それは、春が見せた幻なのだと思った。
忍び込んだ廃墟の中。
足下には、僕が誤って割ってしまった姿見の硝子片。
蜘蛛の巣状に割れた鏡に写るのは僕ではなく、美しい長い黒髪の少女。
「君、は……」
大きな姿見の中、真白の世界にいる少女へと話しかけると、少女は顔を上げた。
僕の姿を見た少女は大きな瞳を更に見開き驚いているようだった。
「私が、見えるの……?」
少女の問いに僕は首を縦に振った。
とても、信じられないようなことが起こっている。
僕は、鏡の向こう側の人間と会話をしている……!
「あぁ、えっと……僕は燐。御剣燐。新宿御苑の御に剣道の剣で御剣で燐はえっと……原子のリンの漢字表記で……って言われても出てこないよね。あはは……」
我ながらなんてお粗末な自己紹介だろう。
なんだよ新宿御苑の御って……。
『私は……私は──────』
『私は、
キョウカと名乗った少女の顔は悲しげな表情から喜びに満ちた表情へと移り変わっていた。
『鏡に華で鏡華。華は華道の華。分かりやすいでしょう?』
とても楽しげにそう言った。
僕のした自己紹介を真似たようだけど僕よりも分かりやすい自己紹介。
そもそも僕の名前に使われる字が説明しにくいのだ。
「うん。とっても分かりやすいよ」
『ふふ。こうして誰かと話すなんてすごく久しぶり。ねえ、どうして私が見えるんですか?』
「それは……なんでだろう。さっき間違えて鏡を割っちゃって……そしたら、君がいた」
『私はずっとここにいたんです。ずっと、一人で……』
ずっと、一人で……。
「鏡の中には君一人だけなの?」
『そう。私以外の人を探したけれど、私しか
「人は……?」
「この世界には、おとぎ話に出てくるような怪物がいるんです。とても恐ろしい。だけど、あの子だけは私の友達でいてくれた。ほら、あの子」
少女が指を差すとこの世のどの生き物の鳴き声にも該当しない鳴き声。いや、咆哮が鳴り響いた。
咆哮の主は白い竜。
少女の傍らに着陸するとよく躾られた犬のように大人しくなった。少女はその白い竜の首を慣れた手つきで撫でる。
本当に、友達のようだ。
『大きな鏡が私の目の前に現れたんです。ここにあるのとはまた違う鏡。この子はその鏡の中から生まれた……。他の怪物達も同じように生まれるのかもしれないけどこの子は私を襲わない。私を怪物達から守ってくれる。最も、ここにいれば大丈夫なんですけどね』
鏡の中の世界。
その世界に住まう少女。
鏡の世界には怪物がいる。
この少女の話の全てを僕は信じた。
見たまま、聞いたままの全てを受け入れた。
『ねえ、燐君』
「なに?」
『こっちに、来て』
こっち、とは。
僕も鏡の中の世界に行けるのだろうか。
ゆっくりと鏡に近付き、手を伸ばす。
鏡に触れる。
鏡は、鏡のままだった。
彼女も鏡に近付いて、僕の手に重ね合わせるように鏡に触れる。
『暖かい……』
頬に一筋、涙が伝った。
何かが起きたわけではない。
僕の手には鏡の冷たい感触しかない。
けれど彼女は、僕の体温を感じているようだった。
『なんでだろう……泣きたくないのに、泣いてしまって……』
「鏡華さん……」
『この世界は、冷たいから。この世界のものになってしまった私も同じ。だけど、あなたは違う。あなたは、暖かい……』
暖かい……。つまりは体温のことを言うのだろうけれど、彼女の言う「暖かい」に何かそれ以上のものを感じて、僕はこの右手をしばらく鏡から離すことが出来なかった。
それからしばらく、僕は彼女の元へ通い続けた。
鏡の世界の友人のところへ。
他の人も紹介しようかと訊ねたこともあったが彼女は拒んだ。
寂しいのなら、人数は多い方がいいと提案したのだけれど、人数は重要ではないというのが彼女の考えだった。
彼女は外の世界のことに強く関心を寄せていた。
僕の、入学したばかりの高校生活について毎日話を聞かせるようにと命令されたのだ。
鏡の世界の彼女は話を楽しそうに聞いて、満足そうにしていた。
そんなある日、高校生活に慣れてきた頃のこと。
僕は、出会ったのだ。
緑萌える春の終わり。
夏の気配を強く感じた日であった。
心地よい風が頬を撫でる。
だが、そんなものは気にはならなかった。
目の前に映る、絵画のような景色に較べたら。
張り詰めた空気。
一言も発してはいけない。そう注意されたわけではないが、この場を包む雰囲気が喋るなと言っているよう。
だが、そんな雰囲気の中にいて一人、涼しげな人物がいた。
その人物は同時にこの場で最も注目を集めている人物。
凛として、この場で一番美しい。
そう、思った。
それに較べて自分は例えるならば空気だ。
いるのだが、特別認識されるような存在ではない。
空気は確かにあるものだ。
だが、それを知ってはいても空気の存在なんてものを人はいちいち認識はしない。
だから、彼女は自分のことなど認識しない。
それでいいのだろう。
それが普通だろう。
だが、それでも。
彼女の唯一になりたいと。
この場で彼女が認識する唯一の人でありたいと。
彼女が矢を放った。
