ムーンバックスを出た王小龍を追うイッシンはカランカランと小気味よく鳴るドアベルの下を通り抜けて外へ出た。岩盤を粗雑にくり抜いた地下空間とはいえ、昼夜照明システムと風力換気システムが稼働している【フラスコと硝煙の桃源郷】内部は外界とさほど変わらない環境を有しており、条件さえ揃えれば多種多様な植物だって育成可能なポテンシャルを秘めている。
しかしそれは偽りの自然でしか無い。本物の風を再現しようと人間が足搔いたところで足元にも及ばず、本物の昼を再現しようとすれば只の照明擬きに成り下がる。本物には本物たる所以が確かに存在しており、それが自然なら尚更だ。
イッシンはそんな感慨に耽っていた王小龍を見つけるや否や軽薄さを隠すこともせずに隣へ立つ。勿論、彼の背後で待機しているリリウム嬢へのこまめなアプローチも忘れない。『モテる男というのはこういう小さな楔を打つことが上手である』と長年イケオジが表紙の男性情報誌に書いてあった。まぁ全然無視されたのだが。
「――そんで話って? セレンを外したってことはミッション関係じゃないんだろ」
「
「……なんだよ急に」
「答えろ。どう見る」
彼にそう問う王小龍の両眼はいつになく真剣だった。普段の難題なミッションを押し付ける時に見せる嫌らしい策謀家の目では無く、一人の人間として本気で何かを憂いている時の目。今まで見せたことの無い眼差しに『この梟ジジイもこんな目が出来るのだな』と変に感心してしまったイッシンは、これに応えないのは男が廃ると考えて真剣に、かつ嘘偽りなく滔々と自身の率直な意見を述べる。
「俺が考えるにORCAってのは企業と表裏一体って感じだな。人類の未来を憂いたのは一緒、理想を掲げていたのも一緒、そのために邁進したのも一緒。違うのはその過程で腐ったか狂ったかだけだ。キッカケさえありゃORCAはドラクロワの女神に成り得たし、反対に企業は裏切りのユダに成り下がった可能性だってある」
「貴様から画家の名を聞くとはな」
「茶化すなよ……だからな、俺自身は、あくまで俺自身の考えは、
どちらも潰れればいい。これはイッシンが前世の頃抱いていた心からの感想だった。プレイヤーとして様々な
イッシンからすれば両極端過ぎることこの上ない。何故中庸を選べないのか。無論、中途半端な策は却って事態を悪化させる一因になるのはイッシンも理解している。ただ、それを勘定してもイッシンには許容出来なかっただけの話だ。
隣で聞いていた王小龍は彼の本音である暴論に嘆息を漏らすことはなく、かといって真正面から受け止めることも無かった。何故ならイッシンの想いは王小龍が過去に抱いた感情そのままだったからである。一度や二度ではない。若い頃は、それはもう恋い焦がれる乙女のように考え込んだものだ。確かにイッシンの言う通り企業は大きく成りすぎた。しかしそれと同時に、抱えなければならないものも多く成りすぎたのだ。
例えばGAグループのミサイル部門であるMASCインターナショナル。彼等がお遊びで開発した電子レンジが飛ぶように売れており、生産が追い着いていない状態だ。なので最近は日々の食事にも困るコロニーのストリートチルドレンを十分な衣食住と最低限の学習指導を交換条件に工場労働に従事して貰っている。児童労働と言ってしまえばそれまでだが、ストリートチルドレンにとってみれば勉強が出来て衣食住も保障され、成り上がれるチャンスのある千載一遇の機会なのだ。
そしてもし企業体制が崩れればMASCインターナショナルは瞬く間に倒産し、電子レンジの生産は中止され、ストリートチルドレンはまた食うに困る生活へ逆戻りとなる。下手をすればそのまま野垂れ死ぬかも知れない。
そう。企業は大きくなりすぎた。
「……貴様の言うことも尤もだ。だが肯定は出来ん。もし仮に貴様が企業を潰そうとするのなら、眉間に風穴が空くことを忘れるな」
「なんだよ。案外従順なんだな」
「理想と現実を秤にかけただけだ。貴様のような弁えない夢想家に皮肉られる筋合いはない」
「本音言っただけでそこまでディスる?」
一を言って十をこき下ろされると思って無かったイッシンは呆れたように反論の意思を伝えるが、王小龍はそんな些事など意に介すことなく歩を進め始めた。リリウムもその後に付いていく。
「明日の予定は追って伝える。それまで精々身体を休めておけ」
「悪口か
王小龍の素っ気ない対応にイッシンはいつものように他愛ない軽口を叩く。本来ならそこでやり取りは終了するのだが、何を思ったのか従者然としていたリリウムがピタッと足を止めた。
異変にいち早く気付き、どうしたのかと歩み寄った王小龍は彼女と小声で数言交わす。その後イッシンを軽く睨みつけてから彼は踵を返して再び歩き出した。どう見ても『うちの娘に手ぇ出したらどうなるか分かってるよな?』的な視線を送られたことに、どんだけ信用されてないんだと若干気落ちするイッシンだったが、そんなことなどお構いなしにリリウムがこちらにツカツカと向かってくる。
彼の目の前で歩みを止めたリリウムは、やはりと言った方がいいか、絶世の美女と言っても差し支えない容姿をしていた。乱れの無い絹糸のような美しい髪、快晴の青空を彷彿とさせる透き通った瞳、一面の銀世界から飛び出してきたかと疑ってしまうほど白い肌。利発的で鼻筋が通り、欠点らしい欠点が見当たらない黄金比を地で行く顔立ち。生粋のメイ・グリンフィールド派のイッシンですら一瞬グラついてしまうほどに完成された彼女は、王小龍に仕込まれたのか相手を
「爺さん抜きの二人きりってのは初めてだね。まさかリリウムちゃんから来るなんて。もしかして遂に俺ちゃんの内なる魅力に気付いちゃった?」
「――二度は言いません。今後
「ワオ。開幕速球ストレートは嫌いじゃないけど刺激が強すぎるかな」
明らかに険のあるリリウムの物言いに対してイッシンは柳に風吹いたように受け流す。普段から海千山千の陰謀家である王小龍と会話している彼からすれば、王小龍仕込みとはいえリリウムの眼光など『あっやっべ真剣な顔もめっちゃカワイイ』くらいにしか通じない。むしろ逆効果である。
リリウムもそれを分かっているのだろう。更に眼光を強めることはせず、一定の緊張感を醸し出しながら諭すような、懇願するような態度でイッシンを見据えた。
「……貴方が思っているより
「社交辞令だとしても嬉しい言葉だね」
「事実です。本日の
「………」
「口でこそ
そこまで言うとリリウムはクルッと身を翻して遠くの方で身体の小さくなった王小龍を追うように、かつ上品な歩き方を崩すこと無く彼の下からスタスタと歩み去る。イッシンがこの世界に転生してからというもの、女性から命令されることは多々あっても願われるというのはほとんど初めての経験だ。しかも誰もが認める超絶美少女からとあっては断るのは野暮天まっしぐらだろう。
「まっ、少しくらい感謝してもバチは当たんねぇか」
そう独りごちったイッシンは頭をポリポリと掻きながらムーンバックスに戻っていった。
いかがでしたでしょうか。
リリウムちゃんにあそこまで言われたら、そりゃあねぇ?
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