わたしはかつて、Vtuberだった。   作:雁ヶ峰

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ワタシは、落ちる



霞むまでは。

 HIBANaのアカウントに投稿されている例の慟哭動画には、いくつもの返信がついている。

 SNSアプリの仕様によって不適切な返信は下の方へ追いやられているのだが、まぁ不快なものを目に入れるだけでストレス、という人もいるので必要な処置であろう。

 その返信というのが、大まかに分けて四つ。

 皆凪可憐の名前を出すだけのもの。皆凪可憐の名を出し、MINA学園projectとの蟠りとやらを清算してください、という要望。動画に対する感想。厨二乙等のほとんど意味をなさない投稿。

 

 随分と、大事らしいな。と思う。

 

 過ちだと思ったら。目に余る行為をしたな、と思ったのなら。見放すべきだ。コメント程度では何も変えられない。何の気持ちも伝わらない。文章に対し、それほどまでの強い感情を持っていない。

 転生前に戻ってほしい。あるいは、応援したいから面倒ごとを解決してください、という要望を、本当に聞き入れると思っているのか、甚だ疑問である。他人の声が信念を変えるほどの部分にまで届くなど、熱血系の見過ぎではないかと思う。

 

 無理だ。諦めるといい。

 少なくとも視聴者の言葉では変わらない。文句を言う前に、陳情を垂れる前に、見放してしまうのが一番だ。貴女のためを思っての事ですよ、などという押し付けは、あまりに目に余る。君の大事だった推しはもう戻ってこない。過去の輝かしい記録で楽しむか、他を見つけるべきだ。

 プラス方面でもマイナス方面でも、相手をコントロールしようとした時点でファンではなくなっている事を自覚してほしい。落ちる奴はとことん、どこまでも落ちていくから、それを救う必要はない。手を掴むな。落ちるのを眺めるといい。いつか自らが真上を見上げて、帰りたいと思う日が来るのなら、それが反省であり後悔になるのだから。

 

 どう頑張っても、HIBANaというキャラクターを受け入れられない人達。余程愛が強かったのだろう。余程楽しい思い出だったのだろう。そうであれば、続かない過去を楽しんでほしいと思う。心から思う。無理に応援する必要はないし、応援したいから変わってください、など本末転倒にも程がある。

 

 ──"前にも言ったでしょ。オタクっていうのは偏執的なコレクターなの。自分のコレクションが自壊する事に耐えられないのよ"

「"前の貴女の方が好きでした"って言われても、はいそうですか、以外返す言葉ないよね」

 ──"ストレスを溜めておくことが出来ないのよ。文句を言わないと心が壊れてしまう。感情の整理が壊滅的に下手。推しなんてものを作る依存者に、アンタの感覚はわからないわ"

「999Pさんもそうなの?」

 ──"当たり前じゃない。推しが変わったらSNSで散々文句を垂れるわ。エゴサ避けはするけどね。そして、たとえ元推しだったとしてもブロックするわ。先に不快な返信を全員ブロックしてからね"

「勿体ない。炎上しかけてる配信者なんて、批判と悪意の温床だよ。悪意は湧いて出るかもしれないけど、配信者はそこそこ有限だと思うんだ」

 ──"ブロックする楽しみの方が大きいわ"

 

 それなら仕方がない。

 まぁ、吐き出すのは良い事だ。そういうのを吐き出す人間であるという識別が出来る。本心を何も言わずに拡散だけをするアカウントより、わたしは好き。むしろそういうのは怖いと思うくらいだ。

 

 ──"アンタ、その批判好き、配信で言った事あるの?"

「まさか。こういうのは自分だけで楽しむものだよ。言うとしても、身内。性格悪いんですよねわたし! なんて、イメージダウン以外の何物でもない言葉を配信なんて場所に載せるわけないじゃん」

 ──"ふーん。意外だわ。だって、言った方が批判は集まるじゃない"

「養殖の批判を食べても美味しくないでしょ。あくまで自然を装わないと。批判を楽しんでる、なんてことは全く知られないようにしながら、何も効いていないフリをして、謝りもせずに突き進むのが一番だよ」

 ──"効いていないフリ? なんだ、少しは傷ついているのね"

「楽しさと痛みは別物じゃない? 面白いな、と思うし楽しいな、と思うし興味深いな、と思うけれど、ああ悲しいなぁとは思うよ。それで活動を止めるほど響かないってだけで」