風を切り、的に当たった音と同時に気付く。
ああ、これが、恋というものか────。
『どうしたんですか? 物憂げな顔をして』
「うん……。その、なんというか、その、好きな人が、出来たんだ」
『──────』
彼女の名前は咲洲美玲という。
新聞部の取材で弓道部に訪れた際に彼女の射を見学したのだが、とても、美しかった。
語彙は豊富な方だと思っているが、そんなものが無用になるほど、美しかったと表現するしかなかった。
「すごいんだ。もう他のことが考えられないくらい、あの人のことしか頭に浮かばない」
『……そう、なんですね。どんな人、なんですか?』
訊ねられたので答えた。
美人で、文武両道で、弓道部のエースで、これまで何人もの男子生徒が彼女に思いを伝えては撃沈していることを。
「僕もその撃沈されたうちの一人になるんだろうなぁ……。いやそもそも告白するとか無理でしょ……だって一回インタビューしたくらいの奴なんてそもそも覚えてもらえているかすら怪しいのに……」
『……いいえ、燐君そんなことはありません。ここはもう男らしく当たって砕けろです! 思いきって告白しちゃいましょう! 思いを伝えなきゃそもそも付き合えるチャンスも何もないんですから。私、応援します』
笑顔でそう背を押す鏡華さんの言葉が後押しとなった。
そうだ、こんな風にうじうじしてるぐらいなら思いきって告白した方がいい。
フラれたらそれはそれで吹っ切ることも出来るだろうし。
……いつまでフラれたショックを引きずるか分からないけれど。
そして、翌日。
「美玲先輩! 僕と……僕と付き合ってください!!!」
思いきって、告白した。
もうどうにでもなれと。
明日から「一年の御剣とかいうバカが咲洲美玲に告白して盛大にフラれた」と話題になっても構わない。
それでも僕は、彼女に思いを伝えたかった。
返事はない。
もう一時間以上待たされてるんじゃないかと思うほどに時間が引き延ばされる。
心臓がとにかく跳ねて仕方ない。
早く、フラれたって構わないので返事が欲しい……!
「その、私なんかで、良ければ……」
……?
私なんかで、良ければ?
えっと、言葉の意味を推察する。
私なんかで、良ければということはつまり……。
私なんかで良ければお付き合いします。ということ……?
え。
え。
「……よろしくお願いします!」
僕は美玲先輩の手を取りそう言っていた。
鏡華さんの当たって砕けろという言葉は正しかったのだ。
「ありがとう鏡華さん! 告白上手くいった!」
『そうなんですか……。その、良かったですね! 私も嬉しいです!』
鏡華さんも自分のことのように喜んでくれた。
彼女がいなければ、この恋は成就することはなかった。
『お付き合いを始めたらもう私なんかよりそのミレイさん?を優先しなくちゃですね。私に構わずデートとかいっぱいしてください。それで、その話を聞かせてくださいね。楽しい……楽しい話を』
「うん。鏡華さんにもちゃんと会いに来るよ。大事な友達だから」
『友達……。ええ、そうです。私達、友達ですから』
それから、美玲先輩といろんなことをした。
まずはお互いのことを知ろうと。
最初はまだぎこちない付き合いだったけど、その距離はどんどん近付いていっていた。
そんな、ある夏の日のこと……。
鏡華さんのところへ向かっている途中だった。
「……お前が、御剣燐だな」
知らない男の人から声を掛けられた。
背が高く、痩せぎすな男。
「最近多発している行方不明事件を知っているか?」
ここ最近、聖山市は行方不明事件が多発していた。
連日ニュースでも取り上げられ、学校でも家でも注意するようにと言われているので知らないはずがない。
まさか、この男が行方不明事件を起こしている誘拐犯なのではないかと身構えるが男はまったく予想外のことを話し始めたのだ。
「行方不明事件の被害者達は鏡の中の世界。ミラーワールドのモンスター達に捕食された」
鏡の中の世界……ミラーワールド……モンスター……。
鏡華さんが言っていた、鏡の世界の怪物達。
そいつらが、なんで……。
「鏡華から全て聞いた。御剣燐。
鏡華さんから全てを聞いた……?
一体、この男は何者なんだ……。
「あなたは、誰なんですか」
「俺は宮原士郎。鏡華の兄だ」
鏡華さんの、お兄さん……?
そんな、鏡華さんは鏡の中の世界でずっと一人で……。
「昔、あの家で奇妙な現象が起こった。鏡という鏡が輝き妹を飲み込んだ。他の家族もそのとき死んだ。俺はたった一人の家族を……。まだ鏡華を救うことが出来るかもしれないと研究を続けてきた。狂人の謗りを受けてもだ。そしてミラーワールドの危険性を知ったのだ。一刻も早く鏡華を救い、ミラーワールドを壊さなければならないと研究を急ぎ、ライダーシステムを完成させたらこれだ。御剣燐。お前がミラーワールドと現実世界を繋げた。だからモンスター達は餌である人間を襲い始めた。お前だ! お前のせいだ! お前のせいで無辜の人々の命が失われたのだッ!!!」
そんな……。
僕のせいで、人が……?
