ルド大陸転生記   作:ぱぴろま

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プロローグ

イカマン、ハニーにフリーダム。それときゃんきゃんだったか。

そんな名前の、モンスター達がこの世界にいると耳にしてから、俺の中の疑念は確信に変わった。

 

ああ。ここ多分ランス世界だわ。

 

 

 

 

俺が前世の自分の記憶が戻り始めたのは、物心がつき始めるのと同時だった。それもすぐに戻ったのではなく、ゆっくりと、数年かけて俺は前世の自分を取り戻していった。当初は自分がおかしいとは思わず、前世で知った今世で知り得ないことを漏らしていたために、周りの人間には気持ちが悪いものを見るような目で見られるようになっていった。仕方ない。自己が確立していなかったその頃は、自分のことで精一杯で、周りのことなんて見えてはいなかったのだから。もちろん、自分自身がどういう境遇にあるのかも。

 

両親兄弟は当たり前のようにおらず、貧乏な村の村長の家で、奴隷のような生活を今世の俺は強いられていた。どうしてそんな状況にあったのかはそれこそ知る由もなく、現状を理解し始めた頃に家の人間に聞いては見たものの、罵声とともに殴られて終わりだった。それ以来俺は無駄口を叩くことは止めた。

 

前世の記憶がなければ、俺は自分の境遇に疑問を持たず、本当の奴隷になっていたことだろう。日がな一日与えられた仕事をこなし、食事は鍋に残った残り物。残り物もない日は隠していた木の実や水で飢えをしのいだ。食べ物を隠していることを知られれば、家人にしこたま殴られ奪われたが、こればかりは生きるために止めるわけにはいかなかった。

朝は井戸の水汲みや薪割り、朝食の支度。昼は家から追い出され、ノルマを終えるまで森で木の実やキノコなどの食べ物探し。終わって帰れば夜まで洗濯や家の掃除、夕食の支度に内職などの雑用が待っている上に、帰るのが遅くなればやはり殴る蹴るの折檻が与えられる。

そうしてへとへとぼろぼろになって、家人が寝静まり誰もいなくなった居間で、ぼろぼろの布にくるまり眠るのだ。

 

前世の俺は、大して強い人間ではなかった。それこそ精神的にも肉体的にも、平均でいけば弱者に数えられるだろう。そんな俺が、これらの苦行に正気で耐えられるはずがない。いつしか俺は感情を鈍らせ、ただ従順に日々を過ごすようになった。逃避こそが俺にとっての唯一の救いだったのだ。

 

だからこそ、俺は俺が今いる世界がどういう世界なのか、気づくのに遅れた。

レベルやアイテム、魔法やモンスター、そんな言葉が当たり前のように交わされる中で、前の世界とは違うのだろうなとは思っていたが、ルドラサウム大陸であることに気づいたのはモンスターの名前を聞いたからだった。

前世ではまった、『アリスソフト』の看板タイトル、ランスシリーズ。同様のモンスターは他タイトルでも出現するが、ルドラサウム大陸であることは間違いないだろう。

何の世界であるのか気づいた俺は、別に憧れのゲームの中の世界に来れた、とかで喜びはしなかった。むしろあったのは奇妙な納得。なるほどあの世界ならそう簡単に幸せになれるはずがない、今の俺の不幸はありふれたものなのだと、そう思ったのだ。

 

例え今世の俺が女になってしまっているのだとしても、この世界では小さな不幸なのだと、自分に言い訳して。

 

例え思春期を迎えた村長の馬鹿息子連中に性的な悪戯をされても、エロゲーの世界なのだからきっと仕方のない事だと諦めて。

 

夜、必死で汲んだ井戸水を覗きこめば、見返すのは痩せぎすの、虚ろな目をした茶髪の少女。なるほどよく見れば可愛らしい顔立ちをしている、と考えながら日に日にエスカレートする行為の痕を洗い流す日々。

少なくとも生きているだけマシなのだと、俺は考えて生きていた。どんな苦行でも、心を沈めることに慣れればそよ風のようなもの。いつか転機が来るとか、考えていなかったと言えば嘘になるが、俺はそんな空虚な毎日を過ごしていた。

