【フラスコと硝煙の桃源郷】 地下医務室
「治療出来ないとはどういうことですか!」
【フラスコと硝煙の桃源郷】はネクストを専門的に取り扱う卸売業組合だ。リンクスの要望によってその場でアセンブリだってするしチューンナップもする。もちろん翡翠色の絶望ことコジマ粒子の発生用ジェネレータの調整も例外では無い。一歩いや半歩でも間違えれば腕部パーツの下敷きやら内部電源への誤接触やらコジマ粒子の直接被曝やらに巻き込まれる、文字通り命懸けの職場である。
だから【フラスコと硝煙の桃源郷】の元締めであるカミソリ・ジョニーは事故が起こった際に迅速かつ最高の緊急治療を提供出来るよう私財を投じてまでこの医務室を設けた。大都市の中央病院に比肩しうる設備と医療体制を整えた此処が稼働して以来、毎年の平均死者が19人から2人にまで減少したことからも有効性は非常に高く、また医療レベルも相当に高いことが窺える。
そして清潔感溢れる一面の白い壁と四季折々の人工風景が投影されるモニターが設置されている点から、入院患者のメンタルケアにも力を入れていることは一目瞭然だ。
そんな最高レベルの医務室においてリリウム・ウォルコットはカミソリ・ジョニーに向けて声を荒げていた。普段の彼女からは想像出来ない焦ったような、悲しむような表情を見せる彼女の隣には、傷だらけの身体を治療したばかりの王小龍がベッドに身を委ねて静かに事の顛末を聞いている。
「一番の原因は先のプロメシュース戦に於けるAMSシンクロ率の急激な上昇だ。高齢かつコジマ汚染も受けている人間がこうなることは彼が一番良く分かっていたはずだよ」
「……
「つぎ接続したら間違いなく情報負荷と拒絶反応で中枢神経が焼き切れるだろうけど、それでも乗りたいなら止めはしないさ」
「――世話を掛けたな、カミソリ・ジョニー」
二人の話を無言で聞いていた王小龍が口を開いた。その口調は普段の老獪な嫌味ったらしいものではなく、純粋な感謝と少しばかりの敬意を込めた至極真っ当な言葉である。それを聞いたジョニーは僅かに微笑むと、王小龍の退院時期と医務室での過ごし方について軽く説明してその場を後にした。
残されたリリウムと王小龍の間に何とも言えない微妙な雰囲気が流れ始める。その原因がリリウムの自責による空気の緊張であることを彼は容易に推測することが出来た。自身がもっと強ければ
「言っただろう、戦場における最後の教練であると。元より刺し違える覚悟でプロメシュースに挑んだのだ。それがこうして命を繋げているのだから上等と言うほかないだろう」
「ですが……」
「だからリリウム。お前に私の席――BFF上級理事を継いで貰いたい」
「!?」
王小龍の口から出たあまりに突然で突拍子も無い言葉にリリウムは絶句してしまった。BFF上級理事の席を譲る。それはつまり王小龍自ら引退を宣言したようなものだ。しかし彼女には何一つ理解出来ない。今まで自分が
「無論、最初から一人でやれとは言わん。私もいわゆる相談役としてお前を支援するつもりだ」
「ま、待って下さい! そんな重要な事を急に言われても――」
「おい~っす。邪魔するぜ」
自身は
「何の用だ
「そう固いこと言うなって。悲劇の怪物退治に見事成功したおじいちゃんの祝勝も兼ねて結構奮発したんだぜ? 有難く受け取っておけよ」
「ふん。リリウム、
「……分かりました」
イッシンの言葉に憮然とした鼻息で返事をした王小龍はリリウムに目を向けると少しの退席を促した。それまで食い下がっていた彼女も現状況を整理するには丁度良い小休止と考えたのか、意外にもすんなりと受け入れて医務室を後にする。その時に振り返って一礼するリリウムの姿にイッシンは軽薄に輪を掛けたような表情でピロピロと手を振るが当然の如く無視され、若干ヘコんだよう素振りを見せながら王小龍のベッドに備え付けのテーブルにフルーツバスケットを置いた。
「やっぱ脈無しかぁ。俺、結構イイ線行ってるとおもうんだけどなぁ」
