貴女にあげるよ、口紅を   作:トマトのトマト

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第三話 休日出勤で嫌々に

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が真上にまで上りきった正午。部屋に差し込む暑い日差しに、真魚は目が覚める。ゆっくりと身体を起こすが、寝過ぎたせいか、身体は重い。まるで変な夢を見て身体が強張っていたように。「これでは意味が無い」と独り言を漏らす。

 窓ガラス越しに外を見る。晴れ渡っていて綺麗な青空が広がっていた。

 裏腹に。彼は昼過ぎまで眠っていたせいで、せっかくの休日を無駄に過ごした感覚に陥っていた。一週間に一度、自宅で過ごすことがあるかないかの真魚にとって、この場所は自宅という感覚があまり無く。こうして自分の寝間着を着ることも久しぶりだった。

 せっかくで久々の休暇。とは言ったものの。今日の彼に予定なんて無かった。もう昼過ぎ。ここから変に行動を起こしたところで全てが中途半端になるのは目に見えていた。

 

 鬼との戦いは日を追うごとに苛烈なものになっていく。それでも真魚は何とか今日まで生き延びている。幾度となく命の窮地に立ちながらも、その都度、柱であるしのぶが助けに来る。可能な限り、担当地域の隊士たちを守ろうとする彼女なりの思い。それは真魚も十分すぎるほど理解していた。なのに、迫りくる危機に彼の心は擦れて擦れて。

 いつの間にか、鬼を滅する為でなく。自身が死なない為に訓練に励むようになっていた。結果として鬼を殺すことに繋がるとしても、不純な理由に彼は嫌気がさす。

 「はぁ」ため息が漏れる。そのせいで、何もやる気が起きず。このまま諦めてダラダラと過ごすもの、そう思っていた。

 

――――コンコン

 

 乾いた音が静かな室内に響いた。

 音のする方は、家の戸。鍵は閉まっている。真魚が扉の方を向くと再び乾いた音。向こう側で誰かが叩いているのだ。来客、らしい。

 珍しすぎる展開に、彼は分かりやすく顔を歪める。変に心を許してはいけないと自分に言い聞かせるように。そして――――。

 

「もしもーし。真魚君居ますよねー?」

 

 正解である。迂闊に声を出さなくて良かったと真魚は安堵する。

 ここでしのぶが来る理由なんて分からなかったが、また面倒に巻き込まれるのは明らか。素直に応対する気もなく、彼は再び、静かに布団に横になる。そうとも知らず、しのぶは戸を叩く。二回、三回、四回と。まるで()()()を分かっているように。だからこそ、居る前提で声を掛けたのだ。

 

「真魚君ー。何もしませんから出てきてくださいー」

 

 説得力が皆無の台詞。彼は聞く耳すら持たず、そのまま瞼を閉じる。真魚の行動を読んでいたように、彼女の呼び声は止まらない。苛つきを抑えながら、必死に夢の世界に戻ろうと身体に力が入っていた。

 そのまま音は聞こえなくなる。あまりにも急に聞こえなくなったからから眠ったのか、と彼は錯覚する。やがて、言葉を漏らしたのは彼女だった。

 

「……お詫びですよ。あの時のお金も返しますから」

 

 声色が変わる。それは彼女の本心であることは、真魚にも分かった。

 彼は思い返す。こんな()()()()声のしのぶは初めてだった。普段は軽口を叩き合うだけの関係。そのせいか、二人して込み入った話は避けるようになっていた。真魚としても彼女の過去を聞くつもりもなく、しのぶとしても、彼の過去を知るつもりは無かった。

 それだけの関係なのだ。そんな彼女が今、真剣な声でそんなことを言う。お詫び、何に対してだろうか。真魚は再び考える。

 彼から見れば、謝られることは何も無い。二人で話す時苛つくことは事実だが、それを詫びると言われれば話が違うわけで。

 どうだろう。彼の心の中に不思議な感情が湧く。そんなことを言われれば放っておくにも放っておけない。仕方なく、彼は起き上がって家の戸を開ける。そこには真魚の知っている姿は無かった。

 

「やっぱり居たんですね。素直に出てきてください」

「……あ、あぁ。すみません」

「……なんです?」

 

