お姉ちゃんはいつも変わりません。
フェイトとの遊園地デートを終えた顕正が聖王教会本部のあるミッドチルダ北部、ベルカ自治領に帰ってきたのは、夜になってからだ。
一通り遊園地を楽しんだ後、共にファミレスで夕食を取ったために想定より遅い時間になってしまった。
(この時間じゃあ、流石に鍛錬は厳しいな。大人しく勉強してるか)
学生時代は夜中に古代ベルカ時代の追体験、近くの山で動作のトレース訓練をしていたが、曲がりなりにも社会人として生活していると、そういった『無茶』を控えるようになった。
そもそも地球に住んでいた時とは状況が違う。人目を忍んで鍛錬する必要がなく、一人で鍛えるよりも経験豊富な先輩騎士と模擬戦を行った方が有意義であり、その点だけでもミッドに移住した甲斐があると言える。
明日は特別任務があるわけではない平常勤務だが、仕事であることに変わりはない。
日も暮れた時間から体に負荷のかかる鍛錬をするよりも、ユーノ推薦のテキストをこなすことを選んだ顕正。
聖王教会騎士寮の自室に辿り着き、ドアに手を掛けようとして、気付いた。
――微かにだが、部屋から話し声が聞こえる。
おかしい。
もともとは顕正の他に先輩騎士も共に生活していた二人部屋だったのだが、その騎士は一月ほど前に転勤になり、別の管理世界へ引っ越している。そのため今は顕正だけの一人部屋であり、部屋の主である顕正は現在ドアの前だ。部屋には誰もいるはずがない。
(部屋を訪ねてくる相手は心当たりがあるが、勝手に入るヤツに心当たりはないぞ……?)
よく部屋に来る筆頭はプリメラであり、その目的は主に顕正の勉強の手助けである。魔法学校でも優秀な成績を修めたプリメラは、理解力があっても基礎知識の乏しい顕正のサポートにうってつけであるため、時折顕正の部屋を訪れている。
それ以外だと、交友のある先輩騎士たちが一人部屋であることを理由に遊びに来る程度だ。
しかしどちらにせよ、部屋には鍵を掛けたはずである。合鍵を渡してある相手はいないので、勝手に入れるのはマスターキーを持つ寮の管理人ぐらいしかいないはずだ。
とはいえ、ここは聖王教会の敷地内であり、『敵』が進入したという想像は難しい。少なくとも、何かしらの事情を持つ教会関係者だろうと当たりをつけ、顕正はドアを開けた。
「――んー、相変わらず実用性重視のパンツばっかりだねー」
「サ、サユリさんっ!それは流石に……!」
ドアを閉めた。
「……」
どうにも、あり得ない光景を見た気がする。
慣れない遊園地デートのせいで疲れが出たのかと、しばし目頭を抑えた。
一瞬見えた先程の光景がただの幻覚であることを期待して、もう一度ドアを開く。
「どどどどど、どうしよう!?」
「は、早くしまって下さい!」
「そ、そうだね!早くしまっちゃおう!」
「なんで自分のポケットに入れたんですか!?箪笥に戻して下さい!」
「はっ!つい癖で……」
部屋の中、慌ただしく動き回る二人。
一人は、まぁ、まだ良い。いや良いわけではないのだが。
少なくともミッドチルダに、聖王教会の騎士寮にいることは不思議ではない。
だが二人目。
「――なんでここにいるんだユリ姉さん……」
テメェはダメだ、と言わんばかりの鋭い視線で睨みつける。
それにも動じることなく、ミッドにいるはずのない顕正の従姉、笹原 白百合はにこっと笑った。
「おかえり、けんちゃん!」
「いいからまずポケットからはみ出てる俺のパンツを返せ!」
「も、申し訳ありません……『家族の部屋を見るのは、地球では常識的な行動』と言われては止めようもなく……」
シュンとなり頭を下げるプリメラ。先ほどまでの慌て様からは立ち直っているが、醜態を晒したこと自体は忘れられるものではない。
「大丈夫だ。お前が止めようとした声は聞こえてたからな」
いくら管理外世界の常識と言われても、パンツを見物するサユリをたしなめようとしていたことは分かっている。そして最初にドアを開けた時、しげしげとパンツを広げるサユリと、羞恥から両手で顔を覆って見ないようにしていたプリメラの姿も見えていた。
年は下だが、任務においても日常生活においてもしっかり者であるプリメラへの信頼度は、顕正の今まで出会った人物の中でもトップクラスのものだ。彼女を超えるのは顕正が強い憧れを抱く夜天の守護騎士、ヴォルケンリッターの面々と、尊敬する大人代表の高町 士郎。そして育ての親とも言える亡き祖父と叔父夫婦ぐらいだ。
「すまん、俺がいない間、姉さんの相手をしてくれてたんだろう?」
