吾郎と大地が朝起きると、布団が畳まれており茂治の姿はなかった。
外で何か音が聞こえる。
窓を開けて2人で見てみると、そこには茂治が素振りをしていた。
茂治が吾郎と大地に気付いて、素振りを止める。
「おう、起きたか大地、吾郎! よーし、メシにするか!」
「……どしたの、おとさん。素振りなんかして……」
「ああ、ただ気晴らしにやっていただけだよ。球団クビになっても、身体を動かさないと気持ち悪くてな」
問い掛ける吾郎に茂治は誤魔化したかのようなことを言っていたが、大地のことを見て気まずそうに目を逸らした。
なぜなら大地が満面の笑みをしていたからだ。
(やっぱりおとさんはクビになったんだ……)
(おとさん、ついに動きだしたんだね……)
(多分大地にはバレているなぁ……ちゃんとしてから背中で見せたかったんだけど)
吾郎は落ち込み、大地は全てを知っていて、茂治は新たな思いを胸に動き出していた。
本田家は家族それぞれで思いは違えど、お互いを思い合っている家庭であった。
食事中、昨日先発をしていた茂野の話をしていた茂治だったが、少し難しい顔をしていた吾郎が茂治に話しかける。
「おとさん、俺はもう大丈夫だよ。俺、早く大きくなっておとさんの分までプロ野球入って頑張るから! おとさんは気にせず次の仕事頑張ってよ!」
「吾郎……」
「おいおい、吾郎くん。俺のことも忘れないでくれたまえよ。“俺”じゃなくて、“俺たち”だろ?」
そうやって茶化す大地に茂治と吾郎は目を合わせて笑い出す。
食事後に外に遊びに行く大地と吾郎を見送って、茂治はバットを持つ。
(ちっ、大地も吾郎もまだガキのくせに気ぃ遣いやがって。……待ってろよ。おとさん必ず──必ずまた夢を見せてやるからな!)
◇◇◇◇◇◇
「大地! いくよ!」
「おーし! 来い!」
大地と吾郎はキャッチボールをしていた。
お互いにピッチャーになり、キャッチャーになり、バッターとなって練習に励んでいるのだ。
そしてボールを受け取った吾郎が大地に投げ返そうとしていたときだった。
「ん?」
誰かに見られている視線を感じ、投球をやめる。
視線を感じた先の家を見てみると、窓が少し開いていたのだが、吾郎に気付かれたと感じた瞬間に窓が閉まってしまった。
「吾郎、どうしたの?」
「んー。あそこで誰かが俺らを見ていたみたいなんだ」
吾郎は見られていた家の窓の方角を指差し、首を傾げる。
(ああ、もしかして……)
大地は誰が見ていたのかを思い出して、家まで行ってみようと話す。
吾郎も新しい野球仲間が増えるかと思うとワクワクするのか、笑顔で了承する。
「じゃあ、先にグローブ持ってきてあげようよ! もし持っていなかったら貸してあげられるし!」
「そうだね! 一緒に戻ろう!」
吾郎達は一度家に戻り、古くなったグローブを持ってくることにした。
事故に遭ってはいけないので、大地はきちんと注意して戻り、少し時間を置いてから覗いていた子の家に行った。
(多分、今であればお母さんもいないはずだから、話も聞いてもらえるはずだ)
呼び鈴を鳴らして、少し待つと家の扉が開く。
そこで大地が話しかけようとした瞬間に、
「わっ!」
「うわっ!!」
吾郎が後ろから出てきて、眼鏡を掛けた少年を脅かす。
びっくりした少年は尻餅をついてしまう。
「あ、ごめん。びっくりした? 実はよかったら一緒に野球したいなって思って。近所で野球してくれる友達がいなくてさ」
「……野球って何? 僕、そんな変な手袋持っていないし、興味ないよ」
「あ、これね! グローブっていうんだけど、大丈夫! 家から古いグローブ持ってきたから! 面白いから行こうよ!」
「え、あ、ちょ、ちょっと僕は……」
吾郎が強引に手を引っ張って少年を連れ出す。
(吾郎……相変わらず強引だな。まぁこれくらいしないと来てくれないもんね)
────これが吾郎と寿也、そして大地の初めての出会いとなったのだ────
◇◇◇◇◇◇
「何!? バッターに転向する!?」
「はい。もちろん何年も待ってくれなんて言いません! 今シーズン中に結果が出せなければ、今度こそクビにしてもらって構いません!」
「……すまないが、今シーズンも待てないよ。
今すぐにでもテストをして、我々の前で結果を出せるくらいでないと、我々は君を選手として在籍させておくわけにはいかない」
茂治は今すぐテストになるとは思っておらず、かなり困惑していたが、今更言葉を撤回するわけにもいかず、「ぜひ挑戦させてほしい」と懇願する。
そしてこれから横浜スタジアムでバッター適正テストが始まるのであった。
(……打つしかない! この年齢で一旦クビになったら、もう現役復帰の道は閉ざされたも当然だ!
頼む千秋! 俺と子供達にもう一度夢を見させてくれ!)
