わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
それは心から。
一年前の話だ。
正確には11か月と半月前。わたしは動画投稿・配信サイトでバーチャルライバーとしての活動を行っていた。
最大手ではないにせよ、そこそこの……中規模くらいの配信者グループに所属していた。していて、色々なことを……同じグループのみんなとやっていた。
やめた理由は単純。社会人になったから……なるから、である。当時は、なるから、という理由。
大学生だったわたしは企業に勤めることとなったため。ただそれだけの理由で、引退を選んだ。引退。引退。卒業か。わたしのいたグループは、学校という
素直に事情を打ち明けたら、グループのみんなも、わたしを好きでいてくれた人達も納得してくれたから、引き際としてはとても綺麗なものだったと思う。綺麗に、潔く。去年の三月に、わたしはVtuberを……配信者を卒業した。
わたしの……かつての名前。本名とは似ても似つかない、可愛い名前。
無論親からもらった自分の名前は好きだけれど……も、好きだけれど。同じくらい。この名前も、自分のものだと認識できるくらい、大切で大好きな名前だ。
わたしはこの名前で、よくエゴサーチをする。引退してもなお推してくれる人がいるのが、そのまま自己承認欲求に繋がるし、同時にパブリックサーチとして……わたしの大好きな可憐ちゃんを愛してくれる人がいるというのが、親心のようにうれしいのだ。
もちろん肯定的な意見ばかりではないけれど、それでもよかった。誰かの心にまだ可憐ちゃんがいる、ということが心地いいのだ。
ただ、最近。
多分、卒業から過ぎた時間が一年になろうとしているから、だろうけれど。
わたしの名前が上がる頻度が上がってきているなぁ、と感じる。かつての仲間たちの配信を見続けているから余計にそう感じるだけなのかもしれないが、いや、やっぱり、多くなっている。視聴者のコメントだけじゃなく、メンバーの口からも、わたしの名前が……しんみりと、出される。
嬉しいと思う。
半面で、"エモ"の材料にされているなぁ、と感じる。
卒業や引退にまつわる離別は、カタルシスを簡単に引き起こしてくれるある種のクスリだ。卒業者の名前を出すだけで場がしんみりするし、思いの丈を述べるだけで周囲に感傷を波及させられる。
感動はそれだけで評価を上げる。そんな、"エモ"の材料に体よく使われている、と感じるようになった。
別にそれを咎めるつもりはない。
可憐ちゃんはわたしだけれど、同時にかつての所属グループの一員でもある。ストーリーの途中で離別したキャラクターに思いを馳せる行為を誰が咎められようか。
……いちオタクとして、うん。それは"アリ"だな、と思う。
ただ。
──"あの子は、私達にとって……本当に可愛い妹のような存在だったから"
……絶対思ってないじゃん、それ。溜息に苦笑を混ぜながら、ヘッドフォンを外す。
画面の中の、かつての仲間。所属グループのメンバー。リーダーではない。メンバーの中ではクールポジション。歌が上手くて運動神経が良くて、知識量も豊富。しかしその口から飛び出る歯に衣着せぬ物言いは人によっては棘があると受け取られ、幾度となく小さな炎上……ボヤ騒ぎを経験してきた子。
同い年だ。彼女も大学生だった。一年前。
けれど、彼女は辞めなかった。どんな道に進んだのかは知らないけれど、彼女は辞めなかった。
最後にみんなで通話をしたとき、「私は辞めないけどね」と吐き捨てるように言われたのを覚えている。溜息を吐くように。非難をするように。
彼女は一言だって反対の言葉を口にしなかったけれど、応援しているとは言ってくれなかった。わたしの選択が好意的に受け止められていない事くらいわかったし、彼女の気持ちも分かったから、わたしは「うん」とだけ返して──そのまま。
だから、今。画面の向こうで配信を行っている彼女その言葉には、苦笑しか出ないのだ。
チャット欄には「エモ」とか「そうだね」とか「可憐ちゃん帰ってきて」とか……とても嬉しくて、とても無責任な言葉が流れ続けている。