 ──"痛いけど、痛いだけ、って事か。まぁそれについては私も同じね。不快だけど、不快なだけ。だからわざわざ見に行くのだし"

「否定が心に響くと思っている時点で、大分優しいよね。対立煽りとかは響かないと知ってるから、他の勢力やほかの配信者をぶつけようとしてるんだろうけど」

 ──"まさか当人達が裏で楽しくカラオケ大会をしている、なんて思ってないのでしょうね。仲良しこよしの発想が出てこない人間にとって、それを想像しろっていうのは酷な話か"

 

 想像力の限界の話だ。まず悪意から想像する人間が、配信で険悪な雰囲気だった彼らが裏で普通に打ち上げをしている、なんて話を考えることはない。逆に善意から想像する人間は、配信で険悪になったから裏でも冷え切っている、とは考えないのだろう。"善良なファン"とやらが善意から想像する人間とは限らないワケで。

 良くも悪くも見えている面しか見えないのが、配信というものだ。

 

 そういう意味では、わたしと雪ちゃんも随分と勘違いされていたように思う。同い年で歌が上手いから、余程仲が良いと。ライバルの関係で頻繁にどちらかの家に泊まりに行っていたから、姉妹か双子のようなものだと。そう思われていた。そういうファンアートをよく見かけたし、セクハラだと思わないでもないカップリングとやらでよくわたしと雪ちゃんが組まされていた。

 実際のところは、口論をするために相手を呼び出しては相容れない事を知ってさらにヒートアップ、というのを繰り返していただけであるのだけど。

 配信にまでその空気を引きずってしまったのが一回だけあった、というだけで、ファンの見えない所で散々めったら激論を繰り広げている。仲の良い姉妹どころか、仇敵たる異教徒だろうか。

 

「配信で素を晒す事ほど、怖いことは無いよ。わたしはそれが怖いからずっと演技してるわけだし」

 ──"キャラ作りは用心深さの表れでもあるのね。じゃあ、配信で批判に触れるヤツは強がってるのかと思ってたけど、どっちかというと弱がってる、って方が正しいのかしらね"

「弱点晒してわたしはここが弱いので攻撃しないでください! っていうヤツ? オープン戦法だね、それは。そして攻撃を躊躇してくれる人なんていないと思うよ。むしろこぞって叩き始める」

 ──"アンタは何を言われたら一番傷つくの?"

 

 ……なんだろう。

 自信がある事に対しての批判を受けても、良さがわからないのは残念だね、と思う。可哀想だね、と思う事もあるくらい、性格は捻じ曲がっている。自信過剰に生きている方が楽しいからね。

 わたし自身に言われて、傷つくこと。考える。うーん。ぽくぽく。うーん。

 

「うーん。とりあえず最近で一番傷ついたのは"デザインがゴミ"かなぁ」

 ──"事実よ。否定じゃないわ"

「まぁ、そういう。得意じゃない事が嫌いだから、得意じゃない事を無理矢理やらされて、それにダメ出しされると傷付く。拗ねる」

 ──"ああ、まぁそうよね。傷つかないためにやらない事を選んでいるんだから、そうか"

「昔誰が上手にサムネイル作れるか選手権をしてビリだったんだけど、その時ノリとはいえ凄まじい量のダメ出しがみんなから来て三日くらい拗ねてた」

 ──"ちなみにどんなの?"

「真っ黒い背景の前に可憐が立ってるやつ」

 ──"精神の異常を疑うわ"

「同じようなことをみんなから言われた」

 

 得意じゃない事は本当に得意じゃない。出来ない事をやらされるのが苦痛だ。だって出来ないんだもん。得意なことをしていたいと思うのは当然だと思う。踊りとか仕事みたいな、やらなきゃどうにもならない事ならなんとかできるんだけど。

 それにしたって、懇切丁寧なマニュアルがあってこそだ。

 

「そういう意味では、こうやって文句垂れてる人は視聴者向いてないと思うよ。言いたい事あるなら発信者になった方が良いもん」

 ──"それはそうね。どこにでもいるわ。読者に向いていない奴。視聴者に向いてない奴。消費者に向いていない奴。往々にして自覚がないのよ。何故って、発信者側をやったことが無いから。自分が得意である自覚がない"

「一回やってみればいいのにね」

 ──"鏡を見る事をオススメするわ"

「芸術系は一通りやったよ。やらされた。習い事ってやつ。お試しで一か月だけ、みたいなのいっぱいやった。歌以外ダメだったけどね」

 ──"幼少期の経験は大事ね。成功体験が無いとその後の人格形成に支障を来すわ"

