【完結】我が名はヴォルデモート卿   作:冬月之雪猫

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第三話『暗黒の時代の静かなる始まり』

 ダイアゴン横丁の一画で幼い少女が魔法界の玩具を専門的に扱っている店を目指して走っている。

 

「パパ! ママ! はやく!」

「走らないの!」

「エマ! ちょっと待ってくれ!」

 

 元気いっぱいな娘に振り回されている両親。実に微笑ましい光景だ。

 

「おっと」

 

 少女は父と母を急かす為に後ろを向いていた。だから、前を歩いていた老人に気づかなかった。

 

「きゃっ!」

 

 小さな悲鳴を上げる女の子に老人は「おやおや、すまないね」と謝った。

 少女の両親が慌てて駆け寄ってくる。

 

「コラッ! ダメじゃないの!」

「うちの娘が申し訳ありません」

「いえいえ、元気があって大変よろしい」

 

 好々爺然とした彼に両親はホッとした表情を浮かべている。

 

「それではワシはこれで……っと?」

 

 老人は急に倒れ込んでしまった。父親が慌てて支えようと手をのばす。すると、父親は僅かに目を見開いた。

 

「だ、大丈夫!? おじいちゃん!」

 

 娘は倒れてしまった老人を心配している。

 

「大変! すぐに治療出来る場所に連れて行かないと!」

 

 母は杖を取り出した。

 

「いや、大丈夫だよ」

 

 父は言った。彼の言葉通り、老人はすぐに起き上がり、何事も無かったかのように歩き去って行った。

 ポカンとした表情を浮かべる母娘に父は微笑みかける。

 

「転んでしまっただけのようだね。怪我も無かったみたいだ。それより、玩具を見に行くんだろう?」

「……うん!」

 

 父は娘の頭を撫でながら母と共に歩き出す。

 幸福な日常は何事もなく続いていく。

 

 第三話『暗黒の時代の静かなる始まり』

 

 ヒースガルド家は純血ながら、名家という程でもない中流階級の一族だ。

 当主であるヴィルヘルムは特に野心もなく、家族と過ごす平穏を心から愛する男だった。

 妻のセレナも夫の在り方に好意的で、娘のエマも同様だった。

 

「ハリーと同い年の少女。突出したものもなく、大衆に埋もれる程度の存在。実に理想的だ」

 

 ヒースガルド邸に帰ってくると、父は愛する妻と娘に呪詛を施した。

 魔法界を牛耳る為の大事な第一歩として、丁寧に作業を進めていく。

 

「エマ。ママの事を愛しているかい?」

 

 父は娘に問う。

 

「……パ、パパ?」

 

 娘は怯え切っている。見た事もない父の冷たい顔と虚ろな表情を浮かべる母の間で視線が泳いでいる。

 父は母に杖を向けた。すると、母は悲鳴を上げた。

 

「ママ!?」

 

 苦悶の表情を浮かべながら泣き叫ぶ母を見て、娘は父に縋り付く。

 

「やめて! ママに何をしているの!? パパ!」

「やめて欲しいかい?」

「当たり前でしょ!? パパ、どうしちゃったの!? なんで、ママにひどい事をするの!?」

 

 娘の言葉に父は微笑む。

 

「君に素直になってもらう為だよ、エマ。服従の呪文や洗脳を使うとダンブルドアに気づかれる恐れがある。だから、君には君のままでいてもらう必要があるんだ」

「……なにを言ってるの?」

 

 不安そうに瞳を揺らすエマに父は笑顔を向け続ける。

 

「そうだね。君にも一度、ママと同じ体験をしてもらおう。その方が、理解も深まる筈だ」

「……え?」

「や、やめて! ヴィル!!」

 

 拷問を受けて憔悴していた母は父の言葉に恐怖の表情を浮かべながら叫んだ。

 けれど、父は母の言葉を聞き流した。

 

「いくよ、エマ。しっかりと心に刻むんだ」

 

 そう言って、父は娘を拷問に掛けた。

 全身をくまなく釘で打たれたような痛みが走る。紅蓮の業火に焼かれ、氷に閉じ込められ、吸うべき空気を失い、酸の海に沈められた。

 狂ったように悲鳴をあげる娘に母は狂乱し、父に殺意を向ける。

 

「ヴィル!! やめなさい!! 今すぐに!!」

 

 鬼のような形相だと父は肩を竦めた。

 

「やめなさい? 誰に命令しているんだ?」

 

 父は母の頬を叩いた。

 その間も娘に対する拷問は続いている。

 成人した大人でも耐え難い苦痛に晒されて、九歳のエマの髪から瞬く間に色素が抜けていく。

 歯を一本ずつ引き抜かれ、爪を剥がされ、指を折られる。

 臓物を獣に喰い荒らされ、汚物を腹に詰められる。

 鼓膜が破れるほどの音が延々と鳴り続け、指一本動かす事の出来ない人形の檻に閉じ込められる。

 それらはすべてが幻影だ。クルーシオという磔の呪文。拷問に特化した闇の魔術の一つだ。

 

