『誠の恋をするものは、みな一目で恋をする』(シェイクスピア)
突然だが君は恋をしたことはあるだろうか。部活で人気だったあの娘、隣に住む幼馴染のあの娘はたまた近所のお姉さん…振り返ってみてほしい。もちろん、「そんなのねぇよ!!!」ってやつもいると思うが、これから先にできると思うから気にすんな。
ここで重要なのは思い浮かべた人のほとんどは何かしらの積み重ねがあって好意が生まれたってことだ。優しくしてもらったとか話すと楽しかったとか他にも色々あると思うがそんなとこである。ここで問題になってくるのは一目惚れだ。十数年生きてきて一目惚れについての考え方を述べるなら、それって顔しか見てないじゃん…である。少女漫画じゃあるまいし、一目見て赤の他人を好みのタイプだなと思うのはまだしも恋愛的意味で好きになるなんてのはにわかに信じがたい。
…と数日前の自分に恋愛観を語らせれば言うだろう。
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彼女に会ったのはまさに偶然であった。
その日は一年を通しても稀に見るような快晴の日である。あまりにもいい天気だったので柄にもなく近くの山にハイキングに向かった。お出かけ日和だったからか山には多くの人が訪れておりとてものどかに登れるような雰囲気ではなかった。そこで俺はとてもはファミリー向けとは思えない山道を登っていくことにした。
なれないことをしたからか数十分登ったころには息が完全に上がり動きが取れなくなった。ここで愚かなのは動きやすい服装以外の準備を忘れ、飲み水を持ってこなかった自分自身である。
「あの…大丈夫ですか?」
チリン、と心地よい鈴の音がした。
彼女を見た時の感想は一言で表すのは難しい。容姿を伝えるなら身長はそれほど高くなく大きな釣り目に小さな口、三つ編みに結ばれた黒髪はくるりと一周巻いてわっかを作ってあった。さらに特徴的だったのはその服装、ノースリーブの黒いチャイナ服、頭には自分の掌を大きく開いた時よりもさらに一回りは大きそうな鈴が二つついていた。
色々というべきことはあったと思う。しかしそんなことは彼女を見て完全に抜け落ちていた。まさに一目惚れであった。
「好きです。付き合ってください。」
「え…嫌ですけど…。」
俺はふられた。俺は泣きながら山を下った。
しかし諦め切れなかった俺は下る前に軽く引く彼女に名前と週に一度あの山を鍛錬に使っていることを聞いた。
帰ってから何故もっと段階を置いてから話を進めなかったのか、あれでは悪く言えば不審者、良くてナンパ野郎がいい所である。そんなことを考えてさらに泣いた。
とりあえず次に会うときに息が上がりまくっているなんて状況にはならないように明日からランニングと筋トレを始めようと決意した。
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その日は非常にいい天気であった。鍛錬には雨が降っているくらいがちょうどいいと思う私ではあるが、偶にはこんな日があっても悪くはないなと気分よく山を登ることにした。
しばらく登っているとまさしく迷い込んだハイキング初心者といった男が肩どころか全身で息をしながら立っているのが見えた。いつもなら無視して自分の鍛錬に集中するところであるが天気の影響もあってか、人助けと思って声をかけることにした。
「あの…大丈夫ですか。」
彼の顔を覗き込む形で声をかけるとぎょっとしたような表情をした後そのまま氷のように体が固まった。かなりの静寂があった。失礼な奴である。大丈夫か、と声をかけてやっているのだから大丈夫だとまでは言わなくても相槌くらいうつべきなのではないだろうか。
そう思っていると彼の口がようやく開いた。
「好きです。付き合ってください。」
今度は自分が固まる番であった。今この男はなんと言ったのであろうか。聞き違いでなければ好きだ、と言ったような気がする。安否確認に対する返答ではない。
不審に思いもう一度男を見てみると目を見開いた状態で私の返答を待っていた。悲しいことに聞き違いではなかったらしい。私はとんでもない男に声をかけたとさっそく後悔した。