家族や親しい友人の前以外では、お淑やかな大和撫子を装っているサユリが、プリメラの前では自然体になっている。それはつまり、顕正が今まで経験したサユリの暴走が、一部とはいえプリメラに降りかかったということに他ならない。サユリがプリメラを信用したということなのだが、素直に喜べることではなかった。
「いえ、私としても、管理外世界の話を聞く事が出来ましたし、ケンセイのお姉様と親しくなれたことは喜ばしいことです」
平静を装って返したプリメラだが、若干顔が赤い。
脳裏には、指の隙間からしっかりじっくり観察した顕正の下着が焼きついているからだ。
「……それで、なんで姉さんがミッドにいるんだ?どうやって来た?何しに来た?」
「えっとね、話す前にそろそろ足崩してもいいかな?」
「ダメ。反省して正座してなさい」
顕正の機嫌は珍しく悪い。
身内の恥を晒すことは、ある程度慣れているのだが、純粋なプリメラを騙くらかして共犯にさせたことは見過ごせない。……その『純粋な』プリメラは、無表情の仮面の下で顕正の今身につけている下着を想像しているところだが。
「――で、どうやって来たの?」
「すずかちゃんちの転送ポートで」
「……どうして?」
「けんちゃんの上司だっていうカリムさんに、遊びに来ませんか?って呼ばれて」
「あの人最近ロクなことしねぇな!」
聞けば、顕正の従姉ということですずかとアリサとは懇意にしており、月村家を経由してサユリに連絡があったらしい。
尚、今年から大学生となったサユリが進学したのは、海鳴市内の聖祥大学である。住人の居なくなった笹原家に住み、翠屋でもウェイトレスとしてアルバイトをしているので、高町家とも交流が深い。
「『一度聖王教会に遊びにいらしてはいかがですか?ケンセイさんには内緒で』って言われたら、私としては来ないわけには……」
「……騎士カリムの誤算は、今日ケンセイが出掛けていたことですね。サユリさんと一緒に執務室へ顔を出したら、なんとも言えない顔をしていました」
いつもであれば、休日でも朝から鍛錬をしている顕正が今日に限ってデートに出かけるとは、さすがのカリムでも予測できなかったのである。
「で、けんちゃんがいなくてムカッとしたので、プリメラちゃんと一緒にけんちゃんの部屋を家探ししてました!」
「してました、じゃねぇよ反省しろって言ってんだ正座延長」
しかしサユリは、もう無理ー!と足を崩して顕正のベッドに飛び込んだ。
「はぁ……。もう、ミッドに来たことはしょうがないからいいとして、いつまで居るの?俺も仕事があるから、あんまり構ってやれないよ」
「んー、明日の夕方には地球に帰るよ。観光とかはあんまり興味ないし、けんちゃんの様子を見に来ただけだからねー。……あ、忘れてた」
旅行鞄の中をガサゴソと探り、顕正に一枚の手紙を渡してきた。
「……これは?」
「お父さんとお母さんから。たまにでいいから連絡しなよ?二人とも心配してるんだから」
封を開けた中身には叔父夫婦からの、長期休暇で時間が出来たら顔を見せて欲しい、体に気をつけて、サユリが周りに迷惑を掛けないように見張っておいて欲しい、という旨のメッセージが書かれていて、顕正は目頭を押さえた。残念ながらサユリに関しては既に手遅れである。
「……叔父さんたちに、冬の休暇の時に一回帰るって伝えておいて。あと、元気にやってるから心配しないでって」
「うん、分かった」
頷くサユリ。
そして二人の会話を聞いていたプリメラが、ふとサユリと遭遇した時のことを思い出し、顕正に問いかけた。
「そういえば、サユリさんもケンセイと同じように力強いようですが、地球の方は皆そうなのですか?」
「ん?あぁ、いや、そういうわけじゃない。ウチの家系が特殊なんだ」
「そうそう。笹原家の人はみんな力持ちだし、体も頑丈なんだよ。まぁ、けんちゃんはその中でも規格外だけど」
なんでかはよくわからないけど、とサユリは言うが、顕正はその理由について察しが付いている。しかしそれについてはまだ推測の域を出ず、現在調査中だ。今の所悪影響は見られないが、悪戯に不安を煽る必要はないと口を噤む。
「……安心しました。てっきり地球というのは、ケンセイのような方が溢れているとんでもない世界なのかと」
「……まぁ、確かにとんでもない人は沢山いるからあながち間違いとも言えないんだけどな」
特に高町家の大黒柱は、本当に人類なのかと疑う動きをすることがある。転移魔法も加速魔法もなしで顕正の背後を取る一般人が居る時点で、普通ではない。
