授業中でも暗殺中でもないのに、俺たちは机に座って緊張している心を整えていた。
今日は中間テストの日。三年生になってから最初のテストだ。俺たちの実力を示す本番。へまは許されない。
すでにテストは配られ、裏のまま机の上に置かれている。
本校舎からの教師が監督役として椅子にふんぞり返っていた。教壇をコツコツと指で叩き、露骨に集中を乱してくる。
イラっとするが、心を穏やかに落ち着けて目を瞑り、二度深呼吸。
いつもの勉強をしている時と同じだ。焦っては実力が出せない。
殺せんせーやビッチ先生の授業を思い出せ。そう、いつも通りだ。目の前の問題を解くだけだ。
柵が開かれ、闘技場へ駆け込む……というようなイメージが、俺の中では繰り広げられていた。
大丈夫だ。やれると念じつつ、もう一度深呼吸する。
ゴング代わりにチャイムが鳴り、テストが始まった。。その瞬間、俺は
最初の教科は数学。
まずは一問目。さすがにここでつまづくようなことはない。
弱いものの代表として、スライムのようなモンスターが目の前に現れるイメージが見える。
すれ違いざまに蹴り倒して、次へ向かう。
二問目、三問目、四問目。これも大したことはない。思ったよりも時間を使わされたが、解けないことはなかった。
次々と解いていって、十問目。人型のトカゲが迫りくる。
先制の爪が襲ってきたところを、なんとか受け止める。弾き返せるかと思ったが、予想よりも重い。
間一髪のところで逸らして、距離をとる。
勇み足すぎたか。じりじりと詰めてくるのに対し、俺はそのぶん遠ざかりながら観察をする。
見た目以上に堅そうだ。ちゃんと弱点を見つけて奥まで突き刺さないと丸はもらえないだろう。
しかし……適切な攻撃手段が見つからない。数学は得意じゃないぶん、公式を詰め込んできたはずだが……こんなの習ったか?
いやしかし、問題文をしっかり読み込んで、別のアプローチを仕掛ければなんとかなりそうだ。
……と思ったが、どんな攻撃をしかけても鱗が邪魔して、少しの傷しか与えられない。
引っかけ問題? いや違う。
対処しようのない敵。未知の存在。つまり……習っていない箇所だ。
テスト範囲だと思っていたところより、少し進んだところ。解き方を教えてもらっていないのに、出来るはずがない。
俺が持っている武器は、全て意味のないものになってしまった。
避けることも防ぐこともできず、敵の一閃をもろに受けてしまった俺はその場に倒れこむ。
くそ、これが……あの理事長のやり方か。
俺は舌打ちした。やはり、俺はあの男が嫌いだ。
まだ時間はある。
こいつは放っておいて、別のを倒しに行くことに決めた。
しかし、振り向いた瞬間、禍々しい瘴気を発する次の問題に、俺は一刺しされてしまった。
△
テストが終わり、結果発表の日になっても、俺たちE組の空気は重たいままだった。
途中まですらすらと解けていたぶん、絶望が大きい。
結果から先に言うと、俺たちのほとんどは50位以内には入れなかった。それどころか、下から数えたほうが早いくらいだ。
俺も合計点数336点。188人中で92位。ギリギリ、半分から上程度。誇れるような点数じゃない。
各教科、解けなかった後半問題に点数の比重が傾いていたため、思っていたよりも点数が激減していた。
範囲通りなら、400点は取れていた自信があったのに。
そう、範囲通りなら、だ。
テスト直前で大幅に変えられてしまったのだ。そのことを、俺たちは知らされていない。
テスト後、烏間先生は本校の先生に抗議したが、『範囲変更の通知はした。そちらが本校に来ないから伝わらなかったのだろう』という意地の悪い答えで返されてしまった。
そう言われればそこまで。実際、本校舎にいる生徒たちには、そのことは知らされていた。
こちらの誰かが訊いていれば教えてもらえただろうが、テスト範囲が変更されるかどうかを質問するなんて、頭に浮かぶはずもない。そこまでのことをしてくるなんて考えられない。
本校の先生は、俺たちに点を取らす気なんてなかったんだ。