わたしも。全く別名義、何の関係性も持たないアカウントを使って、チャットを送った。
「もし可憐ちゃんが帰ってきたら何て言いたい?」。読まれない前提の、意地悪で……拾いづらい質問。彼女はあまりコメントを拾わないから、絶対に読まれないだろうと思った。
──"そうですね──"
外していたヘッドフォンから、彼女の遠い声が漏れる。
慈しむような、懐かしむような、優しい声だった。
──"おかえりって、言いたいかな"
……嘘つき。
口角が上がる。そういう"路線"も取り入れていくその姿勢が、本当に好き。わたしは可憐ちゃんを含む、かつてのメンバー全員のオタクだ。箱推しである。一般の視聴者よりも理解度が深い自信があるし*1、誰よりも彼女たちを愛しているといえる。
だから、わたしの……語弊を恐れずに言うなら、可憐ちゃんの"亡き骸"さえも利用していくその姿勢は、本当に尊敬するし、憧れるし、なにより嬉しくもあった。
わたしの離別が彼女たちのためになるというのなら、本望だから。
それにしても。
「妹かぁ……みんなの中では結構上だったはずなんだけどなぁ」
大学生含む学生、社会人の入り混じったグループだったけれど、学生率が高めだった。その中の大学生だ。そこそこ、高い括り。高い部類。
自分はお姉さんとしてやっているつもりだった。でもコメント欄を見る限り、そんなことはないようで。
そんなに頼りなかったかなぁ、と。
ちょっとだけ。ちょっとだけ、口を尖らせて──わたしは配信を閉じた。そのままPCも落とす。
大学生だったあのころと違って、社会人の朝は早いのだ。毎度毎度深夜まで放送を楽しむ、なんてことはできない。
だから、ごめんね、と。
おやすみ、と。そう虚空へ呟いて──。
ピロリン、と。
SNSツールの通知音に、睡眠モードへ移行しかけていた体を起こした。
●
翌日、わたしはあるマンションの前で立ち往生していた。
高層マンションだ。入り口にはナンバーロックがあり、住民しか知らないその番号を押さないと中にすら入れない仕組み。あるいは、中から住民に開けてもらう事もできる。今回は後者の方法で入る……つもりだった。
その前での立ち往生。怪しさ満点。夢いっぱい。アソパソマソ。
実際仕事に向かうのだろう男性や子供の送り迎えだろう家族連れなどが出てきては、マンション前で立ちすくむわたしを避けるようにして通り過ぎて行った。あんまり長居すると通報される可能性まである。
自分の勤め先には午前休を貰っているのでそちらの心配はないけれど、未だ寒さの残るこの時期にあんまり外で立たせないでほしい、という切なる
ピロリン、と。音。通知音。
端末に表示された文字。「めちゃくちゃごめん」というその文字列を見て、ようやく彼女が目を覚ましたことを察する。
パシュ、という短い空圧音と共に、硬質ガラスで出来た円筒状の自動ドアが開いた。
ふぅ、とため息を一つついて、中に入る。三本のエレベーター。一番左に入って、24階を押す。
その間にも端末には「ほんとごめん」とか「申し訳なさで死にそう」とか「sorry」とか、ピロリンピロリンと通知音が連続で響く。うるさい。そろそろ。
ようやく24階に着いた頃には「ごめん、ってなんだ……?」というよくわからない文章が来ていて、少々イラっときた。
エレベーターのドアが開く。
目前に白い扉。この階のすべてが彼女のものだから、ここが玄関。インターホンを押す。
1秒と立たないうちに、扉が開いた。スライド式の自動ドア。
そこに、額を床につけた……所謂猛虎落地勢。あるいはDOGEZAの恰好をした女性が。
「おはよう、HANABiさん」
「おはようございます、陛下」
「陛下is誰」
ドアの内側に入って、靴を脱ぐ。靴箱の横のスリッパを履いて、今なお土下座をやめない女性のお尻を蹴った。もちろん軽く。雷獣のように。
女性は──PN.HANABiさんは「あたっ」と声を上げると、痛くもないだろうおしりを抑えながら立ち上がる。額が赤い。おしりよりもそっちを気にするべきだと思う。
勝手知ったるなんとやら。
廊下をずんずん進んで、たどり着いた大広間にカバンを下ろし、コートを脱いで──フッカフカのソファにダイブ。そのまま横になって、足を投げ出す。