「鏡を見る事をオススメするよ」

 

 引き分け。

 あるいは、痛み分け。

 

「HANABiさんは?」

 ──"あの子は、昔から天才の類よ。なんでも出来たわ。なんでも出来たけど、成功した、という感覚が無いから、いつも焦っていたわね。努力が足りないって。滑稽だったわ。唯一歌の授業の時だけ、落ち着いていたわね。先生が頑張れば褒めてくれるって"

「自分の創作に自信を持ち始めたのはいつから?」

 ──"さぁ……私が家を出て、次に会った時にはああなってたわ。あの手に負えない感じにね"

「HANABiさんの事、好き?」

 ──"さぁ、家族に対する感情なんて、良くも悪くも絆以外はないでしょ。好きでも嫌いでもないわ。面倒くさいとは思うけれど、それだけよ"

「ふぅん。いいなぁ、姉妹」

 ──"今のどこに羨ましがる要素があったか教えてくれる? 治すわ"

「わざわざ作らなくても、誰かと繋がりがあるって良くない? 他人がパーソナルスペースにいる感覚。自分以外の価値観と会話するのって楽しいよ。だから羨ましい」

 ──"持たざる者の意見ね。持つ者とは相容れない価値観だわ"

「だろうね。相互理解なんて出来ないよ。だから楽しいワケで」

 

 無駄なことをする、と思っている。諦めたほうが建設的だよ、と思っている。皆凪可憐を求める声に対して、諦観を覚えている。

 だからこそ、面白いと思う。楽しいと思う。無駄なことをする人たちが理解できないから、愛おしい。可愛らしい。

 

 ──"性悪"

「傷ついた」

 ──"いつか貴女の歌に飽きて、晴れてブロックできる日が来る事を願っているわ"

「Good Luck.」

 ──"うるさい"

 

 わたしの歌に飽きるにはまず、HANABiさんの曲に飽きないといけないことをわかっているのだろうか。面倒くさがりながらも世話を焼いているっぽいこの人が。出来るとは思えない。

 そして何より、わたしだって精進を怠るつもりはないから、999Pさんとは永遠に友達である自信がある。

 

 ──"ああ、そうそう。一つ聞きたいんだけど、いいかしら"

「なに?」

 ──"アンタ、苦手なものってあるの? 虫とか爬虫類とか"

「うーん。毒のある生き物は嫌いかなー。死んじゃうし」

 ──"見た目では?"

「見た目……キラキラしたものはあんまり好きじゃないかなぁ。触りたくなる」

 ──"なるほど"

「なんで?」

 ──"ま、敵情視察よ"

 

 敵情とは。戦争中かな?

 

 ──"ちょっと創作意欲湧いたから、この辺で落ちるわ。またね"

「また通話してくれるんだ」

 ──"気が向いたらね"

 

 わぁい。

 

 

 ●

 

 

 VR機材というのは、いくつか種類がある。最上位のソレ……値段も維持費も馬鹿にならないそれであれば、ほぼすべての動きをトラッキング出来るし、少しグレードを落としてもクリエイターの努力と撮影時の努力で結構何とかなる*1

 さらにグレードを下げて、モデルの崩壊が頻繁に起こるものの卓上で使えるものもあり、Vtuberは配信においてその卓上カメラで配信を行っている者が大体である……と思う。他は色々と手が出ないから。

 その他モデルではなくイラスト……いくつもの層を重ねたイラストを対応部位によって動かして、"動くイラスト"という形で配信を行う者もいる。費用的には多分これが一番安いかな。パソコンによっては内部カメラでも動かそうと思えば動かせる。*2

 

 MINA学園projectは全員が3Dモデルを持っていて、それぞれがWebカメラを使用しての配信を初めから行えていたので、その"動くイラスト"というものが用意される事が無かった。キービジュアルは存在していたけれど、正直あんまり使わなかった。少なくともわたしは。*3

 

 なので、DIVA Li VIVAの"動くイラスト"クリエイターの人にHIBANaの"動くイラスト"を見せられても、どこを直した方が良いでしょうか、と言われても、わからない、と答えるしかなかった。

 

「2Dモデルですか……ぶっちゃけ何に使うんだ、っていう疑問は杏さんも持ったと思うんですけど、何か聞いてますか?」

「なんか、対談イベント? で使うらしい?」

「出るんですか?」

「社長がお呼びらしい」

 

