貌なし【完結】   作:ジマリス

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81 真実

 駅前の時計台の下で、白い息を吐きながら待つ。

 昼でも冷え込んでいるが、人通りも多い。クリスマスともなれば、これくらいが普通なのだろうな。

 

「國枝くん!」

 

 俺を呼ぶ声のほうを見ると、不破がこっちに駆け寄ってくるところだった。

 話したいこともあって、年を越える前に会っておきたかったのだ。

 断られることも覚悟で誘ったが、彼女は二つ返事でOKしてくれた。

 

「待った?」

「いや、今来たところだ」

「國枝くんも隠すの下手だね」

 

 不破はそう言って、俺の手を取る。

 

「鼻も耳も赤いし、ちょっと震えてるし、それに……手、冷たいよ」

 

 自分の手で挟んでくれたり、さすってくれたりして熱を分けてくれる。

 しばらくそうしてくれた後、彼女は手をぎゅっと握った。

 

「あっためてあげる。さ、行こ」

 

 

 本屋だったり服屋だったり、あとはクリスマスセールをやってる店をいくつか覗いたり、話題の映画を観たり……特にこれといった大きなことはせずに過ごす。

 その間、俺たちはずっと手を繋いでいた。

 浮かれていると言われても仕方ないが、今日くらいは別にいいだろう。

 

 不破といるだけで心が弾む。

 ずっとこうしていられたらいいのにな、と思うが、無情にも時間はあっという間に過ぎていく。

 

 辺りも暗くなってきて、そろそろ晩飯を食うのにいい時間となった。

 不破が選んだのは普通のファミレスで、周りの席は家族連れやカップルで賑わっている。

 

「ここでいいのか? クリスマスなんだから他のところでも……」

「ううん。こういう普通の場所で、國枝くんと一緒にいたいんだ」

 

 その気持ちはわかる。激動の日々を過ごしてきて、気疲れが溜まっている。

 こうやって何もない日を過ごして、日常の中にいることを実感したかった。

 

 とりあえず適当に注文して、温かい飲み物で落ち着く。

 それきり、不破は黙った。

 

 原因は、殺せんせーが話した真実だ。

 

 

 かつて『死神』と呼ばれた世界最高の殺し屋がいた。

 だが弟子に裏切られ、とある場所に捕まってしまった。

 

 それは柳沢という男が研究所長を務める、反物質生成プロジェクトの研究所。

 

 反物質とは、通常の物質を構成するものとは反対の性質を持つ物質だ。

 爪の先の質量ほどでも、通常物質と反応してしまえばとてつもないエネルギーを生む。

 その性質ゆえに保管が難しく、制御が難しい。さらに、反物質を作るにはそれ以上のエネルギーが必要となる。

 だから、新エネルギー源としての有用性はほぼ皆無に近い、と研究者たちは考える。

 

 だが、柳沢は恐ろしい方法でそれを作ろうとしていた。

 体内で反物質を作り出す。

 倫理観など無視した実験。『死神』は実験体にさせられた。

 

 おおよそこれまでの科学を超越したトンデモ理論。それが出来る技術と自信が柳沢にはあった。

 げんに、使えない部下といくつかの調整にいらつきながらも想定通りの変化に、彼は満足そうにうなずいた。

 

 『死神』の中で育っていく反物質エネルギーを受け止めるため、細胞は柔軟かつ強靭になっていく。

 来る日も来る日も様々な刺激で細胞の活性化を促されたせいか、腕や手は細くしなるようになった。

 

 そんな地獄のような日々の中、彼を一人の人間として扱う人がいた。

 

 雪村あぐり。

 彼女はとてつもない情熱と体力の持ち主で、E組担任教師とこの実験の助手を務めていた。

 

 柳沢のお見合い相手。だが立場の上下は明らかだ。

 雪村先生の父が、柳沢の父の下請け。

 常に変化する『死神』の様子を観察したり、体調をチェックする役目は誰もやりたがらない。

 そこで柳沢は、優秀で従順な人間である雪村先生を選んだ。

 

 順調に実験が進んでいく中、強化アクリルを挟んで、相手と正面から向き合う雪村先生と『死神』の関係も進んでいく。

 

