夜七時。椚ヶ丘公園奥のすすき野原。
茅野が指定した場所に殺せんせーを一人で行かせるわけもなく、俺たちは全員集合していた。
この時間になれば、木に囲まれたここは一切の人気もなく、暗殺するのにはうってつけだ。
茅野は本当に殺る気だ。
膝上丈の、ノースリーブの黒いドレス……なのにマフラーを首に巻いている。
そのちぐはぐな組み合わせは、触手のせいだ。
堀部が言うには、触手細胞を埋め込まれていると特有の代謝異常が起こり、身体は熱いのに首元だけ寒く感じるらしい。
「茅野さん。その触手をこれ以上使うのは危険すぎます。今すぐ抜いて治療をしないと命に関わる」
「え、何が? すこぶる快調だよ。ハッタリで動揺を狙うのやめてくれる?」
殺せんせーの言葉に、否定から入る。言葉を交わす気は一切ないようだ。
「茅野」
渚が一歩前に出る。
「全部演技だったの? 楽しいこといろいろしたのも、苦しいことみんなで乗り越えたのも」
「演技だよ。これでも私、役者でさ。渚が鷹岡先生にやられてる時、じれったくて参戦してやりたくなった。不良に攫われたり、死神に蹴られた時なんかは、ムカついて殺したくなったよ」
なんでもないことのように、茅野は続ける。
「でも耐えてひ弱な女子を演じたよ。殺る前に正体ばれたら、お姉ちゃんの仇が討てないからね」
いつものような喋り方だが、決意は固い。一年間育てられた殺意はそう簡単には消えてくれない。
だが、希望を持って俺も口を開く。
「殺せんせーの話を聞いてみないか。殺せんせーが何をしたか、何を思ったか、それを知ってからでも遅くないだろ」
「聞いて、お姉ちゃんが戻ってくるわけ?」
「……戻ってはこない。だけど間違いだったら……」
「違っても、どうせ殺せんせーは殺さなきゃいけないんだから、一緒でしょ?」
どう言っても返される。止まってくれない。
周りのみんなも口々に言ってくれるが、茅野は耳を貸さなかった。
「殺す代償に、茅野も死んだら意味がないよ」
「うるさいね。部外者たちは黙ってて」
昂った感情のせいか、超速で空気と擦られたせいか、茅野の触手先が燃え上がる。
茅野は円を描くように触手を振って、殺せんせーと自分の周りの草に火を点けた。
空気が乾燥しているせいで、火の勢いはあっという間に増していく。
間髪入れず、茅野は殺せんせーへ触手を向けた。
苦手とする環境変化のせいで身体が鈍り、反応が遅れた殺せんせーの触手が一つ刈り取られる。
「あは、あはは、アハハッハハハ!」
あっという間、速すぎる一撃に気をよくして、茅野は攻撃を続ける。
目は血走り、裂けそうなほどの笑みを浮かべ、力の限り暴れている。びきびきと筋が立つ顔には、もはや茅野の面影はない。
殺せんせーは防御に専念している。全神経を尖らせないと、茅野の猛攻には耐えられない。
生徒に手出しするわけにはいかないから、これが彼の精いっぱいだ。
俺たちが救うべきクラスメイトは、一撃一撃に明確な殺意をもっている。
身が竦んでしまうような、恐ろしいほど大きな感情。
「渚にも見えるだろ」
「うん、いろんな感情がごちゃごちゃになって、付け入る隙なんてないよ。だけど……」
俺は頷いた。
渚の言いたいことはわかる。
滅茶苦茶に顔を出す茅野の表情の中に、見え隠れするものがある。それを自覚させれば、なんとかなるかもしれない。そのためには、まず彼女を落ち着かせないと。
「渚……やれるか?」
「う、うん。でもこれで駄目だったら……どうしよう?」
「自信を持て。囮は俺がやる」
炎に近づく。息苦しくなって、制服のボタンをいくつか開けた。
