妖狐の陽子と人斬り鴉   作:四十九院暁美

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「陽子、何か隠してない?」

「へっ?」

 突然。
 あまりにも突然に、陽子の母は言った。
 夕食の席。
 父不在の中。満を持してと切り出されたそれは、的確に陽子の腹の内を突き刺した。

「え、ええと……」

 はてさて、どうするべきか。
 善狐たるは人を化かしてはいけない、騙してはいけない。人を騙せば善狐に相応しくない行いだと稲荷様にお叱りを受け、程度が重ければ野狐に下されてしまう。
 しかしこの状況はどうだ。嘘でなければ通れぬ話題を出され、逃げ場は何処にも見当たらず、沈黙は肯定となる。八方塞がりとはこのことだった。

「ここ最近ずっと早寝じゃない、朝になにかあるの?」

 条件付けが来た。
 時間を朝に限定されているのならば、この問いには嘘偽りなく答えられる。

「朝には、何もないよ……?」

「ふぅん。その割にすっごい目泳いでるけど」

「そっ……そんなに?」

「うん、そんなに。ね、何隠してるの? 言ってみなさいよ。大丈夫、お父さんにばらしたりしないから」

 呆れつつもどこか楽しそうに母が笑う。
 その笑顔は疑っているよりは、からかっていると表現した方が適切かもしれない。
 悪意や出歯亀の類ではなく、子の戯れたい、そんな些細な気持ちでいるのだろう。
 平時ならば微笑ましく思うのだが、残念ながら、今の陽子にとってはひどい足かせだった。 

「うぅん……」

 はてさて、どう答えたものやら。陽子は困り果てて唸ってしまう。
 こういう時は変に答えて嘘だった場合が大変だから、なるべく話を逸らすか、相手が求めているモノに近しい言葉を選ぶ必要がある。
 事実ではあるが全てではない、嘘ではないが真実でもない、都合の良い答えが必要だ。
 ところが相手は、義理とはいえ母親である。
 変なことを言っては心配させてしまうし、下手を打って行動を制限されてしまうかもしれない。
 最悪の場合、妖であることがばれてしまう可能性だってあり得る。安易に話せないのが辛いところだ。まったくこればかりはいつになっても慣れない。

「ひ、人に、会いに……」

「人? ふぅん……なるほどねえ」

 何か納得した顔で頷く。何か大きな勘違いをされたようだった。

「うん、陽子もそういうお年頃だもんね」

 一瞬の沈黙。

「……いっ!?」

 意味に気付いて、頓狂な声を上げた。

「その、ね? 好きな人とか、そういうんじゃないんだよ?」

「あら、お母さん”好きな人”なんてひとっことも言ってないけどな~?」

「だから、そういうんじゃないんだってば! 好きな人とかじゃなくて……!」

 好きな人。自分で言っていて、パッと嘉平の姿が頭に浮かんだ。
 そんなわけがないと頭を振っても、どうしてだか離れずにいるから、陽子はどんどん恥ずかしくなって慌ててしまった。

「あから、違うからね! ホントだからね!?」

「そうやってムキになるところが怪しい」

「むっ、ぐぬぬ……!」

 違うのだ、嘉平はそういう対象ではないのだ。そう自分に言い聞かせて黙り込む。
 人の世界で生きてきたとはいえ、恋愛にはてんで縁遠かった――妖ゆえにその手の話を意図的に避けていた――陽子である。急にそんな話題を出されて、戸惑ってしまった。
 嘉平のことが好きなわけではない。
 ないのだが、正体を知られているし行動を共にしている仲だ。
 そういう情が芽生えてもおかしくはないだろう。
 いや。あるいは自覚していないだけで、既に目覚めているのかもしれない。
 鉄仮面の如くに冷たい態度ばかりだが、寒空の下で半刻も律義に待ってくれていたり、巻いてあげたマフラーも着けてくれていた。
 危ない場面では助けにきてくれたし、恥ずかしながら歩けないところを抱きかかえて運んでくれた。
 陽子からしてみれば充分に善き人である。対象になってもおかしくはない。

