺を持っていった。そのトラウマは根深く残っている。いま立ててもまともに歩けるかどうかすら怪しい。
半ば自嘲気味に口角を上げると、烏間先生は怪訝な顔をした。
「……君はなぜ、拷問を耐えられたんだ? 話を聞くだけでも、一般人が、それも中学生が耐えられるようなものじゃなかったはずだ」
「必ず、先生たちが助けに来てくれると信じていたからです。先生は生徒を守る。殺せんせーが約束してくれましたから」
死神と相対する無茶をしてみせたのも、その信頼があったからこそだ。
先生たちが来ない可能性を考慮していたなら、無理やりにでもみんなを止めていただろう。
そして、その通り彼らは来てくれた。
本当にギリギリだったけど、でも俺を助けてくれたことには変わりない。おかげで、こうやって生きている。
「君は強いな」
「あなたたちが……E組のみんながいるからですよ」
△
「まだ腫れ引かねーのな。大丈夫任せろ。怪我目立たねーようにメイクしてやるよ。ちょっと顔貸してみ」
「動けないからって看護師にエロいことしたりされたりしてない? え、ないの? つまんないなー」
「なんもないここじゃ溜まっていくだろ、ナニとは言わないけど。俺のベストショットを収めたファイル置いてくから元気出せって、な!」
「どうせ退屈でしょ。珠玉の闇小説を置いていくわ。退院したら感想聞かせて」
「うちのラーメンの改良をしててな。イトナと原のお墨付きだから食ってみ」
「最後の一滴まで飲み干してね」
「どうせ病院食だと足りてないだろう。冷めないうちに食え。おかわりも用意してる」
「寺坂にもメイド喫茶は好評だったんだ。早く國枝を連れていきたいよ」
「い、いや全然ハマってねえけどな。まあなんだ。ただ悪くはない。悪くはなかった。……ってなんだその目は!」
「バナナを食え、バナナを」
「國枝さん、お昼寝の時間です。よく寝てしっかり身体を休めましょう。夜にもしっかり寝られるように、時間を管理して、編集したヒーリング音楽を流します!」
「変化球が投げられるようになったのはいいんだけどさ、捕れる奴がいなくて困ってんだ。また付き合ってくれよな」
「んでさー、職員室覗いたら先生みんなおろおろしてんの。烏間先生なんか休み時間になるたびに病院に電話かけてたし。いやー珍しいもん見れたわー」
「っだーー!!」
俺はついに我慢できなくなって声を上げた。声、というよりもはや叫びである。
「なんだお前ら! 毎日毎日ちょっかいかけてきやがって! 回復させたいのかさせたくないのかわからんぞ! 暇か! そんな暇あるなら勉強しろ!」
烏間先生がE組に俺の無事を伝え、面会を認めたらしい。それを知ったみんなは、毎日雪崩のように押し寄せてくる。
中間テストが終わって、期末テストまでまだ時間があるとはいえ、そんなに何度も来なくていいのに……まあ、嬉しくはあるが。
「勉強っつってもねえ……」
「殺せんせーがかなり心配してて、放課後は特に落ち着かない様子なんだ。暗殺にも勉強にも身が入ってないのはあっちだよ」
もともと殺せんせーの観察をしていた渚をして、あれほど沈んでいるのは見たことがないと言わせるほどだ。
「……の割には、見舞いにこないな。ビッチ先生も」
「責任感じてるんでしょ。助けるって言ったのに、國枝はこうなっちゃったし」
「ビッチ先生も、表面上は元気だけど……」
「来ないなら俺のほうから出向くって言ったらマッハで飛んでくるだろ」
普通に考えればこの身体で向かうなんて不可能だけど、そう言ってしまえば殺せんせーはパニックになって来るはずだ。
そっちが動かないなら、俺が無茶をする。この脅しは律には効果てきめんだった。先生ならもっと効くだろう。
「んじゃ、また来るよ。今度は菓子でも食わせに」
「バナナ食わせに」
「ラーメン試食させに」
「ケーキは何ホールがいい?」
「この機に太らせる気か?」
一般病室とは離れた個室だから、騒いでも何か言われることはないとはいえ、はしゃぎすぎだ。
そうは言いつつ、いなくなってしまえば淋しさを覚える自分もいる。
いつの間にか、こんなにこの位置が大切になるなんてな。
顔を見せない殺せんせーやビッチ先生にも早く会いたいものだ。
そしてもう一人……
「不破、いいかげん姿を見せてくれ」
まだ見舞いに来ていないE組最後の一人の名前を言う。
扉の外にずっと隠れていた彼女は、びくびくとしながら姿を現した。
ようやく顔を見れて嬉しいが、不破は目を逸らしている。
「あの、これ……」
ぎっしりと中身が詰まっている紙袋を三つ渡してきた。
中身を見ると、なんとこち亀全巻入ってる。これ全部持ってるやつ初めて見た。
「はは、ありがたいよ。ここじゃ、なにぶん娯楽が少なくてな」
急な入院だったため、手元にあるのはスマホだけだったし、閲覧履歴が律に監視されてる現状ではちょっと見づらい。別に怪しいものを見ようなんて思ってないけど。