適切な温度に保たれた部屋の中は寒空にいたわたしにとってのぬくぬくで、んーっ、と一つ伸びをする。
遅れて部屋に入ってきたHANABiさんが脱ぎ捨てられたコートをハンガーにかけるのを見て、あぁお姉さんってこういう所で出るのかなぁ、なんて感想を浮かべる。
「弁明は」
「申し訳ございませんでした」
「8時に家に来て、って言ったの誰だっけ」
「私でございます」
ふぅ。というか、はぁ。
朝弱い自覚があるのなら、もう少し遅い時間にしてくればいいものを。
うら若き乙女には色々支度があるんですけど。
「何をしてたの」
「……作業を」
「ダウト」
「MINA学の配信見てました」
「何時まで」
「……3時です」
「ダウト」
「朝5時まで見てました」
はぁ~、と。
大きくため息を吐いた。わたしが0時でセーブしたというのに、わたしより大人なこの人は……まったく。
MINA学。
ただそれを。
アーカイブも残るソレを。翌日の8時に人と会う予定のある大人が見てしまうのは、どうなのかという話。
「それで」
「はひ」
「動画の方は?」
「あ、それはもうばっちりと。完全に。完璧です。誇り持って言えます」
「うん、信用してる」
言うと、ようやくHANABiさんは安堵のため息を吐いた。
ニットに包まれた胸がたわむ。
HANABiさんは、クリエイターだ。
動画編集や音声編集、画像編集など幅広い仕事を手掛けていて、イラストもプログラムも出来る有能有能アンド有能な人。お金も結構……いや、かなり稼いでいる。ただ歌が下手。楽器はできるのに。
さらにアガリ症で、わたしのように気を許した友達の前以外ではまともに喋れないし、失言も多い。
一人で芸を極めることに向いていて、対人に向かない。そんな……まぁ、一応、あこがれの人である。
そんな彼女とわたしは、Vtuberをやっていた時代からの付き合いで、今では親友……に、なれたと思う。少なくともわたしは思っている。
こうして互いの家(主にHANABiさんの家)に行くこと・泊まる事も多く、SNSツールで話している時間も長い。完全にわたしは信を置いている。HANABiさんもまた、わたしを可愛がってくれている……ように思う。
そんなHANABiさんが、わたしにある"依頼"をしてきたのが半月前。
「曲を作ったので、歌ってほしい」そういう依頼だった。
動画、作詞作曲、イラストすべてがHANABiさんで、歌だけわたし。
当然、ちょっとした抵抗があった。
だってわたしは、かつてVtuberとして……皆凪可憐として活動していた人間だ。当然、その声は知られている。みんなの前で歌ったことだってある。だからわたしの歌声を知っている人も多数いるのだ。
そんなわたしが。卒業をしたわたしが。
またネットに声を載せていいものか、という葛藤があった。
「名義を変えて活動することの何が悪いんですか?」とは、HANABiさんの言葉だ。
クリエイターという生き物は、結構頻繁に名前を変えるらしい。複数名義を持つ人。コロコロ名前を変える人。一貫した別名義を持ち続ける人。様々。
それは得てして現在の名義との紐付けを切る意味合いであったり、視聴者の年齢層を考えての事だったり、単純に別作品・別界隈に手を出してみたくなったから、だったりと理由は様々だが、総じて。
総じて、それを咎められるようなことはないというのだ。
それを聞いて、葛藤は消えた。
皆凪可憐が卒業した事と、わたしが別の名義で歌う事は、なんら関係がないのだ。そう、知った。
だから、わたしは彼女の依頼を受けた。イニシャルさえも載せない、「歌は友人に歌ってもらいました」という旨だけを書くことにまとまり、先日収録を終え、その編集作業のすべてが終わった。
それを今日、チェックがてらに確認するため、こうして呼び出されたというわけである。
大きなテレビにアップロード前の動画が映し出される。
カッコイイ系の曲。HANABiさんの入れてくれた仮歌はそれはそれは酷いものであったが、歌詞がかっこよくて映像も雰囲気を掴みやすいものだったから、すぐにイメージを掴むことができた。
それが、結構な音量で流れ始める。