「セレナ。貴様とエマは俺様の役に立てるのだ。光栄に思うべきなのだ」

「……誰なの?」

 

 この時になって、ようやくセレナは気づいた。

 目の前の男は格好こそ夫と同じだけど、その中身は明らかに異なっている事に。

 変心したのではない。この男は別人だ。

 

「ああ、崇めるべき者の名を知りたいと思う事は当然だな。よく、その心に刻むがいい。我が名はヴォルデモート卿。それが貴様の主人の名だ」

「……うそ」

 

 ヴォルデモート卿。その名を知らぬ者などいない。

 言葉として発する事すら恐ろしい、闇の帝王の名だ。

 嘗て、暗黒の時代を築いた魔王が目の前にいる。その事にセレナは恐怖した。

 

「俺様はウソを言わない。貴様も俺様を疑う事は許さない。その事をまずは確りと躾けてやろう」

 

 母と娘の悲鳴が重なる。彼女達の絶望が新たなる暗黒の時代の始まりを告げる。

 娘はヴォルデモート卿の為に働く事となる。その腕には印が刻まれ、反抗的な態度を取れば母親が拷問を受けた。

 同い年の子供達が外を駆け回る間、彼女は知識を詰め込まれた。覚えが遅ければ母親が拷問を受けた。

 逃げようとすれば、母と共に拷問を受けた。

 

「子供らしく笑顔を浮かべるのだ、エマ」

 

 泣く事も禁じられた。自然な笑顔を仕込まれた。出来なければ拷問を受けた。

 寝ている間も母の叫び声が聞こえてくる。狂いそうになれば薬を飲まされる。

 ヴォルデモート卿の期待に応えられた時だけ、彼女と母親は人に戻れた。

 それが二年続くのだった。

 

 ◆

 

 エマを仕上げる合間にヴィルヘルムの肉体を使って魔法省内部にも仕掛けを施した。

 誰も知らない通り道を作り、誰も知らない部屋を作る。

 いずれ魔法省の高官に据えられる可能性の高い人材を見繕い、彼らの魂に印を刻む。

 その一方で、ダニーを筆頭としたダドリー軍団にも働いてもらった。マグルの子供だからこそ警戒されずに事を運ぶ事が出来た。

 魔法界の情報を秘密裏に流し、来たるべき時に爆発するように火種を仕込んでおく。

 ハリーの肉体も年相応のものに仕上がってきている。

 

「首尾は上々だ。残り一ヶ月といった所だな」

 

 ハリーの11歳の誕生日が近づいて来ている。

 その前後にホグワーツからの招待状が届く筈だ。

 

「……っふ、俺様とした事がセンチメンタルな気分に浸ってしまったな」

 

 ホグワーツ魔法魔術学校はヴォルデモート卿にとっても特別な場所だ。

 マグルの孤児院で鬱屈した日々を送っていた彼をダンブルドアが迎えに来た。

 あの時の感情を今でも鮮明に覚えている。

 悪夢からの解放。本当の自分を見つけた高揚感。未来に対する希望。

 

「ダンブルドアさえ殺害すれば、後はどうとでもなる」

 

 嘗ての戦いの日々を通じて分かった事がある。

 ダンブルドアだけなのだ。彼以外に脅威となる存在などいない。

 むしろ、アレが異常なのだ。手段を選んでいる癖に手段を選ばない者と拮抗出来るなど、常軌を逸している。

 

「だが、勝利は我がものだ。先手を打っている以上、後は詰将棋に過ぎない」

 

 時が満ちていく。その日が近づいてくる。

 一羽のフクロウが手紙をポストに投げ入れた時、運命が動き出す。

 世界を滅ぼす魔王は世界を救う英雄の顔で手紙を開き、迎え人を招き入れた。

 

「よう、ハリー! 元気か?」

 

 まるで縮尺を誤ったかのような巨体を縮こませながら嘗ての同級生が笑顔を向けてくる。

 ルビウス・ハグリッド。

 彼の前で悪しきマグルに虐げられる純粋無垢な少年を演じながら、ヴォルデモート卿はやれやれと溜息を零した。

 彼らとの関係性から怪しまれる可能性を避けるためとはいえ、アラベラ・フィッグの前でも同じようなやり取りを繰り返してきたが、その為に頭が痛くなる思いだ。

 バーノンやペチュニアに自由意志など残していない。彼らの罵声はヴォルデモート卿自身が考えたものであり、まさしく人形劇なのだ。

 その間抜けな真実をハグリッドは見抜けない。そういう男なのだ。愚かでウスノロで見たものを見た通りに信じ込む。例外があるとすればダンブルドアに何か吹き込まれた時だけだ。

 だから、簡単に騙される。バーノンに激昂し、ヴォルデモート卿に同情する様は実に滑稽だ。

 

「ハリー。お前さんは魔法使いなんだ」

 

 笑わないように耐える事がとても大変だった。


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