茂治はグラウンドでアップをして、対戦相手の投手を待っていた。
今日この日を逃すともう2度とチャンスが無いのが分かっているので、気合十分であった。
「ちゃーす!」
「……し、茂野!?」
そこにはユニフォーム姿の茂野が立っていた。
球団の管理部長に「昨日先発だったのになぜここにいる!?」と言われている。
「いやあ、いつも通り帰る予定だったんですけどね。本田の引退を賭けたテストって聞いたからには……俺が投げてやるしかないでしょう」
「なあ本田ァ!!」と挑発気味に大きな声で茂治のことを呼ぶ茂野。
茂治は最初驚いた顔をしていたが、すぐに決意を固めた顔になる。
(誰が相手でもやるしかない! 俺にはこれがラストチャンスなんだ!)
「勝負は3打席! それでセンスを見せられなければ、本田君には引退してもらうよ!」
「はい!」
「茂野! 高校時代からの友達だからって手を抜くなよ! 温情で球団に残してやっても本人のためにはならないからな!」
「分かっていますよ」
監督に手を抜くなと言われて、茂野はより真剣な顔つきになる。
茂野の真剣な顔つきを見て、茂治はバットを構える。
(今のお前には俺の球を打つことは絶対にできねぇ。だが、俺が見てきた高校時代からのお前の野球センスが本物なら──その片鱗を見せてみろ!!!)
茂野は振りかぶってインコースいっぱいにフォーシームのストレートを投げ込む。
キャッチャーに「ギリギリ入ってますよ」と言われて、茂治はボールがミットに入ったことに気付く。
「全く見えていないな……」
「ええ……
監督と管理部長は茂治がもはや打てないと確信していた。
茂治自身も一軍である茂野の球がここまで速いことに驚き、次の球を待つ。
茂野が第2球を投げる。球は茂治の方に向かってきて、ボールが当たると思った茂治が身体を逸らすが、ボールは曲がりキャッチャーミットに入っていく。
「あ、カ……カーブ!」
「ツーストライク!」
茂治の情けない避け方に、監督達も苦笑いを隠せない。
茂治は次に投げてくる球を外に外してくるカーブだと予測し、それが見事当たりボールとなる。
カウントはワンボール、ツーストライク。
(よし! 読み通りだ! 何こっちもこの前までピッチャーだったんだからな。次はおそらくボールになるフォークを投げてくるはずだ)
茂野がボールを投げ、低めにいったため、予測が当たったと茂治は見逃すが、ボールは落ちずにそのままキャッチャーミットに吸い込まれる。
「ストライク! 低めいっぱい!」と審判も兼任しているキャッチャーが言うが、茂治は予測が外れて三振してしまったことに驚いてしまう。
「あと2打席だぞ、本田君!」
2打席目。
茂治は自分よりも裏をかく組み立てが上手い茂野に対して、予測するのをやめた。
それであれば緩いカーブに的を絞り、フルスイングをしようと考える。
茂野は2打席目の第1球を投げるが、茂治の顔目掛けて飛んでいく。茂治はギリギリで避けるが、尻餅をついてしまう。
「あっぶねー! おい! 気を付けろよ、茂野! 危険球だぞ!」
「うるせえ! てめえが寝ぼけたことやってから、目ぇ覚まさせてやったんだよ!」
「なに!?」
「ちんたらくだらねぇ読みなんかしてんじゃねぇ! 読みで打てりゃあ、ピッチャーやキャッチャーはみんな3割打者なんだよ!
本気で
……思い出せ。4番本田が甲子園で打った、あのサヨナラホームランはがむしゃらだったはずだ」
茂治は思い出す。甲子園の9回裏にインコース低めの難しい球を、無我夢中でスタンドに放り込んだことを。
今でもあの球をよく打てたと思っているほどだ。
茂野はフォーシームを全力で投げ込む。茂治はがむしゃらに打つが、結果はキャッチャーフライ。
「これがラストの1打席だぞ!」
管理部長から激が飛ぶが、茂治は当たったことに驚いている。
そして、自分なら打てると思い込む。
3打席目。
初球、茂野はカーブを投げて引っ掛けようとするが、本田は何とか食らいつきカットしてファールとなる。
2球目、3球目、4球目とファールになるが、徐々にタイミングが合っているのが誰の目から見てもわかる。
途中で見に来た他の選手や管理部長でさえも、茂野と茂治の対決を見て驚きと興奮を隠せない。
(それだよ。その
もしかしたらお前は……初めからバッターになるべきやつだったのかもしれねぇな)
茂野は徐々に覚醒している茂治に驚きつつも、バッティングセンスに感心する。
そして、全力のフォーシームをミット目掛けて投げ込む。
カキーーーーーーン!!!
ボールはバットに当たる音とともに大きな放物線を描き、横浜スタジアムの観客席上段に飛んでいく。
管理部長、監督、見に来ていた選手、茂野や茂治本人でさえも、その光景が信じられずに黙ってしまう。
「や……やったぞ。おとさん、やったぞ。大地、吾郎……!」
「茂野から3打数1安打で……1
「だ、代表……こりゃあ本田は化けるかもしれませんよ」
球団代表と管理部長は予想していなかった結果に驚きと期待を持っていた。
ホームランを打たれて落ち込む茂野と
────本田茂治 引退を回避。30歳にして第二の野球人生が始まる。────
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