貴女にあげるよ、口紅を   作:トマトのトマト

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第一話 みぞおちに肘打ち

 

 

 

 

 

 

「もしもーし。もしもーし。大丈夫ですか?」

 

 

 満月を背に、胡蝶しのぶは傷だらけの隊士に声を掛ける。蜘蛛の糸に吊られた家屋の上で、横たわる彼は彼女の姿を確認する。

 黄色の頭に黄色の羽織りを着た隊士。朧気な瞳を彼女に向けている。毒により身体が縮こまっていた。しかし、呼吸で巡りを遅くしていたおかげで、こうして彼女の姿を確認出来ていた。

 それからすぐ、彼女の後ろから姿を見せた一人の隊士。月に映える桜色の羽織を纏っていた。

 

「もしもーし」

「しのぶさん……早く解毒剤を打たないと。そんな話しかける余裕なんて無いでしょう」

「分かってますよー。逆に真魚君はピリピリしすぎです」

「気が緩い人よりはマシだと思いますが」

「……誰のことでしょう。もしかして私のことですか?」

「さぁ?」

 

――――いやそんなこといいから早く治せよ

 

 黄色の隊士、我妻善逸は心の中で思い切り毒づく。しかしそれを口にする勇気も体力も残っていなかった。

 もう一人の隊士である梅咲真魚(うめさきまお)は、解毒剤を取り出してそれをしのぶに渡す。善逸は二人が誰なのかも見当が付いていない。しかし、助かったという安心感が彼の胸を覆っていく。何度も諦め掛けていた自身を励まし続けた頭の中の恩師。ふと感謝の念が溢れても不思議では無い。

 

「じい……ちゃん……」

 

 善逸からすれば、彼に対する感謝の気持ちなのだ。しかし、今この状況。「じいちゃん」と呼ぶに値する人間は居ない。まして、女性のしのぶの目を見てそんな言葉を漏らしたのだから、自然と彼女の顔が強張る。

 

「誰がじいちゃんですか」

 

 真魚の言う通り、ここは冗談を言うような場面では無い。早く善逸のことを治療しなければならない状況。しかし、彼の容体はしのぶが思っていた以上に安定していた。呼吸で毒の巡りを遅らせていたこともあり、いつもより少し安心する自分が居た。だから善逸の言葉に反応したのだ。

 

――――しかし。

 

 この場に居るのは、しのぶと善逸だけではない。

 第三者から見て、この状況はどう見えるか。考えるまでもない。

 真魚は、可笑しくて仕方なかった。年頃の女性に向かって、正反対の言葉をぶつける彼のことが。そして、ぶつけられた彼女のことが可笑しくて可笑しくて。堪える、のは無駄。それはすぐ、空気に飛び散る。

 

「ぶっ……!」

 

 真魚は分かっていた。ここで吹き出してしまえば、間違いなく彼女は怒ると。しかし、この状況。笑ってはいけないという雰囲気が余計に面白さを助長していた。

 一方のしのぶ。そんな彼の考えに気付かないはずもなく。今の彼は、自身のことを笑っている。額には見事なまでの青筋が立っていて。真魚は遅かったとため息を吐く。自身の方を向いているようだが、彼は顔を合わせようとしなかった。

 

「何が可笑しいんですかー?」

「な、何でもないですよ……()()()()()

 

 ピキッと空が割れるような。生まれて初めての音を善逸は聞いた。

 目にも留まらぬ早さのしのぶの右肘。真魚のみぞおちを直撃し、悶絶する。呆れたようにため息を吐き、ここでようやく解毒剤を注射した。

 ただ横たわっていた善逸は、謎すぎる二人のことを考える。階級は間違いなく自身よりも上。彼的に言うと、「現場に対する恐怖の音」があまりしなかった。特に――――。

 

――――この人は怒らせちゃ駄目な人だ

 

 しのぶは「怖い人」。

 その認識が鬼殺隊の中に広まるのは時間の問題だった。

 

 那田蜘蛛山での任務。多くの隊士が犠牲になってしまったが、しのぶや真魚、そして冨岡義勇の到着もあり、下弦の鬼を倒すことに成功した。そして、鬼を連れた隊士の確保にも、成功したのである。

 

 

〜〜〜〜

 

 

 世の中に蔓延る鬼を滅するための組織。それが鬼殺隊。政府直属の組織ではないため、世間での認知度はかなり低い。しかし、隊士たちは鬼との戦いに向け血が滲むほどの修練を重ねて来た。