「お母さん、応援してるからねっ」

「うー……っ」

 こういう時は何を言っても駄目だ。全てが逆効果になって跳ね返ってしまう。
 悔しさと、恥ずかしさと、いろんなものが入り混じった感情を隠すみたいに、陽子はアサリの味噌汁を啜った。



妖狐の陽子と自分の気持ち

 相も変わらず夜を歩く二人と一匹は、鴉の臭いを追って街を彷徨っていた。

 空飛ぶ相手の臭いを追うのはほとほと難儀で、とてもではないが追跡できるような臭いの残り方はしていない。

 せいぜいが、この辺りにいた、程度の情報しか得られないから、まったくあてどもなくフラフラする羽目になっている。

 今もそう。

 表通りから離れた袋小路にいるが、さっきまで続いていた臭いはここで途切れてしまっていた。

 

「ミカくん、どうですか」

 

 おぶさる彼は静かに首を振った。

 散発的に残された臭いを辿っては、どことも知れぬ場所で足踏みする。

 空飛ぶ鴉の臭いを追うなんて無茶は、やはり実ることはない。

 幸いにもあの夜以降、鴉は人を殺していない。

 だが、次の犠牲者が出るのも時間の問題である。もどかしくて、苦しいばかりだ。

 あまりんい進展がないものだから、溜め息のひとつでも吐きたくなる。が、それは頑張っている彼に悪いので、かわりに嘉平へ問うた。

 

「どうしましょうか。このまま空を飛ばれては、あの天狗モドキにいつまで経っても追い付けませんよ」

 

 嘉平は無言で空を睨んでから、不愉快と不満を隠そうともせずに鼻を鳴らした。

 

「是非もない」

 

 そっけないが、現状をこの上なく表した返答であった。

 今日も頑張ってくれたミカの頭を撫でてから、陽子は鴉を捕獲するための策を弄する。

 追い詰める手段は、何も追うばかりではない。

 こうまで鮮やかに逃げられては追うのは諦める他にないが、それならそれで別の手段というのがある。

 すなわち罠だ。

 罠と言っても大層なものではない。ちょっとした探知術を仕掛けて、活動範囲や羽休めしそうな場所を割り出す程度のものだ。

 その場で捕まえる術もあるにはあるが、相応の準備が必要になってしまう。設置している間に犠牲者が出たらと思うと、使おうにも使えなかった。

 

「望み薄ですが、やらないよりはマシでしょう」

 

 上衣のポケットから、手のひらサイズに切り揃えた紙の束を取り出し、呪を唱える。

 

「隠者表徴、隠形顕然」

 

 途端に、どこからかピシリと音が鳴って、紙は呪言が綴られた霊符へと姿を変えた。

 

「ミカくん、この辺りで強く臭いの残っている場所に、この霊符を貼ってきてください。できれば、電柱のてっぺんのような、高くて目立たないところへ。お願いします。終わったらここへ戻ってきてくださいね」

 

 あいわかったの意を込めて一鳴き。

 そっと紙束を咥えさせると、彼は背中から飛び降りてどこかへ駆けていった。

 探知の霊符は貼ってある場所を中心にして、半径約百メートルに探知の結界を作る符だ。

 術者が見つけたい物や人が結界内に入ると、霊符を通じて音で報せを出してくれる。

 欠点としては、どこの反応した符が反応したかはわからず、音の大きさでおおよその距離しか判断できない点だ。

 ゆえに、仕掛ける量はそう多くない。

 ある程度は絞っておかねば反応した符がどこかわからなくなってしまう。

 船頭多くして船山に上る、なんて間抜けな状況にはなりたくなかった。

 

「ひとまず、周辺はこれで良いでしょう。あとは郊外の廃工場や廃ビル、それとあたしたちが待ち合わせしている十字路、あの近くにも貼っておきましょうか。犯人は現場に戻るらしいですからね」

 

「くだらぬ俗だ」

 

