貴女にあげるよ、口紅を 作:トマトのトマト
夜中にひっそりと更新。
「……どうしてそれを私に言うのでしょうか」
蝶屋敷の一室。しのぶは素直にそう聞き返した。しかし、その声色にはトゲが含まれていて。
向かい合うは、一人の女性隊士。怪我の治療に当たってくれた柱の彼女に対して、思わぬ言葉を投げたことがきっかけなのだ。
彼女は明らかに後悔していた。そう告げた瞬間、先ほどまで穏やかだったしのぶの表情に陰り。それが次第に作り笑顔を飲み込んでいく。
そうなる理由は本人的にもよく理解していない。しかし、不愉快であることには変わりなく、陰りに染まった作り笑いで彼女を見つめる。
柱でありながら、人当たりの良いしのぶ。同じ女性ということもあって、気軽に
――――梅咲さんが
梅咲真魚が遊郭に居た。側から見れば、大した話でもない。年頃の男が背伸びして遊んだだけの噂話。ただの噂話なのだ。それを事実だと認める証拠は何一つ無い。
それだと言うのに、しのぶは顔を歪める。分かっていても、この女性隊士の言葉が頭から離れなかった。だから問いかけたのだ。どうして自分にそんなことを言うのか、と。
「お、お、お二人は……その……と、とても仲がよろしいと思っておりましたので……」
声が震える。上擦る。先ほどまでとは別人のようなしのぶの雰囲気。鬼よりも恐ろしいそれは、彼女の平常心を奪うのには十分過ぎて。
裏を返せば、それだけ真魚としのぶの関係は鬼殺隊の中で広まっていたのだ。柱である胡蝶しのぶと、一般隊士の梅咲真魚。この二人が交際しているなんてことになれば、それはそれは面白い情報。噂話だけで二、三時間話せる女性隊士にとっては、かなり気になる情報でもあったのだ。
そんな彼女の思いを知る由もない、しのぶは笑う。「あらあらそうでしたか」と口元を押さえながら、上品に笑って見せる。今はそれが恐ろしくて恐ろしくて、彼女はただ苦笑いするしかなかった。
「彼とは決してそういった関係ではございませんよ。勘違いなさらないでくださいね」
「は、はいっ! し、し、失礼しました!」
しのぶなりに優しく言ったつもりだったが、彼女は怪我明けとは思えないほど勢いよく診察室を飛び出していった。そんなに怖がらないでいいのに、なんてしのぶは毒づく。
はぁ、ため息。鬼を滅するための存在であるというのに、隊の中でそんな噂話が広まっているというのは、彼女にとっても心外だった。少し気軽に接しすぎた、と後悔しても。それは今更だった。
「……さっきの子に何したんです? 凄い形相でしたけど」
噂をすれば何とやら、である。
先ほどまでの修羅場を知らない真魚が、ひょっこりと顔を覗かせる。いつもなら返答も兼ねて嫌味を言うしのぶだったが、今日は何も言わなかった。
いや、言えなかった。彼の顔を見ることすら出来なくて。
――――遊郭に居たそうですよ
よぎる言葉。身体が硬直していく言葉。
しのぶとしては、それほど気にしているつもりは無かった。それだというのに。彼に背を向けて、窓から入り込む日差しを眺める。奥には青空が広がっているのに、煮え切れない感情。
「あ、あれ。なんか……怒ってます?」
「……いえ。怒ってなどいませんよ」
嘘である、と言えば嘘になる。
初めての感情だった。怒りとは違う、不愉快な感情。噂話を聞いた瞬間よりも、隣に居る彼を見るとその感情が膨らんでいく。そんな彼女の様子に、彼はすぐ気づいた。その原因が自分にあるとも知らずに。
「そんな苛ついてるとお肌に悪いですよ」
「……誰のせいですかね」
「えっ」
「あぁ、いや。なんでもないですよ」
俺? 俺なんかしたっけ?――――。彼女の言葉を聞き逃さなかった彼は、一人考える。明らかに身に覚えのないソレ。しかし、悪いと言われればそう思えてくるのが不思議な話。記憶を探し出すも、ここ最近彼女とぶつかったことはあまり無かった。
そもそも、自身の嫌味に嫌味で返してこなかったのだ。いつもの彼女と違うのは明らかなわけで。「えっと……」真魚は戸惑った。いつものように寝台に腰掛けるわけでもなく、ただしのぶの背中を眺めるしかない。
彼女の背中は小さい。後ろから抱きしめればすぐに折れてしまうのではないか、そんな錯覚に陥るほど。何に対して怒っているのかは分からなかったが、このまま放っておくわけにもいかなかった。
そもそもの話。いきなり真魚がここに来た理由。いつものように揶揄いに来た、のも一つ。それとは別に、屋敷の三人娘に会いに来たのだ。普段から「おにぎり」をご馳走してくれたりするお礼も兼ねて。その証拠に、彼の手には紙袋が握られていた。
「……その紙袋は何ですか」
そんな時に限って、彼女は問いかけてしまうのである。
真魚に背を向けたまま、気の無い声。やはりいつものと違う彼女。かと言ってどうすることもできず、素直に告げるのが一番だろう。誰でもそう考えるはずだ。もちろん、真魚もその一人で。
「あぁ、すみちゃんたちに日頃のお礼ですよ」
瞬間。ピキッと空気が割れる。背中越しにも伝わるソレに、真魚の身体が強張っていく。あまりにも突然で、そうなる理由も分かっていないというのに。今の彼女の顔には、きっと青筋が立ちっぱなしなのだろうと。
ただ彼としては、何も可笑しなことは言っていないのだ。
結局のところ、しのぶは気になるだけ。彼が本当に遊郭に行ったのかどうか。それだけなのだ。それが、この可笑しな空気感を生み出している。加えて、自身以外の女に贈り物だなんて。そんな単純な感情。