失敗すれば俺も渚もただでは済まなくなる。だが、渚ならなんとかできるだろうという信頼がある。
「気を逸らせるのは長くて五秒だ。その間に決着をつけてくれ」
「む、無茶言うなあ」
とは言いつつ、渚はやる気満々。
火の中をくぐるくらいなら、超体育着でなんとかなる。火傷も残らないどころか、熱ささえ感じずに通れるだろう。
「お、おい國枝。また一人で行くつもりか?」
「一人じゃないさ。渚がいる」
ついてこようとする菅谷を手で制する。
大人数で行けば、茅野を無駄に刺激することになる。それは避けたい。
ポケットから取り出したものを手にして、こっそりと使った。
ふう、と深呼吸して、まず俺だけが火の中へ。
いくつもの感情が混濁して目が血走っている茅野が、円の中に入った俺を睨む。
殺せんせーへの攻撃をいったんやめて、刺々しい表情をこちらに向けてきた。
「何のつもり? いま手加減できないから、一発で殺しちゃうよ?」
「そうするつもりなら警告なしでやれ」
俺の言葉を不快に思ったのか、触手の動きが不規則にうねる。
「出来ないとでも思ってるわけ!?」
「出来ないさ」
燃える触手がすぐそばの空気を切る。
パァンと鳴らされた衝撃波と熱。常人ならそれだけで戦意を奪われてしまう。
「私の正体に気づけなかったあんたが、私をどうにか出来ると思ってるなんて、おかしいと思わない?」
「それについては謝るよ。何もできなかった自分が悔しい」
「そう思うなら、もうほっといてよ! これが私のやりたいことなの! 殺せんせーを殺して、私も死んで、お姉ちゃんのところに行く。そうさせてよ!」
俺の性格を考えれば、この場で現れたのは邪魔するためしかないとわかってるはず。
なら茅野……雪村あかりにとっての敵と思われても仕方ない。
なのに彼女は跳ねのける一撃を繰り出してこなかった。その気になれば簡単にできたはずなのに。
断続して見られる怒りと絶望の中で、ほんの少しだけ顔を覗かせる感情が、それを抑えているのだ。
「なあ、茅野。さっきから言葉と表情がちぐはぐなのも、演技か?」
「っ!」
痺れを切らした茅野の触手が音速を超えて向かってくる。
俺はそれを腕で防ぎ、逃がさないよう捕まえた。
「!」
茅野も殺せんせーも動きが止まった。
水を吸ってのろくなっているわけでもない触手を、俺がガッチリと抑えたからだ。
そして、それを可能にした俺の腕……そこに巻き付いているものを見て、さらに驚愕する。
「どうして……なんで!?」
茅野が思考停止するのも無理はない。
「なんで触手を持ってるの!?」
狼狽して叫ぶ。そう、俺の腕には、首から生えた触手が巻かれていた、
夏休み最終日、シロの部下である医者もどきが俺に注射しようとしたのを、いま打ち込んだ。
シロが殺せんせーを殺せる触手兵器を生み出そうとしていることは明らかだ。そのために堀部を対象に実験を繰り返してきた。
だが、弱った状態とはいえ生身でもそれを倒した者がいる。俺だ。
だからシロは俺をも実験対象にしようとした。本来なら、触手を手に入れた俺と鷹岡を戦わせてテストするつもりだったのだろう。
偽医者が俺に注射しようとした、触手細胞。
それを、俺はずっと持っていた。
何かに利用できないかと考え、そして誰にも利用させないように。
だが、ただ触手を生やしただけじゃどうにもならない。マッハを捉えられる目がなければ、対等には戦えない。
その点、俺は殺せんせーの動きはよく見ていたし、なにより堀部と一対一で戦ったこともある。
実際の戦闘経験なら負けはしない。
予想外の展開に弱いのは触手の影響か、茅野は硬直して、俺の触手に目が釘付けになる。