 嘉平は露骨に眉をしかめる。

 心理学の面から見れば間違いではないのだが、相手は人を斬り、血に酔った妖。

 この説に当てはまるとは到底思えないのだろう。

 陽子だって、本当に戻ってくるとは思っていない。

 しかし可能性が捨てきれない以上、万全を期して仕掛けておくのが得策だ。

 

「嘉平さんにも、探知の霊符を渡しておきますね。探知範囲に鴉が入ると、この符が念話で知らせてくれます。近付くと音が大きくなるので、それを頼りにしてください」

 

「詳細がわからぬとは、不便な」

 

「うっ……! そ、そこは、ほら。アナログゆえの不便といいますか。いや本当は改良を加えるべきなんですけど、あまり使わない術だったもので……」

 

 困ったように笑いながら弁解しながら、嘉平に探知の霊符を手渡した。

 ふと、手と手が触れあい、彼の武骨な手の感触が伝わってくる。

 嫌でも迷い家のことを思い出す。あの時に、自分はこの手と腕の中にいたのだと、自覚してしてしまう。

 今日の夕食で母に言われたのもあってか、急に恥ずかしさが込み上げてきた。

 

「どうした」

 

「ふぇ!? あ、やっ、なんでもにゃあですよ! あははは!」

 

「……?」

 

 しっかりと彼に符を手渡して、誤魔化すように笑った。 

 ちょうど、その時であった。

 

「陰陽術たあ、けったいなモン使うとるなあ。狐っ子」

 

 どこかで聞いた声が響いた。

 すわ何事かと辺りを見回せば、袋小路の入り口にスーツ姿の女性が一人、煙草を燻らせながら立っていた。

 女性は、実に背が高かった。

 百八十センチメートルはあろうかという体躯で、巨人もかくやと迫る勢い。両の手にはバタフライナイフが握られているが、それがまるで、小さなカッターに見えてしまうほどであった。

 

「何者だ」

 

 嘉平が陽子の前に出て、刀に手をかける。

 対して、女性はカラカラと笑っていた。

 

「そらこっちの台詞や。ようもシマぁ荒らしおってからに、落とし前つけてもらわんとなあ。お侍さん?」

 

 言葉からして、彼女はこの辺りを縄張りにしてる妖なのだろう。

 ところが、陽子はついぞ彼女を見たことがなかった。

 自分の住んでいる地区――具体的に言えば、住宅街から街の中心、そして学校まで――にいる妖はおおよそ把握しているつもりだが、かような姿に化ける妖はついぞみた記憶がない。

 彼女の言葉は真っ赤な噓だった。

 増長した新顔だろうか。

 それにしては敵意らしい感情が読み取れず、軽率そうな顔には興味の二文字が浮かんでいる。しかして、武器を持っているにもかかわらず、女性からは闘争の気配が微塵もない。

 いっそ奇妙なほど、彼女の目的が不透明だった。

 

「あの、貴女は誰ですか?」

 

 どうにもわからなくて、陽子は目の前の女性に問う。

 

「当ててみ、正解したら旅行券のプレゼントや」

 

「旅行券……?」

 

 なんだかよくわからない冗談に首を傾げ、さらなる問いを投げようと口を開く。

 しかしそれより早く、嘉平が刀を抜いて肉薄していた。

 袈裟懸けに一振り。

 挨拶ばかりに繰り出された一撃は、弧を描いて空を断つ。

 

「おっと! 物騒な挨拶やさかい、危ないやっちゃなあ自分」

 

 呆れた声色に返す刃を以て答えるが、刀が斬るのは虚のみ。

 二撃。

 たったの二撃なれど、腕が立つならば、わかるだろう。

 彼女の足運びには無駄がなく、荒事に秀でた妖だと。

 

「次は受け止めたるわ」

 

 挑発の言葉。

 鈍色の軌跡。

 金属が打つかりあう音がビルの谷間にこだまし、舞い散った火花が仄かに闇を照らす。

 一合。

 二合。

 三合。

 四合。

 五合。剣戟が止まる。

 仕切り直しに下がったのは嘉平で、その場からほとんど動かなかったのがスーツの女性だった。

 

「なんや気ぃ抜けたポン刀やな、宝の持ち腐れちゃう?」

 

