最悪だ。
ビッチ先生がこの施設の警備を手薄にしたのが裏目に出た。『蟷螂』は、俺とは別ルートで難なく侵入し、ここにまでたどり着いてしまった。
手に持ったナイフが薄く赤い光を放っているところを見ると、最低一人は殺してきたに違いない。
「『蟷螂』……」
「ここにお前が来るはずだと聞いてな、『貌なし』」
『蟷螂』は血に塗れたナイフを握りながら答えた。
「シロか? 裏切られたのに、話を信用したのか」
「あいつは後。まず最初はお前を殺す。お前と……そのクラスメイトをな」
「シロを後回しにするなんて、よっぽどいい話で丸め込まれたみたいだな」
「コロセンセーとやらが死ねば、大人しく殺されてくれると言われてな」
どこまでもいかれた奴だ。
ここで逃げても、どこまでも追ってくるだろう。殺せんせーを助けに行かなきゃいけないのに、その邪魔をしてくるに決まってる。
そうなれば、E組の誰かが、あるいはどさくさに紛れて『群狼』が、あるいは道中の無関係な人が命を落とすかもしれない。
俺たちは殺せんせーのためなら何でもするわけじゃない。奪うべきではないものを取り上げてしまうわけにはいかない。
だから、ここでこいつとは決着をつけなければいけない。
お互いそれがわかっていた。
相手を取り逃してしまえば、この後だけでなく、今後の人生まで左右してしまうほどの歪みが出てしまう。
俺が拳を固めるのと、彼がナイフを投げてくるのは同時だった。
飛んでくる刃を、横から叩いて落とす。そうしながら、俺は距離を詰めた。
接近戦では俺のほうに分がある。いままで決着がつかず、不意打ちすら食らって捕まったのは、万全じゃなかったからだ。
『蟷螂』が次の武器を取り出す前に腕を掴み、そのままタックル。壁に身体を激突させて、反撃を食らわないようにすぐ一歩下がった。
吐き出された息をめいっぱい吸い込もうとする『蟷螂』へ、何発もパンチをおみまいする。
よろめいた『蟷螂』は頭を振ると、お返しに頭をぶつけてきた。
あっちは戦闘服で頭までガードされているからダメージは少ないが、俺にはその固さがダイレクトに伝わってくる。当然フードじゃ防げない。
ぐらついたところへ、『蟷螂』の膝がみぞおちにめりこんだ。
くの字に曲がった俺に、彼は追撃をしかけてくる。俺はなんとか手を動かして、防御した。
攻撃されては防御、反撃の応酬が続き、位置が入れ代わり立ち代わり、めまぐるしく手と足が舞う。
俺が『蟷螂』の左腕を掴んで壁に抑えつけると、彼は流れるように胸のホルスターからナイフを抜き、一閃。首を刈り取る一撃をぎりぎりかわした。
その拍子に少し距離を取ってしまい、二人して固まる。
刃物を使う相手に、まして『蟷螂』にうかつに近づくわけにはいかない。
『蟷螂』も、何も考えずに動かなかった。単純に投げても俺に弾かれる。
じりじりとゆっくり間合いをはかる。
武器を持っているぶん相手が有利だが、それに頼れば動きは限られてくる。斬るか突くか、おおよそはその二パターン。
敵は後者を選んだ。
俺は狙いすましたその攻撃が届く前に腕を掴んで、カウンターの裏拳。
だが敵はそれで怯むことなく、残った左手でどこからともなく次のナイフを取る。
しまった。
この密着した状態では避けられない。
『蟷螂』は柄をしっかり握り、その先を真っすぐ向けてきた。
防御も回避もできない俺の脇腹に、刃が突き立てられる……ことはなかった。
誰か別の手が、『蟷螂』の手を止めていた。
その誰かはナイフを取り上げ、『蟷螂』の腹へしなる足を叩きつけた。
痛烈なキックは『蟷螂』を吹き飛ばし、床を転げさせる。
そいつを、赤い線が入ったレインコートを、俺はよく知っている。
「なんでここに……」
「私の能力はよくわかってるでしょ。あ、それともここにきた方法じゃなくて、理由のほうを聞きたいのかな?」
被ったフードをちらりと上げて、ウインクしてきた。
立花風子。『レッドライン』がそこにいた。
最近まったく音沙汰のなかった彼女がなぜここに来たのか。
説明しますというように、彼女は人差し指を立てた。
「せっかく響くんが『貌なし』に戻ったんだもん。これを逃す手はないでしょ?」
「今はお前に構ってる暇はない。後ならいくらでも相手してやるから……」
「だめ。だめだめ。だめだよ、響くん。後でなんて意味ない」
ぶんぶんと頭を振る。
理解はしたくないけど、わかってしまう。こいつがこの戦いに参加してきた理由を。
眉間にしわを寄せる。俺のそんな様子を見て、『レッドライン』は『蟷螂』に向き直った。
「キミ……知ってるよ。連続殺人鬼だよね」