防音壁完全防備なこのマンションは、音漏れの心配をしなくていいのがズルイ。
自分の歌。
恥ずかしい、と。そうは思わない。
誇らしいと思う。そうするようにしている。
「相変わらず、歌が上手い! それに、感情の込め方が天才」
「もっと褒めたまえ」
「ははーーっ、歌馬ひひーん!」
「それは褒めてないと思う」
崇めてはいるかもしれないけど。
「HANABiさんこそ、いつみてもカッコイイ動画」
「せ、せやろか」
「バリバリの東京人がなにを」
「そ、そうでしょうか」
「言い直されましても」
これだけすごいものをつくるのに、彼女は褒められなれていない。エゴサーチをほとんどしないのも原因だとは思うけれど、もともと自己評価が限りなく低い人なのだ。
だから、と。
彼女の肩を掴んで、強制的にこっちを向かせる。
「ひ」
「HANABiさんis天才」
「ひぃっ」
「正直かなり憧れてる。かっこいい」
「うぅぅう!」
……こうやって、無理矢理褒める事で彼女の自身への評価を高めさせるのが、わたしの仕事である。ような気がしている。
「うん、ミスもなさそうだし……これ、今日あげるの?」
「あ、はい。エンコードが終わり次第、にはなりますけど」
「りょーかい。仕事から帰ってきたらすぐに見るよ」
「はい」
それだけ。
今回は、それだけ。
じゃあ、と。立ち上がる。
「お仕事、頑張ってください」
「うん。HANABiさんも、寝坊と体調には気を付けて」
「うっ!」
本当にこれだけのために呼び出して、呼び出されて……でも、そんな関係が心地いい。
わたしは。
今度はスムーズに*2エレベーターとロビーを通って、マンションを出るのだった。
●
ソレが来たのは、動画が投稿されてすぐのことだった。
通知だ。通知音を設定していない、通知。丁度携帯端末を見ていたからすぐに気づけたそれは。
「……アミちゃんかぁ」
表示された名前は、
プレビュー表示されたメッセージは短く一言、「どういうことですか」と。それだけ。それだけが書かれていた。
ここ一年間、一通の連絡さえも無かったのにね、なんて意地悪なことを思いつつ、それが当たり前だということも知っている。なんせ、わたしは社会人になると……仕事に就くといって活動をやめたのだ。その言葉の影に"忙しくなるから"という意味が隠れている事なんて簡単に察されることだろう。まだ学生だけど、聡明な子だ。こちらから落ち着いたという連絡をしていないのだから、気を遣って話しかけてはこなかったのだろう。
それの気遣いさえも突破して、問い質す衝動が生まれたという話。
投稿五分後の動画の再生数は322.と、昔のわたしを考えれば──限りなく少ない。
けれど、無名の少女が歌ったオリジナル動画だと考えれば、そこそこの回数だ。HANABiさんはあんまり宣伝をしない人だから、殊更。
それでも五分前に投稿なので、聞いた人数は限られよう。
つまり、人伝で気になったとかではなく、自分で聞いて、自分で気になって、自分で判断して……メッセージから察するに、確信して。
「どういうことですか」か。それは何に対してなんだろうね。
わたしはそのメッセージに「なにが?」と返そうとして──やめた。SNSツールすら開かない。未読無視、というやつ。
もうわたしはMINA学園projectのメンバーではないし。
もうわたしは、水鳥亜美ちゃんと友達の皆凪可憐ちゃんではないのだから。
コッコーダンゼツ。国じゃあないけど。
その時丁度、駅に着いた。電車が。
立ち上がって、電車を降りる。仕事帰りだったから。仕事帰りにポッケwi-fiで見る動画は優越感に浸れる最高の娯楽ツールである。
携帯端末にイヤホンを挿して、音楽アプリを立ち上げて、コートのポッケに突っ込む。流れる音楽は、MINA学園projectのみんなが歌った曲。ストリーミングサービスで配信されているそれから聞こえてくるみんなの声には、わたしの声は含まれていない。
わたしの卒業後に出た曲だから、仕方がない。むしろ余計な感情に邪魔されず、一般オタクとしてMINA学園projectを楽しめる神曲である。