「寝言は寝て言え。リリウムと懇意になりたいなら貴様が永続的なランク1になり良家の品格を習得してやっとスタートラインだ」
「なにその否定はしないけど絶対無理な課題を突き付けて諦めさせようとする姿勢。だったら正面から否定してくれた方が気持ちが楽なんだけど」
「……それで、どこから聞いていた」
「え? あぁ。割と最初から。リリウムちゃんを後継者にするの、俺はアリだと思うぜ? 爺さんが引退するってのは意外だったけどな」
イッシンはおもむろにフルーツバスケットの中から色艶の良い美味しそうなリンゴを取り上げ、シャクッと新鮮さを際立たせる音を口元で奏でる。見舞いの品を自分で食べるヤツがあるか、と小言を言いたくなる感情を抑えた王小龍は自身のベッド横に投影された人工風景を見遣った。患者に不安を与えないための配慮なのか草木が生い茂った自然豊かな牧場の風景が映し出されており、なんとも
「後を任せられる人間がいなかっただけだ。それに、この戦争が終われば新たな時代が来る。そこに老人の席など不似合いだろう」
「退き際は心得てるってか。さすが
「さあな。皆目見当もつかん」
「リリウムちゃん出生の秘密」
「………何の話だ?」
イッシンの不穏な言葉に王小龍は数秒間ほど思案し、首を傾げた。全くもって意味が分からないといった様子の彼を見たイッシンは見当違いだったことを肌で感じながらも言葉を続ける。
「ORCAのメルツェルって野郎に聞いたんだ。リリウムちゃんにはヤバい秘密があるってな。だから嘘っぱちかどうか爺さんに直接聞きに来たって訳よ。ま、その様子じゃ担がれたみたいだけど」
「当たり前だ。リリウムは貴族であるウォルコット家の正統後継者だぞ。一応の身元確認のために私もリリウムの出生記録を閲覧したことがあるが何も問題は無かった。第一、貴族が血筋を重視する傾向にあるのは学のない貴様でも分かるだろう」
「なんで最後にディスんだよ。絶対要らなかったろ。……ま、爺さんが言うなら間違いないか。こんなのに付き合わせちまって悪かったな。とりあえずゆっくり休んでくれ」
頭をポリポリと掻きながらリンゴに
「
「? なんだよ」
「そのヤバい秘密とやらの詳細は聞いたか。場合によっては風評被害を防ぐために動かねばならん」
「あ~いや、詳しくは聞いてねぇな。勿体振った感じで何にも教えてくんなかったぜ?」
「……そうか」
そこまで聞くと王小龍は興味を失ったように視線を逸らし、また牧場が投影された人工風景を見つめ始める。イッシンもそれ以上の問答が無いことを悟ると、再び歩を進めて医務室を後にした。
「――言えるものかよ」
***
ツカツカと廊下を歩くイッシンは思案する。どうするかな。調印式も終わったしプロメシュースも撃退されたし。正直暇なんだよなぁ。支援企業持ちとは言え独立傭兵だからカラードから召集命令が来る訳でも無いし、だからって何もしないのも癪だし……。とりあえずムーンバックス行ってハイブランドコーヒーでもシバくか。そうだなそうしよう。
そう思い立ってルンルン気分で廊下の角を曲がったイッシンだったが、その先にいた集団を目にした事で急転直下に突き落とされる。
イッシンの目の前にいたのはダン・モロ、ドン・カーネル、そしてメルツェルの三人であった。ダンとカーネルがどことなく神妙な面持ちでいる中、メルツェルは一歩踏み出してイッシンに手を差し出す。
「やぁ、キドウ・イッシン。丁度きみを捜していた」
「……有難いねぇ。ORCA旅団の大参謀がわざわざ出向いてくれるなんて。後ろの二人は助さん角さんってところか。」
「その言い回しは分からないが、
同じ境遇。その言葉に後ろのドン・カーネルがピクリと反応する。……あぁそうかい。なんとなく気付いちゃいたけど、
「もちろん参加するぜ。最後の転生者さんよ?」
いかがでしたでしょうか。
おじいちゃんの引退、書いてて結構感慨深くなりました。まぁ高齢だし仕方ないよね。リリウムたん頑張れ。
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