 げ、という顔をするHANABiさん。わたしも聞いた時にはげ、という顔をした。

 社長だ、なんて。DIVA Li VIVAの社長。それはつまり、それはつまることである。つまるところ、つまりそういうことである。

 

「……何かしましたか、杏さん」

「わかんないんだよね。なんというか、麻比奈さんがちょっと焦り顔で話持ってきてさ。とりあえず動くイラストを用意しているから日にち空けてください、って」

「えぇ……また燃えません、それ」

「セクハラがやばそうだよね」

 

 社長に取り入っている(意訳)という事が大量に書かれるに違いない。

 まだ入って一ヶ月経ち切っていないところにコレだ。あるいは社長とやらがわたしに恨みでもあるのかもしれない。

 

「知れないけど、納期明日までだから直してほしい所だけ言ってほしいんだって」

「随分と急な……これ、飲み会の席とかで冗談で言ったやつが決まっちゃった、みたいなヤツじゃないですかね」

「"そうだ、新人と絡んでみるとか言うのはどうかね!"」

「"わかりました、予定組んでおきます"」

「まぁ企業がそんなことで動いちゃったら目も当てられないんだけどねー」

 

 あははは。

 はは。

 

「社長の名前、覚えておいた方が良いヤツ?」

「覚えておいた方が良いヤツですね」

「非常に面倒くさいとか言っていいヤツ?」

「口を慎むべきヤツですね」

「断った方が良いヤツ?」

「断れないヤツですね」

 

 うわぁ。

 面倒くさいなぁ、って。休憩スペースで社長と話す、というのなら大歓迎だ。ウェルカムだ。是非とも話したい。

 けど配信で話すのは……色々作らないといけないなぁ。

 というか配信はしないでいいっていう話でスカウトされたんじゃなかったのか。契約不履行みたいな話で蹴ってもいいんじゃないかコレ。

 

「ちなみにですけど、DIVA Li VIVAの放送予定一覧に枠がありますね」

「パワハラじゃない?」

「メリット計算しましょう」

「百害あって一利なし」

「量子コンピュータ並みの速度と正確性ですね」

 

 配信で話そうものなら、今作っているHIBANaのブランディングイメージが崩れる。それはわたしがポンコツだからとかボロを出すからとかそういう話じゃなくて、単純に世界が合わないのだ。バーチャルとリアルには明確な隔たりがあり、その境界を歩くライバーも居る事はいるけれど、HIBANaはがっつりファンタジー寄り。

 且つ、HIBANaのキャラクターでは雑談をしても面白くならないという自信がある。可憐とは違うのだ。

 

「実際、蹴るのはアリかもしれません。覚えが悪くなるとか、まぁ些細な問題ですね。息苦しくなったら抜けましょう」

「……ちょっと待ってね」

 

 一応、ちゃんと考えてみる。

 批判はどうでもいい。セクハラもまぁ、そもそもそういう関係のワードはミュートにしているので問題はあんまりない。HIBANaのイメージ崩壊。これが最大のデメリットだ。

 逆にメリットは、社長と話す機会が得られる事。そして宣伝効果か。普段表に出てこない社長が出てくる、というだけである程度の客寄せパンダにはなろう。そこにHIBANaが追加されれば、まぁまぁ、そこそこの宣伝力はある。

 マーケティングという面において、引き込むにはうってつけではある。

 ただし、好意的な印象を与えられればの話。

 

 MINA学園projectで実施していたような、コラボ先では得意なことしかしない、という手法が今回は使えない。否応なく雑談という場に引き出される。それが、果たしてどんな意味を持つか。

 ……うーん。うーううん。うーぅぅぅうううぅううん。

 

「ガッチガチにキャラ作っていけば、いける……と思う。今からHIBANaになりきっていれば、ある程度は、って感じかな」

「わかりました。今修正案全部書き出したんで、2Dモデルのことは考えなくて大丈夫です。キャラ設定、詰めましょうか」

「流石」

 

 HANABiさんはわたしに出来ないとわかっている事を全部やってくれる。話している途中でも、話しながら全て終わらせてくれる。凄い。それでいてこちらの意見が必要だと思ったときはちゃんと聞いてくれるし、ボケにも付き合ってくれる。

 大分、かなり依存している自覚はある。一人でも生きていけるけど、HANABiさんがいるとついつい頼ってしまうのだ。

 