マフラーの内側で歌詞を小さく口ずさみながら、寒空を行く。寒い。明日は懐炉を増やそう。それはそれで暑そう。というか熱そう。
ふと、大手電化製品販売店の街頭広告を見た。
大きなモニタ。映っているのは。
「
わたしじゃない、誰かの声。
MINA学園projectではなく、もっと大きな企業が運営するVtuberグループの看板。300万人の登録者を擁する彼女と彼女のグループは、とてもじゃないけどMINA学園projectでは敵わない。最大手といっても過言ではないその人気っぷりは、わたしがVtuberを志した切っ掛けでもあった。
いやまぁ、辞めたけど。
ああやって。
指をさされて、名前を認知されるくらいの存在になるのは……どれほど。
──なんて。
もう辞めたわたしにとっては、皮算用も皮算用。今は仕事が忙しい……こともないけど、特に戻りたいという意思もなかった。
夜を行く。白い息。
うー、寒い。帰ったらおこたつけてぬくぬくしよう。
小さな決意を秘めて、わたしは帰路を急いだ。
●
二周年記念の企画を用意しているらしい、というのは、一般オタクであるわたしの耳……というか目にも届いていた。MINA学園project二周年記念放送。わたしの卒業一周年が、そのままMINA学園projectの二周年でもあるのだ。
よくぞここまで、欠員一人のみで保ってきたな、とは思う。
高校受験を控えた中学生もいれば、大学受験を控えた高校生もいたし、彼女とわたしは就活。既に社会人のメンバーはまだわかるのだけど、休止せず、引退せず、よく、と。
だからこそ、ではあるのだろう。
わたしと同じく一般オタクのみんなが、「可憐ちゃん声だけ出演しないかな」とか「可憐ちゃんのFAどういう扱いになるんだろう」とか。「帰ってきてくれ」とか。
加えて否定的な意見も。また擦るのか、またお涙頂戴か? とか。
わたしも少しだけ感じていたことだからわざわざブロックはしないけど、同時に厄介なオタクなのでスクリーンショットは撮っておく。アカウントのURLも。それをExcelシートに貼り付けて……。
誰だって自分の宝物を貶されたら怒るだろう。わたしにとっては彼女らがそうだから。
ちなみに現役時代、可憐ちゃんへの誹謗中傷はすべてスルーしていた。ブロックもミュートもしない。わたしは批判されている自分とそれを見ている自分を分けられるので、一切の不快を覚えなかった。批判も否定も肯定も、エンタメの一種だから。
しかし推しへの批判は許さない。それがオタクである。
話を戻して、企画だ。二周年の企画。
いまのところ、わたしに出演依頼だの録音依頼だのは届いていない。正直に言えば当たり前である。そんな簡単に出ていたら、卒業という言葉の意味がない。
個人的にはバーチャルなんだから気軽に消えたり浮上したりしてもいいとは思うけれど、世間の風潮的には卒業は重い言葉なのだ。
……依頼されても、未読無視するだろうし。
わたしam一般人。副業オッケーな会社だからそっちは問題ないけど、わたしに問題がある。
一度無視してしまったのに、依頼だけ返事するとか……感じ悪いし。
だから、待っているオタク君たちには悪いけれど、わたしは出ません。
皆凪可憐ちゃんというキャラクターの著作権を持っているのはグループの方だから、立ち絵くらいは使われるかもしれないけれど、そこに魂はない。
……誰かが引き継いでくれるというのなら、それもまた良いとは思う。無理矢理ではなく、わたしの場合は円満だから。
まぁ、納得する人は少ないだろうけれど。
そんな。
とりとめのない、オタク側ともライバー側とも取れない思考をこねくり回しながら、お風呂にお湯がたまるまでの数分間が過ぎていくのだった。
●
火照った体をこたつの外に出して、冷凍食品を温めている時のことだった。
ピロリン、と音が鳴る。通知音が鳴ったということは、projectの誰かではない……というか、この通知音が鳴るのはHANABiさんしかいない。
忘れものでもあったのだろうか。そう思って携帯端末を手に取って、プレビューも見ずにSNSツールを開く。アミちゃんのソレに触れないように気を付けながら、HANABiさんのメッセージを確認する。