 

 

 

 

そうしてある日。俺が、おそらく10歳になるかならないかの頃。森の、木の切れ間から覗いた、村から立ち上る何本もの灰色の煙に、俺は何かが変わったのを感じた。

 

 

 

 

抱えていた木の実を放り出し村に戻ってみれば、少なくとも見た目だけはのどかだった村はすっかり様変わりしていた。粗末な家々は煌々と燃え上がり、それらに住んでいた村人達は惨めな骸を晒していた。そして、未だどこかで響く悲鳴と怒号。まだ生き残りがいるのだろう。

だが、俺の足はそこで竦んでしまった。いや、放心して動けなくなってしまった。

その時あった感情は、自分も殺される恐怖か、苦難から開放される歓喜か、日常が唐突に壊されたゆえの驚愕か。とにかくあらゆる感情が俺の頭のなかをごちゃまぜにかき回し、その場に縫い付けてしまった。

 

 

「おぉい、まだいたぞ」

 

 

突然はっきり聞こえた声に、身体を震わせる。

声のした方を向けば、そこには二人の男がいた。粗末な皮鎧を着た、見慣れぬ男達。そして、双方ともにその姿は返り血に赤く染まっていた。手に持った剣からはぽたぽたと血が滴り落ちている。

 

「ひっ」

 

思わず尻もちをつき、後ずさる。

 

「お? 野暮ったいのばっかりだと思ったら、良さそうなのがいるじゃねぇかよぉ。ひひひ」

「だがまだガキだ。勃つのか、こんなので」

「はぁ? 小さのがいいんだろぉ? なぁ、毎回、初めてのところに、無理やり突っ込むのがたまんねぇんだよ。苦痛に歪む顔と、悲鳴だけで暴発しちまうぜぇ?」

「ふん、下衆が。俺は向こうの成熟してる奴を犯らせてもらう」

 

そう言いながら、片方の男は悲鳴の聞こえる方向へと歩いて行った。残った男は舌打ちをしながら吐き捨てる。

 

「ちっ。テメェも大して変わんねぇじゃねぇかよぉ。……さてと。邪魔者はいなくなったぜぇ」

 

男は下卑た笑いを浮かべ、地面に手をつく俺を見下ろした。目が合いそうになり、慌ててそらし、そして膨らんだ股間が目に入ってしまったためにさらに目をそらす。

 

「い、い」

「お?」

「……ああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

起き上がることすら満足にできず、俺は文字通り転がるように男の前から逃げ出した。手も足も、身体も無茶苦茶に振り回し、俺は必死に男から離れようとした。しかし所詮は子供、筋力も歩幅も、大人に敵うわけがない。ましてや俺は栄養失調気味の不健康不良児。振り絞った全力も、その男の遊び混じりの駆け足すら引き離せない。

 

「おーい。どこ行くんだぁ? 待てよぉぉぉ。ひ、ひ、ひ」

「はぁっ、はぁっ、んっ、げほっ……!」

 

まるで夢の中に居るようでもあった。家屋を燃やす炎は辺りを朱色に染め、ゆらゆらと蠢き。後ろから迫る男の声はどれだけ走っても付いて来る。足は恐怖でもつれ思い通りに動かず、こけないようにするのが精一杯だった。

心臓はバクバクと、爆発しそうなほど高く脈打つ。視界は涙で歪み、鼻は鼻水でつまり、喉は慌てて飲み込む唾でむせ返る。

 

「ひぃっ、ひぃっ……!」

 

それでも、走ることは止めなかった。諦められなかった。

あの馬鹿息子達の無体は、耐えることができた。だが、この男はダメだ。行為そのものは耐えられても、きっとその後殺されてしまうだろう。弄ばれる時間で、どれだけ生きられるかは変わるだろうが、いつ死ぬかの差でしかない。

 

(イヤだ! 死にたくない!)