「……でもHIBANaの世界で社長を面白くできる自信がない」

「面白くならなかったらそれでいいんです。あっちも学習するでしょう」

「こっちが怪我しなければいいか……」

「あっちの無茶振りですからね。火傷してもらいましょう」

 

 全力で全責任をあっちに押し付ける方向で話が固まっていく。世界バリバリに出して、下手なツッコミやボケを出来なくしよう、とか。台本こっちで書いて持って行って無理矢理納得させよう、とか。最悪険悪な雰囲気出して配信終了を早めよう、とか。

 ロクでもない話ばかりだ。しかし、やる気のない企画なんてこんなものである。言葉のエンターテイメントはその道のプロに任せればいいのだ。わたし達のやることじゃない。

 

「コメントはまぁ、荒れるでしょうから、気にしなくてもいいです。無自覚荒らしと故意荒らしがぶつかり合って、いい具合に混沌になるでしょう」

「ちょっと煽る?」

「いえ、余計な事はしない方が良いかと。HIBANaはそういう煽動とは無縁であった方がいいです」

「そうじゃなくて、社長を」

「……一応相手は社長なんですよ。私達より人生経験積んでます。軽い挑発には乗って来ませんよ」

「流石に嘗め過ぎか」

「はい。狸を相手にするつもりで構えたほうが良いかと」

 

 ……ちょっと楽しみになってきた自分がいる。

 割と。

 遥香さんという例外を除いて、みんな。わたしの周りにいた人は、素直な人が多かった。腹黒い人が少なかった。それと話す、という行為を。

 なんだか、楽しみにしている自分がいる。

 

「社長の事勝手に腹黒設定しましたけど、普通の人の可能性もありますからね?」

「誰かを蹴落として、のし上がってきたのが社長って生き物じゃないの?」

「偏見が酷すぎる」

「狸は狸でも金平狸の可能性もあるのか」

「キンペイタヌキってなんですか」

「優しい狸」

 

 ともかく。

 

「……うん、じゃあ、ちょっと今日は帰るね。あんまり通話とかチャットとか飛ばさないでくれると嬉しい。優しく返せる自信がない」

「はい。2Dモデルは私が提出しておきますよ。細かい話も聞いてきます」

「助かるバスカヴィル」

「何日くらいかかりますか?」

「一日で十分だよ。多分」

 

 明日が土曜日で良かった。

 自己暗示にもってこいだ。

 

「じゃ、早ければ日曜日」

「はい。お気をつけてお帰りください」

 

 そうして、久しぶりに。

 金曜日の夜。わたしは、HANABiさんの家に泊まらずに帰るのだった。

 

 

 ●

 

 

 耳栓をして、アイマスクをつけて、ベッドに横になる。

 完全に遮断できるわけではない。HANABiさんのマンションのように防音室があればまた違ったのかもしれないけど、ウチにそんなものはない。一戸建てだけど、普通の民家である。

 だから耳栓とアイマスクという便利グッズでもって、疑似的な無音空間に入る。情報の入力を遮断して、内側に集中する。

 

 別に。

 特別なことをするわけじゃない。

 この状態で自分がHIBANaであると思い込み続けるだけ。

 

 思い込み続けながら眠るだけ。

 

 何度か、役者の人の話を聞いたことがある。台本がボロボロになるまで読み込む人。鏡に向かって自己紹介を続ける人。身振り手振りを大仰にやって、体に覚え込ませる人。

 全部自己暗示だ。自分がこの役である、という事をなんとかして自分に誤認させる。ともすれば"何やってるんだっけ"となってしまいがちな理性を捩じ伏せて、自分を役で上塗りする。

 

 一度自分を忘れる。好きなもの。人。楽しい思い出。嫌な思い出。

 忘れる、というよりしまう、という方が正しいか。折りたたんで小さくして、引き出しにしまってしまう。ピアニストに始まる演奏家というのには"憑依型"と呼ばれる人たちがいるようだけれど、ほとんどそれと同じだ。己が作り上げる世界に入り込むのではなく受け入れる。こっちに寄せる。

 

 そうすることで。

 

 ようやく──わたしは。ワタシは。

 自分を、HIBANaであると信じ込める。

 

 

 〇

 

 

< 実灘遥香
.

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MINA学園projectというのは、性格が悪いのしかいないの?

ウチらだけ 13:05
      

      
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ふーん

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でしょうね

      
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14:12

ま、楽しみにしてるわ

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*1
らしい

*2
らしい

*3
イベントのイラスト等は手掛けてくれるクリエイターがいた




今此処に。

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