E組以外の全員が敵。そのことを再び突きつけられて、俺たちの士気は大幅に下がってしまった。
勝つことなんてできない。
流石の殺せんせーもしょんぼりとうなだれ、ガムを膨らます寺坂を注意もしない。
「無理だったんだよ、結局。ちっとでも夢見た俺が馬鹿だったぜ」
寺坂がそんなことを言った。それを否定する者はいない。
少しは自信があったのだろう。不良というか、態度が悪い部類に入る彼だって、彼なりに勉強していたことを知っている。
だが蓋を開けてみれば、がっつり下の成績。
ふてくされてしまうのは当然だ。
「先生の責任です。この学校の仕組みを甘く見すぎていたようです。君たちに顔向けできません」
文字通り背中を向けて、殺せんせーが何も書いていない黒板を見つめる。
殺せんせーも同じことを感じている。俺たちなら出来ると豪語したその裏には、教えたことに対する責任と自信があった。
それを打ち砕かれて、落ち込んでいる。
理事長がバラバラにしたルービックキューブ。それのように、殺せんせーの心は落ちてしまったのだろうか。
その頭へ、刃が迫る。
「にゅやっ!?」
ぎりぎりで避けた殺せんせー。ナイフが黒板に当たり、床に落ちた。
「いいの~? 顔向けできなかったら、俺が殺しにくんのも見えないよ」
投げたのはカルマ。
彼だけは他と違って、全くしょんぼりとした様子を見せない。
その理由、証拠を彼は示した。
妨害も俺には関係ない。カルマはそう言って、自分のテストを殺せんせーに見せる。
全て90点以上。数学に至っては百点。
総合点数は494点。他のクラス含めた三年生全体で見ても、4位という大快挙だ。
「あんたが先々まで教えてくれたおかげだよ」
彼は暴力行為でこのクラスに落ちただけだ。元々成績自体はA組に劣らない。それどころか校内でもトップクラス。
そのため、事前に告げられていたテスト範囲であったところから、彼だけはさらに先へ進んでいたのだ。
「だけど、俺はE組出る気ないよ。前のクラス戻るより暗殺のほうが全然楽しいし」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、カルマは殺せんせーに近づく。
「……で、どーすんのそっちは? 全員50位に入んなかったって言い訳つけて、ここからシッポ巻いて逃げちゃうの?」
ついに殺せんせーの目の前まで来た彼がさらに挑発する。
悪い顔だ。停学明けに初ダメージを食らわせたときよりかは爽やかだが。
それを受けて、殺せんせーの顔が少し赤く染まる。ちょっと怒っているのだ。
「それって結局さぁ、殺されんのが怖いだけなんじゃないの?」
ちらりと、カルマが俺を見る。
乗れ、ということか。
殺せんせーの教えでみんなの成績が格段に上がったのは確かだ。
彼がいなければ、範囲を変えられなくてももっとひどい点数になっていただろう。
その助けはこれからも必要だ。先生たちによる質のいい授業と百億円の懸賞金が、E組のモチベーションとなり力になる。
それをわざわざ手放す気は、俺にもない。
「そりゃ怖いんだろうさ。だけど、ここから逃げる口実を作れば殺される心配はないだろうし、なあ?」
落ち込んでいた空気が緩まる。
みんなも、カルマの意図を把握しだした。
「なぁんだ、殺せんせー怖かったんだ」
「言ってくれればいいのに、逃げたかったから無茶な条件出しましたって」
「にゅやーーーーっ!」
先ほどの様子はどこへやら、いつも以上の勢いで触手を挙げる。
にやりにやりと笑うみんなに対して、殺せんせーはがぜんやる気を出す。
「逃げるわけありません! 期末テストであいつらに倍返しでリベンジです!」
わかりやすい殺せんせーの負けん気に、俺たちはまた笑い出した。
それと同時に、思いを一つにする。
俺たちだって負ける気はない。この悔しい気持ちを、次にぶつけて勝ってみせる。
今までずっと下にいたんだ。あとは上がるだけ。
全力で勝とうとする生徒と、全力で勝たせようとする先生。
ようやく、このクラスはまとまりを見せた。
次のテストが楽しみだ。