 最初は暇つぶしだった。

 『死神』は無力なふりをして、その実、柳沢を誘導していた。破壊の力を取り込んで、自身のスキルの一つとしようとしていたのだ。

 最先端のさらに先を行く技術であるが、『死神』はあらゆる知識に通じている。この研究を理解するのもそう難しいことではなかった。

 だが人間の細胞に、反物質を適合させるには時間がかかる。その間の暇つぶしとして、彼は雪村あぐりという人間を観察することにした。

 

 そのはずだった。

 彼女が話すE組のことや、妹のことだって、単なる話のタネ……のはずだった。

 

 だけどどこまでも真っすぐな彼女に、『死神』は惹かれていったのかもしれない。

 

 スキルで感情を抑え込み、完璧なポーカーフェイスをきめていた彼が、感情を制御できなくなったのはそのころだという。

 雪村先生と話して笑うことは珍しくなくなり、彼女のスタイルの良さに鼻の下を伸ばすことも多々あり、人間から外れていっているはずなのに、だんだんと人間ぽくなっていく。

 そのことを、雪村先生はこう表現した。

 

 どんな姿にもなれる触手は、『死神』がどうなりたいかを映す鏡なのかもしれない、と。

 

 その時、雪村先生と『死神』が出会ってから一年が経っていた。

 元から彼のことを化け物や実験体などとは思っていなかった雪村先生は、それまでたくさんの話をしたことや相談に乗ってもらったことを感謝し、プレゼントを贈った。

 

「首元が冷えるって言ってたから、これならカバー範囲広いですよ」

 

 独特なセンスの()()に、嫌そうな顔を浮かべる『死神』。

 この時には、彼女は何度も服などを否定されていたから気にはしていなかったが。

 

「今日、あなたと知り合えてちょうど一年です」

 

 なぜそれを、と訊く『死神』に、雪村先生は返した。

 

「誕生日が分からないなら、今日をあなたの生まれた日にしませんか?」

 

 突然のことに、『死神』は呆気に取られる。

 

「いっぱいお話聞かせてもらいました。いっぱい相談させてもらいました。出会えたお礼に、誕生日を贈らせてください」

「……頂きます」

 

 そう言う『死神』の表情は、柔らかい笑顔だった。

 

 

 それと時を同じくして、一つの事件が起きた。

 

 反物質生成は細胞サイクルを利用している。ならば細胞分裂が限界を超えた時にはどうなるか。

 月面にて、それをマウスで実験したところ、結果は最悪。

 体を飛び越えて反物質は生成を繰り返し、やがて対消滅を起こす。

 

 その大きなエネルギーは、月の七割を消滅させた。

 マウスほどの小ささでその衝撃なら、人間ベースの破壊エネルギーは底が知れない。

 地球が粉々なんてレベルじゃ済まない。完全にこの宇宙から消え去ってしまう。

 

 何も問題は起こらないだろうと高をくくっていた研究者たち、とくに柳沢は焦った。

 実験結果と精密な計算結果から得られたのは、このまま行けば『死神』の身体が同じことを起こすのは三月の十三日。おおよそ一年後だ。

 

 もちろん手をこまねいている場合ではない。

 柳沢はプロジェクトを即刻中止、『死神』を処分することに決めた。

 部下に怒鳴り散らし、必要なものを集めさせる。困惑した柳沢の叫びは部屋から漏れ、研究所内に広がることとなり、軽いパニックが起きた。

 雪村先生に聞こえてしまったのも、仕方のない事だった。

 

 彼女は『死神』に、ここに留まることの危険性を説明した。

 星を巻き込むほどの対消滅の危険があっても、変わりゆく彼を見捨てることはしたくなかった。

 しかし……

 

「さよならです、あぐり。私はここを出る」

 

 『死神』は逃げようともせず、死も覚悟してた。同時に、この力を試したいとも思った。

 

「予定よりやや早いが、それでも十分なパワーを手に入れた。計算上はこの独房を破れる」

 

 身体が変質していく。

 これまでのゆっくりした変化を早回ししたように、かろうじて残っていた人間の部分もなくなっていく。 

 

 引き止めようとしたが、無理だ。

 雪村先生の力じゃ当然止められない。それに、彼女は絶望していた。『死神』に自分の言葉が届かなかったことを。

 