 

どれだけ酷いことをされても、死ぬことだけは嫌だった。死んでしまえば、今度こそ終わってしまう。前世の死に方など覚えてはいないが、恐ろしいものであることは分かっていた。

 

「死にたくっ……くぁっ!!」

 

しかし、天は俺を見放した。というより、この世界の天に見守られたところで、逆に不幸にしかならないだろうが。

村人の死体に躓き、呆気無く俺の逃走劇は終わりを告げる。ただ気力だけで保っていた体力は、足を止めたことで底を尽いてしまった。もう一度走る元気は、もうない。

 

「ひひ、ひ、ひ。追いついたぞぉぉ? さぁ、俺といいことしようぜぇ」

 

男は、ヘラヘラと笑いながら俺に近づいてきた。俺の足はガクガクだというのに、男の足取りに淀みはない。逃げ切ることなど、端から不可能だったのだ。

 

それでも、俺は諦められなかった。

 

「おぉ?」

 

男が、立ち上がった俺を見て、そして俺の手元を見て立ち止まり、嘲笑った。

 

「おいおいぃ? そんなもんでどうするつもりだぁ?」

 

俺が掴んだのは、一本の剣。

村人達も、どうやら無抵抗で死んだわけではなかったらしい。俺が蹴躓いた村人の死体は、剣を持っていたのだ。俺は、それを手に取り立ち上がった。

だが、男の嘲笑も仕方がない。何せ、俺のガリガリの腕では剣を持ち上げることすら出来ず、剣先は地面を引きずっていたのだから。

 

「ほらぁ、そんな危ないもんはこっちに渡して、俺と楽しく遊ぼうぜぇ」

 

男は再び、無防備に近づいてきた。

 

「ハッ、ハッ」

 

俺は疲労と恐怖と焦燥に呼吸を乱しながら、しかし逆に心の中は冷静にタイミングを測っていた。人は、感情が振りきれてしまうと、心は逆に平坦になる。それが、この時はいい方向に働いていた。それに、剣を持った瞬間から俺は奇妙な安堵を覚えていた。これで助かると、そんな確信に満ちた安らぎを。

 

剣を持った手に、全神経を集中させる。剣を使ったことはない。しかし、使い方は分かる。なぜ分かるか、そんなことはどうでも良かった。

 

「ひひひ」

 

今は、この男を、斬ることだけーー!

 

 

「――ぁああぁぁあぁぁっ!!」

 

 

ザンッ

 

身体を落とし、捻り、最小限の力で剣を持った腕を振り子のように真一文字に振るう。剣は、手からあっさりとすっぽ抜け、カラカラと遠くへ転がった。

 

「えぁ?」

 

だが、もう不要だ。

 

「お、お、おぉぉぉぉぉ?」

 

男の上体が、ばりばりと音を立てて下半身から剥がれ始めたのが、目に映ったから。

 

 

 

 

「お、ぇっ! げほっ!」

 

状況がわからずバタバタともがいていた男が動かなくなってから、俺は力いっぱいえずいた。とはいえ胃の中はいつもほとんど空っぽなので、胃液ぐらいしか出てこない。

 

「く、くひっ」

 

げほげほとむせながら、しかし俺は笑った。

 

「ふひ、あは、あはははははははははははははははははは」

 

別に狂ったわけではない。助かったことを喜んでいるわけでもない。

ただ、気づいたのだ。自分が“誰”なのか。

 

普通に考えれば、小娘の細腕で、成人男性の身体を両断することなど、できるはずがない。ましてや俺は剣の経験もなく、筋力など同年代の子供以下。どうひっくり返っても、男の体に傷一つつけるぐらいのことしか出来ない。

しかし、ここはルドラサウム大陸。才能、レベル、システムという名の残酷で不条理な仕組みが、常識をあっさりと覆してしまう。

 

俺は、確かに見たのだ。俺の振るった剣が、僅かとはいえ、発光していたことが。

 

「あれは、紛れも無く“必殺技”……!! ということは」

 

ということは、俺は間違いなく“剣戦闘Lv2”持ち……!

