「申し訳ない」
スーツの女性、がしゃどくろの
「はあ」
昭亥が気の抜けた返事をすると、コートの女性である座敷童の
「本当は、いの一番に辿り着かんといかんかったのに……怖い思いさせしもうたわ……申し訳もない」
さらに続けてもうひとり。
「本当に、言い訳のしようもない大失態だ……」
この場で唯一の男性であるバロウ狐の
テーブルに頭をぶつけるんじゃないかと思うほど、深々と頭を下げる三人に、陽子と昭亥は困ったように顔を見合わせてしまう。
鴉との戦闘から一週間後、大事を取って入院していた昭亥が退院した日の、夕暮れのファミレス。窓から差し込む夕刻が眩しい席に、陽子と昭亥はいた。
対面に座るのは三人は、警視庁捜査第五課妖怪犯罪対策部、通称”マルヨウ”所属の刑事だという。聞いたこともない部署だが、それもそのはず。ここは妖怪を専門に扱っており、世間一般に妖の存在を秘匿するための部署なのである。一般人に存在を秘匿する関係上、この部署も存在が秘匿されているのだから、知りようもなかった。
「あの、頭を上げてください。ウチはそんな、怪我してなかったですし」
「それでも、や。本来は護るはずの市民に戦わせてしもうた。頭下げな警察の沽券に関わる」
「え、ええと……陽子ぉ」
頭を上げない三人に困り果てて、昭亥が助けを求めてきた。陽子も陽子で困っているのだが、二人して困り顔のままでは話が進まない。
「そうですね。皆さんがもっと早く鴉を捕まえていたら、皆さんの到着がもっと早ければ。アキちゃんは怖い思いをしなかったし、あたしもあんなことをせずに済んだ。そう思います」
とりあえず謝罪を受け取り、上辺だけの非難の言葉を投げる。
こういう時は無暗に相手を気遣うより、適当に流して話を進めていくと円滑だ。
「しかし、それは結果論です。歴史にもしもはありません、過去を変えることはできません。だから悔いるのはここまでにして、未来の話をしましょう。後ろばかり見ても、意味はありませんからね?」
少しの沈黙の後、三人は頭を上げる。誰もが沈痛な面持ちではあったけれど、さっきよりは随分とマシになっていた。
「……せやね、続けてもしゃあないわな」
切り替えるように水を飲んでから、敷辺は話を始めた。
「まず、黛さん。今回の件は完全オフレコ、誰にも言うたら駄目です」
「は、はいっ」
「それと、貴女は妖が見えることも。特にこっちは言うたらあきまへん」
「ええと……、わ、わかりました」
困惑の色を強くしつつも、昭亥は頷く。
黛昭亥は神や妖が見える体質だった。見えるのは特別に力の強い存在や、自分と繋がりの強い存在だけで、それ以外は貧乏しか特筆するべきはない少女である。
とはいえ、そういう存在が見える時点で希少な才能の持主だ。悪意ある誰かに狙われないとも限らず、あまりおおっぴらに言うのはよろしくなかった。
「そして、加賀美さん。貴女には、いくつかお願いしたいことがあります」
視線を向けられて、陽子は自然と姿勢を正した。
「ひとつは、マルヨウの活動に協力してほしいっちゅうこと。なんも難しいことありません、この街の治安維持のお手伝いをしてほしいんです。我々は妖なれど人のために動いています。貴女もその点は同じでしょう」
「ええ、志は同じです」
「ならばこそ、なおのことお願いしたい。嫌なら、断ってもろうても……」
「いえ、大丈夫です。喜んでお引き受けします」
「……ええんか?」
「もちろんですよ。人々を幸せにすることが善狐の務め、断るはずありません」
強がった笑顔で了承すれば、安心したような、後ろめたいような、複雑な表情で樫屋は礼を言った。
「ありがとうございます」
それからいつくかの話――それは犯罪被害者給付金の話であったり、殺生石の刀をどうするかの話であったりだ――をしてから、この場はお開きとなった。きっと彼女らも忙しいのだろう、話が終るなり、代金をテーブルに置いて足早に店を出て行ってしまった。
「なんだか、大変だったね」
随分とふわっとした感想を漏らして、昭亥は頭を掻いた。彼女自身はそれほど大きな被害にあってないし、事件の最中はほとんど気絶していたから仕方ないだろう。
「そうだね」
笑顔で同意すると、彼女は目を逸らして、どこか言い難そうに訊いた。
「それで、さ……陽子は、狐? なんだよね」
一瞬だけ、言葉に詰まる。もっと相応しい場所で、もっと相応しい状況で、正体を告白したかった。だが、あんなことがあったのだから致し方ない。
「うん、そうだよ」
「やっぱり! 陽子は、妖狐の陽子なんだね!」
「フフーン!」
得意げに鼻を鳴らして胸を張ると、彼女は安心したと笑って抱き着いてきた。
不本意な状況での告白ではあったけれど、唯一の救いは、昭亥が拒否しなかったことだ。
妖が見えることは気付いていたけれど、受け入れてくれるかどうかはわからなくて、拒否されやしないかと怖くて堪らなかった。
だからこうして受け入れてくれたのは、陽子にとって筆舌にし難い喜びで、何にも代えがたい幸福であった。
「ありがとう陽子。あの時、助けてに来てくれて。やっぱり陽子は、ウチの一番の親友だよ」
「……こっちこそ。受け入れてくれてありがとう、アキちゃん。アキちゃんだけだよ、あたしの親友は」
顔を見合わせると、照れて笑い合う。
わかりあうということは、なかなかどうして、耐えがたい幸せの味がする。こんな気持ちになったのは、陽子が生まれて初めてだった。
「何も、訊かないからね」
優しく背中を撫でながら、彼女は耳元で囁く。
やはり彼女は、誰よりも健気であった。
氷雨が降りしきっている。
濡れることもいとわず、初めて会った四つ辻に佇む陽子は、街灯の下で瞑目していた。
嘉平を想うことは今でもある。屍解仙であった彼の過去も気になる。
だが調べたところで何になるというのか。過去は過去でしかなく、想いを馳せたところで返ってくるはずもない。
残された者は、ただ思い出を胸に進むしかないのだ。
暗雲の夜空に、殺生石の刀を向ける。
そういえば、と気が付く。
この刀には銘がない。
せっかく最後に残った思い出の品なのだ、いつまでも殺生石の刀なんて呼ぶのも味気ない。名前がなければこの刀も寂しかろう。きっと相応しい名前があるはずだ。
雨音の中、しばらく考えて。
「……陽狐切、嘉平……」
ぽつりと、銘を呟いた。
瞳を開くと、白い輝きが双眸を射抜いた。
それはまるで、喜んでいるような、悲しんでいるような、不思議な輝きだった。