立ち上がった『蟷螂』へ、指をさす。
『蟷螂』の憎々し気な表情が彼女に突き刺さるが、どこ吹く風でいつものように飄々としている。
「俺を知ってるだと?」
「血の匂いと怒りと殺気。あのナイフと同じ匂いがする」
二学期始まってすぐのことを思い出す。
『レッドライン』の正体を知って、彼女に助力を求め、『蟷螂』の居場所を特定した時のこと。
まさかあの時には、こんなところで三人とも集合するなんて思ってもみなかった。
絶対に殺そうとする『蟷螂』。
至上の
誰も殺さず、殺させない『貌なし』。
三人の視線は、それぞれに容赦なく注がれる。
「『貌なし』を殺しに来たの? 残念だけど、そうはさせないよ」
「誰だ?」
「『レッドライン』って言えばわかるかな? そこそこ有名人らしいんだけど。キミと同じでね、『蟷螂』さん」
「なぜ邪魔をする」
「私、この人がいなくなると困るんだ。殺す気でしょ? でもさせないよ。私にとって『貌なし』は必要不可欠な存在なんだもん」
『蟷螂』の問いに、飄々と余裕ぶって返す『レッドライン』。
その態度が気に入らないのか、明らかに『蟷螂』がイラついているのがわかる。
「邪魔をするなら、お前も殺す」
「残念だけど、殺される相手はもう決めてるんだ」
『蟷螂』の手が素早く動いた。
腿のホルスターからナイフを掴むと同時、ガンマンの早撃ちのように手首をスナップさせ、投げてくる。
「危ない!」
俺は『レッドライン』を押し倒す。先ほどまで彼女の頭があったところを、ナイフが通過した。
「わ、武器とか卑怯じゃない?」
「言ってる場合か!」
俺は彼女を起こし、すぐさま駆け出す。
さっきまでE組のみんなが監禁されていたところへ身を投げ入れ、二人で壁に身を隠した。
俺はドアのすぐ左、『レッドライン』はすぐ右。
「もうちょっとでざっくりいくところだったね」
「すぐ逃げろ」
「って言っても、唯一の出口はこの扉しかないし、そもそもここまで来ておいて逃げる気なんてないしねぇ」
立花はそう言うと、どこからかナイフを取り出してくるりと回す。『蟷螂』のものだ。さっき避けざまに取っていたのだ。
「こういうのを使うのは嫌いだけど」
刃を前にして構える『蟷螂』がぬっと入ってくる。その瞬間、立花は首に突き立てるようにナイフを振るった。
すんでのところで、『蟷螂』が刃で防ぐ。押しつ押されつのつばぜり合い。
力が拮抗しているところに、俺は手刀を繰り出して二人のナイフを落とした。さらに『蟷螂』を回し蹴りでよろけさせ、立花が飛び蹴りで吹き飛ばす。
『蟷螂』はぱっと立ち上がり、殴りかかってくる。腕でガードし、その隙に立花が顎を打ち抜く。
近接戦闘じゃ暗殺者にも負けなかった『貌なし』と、常時リミッターが外れてるような『レッドライン』の猛攻には、さしもの『蟷螂』も対処できない。
刃物を取る素振りをすれば弾き、防御の姿勢になったら隙間を縫うように連撃。息もつかせない攻撃に、『蟷螂』はようやく倒れ伏した。
「殺す……殺してやる……」
「お前には無理だ」
なおも立ち上がろうとするそいつの顎を思いきり殴ってやった。
完全に頭が揺れてしまったようで、『蟷螂』はがくりと倒れた。わずかに手を動かすも力が入っていない様子だ。
「どいて、響くん」
立花はナイフを拾う。俺が叩き落した『蟷螂』のものだ。
ぎらりと光る刃を持つ立花は、それ以上にぎらついた意思を滲み出す。
それを、仰向けになっている『蟷螂』へ、躊躇なく振り下ろした。
俺は急いで彼女の腕を掴み、止める。
彼女の心から生み出される殺意がナイフに伝わっていた。
「待て、殺す気か?」
「そうだよ。それが?」
さも当たり前かのように、立花は答える。
「こいつは私たちを殺そうとしてる。私はこいつなんかに殺されたくないし、響くんも死んでほしくない。なら殺すしかないじゃん」
「本気で言ってるのか」
「私が本気で言わなかったときがある?」
ぎらついた目をこちらに向け、立花は俺の腕を振るい外す。
大きく振りかぶって、光る先端を『蟷螂』の首に突き立てようとした。
すんでのところで、俺は手刀でナイフを離させる。それが地面に落ちるよりも速く、彼女の顔に拳をめりこませた。
立花が頬を押さえて後ずさっている間に、転がっている刃物を蹴り飛ばす。
「そう、そういうつもりなんだ」
にやり、と立花が笑う。
幾度となく見てきた表情だ。それも、俺が彼女を傷つけているときにのみ現れる、純度100%の心からの笑顔。
「いいよ、響くん。これが最後になるかもしれない。その瞬間まで楽しもうよ」