三月になった。
結局、ここまで殺せんせーを殺すことは出来ず、大規模な作戦ももうない。というのに、暗殺を続けてきた面々の顔は晴れやかなものだった。
まあ、殺すことも生かすことも全力でやってきたのだ。悔いはない。
そうなれば気がかりになるのは、最後のイベントである卒業式。というより、それと同時に来る『別れ』が心を引っ張る。
みんなはこれからばらばらの道を歩くことになり、殺せんせーとだけじゃなく、烏間先生、ビッチ先生とも離れることになる。
二度と会えない、なんてことはないだろうが、そう軽々と呼びつけることは出来なくなる。
寂しくなる。
そう思っても、口に出す者はいない。最後まで精一杯楽しむつもりだ。センチメンタルな気分になるのは後でいい。
今日の授業は終わったが、まだ教室にはほとんどの生徒が残っている。
E組最後の進路面談。
みんなはさらさらと進路希望の紙を書いて、先生に呼ばれるの待ちだ。その面談が終わり次第帰れるが……しかし、俺の紙はまっさら。一文字も書けていない。
そういえば、渚も進路は決まっていなかったはずだと思って聞いてみると、
「僕は……教師になれたらいいなって考えてる」
と返された。
高校、大学こそ母親の理想を目指しているが、自分が本当にやりたいことははっきりと決めたらしい。
教師、か。
わかばパークで子どもたちに教えていたときも楽しげだったし、評判も良かった。観察力に長けているから、生徒の違和感にもすぐ気づく。たしかに、彼の才能に合った職業かもしれない。
なんだか、意外とみんな色々と考えているなあ。
優月は漫画編集者、カルマは官僚、渚は教師。
刹那的に生きてきた俺とは違って、未来へのビジョンが見えている。
俺は悩んでも、とりあえず高校進学としか言えなくて……それ以降のことは何も思い浮かばない。
このままじゃ大学どころか、高校の文理選択にすら悩まされそうだ。
「なに唸ってんのよ、クニエダ」
うんうん悩んでいると、ビッチ先生が話しかけてきた。
「どんなことを学びたいとか、どんな仕事に就きたいとかわからなくて……そういえば、ビッチ先生はどうするんだ、今年度が終わったら」
「カラスマに、防衛省に誘われたわ」
なんでも過去が不問の部署があるとか。そこで今度は贖罪のために働け、と烏間先生に言われたそうだ。
これはちょっと参考にならない。
「いいんじゃない。悩みに悩んで、それでも答えが出なかったらタコに相談しなさいよ。そのための面談でしょ」
さらっと言ってみせる。
出会った当初の彼女なら、適当なことを言うか無視するかだっただろう。
それが、いまはビッチ先生らしい言葉で的確な助言をくれる。
「あたしもカラスマもいるし、困ったら何でも言いなさいよ。あんたらより人生経験豊富なんだから、少しはアドバイスできるわ」
「ビッチ先生……まるで教師みたいなこと言いますね」
「れっきとしたあんたらの教師でしょうが!」
△
俺の番が来て、空き教室に入る。
殺せんせーがいる対面の椅子に座って、大きく息を吐いた。
その間、彼は静かに俺の言葉を待っていてくれている。
何を言うべきかしばらく考えて、俺は口を開いた。
「この教室で、俺はいろいろ学んだよ。だけど……実のところ、まだ何がしたいのかわからないんだ。ずっと過去のことを考えてたせいで、未来が見えない」
余裕が出来たのはつい最近で、それまで将来のことを考える暇なんてなかった。
いや、そんな暇を自分から潰していたんだ。
持っているはずの可能性を浪費して、現在を生き急ぎ過ぎた。
「出来ることが多い人ほど、やりたいことが多い人ほど、進路を決めるのは遅いものです」
だから急いで答えを出す必要は無いと、殺せんせーは何度も頷く。
「だったら殺せんせーは、どうして教師になることを簡単に決められたんだ?」
俺は彼の正体が発覚してから感じていた疑問を発する。
「一流の殺し屋は万に通じる、だろ。教師の他でだって、俺たちの力になることはできたはずだ。でもすぐに選んだんだろ、教師になるって」
「確かに、決断は一瞬でした。たとえこの触手を手に入れなくても、教師になることはぱっと決めていたでしょう。決断というのはね、國枝くん。過去の積み重ねから学んだことを活かして選択肢を選ぶことなんですよ。死神として人を殺してきたこと、教え子に裏切られたこと、そして雪村先生に出会えたこと。そのどれもが欠けていたら、私はこの道を選んでいなかったかもしれません」
つまり、その壮絶な経験があったからこそ、殺せんせーは先生としていまここにいるんだということだ。
もし殺し屋でなかったなら、普通の人として過ごしていただろう。