どれだけ速い触手を持ってようが、止まってしまえば意味がなくなる。
隙を突いて、殺せんせーがもう片方を押さえにかかった。
触手の速さは恐ろしく、一瞬で首をはねることも可能だが、一方で触手自体にそれほど腕力があるわけじゃない……というのは、期末テスト勝利のご褒美に、殺せんせーが教えてくれた。
こうやって抑え込めば、あとに残るのは狂乱状態の茅野だけ。
そしてそれを戻すのは、渚の役目だ。
彼が茅野の目の前に迫る。
言葉で説得か、猫騙しか、行く末を見守っていると……
渚は茅野と唇を重ねた。
肩を掴んで、引き寄せて、真剣な目で茅野を見つめながら、舌を入れて強引に絡めとる。
茅野は急なことに抵抗しようとするが、いきなりで触手を動かすのを忘れている。ほとんど力を入れなくても抑えつけられた。
押しのけようにも、茅野の身体自体は、渚が密着して封じている。
逃げられないまま、口内凌辱が続く。
突如、茅野の目が困惑に変わる。復讐の炎は消え、俺たちがよく知る茅野カエデの目に戻った。
先ほどまでは『攻撃されている』という認識だったのだろう。それが『渚にキスされている』に変化した。
恥ずかしさで顔が赤くなり、目がぐるぐるとしだす。あとは何を感じているんだか、身体が痙攣するように跳ねる。
ここまでくれば、もう心配ない。あれから逃れられはしないだろう。
さらに数秒、舌の凌辱が続き、茅野の身体からがくんと力が抜けた。
「殺せんせー!」
言われる前に、殺せんせーは素早く動いた。目にもとまらぬ速さで、茅野から触手細胞を抜く。
くたりと倒れそうになる彼女を、渚が支える。触手が生えていた首元には後に残るような傷はない。後遺症が出るかどうかは、茅野が目を覚ましてからだ。
殺せんせーの安堵の表情を見るに、成功と思ってよさそうだ。
みんなが一呼吸おくなか、俺は自分の中から湧き上がる苦痛を必死に耐えていた。
『どうなりたい?』
ぎりぎりと脳に茨を巻き付けられたような痛みが続く中、声がこだました。
触手には意思があるのだろうか。本人の感情に左右されるのは、触手もまた感情をもって共感するからだろうか。
強くなれる。手遅れにならずに、みんなを守れる力が手に入る。そんな誘惑が響く。
だが……
「なんとかなったな……殺せんせー、俺の触手も外してくれ」
茅野とは違って、力なくだらりと垂れるそれを指差した。
殺せんせーは肩で息をしながら、急いで触手を抜き取ってくれた。
「これほど簡単に引き抜けるとは……執着がないみたいですねえ。イトナくんの時も、今の茅野さんだってこんなに苦労したんですが……」
「こんなの耐えられるほうがどうかしてる。脳みそが有刺鉄線で縛られてるような痛さだった。数分我慢してただけで、もうこんなだ」
ごっそりと体力が持っていかれ、全身汗びっしょり。
あれ以上触手を纏っていたら、どうにかなっていただろう。少なくともまともな思考ができなくなっていた。
「それを茅野は、長い間抱えてたんだね……」
渚が呟く。
茅野は触手をずっと忍ばせていた。想像を絶する苦痛を超える大きな復讐心。
それは強いとか弱いとかそんなんじゃなくて……不相応だ。中学生が持っていい感情じゃない。
復讐心。
人に力を与え、後に全てを奪っていくそれは麻薬のようだ。ひとたび心を委ねれば、自分一人の力で立ち直るのは難しい。
だから茅野の表情に『助けて』という感情が見えたのだろう。
「殺せんせー……」
みんなの、先生を見る目が変わる。
茅野がこんなことをするようになった原因、この事件の発端は、本当にあんたのせいなのか?