 そんな鬼殺隊本部から少し離れた場所にある蝶屋敷。そこの主である胡蝶しのぶは一人考える。下弦の鬼を倒したとは言え、まだまだ先は長い。特に、上弦の鬼は百年近く変わっていないのだ。その間、鬼殺隊の誰もが奴らに勝てなかったということ。その事実だけで、しのぶは憤りを覚える。

 

「そんな顔してたら(しわ)が増えますよ」

 

 診察室。寝台に腰掛けたまま、真魚が声を掛ける。茶化すような彼の言葉に、しのぶはあからさまに顔を歪ませた。

 

「今も皺があるような言い草ですね」

「そんなことは。お綺麗ですよ、とても」

「思ってないくせに」

「思ってますって」

 

 しのぶから見て、真魚は軽い男だった。

 女性に対して同じような言葉を並べ、口説き落としているような軽い奴。しかし、実際はそんなことなく。特に仲の良いしのぶにしかそんな口を利いていない。真魚からしたらこれが平常運転なのである。故に、彼女からは軽い男だと思われるのだが。

 

「炭治郎くん、お咎め無しになったみたいですね」

「えぇ。完全に認めてもらうには時間がかかると思いますが」

「いいんじゃないですか。人を襲わないのなら」

 

 鬼を連れた隊士、竈門炭治郎。妹の禰豆子を巡って柱合会議で裁判が行われたが、鬼殺隊を取り纏める()()()の口利きもあって、不問となった。会議に参加したしのぶも、それには納得しているように見える。真魚も、にわかには信じられなかった。人を襲わない鬼がいるという事実が。

 

「それで? 私に何の用でしょうか」

 

 それが本題ではない、と察したしのぶの言葉。

 そうでなければ、怪我もしていない彼が診察室で彼女と二人きりになる理由が無かった。それに、この会話は聞かれると不味いようなものではない。彼が自身をここに呼んだ理由。それは他にあると考えた。一方の真魚は苦笑いする。図星だったようで、天井を見上げて口を開く。

 

「……鬼殺隊を辞めたいんですが」

 

 空気が張る。日の光が差し込んでいるというのに、部屋の空気が重く感じられる。しのぶは真っ直ぐな彼の視線を避けるように、目を伏せた。

 こんなことだろう、彼女は分かっていた。彼が鬼狩りとしての気持ちが切れかけていることを。

 

「辞めてどうするんです?」

「……適当に仕事探しますよ」

 

 真魚は、ため息を吐きながらそう言う。

 彼が「辞めたい」と話すのにも理由があった。一年前に唯一の同期が戦死し、心に深い傷を負ってしまった。戦いに行くことすら恐ろしさを感じてしまって。

 

 それでも、彼は必死で鬼を狩った。

 それでも、周りの隊士たちは死んでいく。

 

 彼の無駄に敏感な心は、すでにボロボロだった。死んでしまった隊士たちの人生に同情し、その悲しみと鬼に対する憤り。容赦なく心を蝕んでいく。そんな彼の様子を、しのぶはずっと見ていた。彼が重傷を負って、この屋敷に運ばれてきた時から、ずっと。

 彼女は考える。入隊したのはあくまでも彼の意志。いくら危険な仕事とは言え、それを途中で投げ出そうとする彼が嫌だった。それでも、そうなる気持ちも十分に分かっているつもりだった。そのせいで、「駄目だ」と否定する気にもなれなかった。

 

「しばらく任務には出られないかもしれません」

「……どうしてでしょう」

()に殴られたみぞおちが痛くて痛くて……」

 

 しのぶは笑う。やがて立ち上がり、左手で真魚の首根っこを掴む。ギュッと隊服が千切れそうな握力。小柄なのに、どこからそんな力を。真魚は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「それはいけません。今すぐ治療しないといけませんね」

「えっと……それで首根っこ掴む理由は」

「分かりません。身体が勝手に動いてしまうんです」

 

 しのぶは今日一番の笑顔で言う。右手の握り拳は真魚の腹を目掛けており、このままだと取り返しのつかないことになる。

 

 「冗談です。元気出ました」真魚は青ざめた顔で言う。

 「はぁ」彼女は手を離して、呆れたように外を見る。

 

