――Case.鋼夜
日本各地を流離い、のこのこと俺の領域に入り込んだ人間を食い荒らしていた過去。
相対する敵が格上だろうが格下だろうが、俺の態度は変わらない。
ずっとそうやって生きてきた。
死後であろうが、その生き様に変化などない。
そんな折、この俺の嗅覚に掠りもせずに突如として現れ――特殊な糸で捻じ伏せた者が現れた。
「降参するか、しないか。どっち?」
「なんだてめぇ、本当に人間か……!?」
ありえないほどに圧倒的な力。
抵抗すら不可能。
妖犬として500年生きた俺が、どこにいでもいそうな雰囲気の若い人間に倒される?
無様に殺される?
それこそありえない。
ありえる筈がない!
「心を入れ替えるなら見逃すけど」
「――――死にさらせッ!!」
身動き一つ出来ない。
配下として連れていた三匹もそこらで無残に転がっている。
腸がイキりたつ感覚。
背筋がざわついて、糸できつく縛られて零れた血が熱く燃え上がっていた。
人間如きがこの俺を見下すんじゃねえ。
弱ぇ癖に。
十匹単位でもなけりゃ狩りもできねぇ癖に!
「そうか」
そこから始まったのは、ただの蹂躙だった。
肉体的にも精神的にも俺を追い詰めることだけに神経を注ぎ込んだ拷問。
身体中の流血が止まらず、呻き声をあげることしかできない。
「ぐ、ぅぅぅうう!! ガァァァッ!!」
死。
……死だ。
死が近づいてきている。
500年振りに我が身に降りかかる死の気配に、歯を食いしばった。
まさか二度目の死という屈辱すら人間から与えられるなど――
「何か言い残すことはある?」
糞が、最後まで俺を見下しやがって。
本当に気にくわねぇ人間だ。
「死、ね……クソ……やろうが……」
死が間近に迫り、過去の出来事が走馬灯のように脳裏に巡る。
――生まれ育った山。
――俺たちの山で、銀露と駆けた日々。
――人間共に荒らされた俺たちの山。
――餌を求めて歩き回り、餓死した銀露の姿。
――怒りに任せて人間を襲い、殺されたあの夜。
――死後、未練を残して霊として、妖として山に戻り動物や人間を食い殺す日々。
――あの男の側についた裏切り者の銀露。
――銀露の懇願で見逃され、惨めに彷徨い続けた俺……
生きてる間も、死んだ後も、碌でもねぇ一生だった。
糞が……。
本当に、碌でもない。
…………ちくしょう、最後だけでも、帰りたかったなぁ。
俺たちの、あの山に――――
「行くところがないなら俺と来てよ、丁度手が欲しかったんだ」
――妖が好む常闇をそっくりそのまま瞳に移し替えたような男が、そう言って微笑んだ。
その時、俺は漸く気付いたのさ。
俺が相対していた敵の正体を、或いは男の中身を。
「よりにもよって鋼夜、アンタが人間に仕えてる姿を見る日が来るだなんてねぇ……」
「人間? ハッ、笑わせるなよ……どこの誰が、人間だって?」
「そりゃ勿論、時祓以外に誰がいるのさ」
「俺は人間に頭を垂れた覚えはねぇ! アイツが例外なだけだ」
「鋼夜、この時代そういうのってツンデレって呼ばれてるらしいよ」
「つん……? 訳わかんねぇこと喋んな銀露」
「だーから、今のあたしには時守様がくださった斑尾という大変素晴らしい名前があるの!」
「うるせぇぞ銀露」
あのクソ野郎が人間だなんて笑わせる。
銀露も他の連中も、脳と目が正常に機能してねぇんじゃねえのか?
ずっと近くにいたんだろうが。
気付かないか?
