「國枝くんから先生に連絡とは珍しいですねえ」
「ここで毎日ドラマ観てるって律に聞いたから、まあたまには一緒にってな」
夜の時間帯って、殺せんせーは何しているんだろうと疑問をもったところ、律が答えてくれた。
人の気持ちを理解するため、という名目で律も賛同したみたいだが……最新鋭の人工知能を使ってテレビを観るなんて、贅沢だな。
「ここじゃなくても、國枝くんの家でよかったんですよ?」
「家族に見つかるとまずいでしょうが。最近、国家機密ってこと忘れてないか?」
「この時間帯、ご両親はまだ帰ってないでしょう?」
見透かしたように、確証ある言い方の殺せんせー。
「國枝くんの母親と父親、お二方とも同じ会社で働いてるみたいですねえ。毎日遅くまで働いて、朝早くに出ていく。会社で寝泊まりすることも少なくないみたいですし」
「……ストーカー」
「なんと言われようとも、君のことを見て見ぬ振りするつもりはありません」
そこはしてくれてもいいだろうに。家庭の問題なんて、教師がどうこう言うところじゃないだろう。
しかし、殺せんせーは追及の手を緩めない。
「三者面談、君の両親だけいつも来ないと聞きました。それは前からずっとですか?」
「……」
「言いふらしたりはしませんから」
そこも信用ならんが……このまましつこく訊かれるくらいなら、離してしまったほうが楽か。
言って悪くなることもないだろうし。
「小学生の時からずっとだよ。まともに会話した記憶がない。小学校の入学式とか卒業とか、ここに入学する時も来てくれなかった。まあ忙しいのは知ってるから、仕方ないと思うけどさ」
観念して、俺は話しだした。
「勉強頑張っても、武道に手出しても、料理覚えても、関係は何も変わらなかった」
そんな関係なんだよ、俺のところは。息子が『貌なし』になっても気づかないような家庭。
俺が生きてきた年月の半分以上、親との繋がりを感じたことはほとんどない。それが当たり前になって、今さら愚痴を言う気にもならん。
「君はそれでいいと思ってるんですか?」
「両方とも大手製薬会社でバリバリ働いて、人のためになる仕事をしてる。息子だからって我儘を通すことはできないよ」
そういうふうに考えるようになったのはいつからだろうか。
今じゃそれが当たり前になっている。だからといって寂しくないわけではないけど。
でも、親が働いてくれているおかげで、俺は不自由なく過ごせている。
別に罵られたり叩かれたりするわけじゃないし、あれがやりたいこれがやりたいって言ったら金渡してくれるんだから、完全に育児放棄ってわけでもない。
そう言うと、殺せんせーはむむむと眉をひそめた。眉……というか、とにかく悩むように額に力を入れていた。
「そのあたりは、先生と齟齬がありますねえ。まあ、それについてはおいおい話し合うとしましょうか」
いつの間にか殺せんせーの目は窓の外に向いていた。
「そろそろ来る頃ですよ」
俺は殺せんせーに抱えられ、一瞬のうちに音もなく校舎の屋根上に上る。
教室の窓のすぐ外では、渚とその母親が立っていた。
渚が、何が何やらわからないという顔をしていることから、無理やり連れてこられたのだろう。
校舎の照明のほか、渚母の持つ火のついた松明が、彼女の暗い表情を浮かばせる。
「こんな場所に堕ちてから、アンタは血迷い始めた。私に逆らい始めた」
濁った目がぎょろりと渚を捉える。
「燃やしなさい、この校舎を。アンタ自身で」
恐ろしいことを言って、彼女は息子に松明を差し出す。
「ここに来たのは、あれを心配していたからでしょう?」
「ああ。猟奇的な目をしてたから何かしてくるかもって思ってな。まさか即日でやってくるとは思わなかったが」
しかも息子に校舎を焼かせるかね。他人の親にこういうこと言いたかないが、完全にネジ吹っ飛んでんな。
「や、嫌だよ、そんな……」
「誰が育ててやったと思ってんの!」
少しの反対も許そうとしない。教室で見せた怒りの表情。
「どんだけアンタに手間とお金使ったかわかってんの! 塾行かせて、私立入らせて、仕事で疲れてんのにご飯作って! その苦労も知らないで、ツルッパゲのバカ教師に洗脳されて、逆らうことばっか身につけて! アンタっていう人間はね、私が全部作り上げてあげたのよ!!」
「……母さん」
渚は口をつぐんだ。
正しいとは言えない。だが間違ってるとも言えない。
手間をかけて育ててくれて、いま自分がいるのは親のおかげだ。
それがわかってるから、心の内を言葉にしづらい。全部間違っている主張なら、いくらでも突っぱねてやれるのに。
「キーキーうるせえよ、クソババア。ドラマの時間が来ちゃうじゃねえか」
渚がハッと声の方へ振り向く。
親子の話に急に入ってきた闖入者は、鞭をピシッと地面に叩きつける。
その雰囲気だけで、この男が新しい殺し屋だと理解できた。
「奴はこの時間、ドラマに熱中してる。それは調査済みだ。銃でダメならこいつの出番さ。俺の鞭の先端速度はマッハを超える。どんな武器より速く対戦性物質を繰り出せる。一瞬で脳天ブチ抜いて殺してやるぜ」