 そして『死神』は、自分の中の蓄積された怒りをわざと解放した。触手は感情によって力を増すことをわかっていたのだ。

 心臓から黒く染まり、その範囲は拡大していき、破壊の権化となる。『死神』はそれをやめる気はなかった。どれだけのことが出来るか、職員たちの命で試すつもりなのだ。

 

 強化アクリルの壁を破り、のそりのそりと歩を進める。

 副産物として開発されていた対触手生物用の弾を持った警備が現れる。

 しかしその程度の弾速では、超生物となった『死神』には対処できない。

 

 銃弾の嵐を余裕で避けつつ、砂粒を指で弾く。飛ばされた粒は大動脈を裂き、心臓を貫く。一瞬にして、三人の警備が血を吹きながら倒れた。

 これくらいは触手がなくとも出来たことだ。『死神』は拍子抜けしつつも、次の標的へ目を向ける。

 

 この研究所そのものだ。

 力の限り暴れ、そこかしこを破壊していく。

 銃弾は避けられ、あるいは粘液で塞がれ、彼を止められるものはなくなっていく。

 予想以上の力に、『死神』の好奇心はどんどんくすぐられていく。どれほどのことができるのか。限界はどこか。

 もっと感情を使って、破壊を望んだ。そして最後にはあっけなく散るのもいいだろう。

 

 それをよしとしない者がいた。雪村あぐりだ。

 その自暴自棄にも見える破壊衝動に飲み込まれれば、彼の人間性が殺されてしまう。

 確実に存在する『死神』の心に通じた彼女は、それを許すことはできなかった。

 

 雪村先生は『死神』を止めようと駆け出す。殺気のないその行動を、『死神』は気づかない。

 彼女が腰にしがみついてきて、ようやくわかったくらいだ。

 

 そして……触手が雪村先生の身体を貫いた。

 『死神』のものではない。実験の副産物として生まれた。単体の触手だ。

 センサーと組み合わせることで、動く者を攻撃する防衛システムとなる。それが雪村先生に穴を開けた。

 

 自分への攻撃でなかったことで、『死神』の反応が遅れ、それを防ぐことができなかったのだ。

 臓器は貫かれ、あるいは潰され、骨も砕かれて中で刺さっている。

 致命傷だった。

 

 もはや助かることのない雪村先生。いや、触手の繊細な動きをもってすれば可能だった。

 しかし『死神』は触手を暗殺に役立てるためにしようとしていて、治療のため扱う訓練はしていなかった。

 

 助けられない。力はあっても、その技術がない。

 だんだんと冷たくなっていく雪村先生の身体を抱きながら、『死神』は怒りがなくなっていくのを感じた。

 代わりに訪れたのは悲哀。

 とめどなく溢れてくる悲しみが、彼を正気に戻した。

 

 軽く扱ってきた命の重さが、心にのしかかる。

 

「あの子たちを……お願いします」

 

 崩れる建物の中、命の灯火が消えていく中で、彼女はそれだけを願った。

 底に落ち、絶望に沈んだE組の生徒たちを救えなかったこと。最期、雪村先生が心残りにしていことはそれだった。

 

 砕けた研究所。夜の光に照らされて、雪村先生は逝った。

 

 茅野が見たのは、この時の光景だ。

 謎の生物が死んでいる姉を抱えている。傍目から見て、そいつが殺したのだと思ってしまう。

 実際、そうなのだと『死神』は思った。

 治療技術を極めていれば、あるいはこの瞬間に暴れなければ……抵抗せずに、モルモットでいるだけなら、少なくともここで雪村先生が死ぬことはなかった。

 

 『死神』はひどく悔いて、ある決断をして飛び立つ。

 その場には一つの紙を残していた。地球を破壊すること、そしてE組の教師にならなってもいいということを書いた紙。

 

 この時から、彼はE組の教師になることを選んだのだ。

 雪村先生が最期に残した約束を守るために。

 

 そうして、『死神』は触手に願った。

 弱くありたいと。

 殺戮の権化じゃなく、誰もが親しみを持ち、落ち行く者を柔らかく受け止められるような、そんな存在になりたいと。

 

