――Case.1
正守は眉根に皺を寄せ、悩んでいた。
正当継承者への渇望。
力と権力への憧れ。
烏森という土地に抱く狐疑。
実家で暮らす内に感じる、どんなに薄まろうとも決して消えない居場所の無さ。
家族にそのようなつもりがないことは分かっている。
だから、これは全て己の問題なのだ。
青二才である自分が己の精神を律しきれていないという証左。
空間を支配する結界師たちの中で唯一絶界を得手とする、悪感情の塊。それが己だ。
所詮、己の性根などそんなものなのだ。
あの家族に生まれたたった一つの劇物、それが自分であり……そんな自分だからこそやり遂げられることがあると、そう信じたかった。
――裏会という全国の異能者を統括する裏自治組織に入り。
――真っ新な環境にて自分の知恵と力で伸し上がって地盤を固め。
――強欲な連中が烏森に下手な手出しなどできぬように権力を手に入れる。
墨村正守、十五歳。烏森学園中等部三年生。
将来を考える年を迎えた正守が打ち立てた目的であった。
最低限、義務教育は修了させる。
中等部の卒業式が過ぎたら、直ぐに裏会に潜り込もう。
そういう計画を組み立てていた。
しかし……一つ、彼を踏み留ませる要素が存在した。
その要素とは、海外で神佑地の委託調査を担い普段は留守にしている、正守の師匠の事を指す。
丁度本日帰国することとなっており、隣の雪村家に戻ってくるのだが……。
正守はいまいち彼の本質を掴みきれないでいた。
悪い人ではないし、墨村と雪村は対立関係にあるというのに雪村の彼は墨村の正守に何の見返りもなく懇切丁寧指南してくれた程の人だ。
しかし彼はなんといえばいいか……とにかく不思議な人だった。
まるで雲のようにふわふわしている割に地に足はついていて、だが目を離した隙にあっという間に何処かへ消えているような、そんな掴みどころのない男なのである。
その人物の名は雪村時祓。
正守と同じく、方印が浮かぶことのないままに烏森を守る使命を持った結界師である。
「それで、話って?」
正守が悩んでいたのは、己が考えたこの計画を師がどう受け止めるか判別不能であるからだ。
あっさり頷きそうでもあり、きな臭い噂も多い裏会の懐に入り込むのは控えろと引き留めてきそうでもあり。
脳内でごちゃごちゃと考えているだけでは前にも後ろにも行けない為、こうして彼に時間を空けてもらい、誰にも知らせずに二人だけで話せる空間を作り出して貰うことを決めた。
彼が本気で自分を引き留めようとしてきたら……もしそうなったら、素直に実家から出るのは諦めるという心積もりで、師と対面して話を切り出した。
「良いんじゃないかな、そういうのも」
――結果はあっさりとした、あっさりすぎる返事だったが。
「止めないんですか」
「俺にそんな権利はないのが第一。後は正守の覚悟を感じたのと……」
「感じたのと?」
正守は身を乗り出して師の発言を待った。
「……君って、良い子だよね」
「いきなりなんですか!」
「真剣に自分で考えて決定したことなのに、他人の意見を聞いて翻す可能性があるなんて、俺じゃ考えられないからさ」
「馬鹿にしてますよね」
こめかみに筋を浮かべながら正守は頬を引き攣らせる。
そんな弟子の姿を見た時祓は相も変わらず微笑みを浮かべたまま、首を振って否定した。
「単純に凄いなって思ってるだけだよ、俺は誰にも言わずに出て行ったから」
「……え? 出て行った、って、師匠が!?」
顎が外れんばかりに大口をあけ、時祓を見上げる正守。
「そうそう。当時は俺も若かったからさぁ、俺よりも強い妖を探しに行くだなんつって世界中を飛びまわったんだよ」
「…………俺をからかってますか? 語学が堪能で海外にも伝手があるから調査の仕事が回されたという話は聞いてましたけど……」
「言葉を学んだのもコネを作ったのも家出中の時だからね、当時十三歳」
「……マジですか」
「本気も本気、大マジ~」
眉間に手を当てて天井を仰ぐ。
人畜無害そうな顔をしておいて、まさかそんなことを仕出かしていたとは思いもよらなかった。
「烏森を守るのは良いんだけど、それじゃ自由に外に出られないでしょ? 成人した後だと色々と責任追及されるから、子供なら甘くみられるだろうと……今ならいける、今だからこそ行け! なんてね」
「ただ突発的に出ていくならまだしも責任問題まで熟考して飛び出す中一は最悪です」
「だよね、俺もそう思う!」
「貴方はまったく……」
脱力して背筋が曲がってしまった正守だが、先程まであった肩の力までも自然と抜かれていたことには気付かずに溜息を吐く。
「ま、俺は自由に動いたわけだからさ、そういう意味でも君を縛る権利はないわけだ。だから、君が本気でやりたいと言うなら俺は止めないよ」