「黙れ」

 

 再び肉薄、今度は平突き。

 受けることは難しく、しかし躱せば横への薙ぎへ派生する剣技のひとつ。

 わざとらしく驚いた顔を見せてから、女性はするりと身体を回して受け流す。

 当然、攻撃は横薙ぎに派生するが、彼女は上体を大きく逸らすことでこれを躱した。

 

「おっとっと、危ない危ない」

 

 お道化た調子で、これ見よがしに肩を竦めて見せる。

 一連の動きからして、彼女は相当に場数を踏んでいる妖なのだろう。

 解せないのは、そんな彼女が何故、あからさまな挑発を仕掛けてくるのか。

 闘争を好むタイプならばもっと獰猛であるはずだが、動きからは理性的かつ凪いだ様子しか見えない。

 正体も、目的も、まったく不可解だった。

 

「嘉平さん、引いてください! 相手が何かわからないんですから、無暗に戦うのは危険です!」

 

「黙っていろ」

 

 彼は制止も聞かずに飛び出して、再び刃を交えた。

 

「あーらら、狐っ子の言うこと聞かんでええの?」 

 

 呆れた顔に言われても、嘉平は止まらずに刀を振るう。

 荒々しい太刀筋がいくつもの弧を描き、少しずつではあるけれど、女性を壁へ追い詰めていく。

 どうも頭に血が上っているらしいが、冷静さは失っていないようだった。

 

「お、お? ははあ、うまいことやるわ」

 

 意図に気付いた彼女はするりと斬撃から抜け出し、また路地の入り口に戻ってしまった。

 

「ダメやなあ、自分。そういうんはバレないようにやるモンやで」

 

 力量の差を見せつけるように、余裕たっぷりにナイフを弄びながら、女性が小馬鹿にして笑う。

 さしもの嘉平も相手が悪いことを察したのか、防御の構えを取ってゆっくりと陽子の元まで下がった。

 

「ふぅん……?」

 

 彼の後退に意味深な視線を投げかけた彼女は、面白そうな、意外そうな、不躾な表情を浮かべる。

 いっそ無気味にすら思えるが、陽子は険しい表情で再び問いを投げた。

 

「なにが目的ですなんですか、貴女は」

 

「せやなあ。簡単に言うと、威力偵察ってとこや」

 

「なるほど、あたしたちの力を測りに来た、と。満足な結果は得られましたか?」

 

「そっちのお侍さんはようわかったわ。言ったろか、気迫が足りん。心が別んとこ向いとるさかい、鈍らブン回しとると変わらん。今のままやと弱っちいな」

 

 少し真面目な声色で嘉平を批判した彼女は、ほんの一瞬、注視していないとわからないくらい僅かに、憂いを帯びた瞳を陽子に向ける。

 言われた嘉平は反応することなく、構えたままだった。

 彼女が何を思っているのかわからないが、防御に徹して攻撃してこないところを見るに、さして悪い妖ではなさそうだった。

 もっとも、信用できるかとうかは別だが。

 

「質問には答えた。次はこっちの番や。狐っ子、アンタはなんでそいつに付いとる」

 

 ナイフの切っ先を向けられて、陽子は目を細める。

 

「鴉を追うためです。彼に協力しているんですよ」

 

 明確な敵対の意思が感じられない以上は、こちらの事情を話してもしまっても良いだろうと判断した。

 この女性が鴉の仲間でないのなら、話したところでさした問題はない。

 

「鴉、ねえ。なるほど、聞いてた通りや」

 

 はたして、その判断は正しかった。

 女性が瞑目して両手のナイフを畳みしまう。ひとまず、これ以上の争いはなさそうだった。 

 しかし”聞いてた通り”とは、いやに気になる言葉である。

 誰かの指示で動いているのだろうが、その誰かはこちらの情報をあらかた知っているようだ。

 よほど情報収集に長けているのか、それとも、どこからか観察されていたのか。どちらにしろ、油断ならない相手に違いない。

 

「にしても、協力ねえ。それ本心で言うとるんか?」

 

「……どういう意味です」

 