人が、死んだ……。
大勢の人が……。
「そんな、僕は、そんなつもりじゃ……」
「お前にそのつもりがなくとも結果として人命が失われている」
心臓の鼓動が早い。
呼吸が乱れる。
僕の、僕のせいで……!
「……罪を償う意志はあるか」
「え……」
「今までモンスターに喰われて死んでいった人々の命に報いるために、これ以上被害を拡大させないために戦う覚悟はあるか」
「戦う、だなんて……。そんな、どうやって……」
男はポケットの中から白い箱のようなものを取り出し見せた。
箱というには薄いが、これは一体?
「これはカードデッキ。ミラーワールドで活動するための鎧、仮面ライダーを纏うためのものだ」
「仮面、ライダー……。ッ!?」
突然、頭に痛みが走った。
痛み、音。
嫌な音……!
「早速モンスターが近くに現れたようだ。その音が鳴るということはモンスターが狩りを行おうとしている証拠」
「狩り……?」
「人を襲うということだ」
人を……。
「このままではまた被害者が増えるぞ。
嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。
僕のせいで人が死ぬなんて、嫌だ。
「それならば仮面ライダーに変身してモンスターと戦え。デッキを鏡に向けろ」
デッキを鏡に……。
宮原士郎が鏡を取り出し僕に向けていた。
僕の顔は今まで見たこともないような表情を浮かべている。
だが、そんなことは関係なく宮原士郎の言うとおりにデッキを鏡に向けた。
すると、銀色のベルトが体に巻かれる。
「バックルにデッキを装填しろ」
言われるがままにすると、鎧が装着された。
鏡に写る姿は灰色の騎士。
これが、仮面ライダー……。
「行け、ミラーワールドへ」
促され、かつて鏡華さんと初めて会った時と同じように右手を伸ばし鏡に触れる。
すると、鏡面が波打ち僕はミラーワールドへと吸い込まれていったのだった。
そして、その戦いで僕は鏡華さんに付き添っていた白い竜、『ドラグスラッシャー』と契約する。
とても、とても拙い戦いであった。
とても、孤独な戦いであった。
連日、戦いに明け暮れた。
身体はボロボロで、だけど、戦った。
『モンスターに命はない』
『モンスターに命はない。ゆえに、命を欲する』
『モンスターに命はない。ゆえに、命ある人間を捕食する』
『モンスターに命はない。ゆえに、容赦などいらない』
『お前はただ、モンスターを斬ればいい』
『お前は私の言う通りに行動すればいい』
『お前は、剣だ』
『私が振るう剣だ』
『剣は使い手の意思にのみ従うもの』
『剣は、考える必要などない』
『御剣燐。お前は、ただ、戦えばいい』
『それだけで、充分』
『それだけが、お前の存在意義なのだ』
言われるがままに戦った。
たった一人で戦った。
命じられるままに戦った。
何も考えずに戦った。
愛する人達に背を向け戦った。
「燐! どうしたのその怪我!?」
「あはは……。ちょっと、転んだだけだよ母さん……」
「燐。このあと……」
「ごめんなさい美玲先輩……。僕ちょっと用事があって……」
戦った。
戦った。
戦った。
人を守るために戦った。
戦いしかなかった。
戦うことは最初は嫌だった。
だけど、彼が言ったのだ。
「戦いを楽しめ」
戦いを楽しめ。
彼の言ったとおりにすると、気持ちがどこか楽になった。
モンスターは悪いやつだから、斬られても、殺されても当然。
だから、殺す。
戦うのは、楽しい。
殺すのは、楽しい。
そして……。
「……んく……! り……くん! 燐君! 燐、君……」
声が聞こえる。
身体は動かない。
強大な、最強とされるモンスターとの戦いに勝利した僕の命はもう……。
目が見えなくなってきた。
僕を呼ぶ声の主は誰だったか。
その声ももう遠い。
戦った。
僕は戦った。
戦いの果てに僕は……死んだのだ。
「いや……そんな、どうして、冷たいんですか燐君……? 最初に手を合わせた時はあんなに暖かったのに。ねえ、どうして、どうして……。いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
次回 仮面ライダーツルギ
「もういいよヴェイルーツ」
「素晴らしいです麗美さん」
「お前は一体何者なんだ!」
「ごめん咲洲。あんたに恨みはないけど倒させてもらう」
願いが、叫びをあげている────。
ADVENTCARD ARCHIVE
SEAL
召喚機を介さなくても使用出来る特殊カード。
モンスターを封印することが出来る。
モンスターは一度狙った人間を諦めることはない。そのため、モンスターから逃れるためには、シールのカードを常に所持しておかなければならない。
もし、カードを紛失、破損するようなことがあれば直ちにモンスターに喰われてしまうだろう。
封印?破れと言っているようなものじゃない?