 しのぶは問いかける。太陽に彼女の白い肌がよく映えていて。道ゆく男たちの視線を独り占めしているような。まるで彼女の為の青空。

 そんな彼女に、真魚は見惚れてしまった。無意識。だからこそ、タチが悪い。無意識に「綺麗」だと思ってしまった自分が恥ずかしくて恥ずかしくて。思わず彼女から視線を逸らす。

 それだと言うのに、しのぶは彼の顔を覗き込む。少し紅潮した真魚の顔。何に照れているのか分からなかった彼女は、何も言わなかった。

 

「こんな時間まで寝てたのですか? 規則正しい生活をしないといけませんよ」

「別にいいじゃないですか。休みなんだし。それで、何用ですか」

「先日、立て替えていただいた分をお返ししようかと」

 

 戸越しに聞いた言葉と同じモノ。それなのに。

 不思議なものだ。彼女の顔を合わせて聞くと、それが途端に嘘っぽく感じてしまう。これまでのやり取りで「何か裏がある」と思うようになってしまった真魚。ある種の職業病のような。分かりやすく顔を歪ませた。

 

「何のつもりですか? 今さら」

「借りっぱなしは良くありませんから」

「平気で人の金に(たか)るくせに?」

「人聞き悪いですね。ですから借りただけです」

「あれだけ言っても返さなかったのに?」

「……ねぇ真魚君。素直に受け取ったらどうです? 返すと言ってるではありませんか」

 

 彼女は笑っているが、苛ついている。分かりやすく。このままイタチごっこを続けるほど真魚も優しくはない。思い切りため息をついて「分かりました」と話す。

 途端、しのぶは本当の笑顔。しかし、財布を出す素振りすら見せない。瞬間、彼は()()()()()を察する。いや、最初から分かっていたことだが。

 

「ちょうど屋敷の備品が切れかけてて。その買い出しに――――」

「嫌です。お疲れ様でした」

 

 要は荷物持ちである。真魚は思い切り戸を引くが、全力で止めるしのぶ。びくともしない戸に、彼の手には汗が滲む。小さな身体なのに、自身よりも大きな男の力すら凌駕している。

 

(鬼の頸を切れないって絶対嘘だろ)

 

 身体も真魚の方が大きい。決して貧弱というわけでもない彼。その彼が結構な力を入れているというのに。彼女は顔色一つ変えず戸を食い止めている。真魚はまたため息。ここでようやく諦める。いや、諦めるしか無かった。

 

「これ以上嫌がったら戸を蹴破るつもりでした。いい判断ですよ」

「しれっと恐ろしいこと言わないでください……」

「近くの町まで行きましょう。そこで買い出しして、帰りに甘い物でもいかがです?」

「……奢りですか」

「もちろんです。立て替え分は返しますから」

 

 そうして、真魚はしのぶの波長に飲み込まれる。

 これもいつものこと。言い方はアレだが、押しに弱い人間だった。しかし、それは彼女も同じ。当の本人たちは気づいていないが。

 「着替えるから」と家の奥に戻ろうとする彼を、しのぶは呼び止める。

 

「そのままでも良いと思いますよ」

「一応隊服に着替えます」

「夕方には戻って来れますから。それに、真魚君はお休みではありませんか」

「誰かのせいで休みじゃなくなったんですけどね」

「……あ、そうそう。私から休みを取らなくても済むように口利きすることも出来るんですよ?」

「聞かなかったことにしてください」

 

 決して綺麗とは言い難い部屋の中を見られるのが嫌だったようで。彼は素直にそのまま家を出る。彼女の言う通り、今日は休みを貰っているのだ。それにまだ昼間。鬼が出る心配もなく、わざわざ隊服を着る必要もない。

 しのぶも口ではそう言うが、彼が家から出てくるのを大人しく待っているその様子は、まるで。

 鬼殺隊を支える九人の柱。そのうちの一人がしのぶ。しかし、今この瞬間だけは胡蝶しのぶという一人の少女に戻っているような。彼女自身も、不思議な高揚感があった。

 そもそもの話。彼女がわざわざ彼の元を訪れたこと自体、おかしな話なのだ。鬼殺隊士同士の交流というのはかなり限られているのが現状。階級の近い者、入隊時期が同じ者。横の繋がりはそれぐらいで、後は年齢に合わせた縦の関係。しのぶと真魚はかなり珍しい部類にあった。