ちょっと話したいことがあります。と書かれた吹き出し型のウィンドウ。
なんだろう。チャットでは面倒なので、電話をかけてみる。1コール。2コール。3コール。
あれ、出ないじゃん──と思った矢先に、通話が繋がった音がした。
トイレにでも行っていたのかな。わたしも結構やる。メッセージ送るだけ送っておいて、作業を始める事。気付けば4時間とか経っているんだよね……。
それはともかく。
「HANABiさん、どうかした?」
──"杏さん。お話があります"
「うん、だから電話かけたんだけど」
──"そ、そうですよね。その……ですね"
よほど言いづらい事なのだろう、言い淀み方からこれは割と真剣な話っぽいな、と思って姿勢を正した。でも寒くなってきたのでこたつに足をインする。
ちなみに杏というのはわたしの本名。苗字はごついので、あんまり好きじゃなかったりしなくもない。そこまで感情はないともいう。
──"杏さんは……歌うの、好きですよね"
「うん。うん? 好きだよ?」
──"……先ほどの動画を出して、すぐのことです"
──"私の元に、一通のダイレクトメッセージが来ました"
「へぇ、もしかしてお仕事の依頼とか?」
──"……そういう風にとればそうですね。でも、依頼というよりは、スカウトが……正しいです"
ピー、と。冷凍食品が温まったことを知らせる音がした。したけど、取りに行けない。
少しだけ手が震えている。
「スカウト」
──"はい。内容は、バーチャルシンガーとして活動してみませんか、というものでした。グループに参入して、歌手として活動しないか、と"
……怖いなぁ、と思った。
HANABiさんはわたしが皆凪可憐であったことを知っている。それについての悩みも相談したし、なんなら卒業のための動画・音声編集は彼女にやってもらった。
その上で、だ。
その上で。わたしにこの話を持ってきた。
それは。
「……HANABiさん、それってさ」
──"はい"
「わたしがまだ、あの世界に戻る気があるように見える……っていうこと?」
Vtuber……バーチャルライバーとバーチャルシンガーは、似たようなもので、厳密には違う。配信を行うという点では同じだろう。違うのは、根元の部分。主軸の部分。
配信活動を主とするか、歌手活動を主とするかの違い。
──"はい"
「珍しく、言い切るね」
──"少なからず願望も含まれます。わたしは貴女に、もっと活動してほしい。わたしの技術を以て貴女をより綺麗に見せたい、という願望もあります。わたしはもっと、貴女と一緒に活動したかった"
「クリエイターとして?」
──"そうです。コミュ障で地味な私ではなく、HANABiとして。貴女に出会ったクリエイターとして"
多からずの間違いじゃないかなぁと思う。
要は、完成していないのだ。彼女の中では。わたしは元々就職するときには辞めるつもりで、いい感じに終わることができたな、と思っていたけれど。
わたしと会って、わたしの活動に寄り添い続けた彼女にとって、わたしはまだ未完成品らしい。
随分と自分勝手だな、と思う。
反面。半面。
「……嬉しい」
──"そうだと思って、お話を持ち掛けました"
「ずるいなぁ」
──"そう思います。ごめんなさい"
嬉しい。とても嬉しい。
だって、HANABiさんはわたしの憧れの人だ。なんならVtuberになる前から彼女の動画を見ていた。彼女の音楽を知っていた。出会った当初は随分とおっかなびっくりだったことを覚えている。わたしにとっては有名人だったから。
その彼女が、わたしを完成させたいと。自分勝手に、わたしの意思なんか無視して、わたしを昇華したいと言ってくれる。
……素敵なことだと思う。誇らしい事でもある。
でも。
「バレるよ、ぜったい」
──"……"
「バレて、燃えるね。スカウトしてきた人のトコのファンも、MINA学園projectのファンも敵に回して。わたしへの誹謗中傷だけならともかく、HANABiさんのトコにも来るよ。HANABiさんただでさえメンタル弱いのに、耐えられるの?」
──"……"
「HANABiさん性別明かしてないから、あることないこと書かれるよー。酷い妄想。セクハラ。全く謂れのない、知らない自分の過去。捏造偽造は当たり前。蹴落とすためだけの世界に晒される」