 こんなふざけたやり取りも、二人にとって当たり前のこと。仲は良くないが、悪くもない。本当に不思議な関係だった。階級はしのぶの方が上だが、年は真魚が一つ上。普段は物腰の柔らかい彼女だからか、彼はそうやって舐めた口を利くようになった。しのぶもそれを怒ることなく、不思議と相手をしている。柱という立場上、自分にそうやって接してくれる人間が居ないから。至って単純な理由だった。

 

「この相談は何度目ですか。そう言いながら、ここまで続けてきたじゃないですか」

「まぁ……そうなんですけどね」

「真魚君なら大丈夫ですよ」

 

 そんなありきたりなことしか言えなかった。これ以上突っ込んだことを言うと、()()()()()になってしまいそうだったから。

 彼もそれを察したのか。それ以上は何も言わず「忘れてください」と。それでも、部屋を出て行こうとはしなかった。ある意味、たった一人の友達なのだ。一緒に居て悪い気はしなかった。

 

「それに、真魚君は那田蜘蛛山での戦いだって、立派なモノでしたよ」

「鬼が憎い気持ちは消えてませんから」

「あそこの鬼は並の隊士なら苦戦していたはずです。それを簡単に屠っていたではないですか」

「いやなんというか……圧がすごくて」

「圧?」

 

 しのぶは素直に聞き返す。会話の流れからして不自然な単語。彼女の反応はごく普通のことである。

 一方の真魚。しまった、と右手を口に当てる。その反応が彼女の顔色を変える。目を細め、自身に対する嫌味なのだと察する。だが、相手をするのも面倒になっていたからか、しのぶは何も言わなかった。

 彼の言う圧。普段はこうして柔らかい彼女の雰囲気も、鬼を目の前にすれば変わる。口調は優しくても、心の奥底に眠っている嫌悪感が剥き出しになる状態だ。それを彼は()と表現した。

 互いにため息。こんな会話に何の意味があるのかも分からないのに。不思議と二人でこうして話す。日に日にその機会が増えていた。

 

「……しのぶさんってお化粧する意味あります?」

「いきなりなんです? また嫌味ですか?」

「いやそうじゃなくて。なんというか……別にしなくてもいいと思いますよ」

 

 しのぶは、彼の発言の真意が読めなかった。

 元々突拍子もないことを言う真魚であったが、まさか自身の化粧について触れるとは思っていなかったようで。分かりやすく驚いた表情をしていた。

 別にしなくてもいい、真魚の言葉。どちらの意味でも受け取れる言葉だった。「してもしなくても一緒」か「する必要が無いほど美人」か。そのどちらか。彼女は少し間を置いて、「どうして?」と問いかけた。

 

「だって、あんまり好きじゃ無いんでしょう?」

 

 こういう時だけ、真面目に返してくる。そんな彼がしのぶは苦手だった。いつものように冗談を飛ばすことなく、自身の心を抉るような言葉。それはまるで、過去に囚われた自分を突き放すような。何気ない一言なのに、彼女は胸が締め付けられる。

 

「女性として当然のことですから」

「……なら今度、口紅でも差しあげますよ。普段世話になってますから」

 

 「そんないいですよ」彼女は断る。しのぶの反応は当然だった。

 確かに真魚と話す機会は多い。鬼殺隊の中ではダントツで会話している間柄。だからと言って、そんな贈り物を受け取る義理はない。真魚も贈る義理はないはずだ。

 

「何を企んでいるのです?」

「ひどいですよ。何も考えてないのに」

「嘘ですね。どうせ『辞めるのを見逃せ』なんて言うんでしょう?」

 

 真魚は黙る。黙り込む。口元がピクッと歪む。今日二回目の図星。しのぶは呆れて呆れて。そんなことで感情が動く筈もないのに。しのぶは彼の甘い考えに苛ついた。

 「残念です」彼はそのまま寝台から立ち上がって彼女に背を向ける。ようやく出て行く気になったようで、しのぶは一度息をつく。すると彼は何かを思い出したように彼女の方を振り返る。

 

「はぁ。今度はなんですか」

「化粧って漢字で書くと、結構エグいで――――」

 

 彼が言い切る前にみぞおちに一撃。これまで堪えていた苛つきを全てぶつけて。

 そうしてまた、二人の日常が進んでいく。

 

 

 






 ifの話が読みたいとご感想をいただいたので、勢いで。
 よろしければお付き合いください。

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