Lv3などと、高望みはしない。そもそも、この世界では技能Lv2を持っているというだけで既に反則に近い。

そして、それだけの才能を持っているということは、おそらく。

 

「こいっ、レベル神!!」

 

俺はある種の確信を持って、叫ぶ。果たして、俺の推測はあたっていた。

叫んだ瞬間、俺の目の前の空間が光り、光の中から赤い人影が現れたのだ。

 

「やぁ! 君とはハジメマシテだね? 僕は君担当のレベル神、名前はーー」

 

俺の前に現れた赤い道化師は、芝居がかった仕草で腰を曲げる。

 

「“マッハ”さ」

「……はは。あはははは」

 

本当に、皮肉だと笑うしかない。レベル神がついていたのは嬉しいが、それがよりにもよってコイツとは。

 

「おや。何が可笑しいんだい? 仕事柄、笑わせるのはともかく、笑われるのは性に合わないなぁ」

 

その“仕事”って、レベル神として? それとも、本職? と聞いてみたい気もしたが、俺は首を振ってその考えを飛ばした。こいつらが人の考えを読めるかどうかは謎だが、少なくとも余計なことを言うのは分が悪すぎる相手だ。情報は最上の武器だが、持ちすぎていれば自分を危険にさらす諸刃の刃でもある。コイツにはさっさとレベル神の仕事を全うさせて、帰ってもらうのがベストだ。

 

「どうでも、いいから。早く、レベルを」

「えぇっ! ……はいはい、せっかちだね娘さん。もう少し会話というものを楽しんでもいいんじゃないかい?」

「うるさい。むしろ、あんたの方が名前のくせにトロすぎ」

「ははっ! これは一本取られた。それじゃ、いくよ。……ちちんぷいぷい……ぶらぶらぶーらぶらー……すぅぅぅぅ、ほぉおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

呪文はこの上なく奇っ怪なものであったが、効果は覿面。俺の身体は瞬く間に強靭なものへと昇華された。元々のレベルが低かったためか、違いは顕著。これなら持てなかった剣も、持つことができるだろう。

 

「おめでとう! 君は経験豊富と見なされ、レベル4に上がったよ!」

(それでも4、か……よっ、と)

 

マッハの言葉を聞きながら、俺は軽くなった身体を動かして下半身と泣き別れしてしまった男の上半身から、剣をいただいた。案の定、苦もなく、というわけではないが剣を持ち上げることは一応出来た。自在に振り回すことは出来ないが、少なくとも持って歩くことぐらいならできるだろう。

 

「もう、帰って」

「おっと。つれないなぁ、もう少し話していかないかい? 僕は君に興味があるんだけど……」

「……」

「分かった分かった! 分かったからそう睨まないでくれよ、君が睨んでも可愛らしいだけだよ?」

 

ちっちっちと指を振りながら、マッハはそんなことを言いやがる。俺は舌打ちし、マッハを無視して悲鳴に嬌声が混じり始めた方へと足を向けた。

 

「あっとそうだ」

 

マッハが何か言っているが、俺は構わず歩を進めた。

 

「実際、君には期待しているんだ。頼むから簡単には死んでくれるなよ? どこから来たかも分からない名もなき漂流者クン」

 

そして俺は反射的に振り向きざまに剣を振るう。

しかし、それは呆気無く空振りした。赤い道化師の姿は、もうどこにも見えなかった。

 

(ちっ)

 

悪手だった。

仮に当たったところで、レベル4の攻撃が、仮にも神たるレベル神に通るわけがない。怪我どころか、痒みにすらならないだろう。あそこは反応しないことが正解だった。あれでは何かあると言っているようなものだ。

とは言え、どちらにしろ向こうには言葉尻から確信が見て取れた。この世界にいるのは、異世界人や宇宙人の類を除くと全てルドラサウム、創造神の魂の一部。異世界の魂であるはずの俺の存在が、神の手を全く介さずに転生したとは考えにくい。

 

(歯痒い……)

 

だが、それが分かっていても俺には何も出来ない。お伽話の登場人物が、作家の意向に逆らうことが出来ないように、俺と連中の間にはそれだけの力の差がある。どれだけ強くなろうと、覆しようのない、存在レベルでの隔たりが。

ならば、精々踊ってやるぐらいしか生き残る道はないだろう。

 

(踊らされるのは性に合わない……けど)

 

けれどそれ以上に、長いものには巻かれろ主義は前世も今世も変わらない。そうでなければ俺は、あの横暴な家人達に唯々諾々と従ってはいなかったはずだ。

 