 偶々、運ばれた蝶屋敷で、偶々しのぶが彼の治療に当たった。そして真魚が彼女に軽口を利ける性格だったこと。様々な要因が重なって、今しのぶは彼の隣を歩いていた。

 

「……そういえばしのぶさんっていつも隊服ですよね」

「えぇ。そもそも休日自体、柱には無いようなものですから」

「そんなもんですか」

「そういうものです」

 

 そう言う彼女は、横目で真魚を見る。

 自身よりも背の高い彼。しのぶから見て、彼は他の隊士には無い独特な雰囲気だった。それに初めて見る隊服ではない姿。それが珍しかったのか、違和感がある。

 「辞めたい」と口癖のように漏らす真魚だったが、その実力は彼女から見ても確かなもの。並の鬼ならいとも簡単に屠ってしまうのだ。だと言うのに、誰よりも死ぬことを恐れていた。

 自身とは正反対だった。姉の仇を討つためなら、自らの命すら惜しまないしのぶとは、まるで逆。心の奥底では「分かり合えない」と理解していても、真魚との会話は軽快で楽しいものなのだ。

 

「偶には着物でも着たらどうです? 気分変わりますよ」

「……恥ずかしい話、普段外で着るような着物は屋敷のみんなにあげてしまいまして。持ってないんです」

「えっ、そうなんですか。なんか意外ですね」

「そうですか?」

「何着も持っていそうな感じですよ。まぁ、それなら隊服を着るしか無いですね」

 

 真魚は苦笑う。彼女の洒落た雰囲気。それに合わせた着物を何着も持っているような印象だったが、それは見事に裏切られる。彼ですら私服は何着か持っているというのに、年頃の女子(おなご)だというのに、隊服が普段着になってしまうのは勿体ないような気もしていて。

 

「それなら俺が――――」

 

 そんな言葉が出てしまうのも、梅咲真魚という人間なのである。

 しかし、その言葉の意味。重さに気付いたのは言いかけたこの瞬間。だからこそ、慌てて言葉を止める。

 しのぶ。それを見逃すわけがない。彼の前で立ち止まり、振り返り。ニッコリと笑う。何も言わない彼の様子を伺いながら。

 

「俺が――――なんです?」

 

 「い、いや……」無意識に出てしまった言葉を突っ込まれれば狼狽えるのは当然の話。彼は分かりやすくしのぶから視線を逸らした。しかし、彼女は逃がさない。再び顔を覗き込むと先ほどとは違った意味で顔を赤く染めた彼が居る。そんな年上の真魚が可愛らしく、笑みが溢れた。

 きっと気を遣ってくれたのだろう。彼女は察する。

 しのぶから見て軽い男ではあったが、優しい人間であることは間違いなかった。彼女の数少ない我儘を受け入れてくれるだけの度量がある。自分のことを「柱」ではなく一人の人間として接してくれているようで。

 

「あーもしかして買ってくれるのですか?」

「そ、そんなわけないですって」

「ふふ。残念です。まぁ、流石に高い買い物ですからね」

 

 彼女は素直に引き下がった。以前ねだった口紅とは比べ物にならないほど高い買い物になる。だが、「買う」と言い掛けたのは真魚の方であって。やり切れない感情が彼の心を覆った。

 町まですぐそこなのに、すごく遠くにあるような気がして。そんな感覚。真魚は歩き出すしのぶの横に付いた。

 彼女を見下げる。甘い香りが真魚の鼻腔をつつく。道ゆく男が振り返るような良い女、それが胡蝶しのぶ。そんな彼女が今、自身の隣を歩いているのだ。謎の優越感に浸る。

 

(まぁ……いいか)

 

 一日を寝て過ごすよりは、刺激的でいいかもしれない。

 今になって。そんな思いが、町を目の前にした彼の頭をよぎった。

 

 

 





 高評価してくださった方々。
・natsukichiさん
・ショウ1207さん
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・エッカートさん
・valtさん
・Chobi2580さん
・ロハさん
・ymdkさん

 ありがとうございました。本当に励みになります。

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