もし弟子に裏切られなかったら、『死神』のままだっただろう。
もし雪村先生に出会えていなかったら、暴虐の限りを尽くして、本当に地球を壊していたかもしれない。
人と出会い、話し、触れることは、一番手っ取り早い進化への道なのだ。
技術を高めるよりも、触手細胞を埋め込まれるよりも、心を持つ人として生まれたなら、その心を育てるべきなのだと、俺はそう感じた。
「それに」
殺せんせーはもうそろそろ沈みそうな夕日に目を向けた。
「君たちを間近で見て、教え、触れ合う。そんな職業は教師しかないと、雪村先生が教えてくれましたから」
一瞬だけ、殺せんせーの姿が優しく微笑む青年のように見えた。
瞬きすると、やはり見慣れた黄色い球体の頭がそこにある。
「将来に不安はありますか?」
「いいや、変かもしれないけど怖くはないな。不思議と、何とかなる気がする」
「なら結構。若い時には自信を持って間違い、遠回りをしなさい。それだけの時間が君にはある」
進路相談なのに、まだ行く末が決まっていない俺を急かすでもなく、遠回りしなさい、か。
欲しい言葉を欲しい時に言ってくれる。そんな先生だから、俺も変われたんだろうな、と笑みがこぼれる。
「よく笑うようになりましたね。それでいいんです」
満足そうに笑みを浮かべる殺せんせーに、俺は顔を背けそうになった。
「いいのかな。『貌なし』になって傷つけた人はたくさんいるのに、俺はまだそれを咎められてない……いつかは罰されるべきなんだろうか」
「それは自分で決めてください」
この教室でのこと、『貌なし』のことがなかったことになる以上、真相は伏せられる。
公表しなければ、世間にとっては『そんなのもいたな』程度の存在になって、いつかは忘れ去られていくことだろう。
それが正しいか正しくないか……卒業するまでの短い間で、決めることが出来るだろうか。
「ただ一つ、先生から注意があります。『貌なし』になってからしたことを否定しないでください」
「わかってる。人を傷つけたことは絶対に忘れない」
「それもありますが、『貌なし』が人を助けたこと、それも受け止めてください」
「『貌なし』が助けた?」
俺は首を傾げた。
「確かに『貌なし』になったことで傷付けた人もいるでしょう。みんなと仲が悪くなったこともあるでしょう。しかし、『貌なし』にならなければ救えなかった人もいます」
殺せんせーは触手の指を立てて数える。
十では足らず、二十でも足らず、俺が救ったという人数の多さを示してくる。
「過去に意味がないと思えば、意味がないものになってしまいます。それはとてももったいない。あれだけの経験は誰にもできません」
まあ確かに、俺みたいな経験はやりたくてもそうそうできるもんじゃない。
それが意味のないことだと言われたこともある。そしてそれに納得しかけたこともある。
「『反省』とは、悪かったことを挙げて直すことだけではなく、良かったことを汲んで活かすことも含まれます。『貌なし』になって良かったことを必ず見つけて、意味があったと信じて活かしてください」
「いまいちわからないな」
「悩むことは大いに結構! それもまた経験です」
自分が何者なのか、何をやりたいのか、何をやるべきなのか。明確な答えはまだ出せていない。
焦りはしないが、そのせいでほんの少しネガティブな気持ちになったりする。
『レッドライン』や『蟷螂』の言葉に左右されてしまっている。
確固たる自分がないから、誰かの言葉に揺らされてしまうのだ。
ずっと一人だと思い込んでいたから、そんなに弱くなってしまった。長い間、親にもわがままを言えないくらいに。
でも、と俺は思う。
みんながいる限りこれ以上ぶれることはないだろう。
時々物寂しくなっても、仲間がいて、先生がいて……今はちゃんと親も見てくれている。
だからたぶん、どうにかなるだろう。
「意思があれば、なんだってなれるもんです。まだ大人になるまでは時間はたっぷりあります。君は君のペースで、やりたいことを見つけてください」
「ああ、そうだな。ゆっくり決めるとするよ。俺の人生だから」
E組で少しは強くなれた。知識と体力をつけて、進学校の中でも上位の成績になれた。
その実力でもどうしようもない時、そばには誰かがいる。頼れることも、また強さなんだと学んだ。
目の前の最高の先生が、それを教えてくれた。
「ところで不破さんとのことを根掘り葉掘り聞いてもいいですか!?」
「台無しだよ」
まったく……とため息を吐きながら、俺は苦笑した。
……殺せんせーを殺す、最後で最大規模の計画がすでに動き出していることを、この時の俺は全く知らなった。