これだけあれば、暇な時間はなくなるだろう。
受け取ると、不破は何か言いたげに口を開き、やめて閉じるということを何回か繰り返した。
気まずそうにして、何かを耐えるように裾をぎゅっと掴んでいる。ついには顔を背けて、踵を返した。
「それじゃ、私はこれで……」
「待てよ、ちょっと話そう。面会時間はまだ余裕あるだろ」
そう引き留めようとしても……
「私には、話すことなんてないから」
なんて言って突き放そうとしてくる。
「見破ることは得意なのに、自分を偽るのは苦手みたいだな。お前が言ったんだろ、話したいことがいっぱいあるって」
立ち止まったこと、こちらを見たこと、そしてなにより震える彼女の声が伝えてくる。不破が言っていることと本心がまったく違うことを。
俺はゆっくりとベッドから下りて、不破の前に立つ。
「っ……!」
『蟷螂』にやられた直後のように包帯巻きの身体を見て、不破が息を呑んだ。
そのほとんどが開いた傷口のせいだ。おかげで不破は、血だらけだった俺を思い出してしまう。
「怖いのか、俺がこんなんになって」
顔が青ざめて、足が竦んでいる彼女へ近づく。
不破はわずかに一歩下がったが、それ以上動けなかった。
「力になるって決めたのに、『死神』相手に何もできなかったのが悔しいか。それで、俺に失望されるのが怖いのか。拒否されるのが怖いか」
「や、やめて……わたし……やだ……やだよ……」
彼女は身体を震わせて、首を横に振る。
こんな悲しい顔をさせるために頑張ったんじゃない。
拷問は死神の趣味で、俺は悪くないのだが、罪悪感が胸を満たす。
だけど謝罪は置いておいて、思っていたことを口に出す。
「馬鹿。そんなことで離してたまるかよ」
不破の手をぎゅっと握る。
かつて彼女がやってくれたように、抱きとめて、痛いくらいに力を込める。
しばらくそうやって、震えるのが収まるまで待つ。
「一緒にいるって言ったのに、私、何もできなかった。なにも……だから、國枝くんの近くにいる資格なんて……なのになんで、なんで國枝くんは怒ってないの?」
「お前のおかげで勝てたんだ。それなのに恨むとか失望するとか、筋違いにもほどがあるだろ」
即答して、彼女の不安を和らげる。
「不破、ありがとう。お前のおかげで諦めずに済んだ。俺のことを理解してくれる奴がいて、本当に心強かった」
不破がいたおかげで、俺は生きている。死神に勝つことができた。
みんなにまた会えて、こうやって彼女に触れることが出来る。
そのことが何よりも嬉しかった。
不破はためらいがちに手を伸ばして……俺の背中に手を回した。
「痛い、よね?」
「ああ」
「ごめん……でも今はこうさせて」
俺だって離すつもりはなかった。気づけば、不破の震えは収まっていた。
「國枝くん……よかった」
背中に回す手の力が強くなる。痛いのは痛いけど……いまはそれが良い。不破のぬくもりを感じられて、生きているという感じがする。
ああ、そうだ。俺は地獄から帰ってきたんだ。
みんなのところに戻ってきた。E組に。不破の隣に。
△
参考書の理科の問題をガリガリ解いていると、とあるところで詰まってしまった。
うーむ、苦手科目の受験レベルともなると、簡単には解かせてくれないか。
とはいえなあ……俺は時計をちらりと見た。もうすぐで夜十時になる。
遅くに奥田に連絡するのは気が引けるし、十時になれば律が寝かせようとしてくる。
今日はここまでか。
そう思って参考書を閉じようとした瞬間、ページがぱらぱらとめくれた。
「ようやくか」
入口に殺せんせーが立っている。
まったく、どいつもこいつも辛気臭い顔しやがって。しょんぼりとしている殺せんせーを見たら、こっちまで気が滅入りそうだ。
「……夜遅くにすみません」
「そんなことより殺せんせー、ここの問題がわかんないんだけど」
手招きして、参考書を指差す。
「ど、どこですか?」
「ここ、この化学の問題」
「ずいぶん先まで行ってますねえ」
「今度の期末、理事長はこれくらいやってくるつもりだろうからな」
殺せんせーはいつもの通り、わかりやすく教えてくれた。
俺も自分なりに納得して、今度は似た問題を手助けなしで解いてみる。すると、それまで悩んでいたのが嘘のように軽く解けた。
その様子を見て、殺せんせーはうんうんと頷いた。
緊張は解けて、先ほどまでの気まずい雰囲気もなんとなく軽くなった。
参考書を閉じると、彼は口を開いた。
「國枝くんを守るなんて言っておきながら、辛い目に遭わせてしまいましたね」
「それで俺があんたを信じられなくなった……と思ってるのか?」
内心笑いそうになるのを抑え、眉間にしわを寄せる。
「嫌いになったかもなぁ」
「にゅ、にゅやっ! やっぱり!」
