「……ここは、どこだ?」
それが彼――伊藤浩一が、ラクシアで初めて発した言葉だった。
彼が辺りを見回すと、そこには大勢の男たちと湯気を立てる大量の料理に酒があった。
天然の洞窟を根倉にしているのだろう。床や壁にむき出しの岩肌が見て取れる。粗末な木材で作られたテーブルが並べられ、燭台に火が灯り洞窟を照らしている。
「アンッ、何だ、テメェはっ!」
「頭、角に翼、コイツ、ドレイクですぜ!」
「何! クソッ、殺されてたまるか! 野郎ども、剣を出せ! 殺っちまうぞ!」
無精ひげだらけの顔に黄ばんだ歯を威嚇するように見せつけ、さっきだった視線を男たちが浩一に向ける。数は四十ほどだろうか。
皆が皆使い込まれた革鎧に、無骨だが実用一点張りの片手剣を装備している。射手や新入りも混じっているのか、構える姿がおぼつかない者もいるが大半の者は熟練者であることがうかがえた。
数人いた酌女は男たちが剣を抜くと青ざめた顔で部屋の隅に駆け寄り、身を縮こませ円を作り震えている。
そして、そんな元凶を作り出した張本人である浩一は、戸惑っていた。
だが、そんな迷いに答えを出す時間は与えられることなく、いくつもの剣戟が彼を襲う。
戦いを経験したことがない人間が突然巻き込まれたとしたら、どんな行動を取るか? 大半の場合は逃げの一手だろう。やぶれかぶれで攻撃に転じるほど、人は無謀ではない。けれど、四方を囲まれ逃亡を防がれた状態となると、話は変わってくる。選択肢があればこそ人は最も安全な道を選ぶが、そうでないとすれば答えは違う。すなわち、抗戦だ。
浩一は戦どころか、喧嘩すらしたことがない。普通に考えれば人数の差もありすぐに、死体へと変わるだろう。しかし、幸か不幸か、現状は普通とは逸脱している。
その証拠に浩一の眼前には死体が転がっている。同士打ちや、未知の兵器を使用したわけではない。ただ、拳と足を振り回した、その結果である。
浩一は迫り来る幾筋の刃を前に、拳をふるい、蹴りをくりだした。それは攻撃というよりは防御、いわば威嚇のようなものだった。
だが、常識はずれの筋力に敏捷度から放たれるそれは、殺傷を可能にする凶器として存在していた。
音が響く、水がたっぷりと詰まった水風船を思いっきり、地面に叩きつけたような破砕音だ。およそ、人体から聞こえるようなものではないそれは、悪夢のような光景を作り出す音色としては適切だったのかもしれない。
なにせ、肉体が破裂し、噴水のように血液を上げるオブジェが出来上がっただから。
高名な舞台が始まる直前の、楽しみに息を飲むような静謐が場を支配する。誰もが理解できなかった。目の前で起きた事象があまりにも荒唐無稽で馬鹿げていたから、言葉も思考も置き去りにしていた。けれど、芳醇なワインににも似た生臭い臭気や、頬に触れた赤いぬくもりが現実というものをあざ笑うように告げていた。――惨劇が始まったのだと。
「ウォォォオ! テメェ、殺りやがったな!」
誰かが声を上げる。正確に記すならば上げずにはいられなかった。そうしなければ、体の内から少しでも恐怖を吐き出さなければ、指一本動かすことすらできなかった。
「よしっ、行くぞ! 野郎ども!」
「オォォォォオッ!」
勇ましい雄叫びを上げ、男たちが動き始める。逃げるという選択肢はない。相手は蛮族、その上ドレイクだ。人族の宿敵といっても過言ではない相手が情けを施すわけがない。そんな思考に囚われた男たちは、勝目がないとわかっていても特攻するしか道はなかった。
悲劇だったのは浩一と男たち、二者の間に選択肢がなかったことだろう。お互い恐怖に縛られ考えが閉じた状態では、ただがむしゃらに、たとえ間違いだったとしても、正解と思える道を進むことしかできなかった。
音が響く、何度も、何度も、何度もだ。
そして、その度にオブジェが増える。死体ではない。物言わぬ物体だ。
短いような、長いような、永遠とも刹那とも終える時間が流れると、男たちはどこにもいなかった。脅え涙を流す酌女達と、一人のドレイクだけが生きていた。
手と足を血に染め、その端正な顔に驚きを貼り付けたドレイクだけが立っていた。
ピクリとも動かぬドレイクを不審に思いながらも、好機と見た女たちが走り去ってもドレイクは何かをなすことはなかった。
やがて、舞台が終わり、満足した観客が去ったあとに残る余韻のような静けさが漂う中、ようやくドレイクは動き出した。
生臭い血の匂いに据えた胃酸の臭いが混じり、嗚咽がしじまを壊す。
ドレイク――浩一は、膝をつき涙を浮かべ嘔吐していた。