クリエイターが名義を変えるのは普通だと、HANABiさんは言った。
ファンに何も告げずに新しい活動を始めるのは特におかしいことではないと。
だが、今のバーチャル界隈の視聴者層は、それを許さない。
良心的な、良識的な人もいるのだろう。同じく創作活動を行っている人や、単純に理解のある人は。
だが大多数は否定的だ。批判的であり、攻撃的でもある。
まるで自分たちに断りを取らない新規活動は許さないとばかりに、声の大きい連中が跋扈している。
「耐えられる?」
──"私の心配をするんですね"
「そりゃあ、もちろん。わたしは何言われても痛くも痒くもないもん。自分に自信があるから」
──"うーん、流石です。……そうですね、しばらくはエゴサを控える事にします"
「なるほど、それは賢明。……そんなにやりたいんだ」
──"はい"
どうやら、決意は固いようで。
なら──わたしに、否定する理由はない。
「ちなみにどこのグループなの? スカウトしてきたのって」
──"DIVA Li VIVAです"
「……そ?」
──"マ、です"
DIVA Li VIVA。ディヴァリーヴィヴァ。あるいはディバリビバ。カタカナの読み仮名なんてどうでもいい。
多くのクリエイターを抱えるグループであり、その運営は企業。というか、超大手芸能事務所の一部署であるため、様々な分野・イベントに手を伸ばせる界隈最大勢力である。
そして、あの街頭広告に映っていたNYMUちゃんの所属するグループでもある。
──"杏さん。スカウトされたのは私と貴女、二人共です。どうでしょうか"
「……あー……んー……うー……」
──"配信活動をする必要はないそうです。単純に歌手としての起用ですね"
「あー……とねぇ」
言い淀みもしよう。
だってそれは。そこに、そんな大手に行ってしまうのは。
──"MINA学園projectに悪い、と思っているんですよね"
「……うん、そう。ざっつらいと」
──"まるで彼女らを見捨てたみたいだから、でしょうか"
「今日は言葉が鋭利だね。でも、まぁ、そんなところ。みんなで先のその先へ行こう、って言ってたのに……って思うと、ね」
ちょっとどころではなく、気が引ける。
MINA学園projectのみんなにとっては、余計な気遣いなのかもしれない。余計なお世話でもあるだろう。
けど、わたしだけ……というのが。より。深く。
「返事はいつまでだって?」
──"いつでもいい、との事です"
「それは今すぐに、ってことだよね」
──"まぁそうでしょうね。新メンバー発表は今期中にやってしまいたいでしょうから"
その方が春からの活動に支障が出難いから、まぁ。納得もできる。
……うだうだ悩むのもわたしらしくないし、まぁ。
負い目など、結局はわたし自身の納得だ。
「じゃあ、お願いしますって言っておいて。ウチ副業オッケーだから、面接とかオーディションの日決まったら連絡よろしくね」
──"……ありがとうございます"
「こちらこそ。これからよろしく」
──"はい"
通話が切れる。
……少しだけ体温の上昇した体はこたつが暑いらしく、汗が出るのを感じた。
こたつの電源を切って、一つ。
伸びをする。
ピーッピーッピー。
「あ」
話に夢中で気付かなかった。
冷凍食品が温まったことを知らせる音が、はやく取りに来いと言わんばかりに騒いでいる。ごめんごめん、今行くよ今。
かたつむりのようにこたつから出て、やはり火照ったままの体を冷たい床で冷ましながら、電子レンジの元へ向かう。足裏ひんやり。痛いくらい。
そして今まさに電子レンジの扉を開けようとしたところで、ピーッピーッと音が鳴った。
「今開けますっての」
開ける。ぬるーくなったパスタ。
まぁ食べられればなんでもいいか。
内袋を取ってフォークを取り出して、こたつへと持ってきて──いただきます。
「……冷めててもそこそこ美味しい」
ならばよし。
うん。
ごちそうさまでした。
〇
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