殺せんせーは触手をせわしなく動かし、あたふた感を全身で表す。顔なんていくつにも分身して、六つ首になっているくらいだ。しかもそのどれもが色が違う。器用な動揺の仕方しやがって。
俺はこらえきれずに噴き出してしまった。
「冗談冗談。怒ってなんかないし、あんたを嫌いにもなってないよ」
「本当ですか!? 嘘だったら先生泣きますよ! 涙兼粘液でこの部屋いっぱいにしますよ!」
「拷問パート2かよ」
先生は言いつつ、すでに俺の顔を粘液まみれにしている。
なおも寄ってくるのを押しのけ、服で顔を拭った。べとべとの液体がまとわりついて気持ち悪い。
「俺にとって、先生が助けに来てくれただけで満足なんだ。烏間先生は死神を倒してくれたし、殺せんせーはここに連れてきてくれたし」
烏間先生は生徒にもしものことがあったときに備え、この病院を確保していてくれた。
殺せんせーはここに俺を連れてくるために、急いで、かつ俺の身体に一切のダメージがないように運んでくれた。
拷問に対して精神的に耐えられたのは、彼らが助けてくれると信じていたから。肉体的に助かったのは、彼らが尽力してくれたから。
そのことには感謝していた。
これまであったいくつかのことは……今回のこともだけど、殺せんせーがE組に来たことが原因の一端だ。
それに関しては怒ったり、恨んだりすることもある。けれど……
「殺せんせー、俺はE組の生徒でよかったよ。あんたが俺の先生でよかった」
心の底からそう思う。
殺せんせーがE組に来てくれたおかげで、俺は変われた。
大人を信じられるように、そして大人へ憧れを持てるように、お手本を示してくれた。
「待ってください。先生いま情緒不安定なので、そんなことを言われると……」
「わりといつも情緒不安定な感じはするけど」
また粘液を出そうとする殺せんせーを宥める。このままじゃ本当に謎の液体で部屋がいっぱいになりそうだ。
「ともかく、君が元気で、精神的に成長してくれたようでなによりです。ストレートな感情表現は、過去の君なら不得手とするところでしたから」
「過去ね……」
思い返してみれば、無茶苦茶だったと思う。それは、先のことを思い描いていなかったからこそできた蛮行だ。
いまはそんなことをする気は起こらない。
無事に帰ってこれたみんなの中で、E組の一員として一緒にいたい。
「俺さ、将来のこととか何も考えずに生きてきたんだ。なんとなく生きて、なんとなく死ぬんだろうなって。でも、みんなと出会えて、あんたとも会えて、少しずつ前に進めてる感じがする。まだ何かになりたいとか思いつかないけど、いつかは夢を見つけたいと思う」
「ヌルフフフ、いい心構えです。焦らずに一歩ずつ進んでいきましょう。君の学力なら、かなり上のレベルの高校まで視野に入れられるでしょう。将来の可能性を広めるためにも、妥協はなしでいきましょうか。ここでも勉強はできますしね」
「……お手柔らかに」
△
みんなの尽力もあって、二週間ほどで退院ができるようになった。
拷問は精神を削りにきたものの、身体にはそれほどダメージがなかったことが幸いだ。
医者にはこっぴどく怒られ、今度は軽い運動も許されないことになってしまったけど。
治してる間、身体がどれだけ鈍ることやら……ともやもやしてると、校舎へと続く坂の下でビッチ先生を見つけた。
ちょっと肌寒くなってきた今の気候は、露出多めの彼女の服装は合わない。
「ビッチ先生」
「うひゃあ!?」
うひゃあって、そんなに驚くことか?
「暗殺者ともあろう者が、簡単に背中取られてどうするんですか」
「ちょ、ちょっと考え事してたのよ。あんただって音もなく忍び寄って来るんじゃないわよ!」
「普通に声かけただけですがな」
……どうも違和感があると思ったら、ちょっとびくついてる。罪悪感を感じて、まともに目も合わせてくれないじゃないか。
「結局、E組の中でお見舞いに来てくれなかったのはビッチ先生だけでしたよ」
「悪かったわよ。死神がらみの事後処理で忙しかったの」
「はい嘘。目は逸らすわ、鼻は動くわ、口はとがらせるわ。役満です」
ここ最近で一番わかりやすい反応だ。
嘘ついてなんぼの仕事なのに、平静を保つことも出来ないとは。
「あんた本当に気味が悪いわね」
「昔から人の顔色伺ってきたからな。その賜物だよ」
「嘘がわかるなんて、苦労するわよ。早いうちからハゲるんじゃないの?」
「その時はその時。今はとにかく、あんたが戻ってきただけで十分だ」
『死神』もいなくなって、ビッチ先生はE組に帰ってきた。
死人はいないし、圧倒的な力を持った暗殺者を相手にしてこの結果は十分以上だ。
「な、なによもう! 嬉しいこと言ってくれるわね!」
ハグしてこようとするのをさっと避ける。
ビッチ先生はつんのめって倒れそうになるが、何とか持ち直した。
「中学生に避けられるなんて、まだまだ甘いんじゃないですか?」
「あんたが化け物すぎるのよ!」