アイツは人の皮を被った、とっておきの化け物だ。
だから一応、形式的にだけでも従ってやっているだけだ。
ただそれだけだ。
……ふん。
――Case.間 時守
「師匠、その……絶界? という術、師匠はどうして……」
「ん?」
「……いえ、なんでもありません。それよりも修行の続きをお願いします」
深夜の烏森見回りを行う時祓くんと正守くんを上空から眺め、見下ろしながらふと思ったことがある。
そういえば私、墨村・雪村など数多の人々に結界術を含めた術、まじないを教えはしたが、〝間様〟〝時守様〟〝結界師殿〟と呼ばれるだけだったな……と。
「無駄がなくなってきてコントロールも上達してるね、流石俺の弟子だ」
「はい!」
私、結構色々教授してきたつもりだけど……。
一回も……。
なかった……。
「丁度良くもう一匹来たね、さっきのを実践してみようか」
「了解です、師匠」
師匠って呼ばれたことないなぁ……。
なんとなく良い響きだな、師匠……。
……でも、守美子くんも時祓くんも、私から教えられることはないしな……。
「ナイス、正守。上出来だ」
「はいっ師匠!」
……。
「先程からなんなんですか、開祖殿」
「――バレたか」
「バレますよ、それは」
白い鳩を象った時祓くんの式神が、何時の間にか私の肩に降り立っていた。
これくらいの距離ならば実時間で通信出来るという機能が搭載されているが、地上にいる時祓くんを見てみても、式神が話す内容と彼の口が連動していない。
まさか地上の彼が式神だとは思わないが、彼が作った本気の式神ならば私でも見抜けないだろう。
「腹話術です」
「君は大道芸人が向いているんじゃないか?」
「やれるとは思います」
「実に君らしい返事だ。興味はないんだな」
「何か御用ですか?」
「ああ……いやぁ、あはは」
本当に大した用事はなくて。とは言い辛い。
彼は私を相手にしている時のみ、妙な威圧感を醸し出してくる。
それに少しばかり困っていて――警戒している所でもあった。
「……君と正守くんは、良い師弟関係だと思う」
「弟子に恵まれているだけですよ」
「それでだが、あー、一つ聞いてもいいかな」
「はい」
「一度も弟子たちから師匠と呼ばれていなかったことについ先程気が付いたのだが、私はそんなに師匠という顔をしていないのだろうか?」
「成程、そのようなことを考えていたんですね。ご安心ください、人の善意につけこんで阿漕な商売をしてそうな胡散臭い顔ですが、非師匠顔というわけではありませんよ」
「……そうか」
私は胡散臭いのか……。
というか私のことそんな風に見ていたのか、時祓くん。
少し傷ついたぞ。
――Case.墨村 正守
最初は優しいお隣さん。
次はとても強い雪村家の結界師。
その次は、父さんを差し置いて母さんととても親しい人。
更にその次は……。
「君が今生きているのは何の為?
方印? 烏森? その前に、君はあの二人に愛されて望まれたからこの世に産まれてきたんだよ。
烏森如き、気にするな。俺だって正守はただ生きてるだけで嬉しいんだから」
道を示してくれた、師匠。
「絶界……か」
師匠から教わった、自分の負の感情を高めることで生み出されるという高位結界。
色々と悩み事の多い君にピッタリだと言われた。
今でもそれには納得していない。
……それは一先ず置いておいて、絶界だ。
俺の力量ではほんの少しだけ、身体に纏う程度しか作り出せない。
未熟な俺がこれくらいしか実現できないのは、仕方ないと分かってはいるものの……。
息を吸って、吐く。
深く集中して、自分の周りに絶界を形成していくこの感覚を忘れないうちに物にする。
「俺と君の母さんには、絶界は作り出せないんだ」
引っかかっているのは、俺に絶界を教えたあの日の師匠の台詞。
(なぜあの二人が出来ないんだ……)
師匠も母さんも、俺なんかよりもずっと高度な結界術を扱えるのに。
まだこの程度しか使えないが俺でも片鱗は掴めている。
しかし、師匠はそもそも作り出せないと言った。
「……まさか二人とも、負の感情がないとか?」
無意識に口から零れ出た言葉。
それを首を振って否定した。まさかそんな人がいる筈がない。
二人とも穏やかで静かな人だから、絶界を形成するほどの負のエネルギーが足りていないだけだ。
たまに意地悪してくるけど。
おやつとか奪って、取り辛い場所まで持っていったりするけど。
メロンクリームソーダのサクランボを、一口頂戴とか言ってくるけども!
つむじを押すと身長が縮むらしいとか言いつつ、押してきたりするけれども!!
「――あっ」
予想外の所で、絶界の規模が大きくなった。
こんなことを望んでいたわけじゃないのに……クッ、あの二人のせいだ!
動画パートが終わったら他視点を投稿すると言ったな……あれは嘘だ。
ぽちぽちしていたら、分量が思いの外溜まったので投下。今後もこんな感じです。
(追記)正守の部分に少し追加。