「え…嫌ですけど…。」
勿論だが断った。答えを聞いた男は明日にも世界が終わるような顔をしていた。
どうして今日偶然出会ったような男の告白にOKを出せようか。顔自体は悪くはないが、そもそも私はそういう恋愛ごとに興味がない。今日だって気分が良かったから声をかけただけで、いつもなら気にすら留めない。もっと強くなって戦うこと楽しみに生きているような私である。
「冗談が言えるようならまだ大丈夫そうですね。この先はさらに険しくなるので引き返したほうがいいですよ。」
「あ…あの…、趣味でこの山に毎日登ってるんでしょうか!」
男は半泣きであった。よくこの流れでその話題がふれるなと逆に感心したくらいである。
「週に一度鍛錬で使っているだけです。毎日は登ってません。」
つい勢いに流されて私もバカ真面目に返事をしてしまった。そもそも今は鍛錬の途中である。大して困っていない以上この男に付き合う必要はない。
「もういいですか?先を急ぎたいんですけど。」
「えっと…最後にお名前だけ…お聞きしても…。」
先ほどとんでもない男に声をかけたと思ったが勘違いであった。
こいつは私があってきた人間の中でもぶっちぎりでやばいやつらしい。どう考えても名前を聞くタイミングではないであろう。まだ最近噂でよく聞く怪人というやつらのほうが話がしやすそうである。
「…リンリンです…。」
これ以上聞かれないように名前だけ言って山を登ることにした。何かまだ言いたそうにしていたがそんなことは知ったことではない。こんないい天気なのに心は曇で覆われているような気分であった。
もうこの山使うのやめようかな…。切実にそう思った。
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「リンリンさん!好きです!付き合ってください!」
「嫌です。鍛錬の邪魔なんで帰ってくれませんか。」
ふられた回数を数えるのは十回を超えてからやめた。悲しくなってまくらが毎晩びしょびしょになるからである。
俺は初めて彼女と会った日から山登りにランニング、筋トレを欠かすことなくした。週に一度彼女を見かけて告白してもそもそも足すら留めてくれない。彼女を山頂までそのまま追おうとしても追いつけないどころか岩場を進むことすらできなかった。彼女を見ていると一度のジャンプで俺の三倍は高く飛び岩場も息を切らすことなく登っていく。明らか人間業ではなかった。それでもどうにか彼女に追いつこうと毎日必死で山を登った。彼女にできるなら自分にできないことはあろうか。それに最後まで登り切ったら彼女が待っているような気がした。
もちろん妄想である。
我ながらかなりきもいと思った。
だが、その努力が実を結び彼女が鍛錬をしている広場のような所までたどり着くことができた。なおここまで、約数か月かかった。
たどり着いたとき彼女は非常に驚いた顔をしていた。久々に彼女の顔を正面から見たような気がする。横顔も良かったが、正面から見る彼女はまたなんとも言えない良さがあった。
「貴方も懲りないですね。いい加減諦めるということを覚えたらどうなんですか。」
久々にちゃんと話しかけた彼女はあきれるようにそう言った。
そういえばここまで自分が何かを必死に継続してきたことなどあっただろうか。勉強もやるとはいっても徹夜づけがいいとこであった、得意教科は平均よりも高く、苦手教科は平均を下回り。スポーツもせいぜい下手くそとは言われないくらいで部活でやっているような連中にはてんでかなわなかった。辛いことをわざわざ続けなくてもそこそこの評価が貰える、死ぬまでこんな感じなんだろうなとその時は思っていたような気がする。
だが、そうはならなかった。彼女に会えることを思うと毎日のトレーニングは全く苦にはならなかった。まるで魔法にでもかかったような気分である。
そんなことに思いを巡らせていると続けてリンリンは口を開いた。
「それで、ここまで来てどうするんです。
「じゃあ、その鍛錬手伝わせてください!!!」
この間コンマ一秒。何も俺はただ数か月無心で山登りをしていたわけではなかった。というのも、彼女との交流を