 妙な質問をされて、陽子は眉を顰める。

 対して女性は、わざとらしくとぼけた顔で、

 

「いんやあ? 妖狩りにくっ付いて回って、なんも思わんのは変やと思うてなあ?」

 

「思うところはありますよ。ですか約束がある以上、離れるわけにはいかないんです」

 

「約束ぅ? けったいなこと言いよる。何し腐ったか知らんけど、しょーもないことするわ。どうせ妖や、すぐ破るんとちゃうか?」

 

「あたし、嘘は吐けないタチなんです、破ったりなんかしませんよ」

 

「はん、よう言うわ」

 

 露骨に興味を失った女性は、くるりと背を向ける。

 それから彼女は。

 

「アンタ、人に嘘言わんでも、自分には嘘言うタイプやな」

 

「……っ!?」

 

「半端モンが首ツッコむなや。わかったら帰って大人しくしとけ」

 

 去り際に、吐き捨てるみたいに言い残して消えた。

 嘉平が刀を収める。

 散々に言われてしまったからか、機嫌悪そうに腕を組んで瞑目していた。

 陽子は心臓を鷲掴みにされたような、嫌な衝撃を全身に浴びていた。

 心の奥底を見透かされて、あまつさえそれを指摘されて。頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。

 ”嘘を言えない”とは、本来ならば自称する言葉ではない。これはあくまで他人から見た評価であり、自称するならば”嘘を言わない”が適当だ。

 それなのにあえて自称しているのは、つまり自分に対して予防線を張っている証左である。

 たとえ誓いを起てていたとしても変わらない。

 むしろ他人に範囲を限ってまで、嘘を言えないと明確に決めているから悪質だ。

 自分へ嘘を言えてしまう、自分を偽り演じてしまう。

 ありのままをさらけ出すのが怖いから、自分に嘘を言って仮初の自分を演じる。

 そうやって自らを騙せば騙すほどがんじがらめになって、いつの間にか他者を騙すことに繋がっていく。

 陽子はまさに、その一歩手前にいた。偽り続けた自分が、本当の自分になってしまう寸前だった。

 思い返せば、兆候はいくつもあった。

 妖でありながら人間を父母を仰ぎ、善狐を自称しておきながら人と同じ存在だと言い放ち、妖でありながら妖の気安さに毒気を抜かれる。

 本来ならばあり得ないことなのに、妖と人との境界が曖昧になって、別けるべき思考が混合していた。

 あの女性は見抜いていた。奥底を見透かしていたのである。

 

「狐」

 

 無機質な声が、意識を表層へと引き上げる。 

 彼はいつもの仏頂面で、空を見上げていた。

 結局、あの女性は何が目的だったのだろうか。何ひとつとしてわからないが、多大な影響を及ぼしたのは確かだった。

 

「あはは……。まいっちゃいましたね、二人して言われちゃいました」

 

 困ったように笑ってみても、彼は何も反応を寄越さない。

 他に何か言ったほうが良いかとも思ったけれど、そのうち陽子も笑うのを止める。

 

「去れ」

 

「……え?」

 

 間の抜けた声が出た。

 

「お前の善性はわかった」

 

「は、はぁ」

 

 彼は空を見上げたまま告げる。

 彼は加賀美陽子が悪しき存在ではないと理解したのだ。約束は果たされた故に、今が決別の時だった。 

 

「そう、ですか」

 

 ホッとしたような、ガッカリしたような。悲しいような、苦しいような。よくわからない気分になって、陽子は自分の気持ちから目を逸らす。

 きっと、自分の存在が彼には鬱陶しかった。護りながら戦うのは難しいことだから、陽子のような足手まといがいては、戦いに集中できないのだろう。だから、あの女性の言葉を切っ掛けにして別れを告げてきた。

 いつか来る別れが、今日だっただけのこと。

 そう思い込んで、気持ちに蓋をした。

 

「では、お元気で。あたしは、あたしのほうで鴉を探しますから。もしまた出会った時は、挨拶くらいしてくだいね」

 

「……善処する」

 

 二人が見上げた空には、雪がちらついていた。

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