 触手はそれを叶えた。

 隙があり、もしかしたらもう一歩で殺せるんじゃないかと思えるくらいの生物に、『死神』を作り変えた。

 つるんとした身体に、穏やかな顔。近寄りがたい雰囲気をなくし、その二つ名とは遠い存在になった。E組の生徒の前に立てるように。

 雪村先生から託された誕生日プレゼント……三日月が刺繍されている大きなネクタイを首に巻いて。

 

 

 残された雪村あかりは、その場に偶然残されていた触手細胞と研究データを手に入れ、復讐のために自らに注入した。

 そして身分を偽り、椚ヶ丘に転入。同時に理事長室のものを壊して、自らE組行きとなった。

 

 これが、殺せんせーが来る前に起きた一連の事件の顛末である。

 

 

 殺せんせーの話を聞いて、E組が目を逸らしていた感情に気がついた。

 

 殺したくない。

 

 今まで暗殺を実行できていたのは、賞金の百億円があるから、そして殺せんせーが超生物だからだ。

 しかし人間であると思ってしまえば、不意にこれまでの思い出が蘇った。

 勉強を教えてくれたのも、A組との勝負に勝って一緒に喜んだのも、時にはバカやったりしたのも、間違えた時には厳しく接してくれたのも、全部一人の人間なのだ。

 情が移ってしまうのも無理はない。

 地球破壊自体が、殺せんせーの意志じゃないならなおさらだ。

 殺したくないと、救える道があるんじゃないかと考えてしまう。

 

 食事を終え、駅前のイルミネーションの中を歩きながら話を続ける。

 

「なんていうか、なんだかわからなくなっちゃった。どうしたらいいかとか……本当に殺るべきなのかとか」

「遅かれ早かれこうなることは予想してた。殺せんせーを殺したくないと思ったとして、そのうえで殺すべきか殺さないべきか迫られるってことが」

 

 殺せんせーの正体は人間である。

 みんな感じていたことだが、正面から受け止めていたのは限られる。

 おそらく、烏間先生と俺くらいだろう。

 

「國枝くんは……どうするの?」

「俺のスタンスは変わらない。お前たちが暗殺を続けるなら協力するが、俺自身は手を下す気はない」

 

 殺す。その行為を俺はすることはできないが、ここまで来てしまっては否定することもできない。

 

「世界を救うため……殺せんせーのこれまでの教えに応えるためにも殺すべき。奴を人間として見て、教師、友人として殺さないべきでもある。どっちの意見も俺は尊重する」

「私はどうするべきなのかな」

「こればっかりは自分で決めなきゃな」

 

 ここで何かを言うなんて無責任なことはできないし、その結果に責任も持てない。

 地球の命運と殺せんせーの命、生かすことによる危険度とか、殺すことによる喪失。

 全てを天秤にかけて考えるなんて、中学生には重すぎる決断だ。

 

「やっぱり寒いな」

 

 白い息が口から出て、夜に消える。

 春から始まった暗殺教室も、もう終わりが近づいてきている。

 

「うん。もうちょっとくっついてもいい?」

「……ああ」

 

 不破は腕を絡めてくる。じんわりと体温が移って、さっきよりも暖かくなった。

 

「殺したら、殺せんせーはいなくなるんだよね」

「そうだな」

 

 当たり前のことだが、その当たり前の大切さをようやく知る。

 ここまで勉強を教えてくれて、理不尽との戦い方を教えてくれて、俺たちとともに勝利を味わった殺せんせー。

 殺せば死ぬ。死んでしまう。この世からいなくなる。

 

 もう年を越えるというのに、みんなはその恐ろしさに気が付いた。

 自分を構成する大きな一部が無くなってしまう恐怖に目がいってしまった。

 

「國枝くんがいなくなるかもしれないって思った時、胸がすごく痛くなって、耐えられないくらい苦しかったんだ」

 

 『死神』の拷問を受けた時の話だ。

 あれのせいで、よりいっそう消失への焦燥感が増しているのだろう。

 

「大切な人がいなくなっちゃう痛み。あんなの二度と味わいたくない」

 

 不破は俺の袖をぎゅっと掴む。

 

「殺すか殺さないか、ちゃんと選んで決めるよ。殺せんせーと向き合えるように」

 

 その目はまだ迷いがあるけれど、弱さは少しもなかった。

 

 暗殺期限まであと三か月を切っている。

 今一度、俺たちはどうするべきかの選択を迫られていた。

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