〈ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー川上君に代わりまして、沢村君〉
九回裏、
彼は初回からアピールを兼ねてずっとブルペンで肩を作っていたのだが、そのチャンスは一向にやってこなかった。
相手は〝黒船〟ワールド高校。まだ一年生で経験も技術足りていない彼では、力不足となるのは目に見えていた。
しかし、今彼以外にピッチャー出来る者は他にいなかった。
降谷がレフトにいるためマウンドに戻すことも考えられたが、スタミナも消耗しており、そもそも降谷の速球に慣れてしまっているワールド高校ナインには打たれてしまう可能性のほうが高かった。
それであれば初見の沢村を出したほうが、
「沢村」
投球練習を終えた沢村の周りにはキャッチャーのクリスや、他の内野手が集まる。
「クリス先輩!」
「……いけるか?」
クリスは色々な意味を込めてその発言をした。
周りを見ると、全員が疲れた顔をしていたが、まだ諦めた表情はしていなかった。
「一つでいい。ここで丁寧に一つだけアウトを取るんだ」
「そうすれば俺達が絶対逆転してやるからよ」
追い詰められた状況でも決して諦めない姿勢に沢村は感極まってしまい、なぜか笑っていた。
(まだ試合を諦めていないんだ──それは絶対に
その笑顔に全員が心配そうな表情に変わるが、クリスだけは薄く笑い、キャッチャーミットで沢村の胸を軽く叩く。
「今必要なのは、お前のその強気な意思だ。俺を信じて、
「……はい! それしか取り柄が無いんで! やってやります!」
クリスに頼られているというのが嬉しかったのか、笑みを更に深めて大きな声で返事をする沢村。
そして、各守備位置に内野手が戻っていったのを確認した沢村は、後ろを向いて左手を掲げる。
「皆さん! あとアウト一つです! ガンガン打たせていくんで、よろしくお願いします!!」
この大声は彼にとって気合を入れるためのものなのか、緊張を紛らわすためのものなのかは分からない。
しかし、どうしても彼には必要なものなのであろうことは誰の目にも明らかだった。
〈八番ショート、ロイ君〉
ロイが打席に立つ。沢村は軽く息を吐くと、クリスのサインを確認する。
といっても、彼には
(川上の怪我に気付いてやれなかったのは、俺の責任だ。あの打球を手に受けて、まともに投げられるはずがない……それを甲子園が目の前まで来ているということだけで冷静さを失ってしまっていた。
だが、俺は……俺達は簡単に諦めるわけにはいかないんだ。沢村、まだ俺達に野球を続けさせてくれ……)
クリスは後悔していた。川上の怪我に気付いてやれなかったことに。
いつもの彼なら──いや、彼でなくても誰だって気付いてもおかしくはなかったのだ。
甲子園まであとワンアウト。この魔力と会場の熱気がクリスだけでなく、名将片岡の冷静さをも奪ってしまっていた。
「ストライク!」
『おいおい……なんだよ、コイツのフォーム……』
沢村も彼らの気持ちに気付いていた。だからこそ、落ち込んでいるであろう先輩達を慰めることも視野に入れつつマウンドに入ったのだが、そんな心配は杞憂だった。
彼らは戦線離脱してしまった川上のため、そして自分達のためにも必ず甲子園に行くのだという強い気持ちを忘れずに持っていたのだ。
それを見た沢村は笑うしかなかった。
「ストライクツー!」
「しゃああ! ナイスボール!」
「いいぞ、沢村ァ!!」
それならば自分に出来ることはただ一つである。
先輩のためなんて建前はいらない。今自分に出来る精一杯の
「ストライク! バッターアウト!」
ロイを三球三振でアウトにした沢村は、ガッツポーズをする。
まだ試合は終わっていない──この事実に青道ナインだけでなく、観客全員が歓喜の声を上げる。
大声を出しながらベンチに戻る沢村を、倉持と亮介が調子に乗るなと言わんばかりにツッコミを入れるが、それはいつものお約束なので誰も止めに入ることはなかった。
〈なんと! 一年生の沢村君! インコースに三連続ストレートでロイ君を三振に仕留めました! 今のはどうでしたか、茂野さん!〉
〈強気な気持ちがいいですね。川上君が怪我で戦線離脱してしまい、追いつかれてしまったこの状況では慎重になってしまうことも多いのですが、それはこの状況では弱気になってしまい、一気に勝負が付いてしまうこともありえますからね〉
〈なるほど! ピッチャーならではの視点ですね! 西東京大会決勝は延長戦へともつれ込みました!〉
まだ終わっていない。試合はこれからだ。
絶対に逆転をして、甲子園に行くのだという気持ちを一つにして、青道高校は十回表の一番打者からという好打順でスタートするのだった。
◇
「ストライク! バッターアウト! チェンジ!!」
「おいおい……」
「な……なんだよ、それ……」
十回表、一番の倉持から始まる攻撃。ピッチャーを何人も交代している青道と違い、ワールド高校は本田吾郎ただ一人で投げ続けている。
まだ高校一年生の彼は体力もきっと尽きてくるに違いない。これが逆転のチャンスだと思っていた。
しかし、それは無情にも打ち砕かれた。
吾郎は多少の疲れは見えるものの、球威の衰えはほとんど見せず、倉持、亮介、伊佐敷を三者三振に仕留める。
倉持や亮介はバントを使ったりして、なんとか塁に出ようと画策したのだが、
「こ、これが……ワールド高校だってのかよ……」
「あのピッチャー、化け物かよ……」
青道ファンの観客達は涼し気な表情でベンチに戻っていく吾郎を見て静まり返り、絶望の表情を浮かべていた。
まだ負けていない。これから逆転するのだ。そういった気持ちを一切吹き飛ばすような無慈悲な投球を見せつけられたのだった。
しかし、そんな中でもまだ諦めていない者もいた。
「まだ終わっていない! この回を抑えれば、我らが主砲! 我らが
それは先程の回でロイを三振に仕留めた沢村であった。
十回裏を抑えれば、結城、クリスに打順が回ってくる。これがダメでも、こちらが抑え続ける限り負けることはないのだと気持ちを切らすことはなかったのだ。
実際にそれは投球にも現れていた。
「ストライク! バッターアウト!」
「おいおい、青道の一年が連続三振かよ」
「こりゃあ、まだいけるんじゃないか!?」
沢村の気持ちは良い意味で周りに伝染する。それが勢いとなり、追い風となり、チームにとって良い原動力となっていた。
気持ちだけではない。彼がどれだけ練習を重ね、努力をしていたのかを数ヶ月ではあるが全員が見ていた。
だからこそ、彼が背番号を貰ったことに青道メンバーで不満を持つ者は誰もいなかったのだ。
そんな沢村でも負けたくない人物がいた。
それは青道高校に偵察を兼ねて乗り込んできた人物。
そして、先輩達を完膚なきまでに叩き伏せ、バッターとしても優秀さを見せつけていた人物。
沢村が待っていた彼は、ゆっくりとネクストバッターズサークルからバッターボックスへと歩いていく。
この試合でも活躍を見せており、同じ一年生の彼にだけは絶対に打たれたくないと沢村は思っていた。
その人物とは──。
〈一番センター、佐藤翔君〉