「折角解放されたというのに……憂鬱」

 

剣を半ば引きずるようにして、俺は止めていた歩みを再開した。

 

 

 

 

村の中をはびこる盗賊達を排除するのは、思ったよりも簡単だった。

何せ、誰も彼もが一心不乱に腰を振っているのだから。見張りも立てず情事に耽ける彼らを、俺は有無を言わせず首をちょん切り頭をかち割り。少しずつその数を削っていった。

予想以上に、この世界のシステムは残酷だ。盗賊の数は、見たところ圧倒的に村人よりも少ない。それでいてこれだけの虐殺、破壊、略奪が出来たのだ。装備や対人戦闘の経験差を加味しても、普通ならそううまくはいくまい。それらが出来た理由に、レベル差があったであろうことは想像に難くない。おそらく村人達のレベルは1~5。上がる要素がないのだから、仕方のない事だ。そして盗賊達は5~10といったところだろうか。これほど低いレベル帯なら、このレベル差は致命的。村人達はほぼ為す術なく殺されていったことだろう。

しかし俺は、高技能レベルという反則でもってそのレベル差も年齢差も経験差も叩き潰した。これを不条理と言わずしてなんと言おう。

 

おそらく全ての盗賊を殺し終えた時、俺は気づけば自分が居着いていた家が見えるところまで来ていた。他の家よりも少しだけ大きいその家は、やはり他の家同様赤々と燃えている。

 

「……」

 

家の前には、何かが5つほど転がっている。

前村長。他人に厳しく、自分に甘い人間だった。この人自身に何かされた記憶はないが、ネチネチと言葉で責め家人をけしかけてくるのはいつもこの人だった気がする。

今は臓器がお腹からコンニチハしている。

村長夫妻。夫の方は、責任能力が欠如した人間だった。自分が何か失敗すれば大抵俺の所為にされ、それでいてそれを自覚せず、本気で俺が悪いのだと考えていた。

今は手足がサヨナラして達磨になっている。

妻の方は、とにかく情緒不安定な人間だった。ヒスに入った時、標的になるのは確実に俺である。多分俺のお陰で村長一家はそこそこ円満家庭だったのだと思う。

今は左胸辺りで剣の柄がゴメンしている。

馬鹿息子兄弟。弟の方は、とにかく我儘な子供だった。振り回されるのはいつも俺、弟の代わりに叱られ殴られ罵られるのもいつも俺の役目だった。

今は首と股間がセルフキッスしている。悪趣味。

さて兄の方は。兄の方はとにかく俺様な人間だった。俺に手を出したのも、言うまでもなくコイツである。コイツが俺の初めての相手だというのも納得いかない。コイツにされた、あるいは強要させられたあんなことやそんなことやこんなことやどんなことが今更ながらに思い出される。

今は……。背中を切りつけられているらしい。

 

「ぅ……」

 

俺の耳に小さな呻き声が届く。どうやら奴はまだ生きているらしい。

俺は奴の方に歩を進めた。と、奴はどうやら俺に気づいたらしい。朦朧とした目つきで、何かしゃべっている。近づいていくと、途切れ途切れながらそれが聞こえてきた。

 

「い……た、ぃ……す、けて……れ…………ス……ア……」

 

はて。この距離ではまだよく聞き取れない。俺は足を動かし更に奴に近づいた。

 

「たす、け……くれ、……ア」

 

あと数歩というところまで近づいたところで、奴はツバを飲み込み何かを言った。

 

「じ、実……は、おれ、は……お前のことがーー」

 

あと一歩というところまで近づいたところで、俺は思わず剣で奴の眉間を貫いた。瞬間、奴の言葉は途切れ、弱々しい光を保っていた瞳も光を消した。

 

はて。奴は死ぬ直前一体なにをいおうとしたのだったか。おれにはまったくけんとうもつかないしきょうみもない。

 

俺は奴から剣を引き抜き、ただぼぅっと虚空を見つめていた。

 

 

 

 

「よぉ、嬢ちゃん」

 

そんな声が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってからだった。俺は素早く声の方へ振り向き、剣を構えた。まぁ構えたと言っても、剣先は地に付いているが。気づけば。周囲の家屋の炎はほとんど鎮火していた。どうやら思ったよりも時間が経っていたらしい。