「……実は私は……」
殺せんせーが口を開いた瞬間、俺は視界の隅に映る物に気が付いた。
まっすぐ向かってくるそれを手で掴む。思ったよりも小さなそれは、対先生用のBB弾だった。
「まさかこんなところで触手細胞を使うとはね。あれだけ追い詰めても使わなかったくせに」
頭にくる声を忘れるわけがない。シロだ。
その隣には、異様な雰囲気を纏う謎の人物が経っていた。
闇夜に紛れるように黒いジャージを着ていて、閉じられたファスナーはフード部分にまでつながっており、その顔も隠されていた。
「シロっ!」
どれだけ退けても、しつこいほど邪魔をしてくる野郎。
触手を生やした茅野の行く末を見届けに来たのだろう。
「やっぱり、お前は俺に触手細胞を仕込むつもりだったんだな」
「その通り。強靭なメンタルとそれなりの身体能力、なによりE組の生徒たちを守ることへの躊躇のなさ。それらに触手細胞が合わされば、そこの化け物を殺せるくらいの逸品になれると思ってね」
得意げにぺらぺらと喋る。
「殺せんせーを上回る触手生物が欲しかったなら、『蟷螂』にでも打ち込んだらいいだろ」
「あの子は無理だよ。元から精神状態が安定していない。触手細胞を埋め込んだところで、自滅するのがオチさ」
俺を追い詰めて触手細胞を使わせる。それか俺を捕まえるところまでが『蟷螂』の仕事だったってことか。
だとしたら、こいつは、こいつらは本当に、あの場で不破たちを殺す気だったんだ。
「そう。だからもう『蟷螂』はいらなくなった。そして、お前ももういらないよ、國枝響。もっといい駒が手に入った」
その駒というのが、隣に立っている謎の人物か。顔がわからないけど、その殺意には覚えがある。
「今度はお前を殺す。こいつと私の力で」
シロはマスクを外し、口につけていた小さな機械を外した。
ナチュラルにこちらを見下している表情、冷たい目の男。露わになった顔を見て、殺せんせーが表情を動かす。
こちらもあっちのことを知っているようだ。今までは変声機のせいでわからなかったようだが。
「さあ行くよ、『二代目』」
そう言って、シロと男は去っていく。
ここで戦う気がなかったのは幸いだ。殺せんせーはギリギリの状態。俺たちはほとんど元気とはいえ……あの『二代目』と呼ばれた男を相手に、無傷で帰ることは難しかっただろう。
あいつの正体は『死神』だ。姿を隠していても、威圧感と殺意は誤魔化せない。
ただでさえ厄介な相手が、さらにシロの手によって触手を埋め込まれたとなると、殺せんせーでも太刀打ちできるかわからない。
同時に、触手を埋め込んでるからこそ仕掛けてこなかった。おそらく調整が終わっていないのだ。
時期的に考えて、あれが最終兵器。満を持して殺すために、ここで無駄な消費はしないという考えだ。
堀部の話によると、調整にはかなりの時間を要するらしいから、またすぐ仕掛けてくるなんてこともない。
ぴりっとした空気が弛緩し、俺はへたり込む。同時に、茅野が目を覚ました。
「茅野……!」
「よかった……」
触手も狂気も消え去って、ようやく落ち着いたみたいだ。
いつもの……それよりもちょっと冷めた表情だけど、俺たちの知っている茅野カエデが戻ってきた。
「私……」
終わったことを把握したのか、E組から目を逸らす。深く悲しみ、重い罪悪感を感じているのだ。
しばらく経ってから、ぽつりぽつりと、茅野は話し出した。
最初は、純粋な殺意だったけど、殺せんせーと過ごすうち、殺意に確信が持てなくなった。
殺せんせーが本当に雪村あぐりを殺したのか? 殺したにしても何か事情があったのではないか? 殺す前に確かめるべきじゃないのか?
でもその頃には、触手の中に積もり積もった殺意を抑えることができなくなっていた。
その告白を、俺たちはじっと聞いていた。
「目的が何だったとかどうでもいい。茅野は、このクラスを一緒に作り上げてきた仲間なんだ」
渚がそっと近づく。
「どんなに一人で苦しんでたとしても、全部演技だったなんて言わせないよ。みんなと笑った沢山の日は、ちゃんと全部本物なんだから」
「……うん」
茅野はぼろぼろと泣き出す。
本当は全部曝け出して、触手なんか捨てて、みんなと馬鹿やりたかった。
「ありがと……もう演技やめていいんだ……」
みんな一様に頷く。
でかい隠し事だった。でも、受け止められずに突っぱねるような奴はもういない。
「……ようやく、E組が揃ったな」
「それよりも!」
すぐそばで磯貝に怒鳴られ、俺はびくりとする。
「なんで触手なんか持ってやがったんだよ!」
「納得いく説明してもらうからね!」
ずんずんと片岡も加勢してくる。
あ、やっぱり見逃してくれないか。
怒涛の勢いで押し寄せてくるみんなにたじろぎながら、俺はなんとか押し返す。
「わ、わかったわかった。ちゃんと話すよ。だけど、まずは殺せんせーの話を聞こう」
ここまで来たら、もう隠せておけない。点と点だったE組と殺せんせーが、線で繋がっていることがわかったからだ。
「ええ、そうですね。みなさんには全てを知ってもらうべきでしょう」