「…いいですよ。ちょうど組手の相手を探していたので。」
「やっぱりダメですよ……今なんて?」
「いいです、といったんです。貴方が言い出したんでしょう、それともやっぱりやめますか。」
「いえ、やらせてください!」
「それと敬語はやめてもらえませんか。貴方のほうが年上でしょう。すごく違和感があります。名前も呼び捨てで構いませんので。私も貴方に気を遣うのは面倒くさくなってきました。」
有無を言わせない目つきであった。目線だけで熊も殺せそうである。
「わ、分かった。よろしく。リンリン」
「よろしく……えっと…名前なんだっけ。」
「レイジだ。」
「そ、レイジね。覚えとく。」
この後の組手で俺はぼこぼこにされた。
リンリンの武術ははっきり言って素人の俺が目で追えるレベルじゃなかった。掌鈴拳というらしい。帰り際にダメ元でリンリンの好みのタイプを聞いてみると、私より強い人と言われた。はたして自身の三倍も高くジャンプできる人間よりも強い男がいるのかは甚だ疑問ではあったが…。
俺は好きな娘のことをほとんど知らなかったのだと思った。
とりあえず帰ったらこの町にある一番大きい道場を訪ねてみよう。
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あの日から数か月あの男はとうとう私が鍛錬している広場までたどり着いた。
何度も山道で見かけそのたびに告白してきたが、もういっそ気に留めないことにした。私は鍛錬のためもあってかなり険しい道を通っている。私のところまで来るにしてもかなりの重装備が必要だろうしそうなると私の移動速度には追い付けないであろう。そのうち諦めてこなくなるだろうと踏んでいたのだ。
しかし、一向に諦める気配がないことに三か月ほどして気づいた。週に一度気まぐれで来ているこの山に来ると必ずあいつがいるのである。ここまで来るとストーカーではないのかと思ったこともあった。しかし、見ているうちにだんだんと私についてくるようになってくるのが面白くなってきた。正直ここまで来れると考えてはいなかった。
今まで私に拳法を習いに来たやつもたくさんいたが、皆口先ばかり、そのうちだれも私についてこなくなった。戦うための技を磨いているのだから苦しいのは当たり前である。なのに、やれ辛いだの優しくしてくれだの、彼らは何を習いに来ているのかと疑問に思った。
その点この男はあきらめが悪かった。今までの奴らより才能はないが根性がありそうだと思った。最初はただのナンパ野郎かとも思ったが…案外話してみると面白いかもしれない。もし、諦めずに私のところまで来れたら話くらいは聞いてやろうかという気分になった。
「リンリンさん!好きです!付き合ってください!」
登っての開口一番であった。ここまで来るといっそすがすがしいとさえ思う。
「嫌です。鍛錬の邪魔なんで帰ってくれませんか。」
つい流れで強く否定してしまった。話をしてみようと考えていたのにである。必死でここまでたどり着いた相手に強く言い過ぎたかもしれない。
「貴方も懲りないですね。いい加減諦めるということを覚えたらどうなんですか。」
なぜか考えていることと逆の答えが出てくる。もしかすると、傷ついてもうこの山にはこなくなるかもしれない。そう思うとうまく言葉が出てこない。
「それで、ここまで来てどうするんです。
ついつい相手を傷つけるような言葉ばかりが出てくる。そういえば最後にまともに人と話したのはいつだっただろうかと。最後に出ていった門下生は私に何と言ったのだっただろうか。そんなことが頭をぐるぐるとめぐる。そんな私の思考は彼の一言で断ち切られることになった。
「じゃあ、その鍛錬手伝わせてください!!!」
そう言って腰を直角に曲げて頭を下げる彼に目がいく。なんだかその時の私はものすごく変な顔をしているような気がする。
そのあとのことはよく覚えていない。彼の名前を初めて知った。長い間知り合いだったような気がしていたのに…。
私は私を好きな奴のことをほとんど知らないことを知った。
帰ったらもう少し話す練習をしよう…。