「私が『地球』の文化を覚えるのは、苦労しそうです。サユリさんに聞いただけでも、世界が違うとここまで文化が違うのかと思う点がいくつもありましたし」
「そうだな……。俺もまだ、ミッドの常識には不慣れな点が多い。まぁ、同じ世界でも国が違えば常識も違うからな。仕方ないといえば仕方ない」
「えぇ、特にケンセイの故郷の『日本』の文化は不思議ですね。基本的に家は土足厳禁であることや、『ソバ』や『ウドン』、『ラーメン』の麺類を、音を立てて啜るというのは、私には考えられません」
プリメラの言葉に、ケンセイとサユリも納得する。地球でも他国には驚きの文化だが、日本では至極普通のことだ。
「あぁ、あとはアレですね。兄弟姉妹は、必ず一緒のベッドで寝る、とかも驚きました」
顕正はそれを聞いた瞬間、逃げようとしたサユリの頭を鷲掴みにした。
「何ふざけたことを吹き込んでやがる……!」
「ごめんなさい!プリメラちゃんがなんでも信じてくれるからつい出来心で!!」
頭割れるー!と悲鳴をあげているが、もう容赦するつもりはない。
出来心でと言っているが、恐らく確信犯である。カリムの用意したであろう部屋は既に断っているだろう。もしもバレずにいた場合、適当に理由をでっち上げて顕正の部屋に泊まろうとしたのだと考えている。空いているベッドがあるので顕正も強くは言わず、部屋は同じでも別のベッドだから、と妥協したかもしれない。そこまで考えての狡猾な罠だった。
二人の態度で自分が間違った常識を教えられたと悟ったプリメラが、顔を赤くしている。日本の文化に疎いとはいえ、簡単に騙された自分が恥ずかしい。
「プリメラ、悪いが姉さんの泊まる部屋を探すのを手伝ってくれるか?女子寮の空き部屋とかがあればいいんだが」
時間帯的に、これから本部内の部屋を用意してもらうのは難しいが、女子寮ならば部屋があるかもしれない。
そう考えたのだが、
「……それでしたら、私の部屋でもいいですか?ちょうど同室の先輩が出張中ですので、次元通信でベッドをお借りする旨を伝えれば大丈夫だと思います」
「……すまん、助かる」
サユリをプリメラと同じ部屋に泊まらせるのはとても不安なのだが、現状で手っ取り早い方法はそれだ。
「姉さん、これ以上プリメラに迷惑をかけないでくれよ?」
「大丈夫!まかせてよ!」
「……もしプリメラに何かしたら、俺はもう地球に帰らないからな」
「だ、大丈夫だよ!?」
けんちゃんが帰ってこないのはヤダー!と喚いているのを見る限り、恐らく問題ないだろう。もちろん本気ではないが、サユリが約束を破ったならしばらくは本当に帰らないつもりである。それがサユリには一番効くのだ。
夜も遅くなってきたのでサユリとプリメラは女子寮に向かい、顕正はようやく平穏を得ることができた。
「なんか、休みなのにどっと疲れた……」
フェイトとのデートは予定として決まっていたことであり、その上美少女と遊園地という状況は役得といえた。しかし完全に想定外のサユリの来襲は、体力的にも精神的にも消耗が大きい。
『Streng dich an!』
「……お前、珍しく元気な声出したと思ったらそれかよ……」
基本的に無口で、しゃべったとしても淡々と単語をいうだけのグランツ・リーゼによる、非常に珍しい激励の言葉を受けて、ため息をつく。
そう、今日はもう終わってしまったが、明日もサユリは聖王教会本部にいるのだ。
仕事もあるため相手出来ないが、どうか姉が妙な真似をしませんように、と祈りながら就寝前にシャワーを浴びるのだった。
結局その翌日もプリメラと共に、エンジン全開のサユリの面倒を見ることになり、その上悪乗りしてきたカリムや先輩騎士たちのせいで、想定していたよりもはるかに疲れる1日となったのだが、その時の顕正は知る由もなかった。
動かしやすいけど、魔法関係者じゃないからお姉ちゃんの登場機会はもうしばらくありませんよー。Sts入ったらちょっとだけ出番がありますが。
カリムさんがお姉ちゃんを召還したのは悪意があるわけではなく、顕正の家族に聖王教会への理解を深めてもらおうという意図によるものです。サプライズにしてたのはちょっとしたお茶目。
そしてひとつご連絡を。
10月11日から、おそらくですが更新ペースが下がります。
理由については、言わなくてもわかるな…?
次回は久々の出番、タヌキのターンです。そしてもうすぐ、新キャラ(オリジナル)追加します。