 

「おっと、俺は怪しい者じゃあない。しがない冒険者だ」

 

俺が振り向いた先に立っていたのは、壮年の男。俺が殺した盗賊達とは隔絶した雰囲気を纏っていた。装備は盗賊のものと比べても遥かに質が良く、仕草は雑に見えるがどこか洗練されていて、下品さを感じさせない。そして何よりも、目の前の男は俺や盗賊達よりも遥かに強い、それが俺には分かってしまった。

俺は身体から力を抜き、剣を手放した。少なくとも、男から敵意や悪意は感じない。ならば、こちらからの余計な敵意はむしろ俺自身を傷つけることになるだろう。

 

「ふぅ、嬢ちゃんが冷静で助かる。」

「……」

 

それでも警戒を解くことは出来ず、俺は男の一種一投足をじっと観察していた。男はそんな俺は気にする風でもなく言葉を続けた。

 

「俺はこの辺りには初めて来たもんでな。煙を見つけた時はそういう風習があるのかと思っちまったんだがな。まあ元々こっちに用があったし、一応と思ってこの辺りの様子を見に来たんだが。来てみればこの有り様なわけだ。別に盗賊に襲われる村が珍しい訳じゃない。今の御時世、どこもかしこも不景気ってやつだ。盗賊も、な」

 

男はおどけて肩をすくめる。男が何を言いたいのか分からない俺は、ただ黙したまま男を見つめていた。

男はそこで意味ありげな視線を俺に向ける。

 

「だが、来てみて盗賊が全滅ってのは珍しい。それも、俺みたいな冒険者もなしで、な。ここまで来る途中、生き残りの女は数人見かけたが、どいつも戦えるようなやつじゃぁなかった。そんじゃ、盗賊を殺ったのはどこのどいつだろうな?」

「……」

「どの盗賊も、ほぼ一撃。それも争ったような形跡はなかった。これは、ほとんど不意打ちで殺されたってことだろう。さらに傷は後ろからではなく前からのものもあった。殺ったやつは、武器を持っていながらも油断させられるような外見をしていたのだろうな。さて、どうだ。間違っているか?」

「……別に。間違ってない」

 

俺は渋々答えた。カマをかけているにしても、男の指摘は的確すぎる。俺の手札がほとんどない現状で、誤魔化しとぼけ嘘はリスクが高いと考え、俺は観念した。

男の反応を予想し縮こまる俺を見て、しかし男は朗らかに笑った。

 

「なぁ嬢ちゃん。俺と来ないか?」

「え……?」

「いや何。嬢ちゃんにこの村は窮屈だろう? ……もうほとんど滅びてしまっているしな。少なくとも俺は、嬢ちゃんがこのままでいるのはもったいないと思う」

「あ……」

「世界は、広いぞ。なに、別に冒険者になれと言っているわけじゃないぞ。嬢ちゃんがどうしたいかは、嬢ちゃん自身で決めればいい。ここにいるよりも、選択肢は多いだろうよ」

「……」

「どうする、嬢ちゃん」

 

リスクの、問題だ。俺がこの村を出ること自体は、既に俺の中で決定事項である。そこに今、選択肢が生まれたのだ。すなわち、一人で行くか、男と行くか。

だが、俺はほとんど迷わなかった。この世界には、今の俺では到底敵わないモンスターや人間が五万といる。そんな中で、一人で行動するのはあまりにも危険すぎる。

そしてそれ以上に、俺はこの男を何となく信じられていた。

だから俺は、ほどなく首を縦に振った。

 

「うん、行く」

「そうか!」

 

男は嬉しそうに破顔し、俺に大きな手を差し伸べた。……今世では、ついぞ見た覚えのないとても暖かそうな手だった。

 

「嬢ちゃん……おっと、いつまでも“嬢ちゃん”だなんて言ってられんな。嬢ちゃん、名前は、なんて言うんだ?」

「名前……」

 

俺の、今世での名前は。

 

「名前、は」

 

俺は男の手を取りながら、答えた。

 

「スピア」

 


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