大層な自信があるようだが、ここから見てると滑稽にしか思えない。
「実際はここにいるけどな」
「ヌルフフフ。調べられていることも看破済みです」
本当にやろうとしたら、鞭を振るう前にやられるだろうしな。
鞭を使うなら、それなりに近づく必要がある。それくらいの距離なら匂いでバレる。そんなことは知らず、男は余裕をもって武器を構える。
「殺すって何!? 何なの!? け、警察……」
「うるせーなー、ババア。本番中に騒がれると厄介だ。生徒を殺しちゃ賞金パアだが、ババアの方はぶっ殺しても構わねえよな」
男が鞭をしならせ、通報しようとした渚母からスマホを叩き落す。
勢いのあった彼女も、唐突な急展開に驚き、怯えている。
油断している殺し屋と、恐怖におののいている渚母。
その間でただ一人、渚だけが状況を冷静に判断できていた。
殺し屋の目的は殺せんせーだけだから、逃げようと思えば逃げられるだろう。
しかし、渚は逃走よりも暗殺を選んだ。
怯え、耐え、逃げてきたこれまでの姿じゃなく、この教室で得た新しい姿を見せつける気だ。
「母さん」
渚は前へ一歩踏み出す。
「僕はこのクラスで、全力で挑戦をしています。卒業までに結果を出します」
先ほどまでの、母の顔を伺うような弱さは一切ない。
「成功したら……髪を切ります。育ててくれたお金は全部返します。それでも許してもらえなければ……母さんからも卒業します」
決して速いわけではない。だが意識の隙を縫って近づいてくる渚に、殺し屋の身体は反応できなかった。
パン、と手を叩く。
高い音が夜を貫く。気付けば、殺し屋はびくびくと痙攣して倒れていた。
俺が見る限り、完璧なタイミングだった。
殺し屋が油断状態から緊張状態に切り替わる瞬間を狙っての猫騙し。いや、猫騙しなんてものじゃない。
「クラップスタナーですねえ」
「くらっぷ……?」
聞き覚えのない単語に、俺は首をかしげる。
「人の意識に波長があるというのは理解できますか?」
「緊張してたり、落ち着いてたりとかか?」
「はい。その波長に合わせて最も効く音をぶつけると、ああやって動けなくなってしまうんです」
相手が敏感な時に、一番反応してしまう目と耳に刺激を与える。猫騙しの次の段階、『クラップスタナー』。
後で聞いた話だが、『死神』と戦った時にあれをやられたらしい。
それを才能で仕上げ、実戦で見事成功させてみせるなんて……
「な、なんなのこいつ……なにしたのよ、渚!」
「たまにこの辺は不良の類が遊び場にしてる。夜間は近づかないことをお勧めしますよ」
狼狽する渚母の前に、殺せんせーがぱっと現れた。じろじろと見られてはまずいと、消火器を噴射して視界を防ぐ。。
「さて、お母さん。確かにまだ渚くんは未熟です、だけど温かく見守ってあげてください」
「決してあなたを裏切ってるわけじゃない。誰もが通る巣立ちの準備を始めただけです」
子は親に育てられる。だが同時に、別の場所でも育つものだ。いつかは知らないところのほうが多くなってしまうかもしれない。
それは成長であって、親に対する悪気なんかない。
誰だってそうなっていくのだ。
子は、親の所有物でもなく、失敗した自分の人生の代わりでもなく、一人の人間なのだから。
緊張が解けたからか、渚母はぱたりと倒れた。
倒れる直前、狂気の感情は消えていた。
殺せんせーの言葉に納得したからか、単純に意識が薄れたからか……答えはまた明日だ。
俺も屋根から飛び降りて着地する。
「殺せんせー……國枝くんも」
「言いたいこと言えたな」
用意していた縄で殺し屋をす巻きにしながら、俺は返す。
「ヌルフフフ。せっかく準備万端だったのに、出番がありませんでしたねえ」
「なけりゃないでいいんだよ。どうせ俺が動く前に、あんたが何とかしてただろ。それに……」
一皮むけた、すっきりした表情の渚を見る。
頼りない小動物なんかじゃない。大人へと成長していく、立派な一人の男だ。
「渚はもう弱くない。そんなことわかってたはずなのにな」
普久間島でのVS鷹岡から、この教室で上位に入る暗殺者であることは理解していた。暗殺ができる能力と度胸がある。
普段の様子からは想像できないからついつい忘れがちになってしまう。
そんな強い渚の手助けをしようとしたなんて、おこがましい。
「渚くんを心配する君は間違っていませんよ」
俺の心を察したように、殺せんせーが言う。
「なんの話?」
「成長してるのは俺だけじゃないって話」
きょとんと首をかしげる渚。こうしてみると、本当にただの一生徒って感じがする。
それもまた才能だろう。正面からの殴り合いじゃ負ける気はしないが、後ろから忍び込まれたら一瞬の間に喉を裂かれてしまうくらいには、俺たちは逆ベクトルに育った。
さて、殺し屋はここに置いておいて問題ないだろう。あとは……と俺が動く前に、殺せんせーが渚母を担いでいた。
「帰ろう。殺せんせーが送ってってくれるってさ」