だというのに、一向に彼の方を向こうとしないしのぶ。心配していた真魚も、いつしかイラつきが心の中を占めていく。
「じゃあ、俺。これ渡してきますので」
放っておけないなんて感情は消えてしまう。よく分からない彼女の態度に、彼もまた背を向ける。背中合わせのような形。しかし、しのぶはそのまま立ち去ることを許さなかった。
「………随分とお楽しみだったようで」
唐突な問いかけ。「えっ?」彼は聞き返す。しのぶは背を向けたまま、そんな言葉。真魚が再び彼女の方を見ると、先ほどより首が下を向いているような。まるで恥ずかしがっているみたいに。
「な、何の話でしょうか?」
「噂を聞きました。その……遊郭にいらっしゃったと」
「ゆ、ゆ、遊郭? 俺がですか?」
彼にとって、それは全くもって身に覚えのない話だった。
よってそれは嘘ということになる。彼女は嘘に振り回されたというわけだ。真魚は力強く否定する。要は、二人の関係を面白がった隊士がそんな嘘を流しただけ。しかし、しのぶは背を向けたまま動こうとしなかった。
動けなかったのだ。どんな顔をして彼のことを見ればいいのか。変なことを聞いてしまった代償は大きく。しかし、彼からその事実を聞いて、安堵する自分もいたことに驚いた。
………嫉妬。彼女は一つの結論。何に? 遊郭に。
いやいやまさか。否定する。だがそうは言っても、それを否定するだけの理由は思いつかないのも事実。彼から噂を否定してもらったことに安堵するというのは、結局のところ嫉妬以外何もない。
「あれ、もしかして……ヤキモチですか?」
こんな時に限って、彼は問いかけてしまうのである。
決して真剣にではない。冗談のつもりで茶化すように。それなのに、しのぶの身体はピクッと跳ねる。分かりやすい反応。真魚は初めて女の子らしい反応を見せた彼女に、鼓動が高鳴る。可愛らしい一面もあるものだ、と。
何も言い返さない彼女を良いことに、彼は茶化し続ける。「珍しいこともありますねぇ」「女の子らしくて可愛いですねぇ」「意外な一面ですねぇ」なんて。それでも、しのぶは何も言い返さなかった。
人間とは調子に乗る生き物だ。どんどん気が大きくなり、強くなる。ような気がするだけ。
一方のしのぶ。
あぁ、なんだろうか。しのぶは自分の感情が分からなかった。
彼の言葉は届かない。茶化されていたというのに、それを冗談だと受け止められない自分が居て。心の底では「嫌い」だと理解しているのに、今の自分は違う。何かが可笑しい。
あぁ、熱があるんだ。きっとそう。彼女は言い聞かせる。ここ最近、身体が
「まぁ遊郭に憧れはありますよ。
空気を読まない彼の発言。彼女が頭を切り替えたところで。
甘露寺さんみたいな妖艶な人。ピキッピキッピキッ。しのぶの身体から音がしそうなほど。彼女はようやく立ち上がって、振り返る。
真魚は身体から血の気が引いていく。彼女の顔は、この世のものとは思えないほどに。
「し、しのぶ……さん? あれっ……もしかして怒ってます……?」
「えぇ。とっても怒ってますっ。真魚君のことを考えるだけでイライラが止まらないんですっ」
「(あぁこれ駄目なヤツだ)」
結局、真魚は彼女が怒っている理由が分からなかった。
彼女からは、いつもの藤の花の匂い。気のせいか、いつもよりもそれが濃いような気がしていて。そんな彼にお構いなく、ジリジリと詰め寄る。
「真魚君は甘露寺さんのような人が好みなんですね」
「ま、まぁ、そうですね」
男というのは馬鹿な生き物である。
嘘でも否定すれば良いものを、彼女の女心を読み取る努力もせず。ただ欲望のまま肯定してしまう。しのぶも怒りを通り越して呆れた表情。しかし、真魚的にはこの状況こそ理不尽そのものなのだ。
しのぶもまた、分かっていた。自らの問いかけが馬鹿なものだと。
理不尽すぎる問いかけをしたところで、何と返して欲しいのか。彼が否定したところで、それ以上のことはないというのに。それでも、まるで捨てられたような気分になってしまうのが、少しだけ悲しくて。詰め寄ることをやめて、再び座っていた椅子に腰掛けた。ギィと音を立てる。少し古くなった椅子。そろそろ替え時かもしれない。なんて。
「あの……」
「まだ何か。早くあの子たちの所に行けばいいではありませんか」
自分から呼び止めておきながら。しのぶは自分で毒づく。
煮え切らない感情。かと言って、発散する先も彼ではない。このまま話していると、またひどい言葉をぶつけてしまうのは明らかだった。だからこそ、そうやって突き放す。今さらかもしれないが。
「でも何というか……しのぶさんと話してる時が一番楽しいですよ」
「何ですか急に」
「いや……貴女も綺麗ですから」
「……貴女
「それは仕方ないでしょう……」
「その程度で私の機嫌を直そうと? 随分と甘く見られたモノです」
「あ、それなら。しのぶさんも甘露寺さんみたいな隊服にしたらどうです? そうしたらきっと俺の一番に――――」
言い切る前に、彼は事切れる。うずくまりながら、思う。
やっぱり、胡蝶しのぶは面倒で恐ろしいと。
新たに高評価してくださった方々。
・赤バーサーカーさん
・玉子焼きさん
・wotohumiさん
・秋風9999さん
・ゴレムさん
・小鳥んさん
・achamoxさん
・狂飈さん
ありがとうございました。
最近の目標は「推薦」を書いてもらえるように頑張ることです。