「……はい、今の話を聞いて改めて思いました。俺も、師匠の姿勢を見習って自由に動きます」
「うん、頑張れ正守」
正守と時祓は向き合って笑いあい、頷いた。
「一応聞いとくけど、裏会にも仲良くしてる奴もいるし紹介した方が良い?」
「いいえ、まずは自分の力でいけるところまでいってみます」
「OK。でも困ったことがあれば頼ってね、裏会の人達は社会に適合する術を持たないはみ出し者ばっかりだからさ、若くて力がある正守ならイジメとか嫌がらせとか絶対されるよ」
「異能者であっても人は人ですね、随分としょうもない……まあ、どうしようもないことがあったらお願いします」
「任せなさい、君は俺の弟子だからね」
「はい、師匠」
――Case.2
「ただいま」
「うえっ!? か、母さん!?」
「えっお母さん!? お母さんが帰ってきたの!?」
玄関の扉を開けた途端に騒がしくなる家中。それは至って何時も通りの反応なので、守美子はなにも気にせずに自室へ向かって荷物を置き、リビングに移動した。
そこには既に夫である修史がお茶を用意して座って待っている。
「ただいま、修史さん」
「おかえり守美子」
ガヤガヤと相変わらず騒がしい子供二人を横目に、守美子は修史が淹れたお茶で喉を潤す。
良守からはもっと定期的に家に帰ってこいという催促、利守からは良い点数をとったテストを見てほしいという懇願。
それぞれに対応にしつつ、厳つい表情で腕を組んでいる己の父へ目を向けた。
「例の仕事についてですけど」
「……なんじゃ、今ここで話すようなことか?」
「ええまあ、皆も耳にしておいた方が良いかと思って……」
「え? なに、なに?」
「またあの仕事の話かよ……未熟な俺たちには話せないことだとか言っといて、今更なんだ?」
今現在家を出て働いている長男を除いて勢揃いした家族の意識が自分に集まっていることを確認し、守美子は口を開いた。
「時祓が担当していた仕事が落ち着いたから、私と合流して同じ仕事をすることになったの。それで今後は私と時祓が入れ替わる形で交互に家に帰ってくるわ。以前よりも多く帰宅できると思うから、吉報でしょう?」
リビングがシンと静まり返り、壁に設置された時計がカチコチと鳴る音だけが響く。
最初に我に返ったのは大黒柱の繁守だった。
「お、終わったって、なら外の調査が――」
「お母さんなんで時祓おじさんといつも一緒なの!?」
「本当にちゃんと帰ってくるんだろうな!?」
「こ、こらこら皆! 守美子が困ってるだろう、深呼吸して!」
「あらぁ……」
ぎゃあぎゃあガヤガヤワイワイざわざわ。
喧騒を巻き起こす家族に、頬に手を当てて首を傾げる守美子。
「それで守美子、これからはどれくらいの周期で帰ってこられるの?」
「時祓と話し合ったんだけど一先ず一週間毎にしたわ。変更も有り得るけれど、一応ね」
「そっか、それは本当に吉報だね。子どもたちも喜ぶよ」
「二人同時に帰ってくるかもしれないし、二人同時に家を空けることもあるから……あんまりハッキリとは言えないの、ごめんなさい」
「気にしないでよ。僕たちは君と時祓が二人にしか出来ない仕事を頑張ってるんだって、ちゃんと分かってるから」
修史と守美子の会話中キョロキョロと視線をうろつかせていた利守は、机を叩いて立ち上がる。
「お父さん!!」
「どうしたんだい、利守?」
利守はキッと目つきを鋭くさせ、父である修史に力強く指差した。
「お父さんは怒らないの!? お母さんと時祓おじさん、二人っきりだよ!?」
「えっ、怒る?」
「おじさんが母さんと二人っきりだとなんかあんのか?」
「良兄はバカなの!? 時祓おじさんって絶対お母さんのこと好きじゃん!!」
「へぁ!!?!?」
(時音に想われてんのにその上で母さん狙ってんの!!? なんて奴だ!!!)
「いや、時祓は守美子のことが好きだろうけど、そういう意味じゃ……」
「やっぱり好きなんじゃん!!! ダメだよお父さんキッパリと態度で示さなきゃ、『守美子は俺のものだ、お前には渡さない!』って言ってきて!!」
「だから恋愛感情じゃなくって二人は幼馴染や結界師として……」
「お父さんしっかりしてよー!! あの人ずっと独身だもんずっとお母さんに片想いしてるんだよおおお!!!」
「と、利守、近所の人に聞こえるからもうちょっとボリューム下げ、」
「こうなったら僕がジカダンパンしてやる!! お母さん時祓おじさんの現在地教えて! 僕の式神送るから!!!」
「式神をそんな事で使うでないわ馬鹿者ぉ!! この耳年増め!!」
「……?」
目前で次々と繰り広げられる話し合いを守美子は終始首を傾げて見守っているのだった。
「ああ良守、アンタは後で道場に来なさい。どれぐらい育ったのか、この目で確かめるから」
「ほぁ!?」
エイプリルフールなので初投稿です。