わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
「私は二次創作、好きですよ」
HANABiさんは言う。
「前にも言いましたけど、完全オリジナルなんてものはもう作れないと思ってます。世界中のあらゆる創作に触れずに生きていくのは難しい。必ずどっかで影響を受けますからね。それは小さなころに読んだ絵本であったり、学生時代に覚え込まされた合唱曲の歌詞であったり、初めて自分で選んだ洋服のデザインであったり」
いいですか、杏さん。
この世にあるすべての創作は、すべて『現実の二次創作』です。ノンフィクションや時代劇なんかは公言しているようなものですが、フィクション……SFだってラブコメだって、現実にアレンジを加えた二次創作です。アレンジの度合いは違いますけどね。
事実は小説より奇なり、なんて言葉がありますけど、そんなのは当たり前です。創作は人間の考え得る範囲でしか出来ません。しかし、偶然の絡む事実においては考え得る範囲を超える事が出来ます。あ、ペンキ零した絵画が偶然名画になった、とかは絵師の実力ではなく偶然の実力、つまり奇の類です。
そして、そういう"起きてほしい偶然"を意図的に組み込んで描き上げたものを創作と呼びます。つまり、現実がベースにあって、そこに"起きてほしい偶然"というアレンジをしたものになるわけですね。
良い言い方をするとアレンジです。良い言い方をしないと二次創作です。
普通の創作が何故二次創作呼ばわりされないのかと言えば、もちろん著作元たる現実が損をしないからです。人間には完全オリジナルはもう作れないと思いますが、現実は作り得ます。むしろ常に完全なオリジナルを生産出来ているからこそ、二次創作で損をしない、とも言えるでしょうね。
「ま、生まれたときから無菌室の真っ白い無音の部屋で育った人間の描く"外の風景"であれば、完全オリジナルに成り得るかもしれませんが……、いえ、それは"何もない事"の二次創作になるだけですね」
先人の知恵に倣う、という行為も二次創作です。過去の失敗を原作に、改良を加えて新しく公開する。それが自作であればスピンオフですかね。人間の技術は二次創作の連続ですよ。ヒトの人格だって二次創作の可能性があります。誰だって、どこかで誰かの影響を受けているでしょう。
杏さんの好む"出会いでしか人は変われない"というのも、"出会った誰か"というn次創作のn次創作として自身の人格を書き換えているにすぎません。皆凪可憐やHIBANaもまた、杏さん+何か、あるいは杏さん+設定の二次創作です。
二次創作、という言葉が広すぎるのが悪いとは思いますけどね。
洋楽みたいなものです。内に対して外、という意味で、邦楽と洋楽にジャンル分けされていますけど、邦楽だって細分されたジャンルがあり、洋楽に至っては邦楽の何千、何倍ものジャンルがありますよね。それを自己紹介なんかで"洋楽が好きなんだ"、なんて吹聴した日には、"何言ってるんだコイツ"案件ですよ。
認識しているものが違うんです。私が今言った"二次創作が好き"における二次創作の例は挙げました。私はあらゆる創作を二次創作と認識しているから、私の好きなものを指す二次創作が好きです。
杏さんは著作元やクリエイターが損をする二次創作を"二次創作"と呼んでいるから、二次創作が苦手です。
「そろそろ"二次創作"がゲシュタルト崩壊してきましたか?」
「大分」
「大手町3-1-1ですね」
ですから、とHANABiさんは続ける。
二次創作がすべて盗作なのではなく、盗作はすべて二次創作、が正しいですね。勿論事実として、インターネット上には盗作としか言えない二次創作が蔓延っていますよ。しかし前者がすべてであるかのように言ってしまうには、気に障る方々もいらっしゃいますからね。
「大丈夫、人目に付くところでは言わないから」
「ええ、それがいいかと」
わたしは意見を変えないけれど。
まぁ、そういう見方もあるのだろう。
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久しぶりにテレビを点けた。無理矢理ライブのDVDを見せられた時以来か。じゃあ久しぶりでもないか。
チャンネルを、初めて見るバラエティ番組を流すところに変える。そこのひな壇に、綺麗に手足をそろえて座るミレニアさんがいた。
知らず、おぉ、という言葉が出る。
Vtuberを一年やって、今はバーチャルシンガーをやっている身分なれど、"テレビに出ている"という感覚は薄い。DIVA Li VIVAのコマーシャルには一瞬出演したし、次のにも出るとはいえ、明確な参加者としてのそれではない。
だからこうして、テレビ出演者の彼女を見ると、おぉ、という感嘆が漏れるのだ。
それに、気のせいでなければ。
MCの人の前に座って、挑戦的な笑みを浮かべているのは……いつぞやの炎上アイドルの人。尊大に。カメラ越しに見てわかる"私自信あります"感は、あの人の特徴と言ってもいいだろうもの。ミレニアさんも相当なソレだったけれど、この人のはもっと食い気味だ。他人のパーソナルスペースにがっつり侵入して、"どうだ私は可愛かろう!"と言ってくるような……厚顔無恥の擬人化のような。
恥知らず、というのは、言い換えれば誇り高いということだ。自分を好きでいるためには、自分を高く誇るためには、根本。矜持の根っこのところは自身を信じている必要がある。そこだけは、恥を知ってはいけない。いついかなる時も自らを信じ続ける事こそが、誇りと自信を生み出してくれる。
ある種。否、一種の最高到達点として、エンターテイナーのあるべき姿だと思う。裏側での姿など関係ない。視聴者にとっては見えるものがすべてだ。苦悩などない。艱難などない。恐怖心など欠片もない彼女が、世間にとっての全て。弱みを見せないからこそ、高みであり続けられる。
……HIBANaが配信をしないようにするのも、やはりそういう目的が繋がってくるからだ。ああいう対談は、結局HIBANaのパーソナルな部分を探られやすい。配信という視聴者と近い空間においては、近づいてしか見えない何かを見せてしまう可能性がある。
遠くから眺めていて欲しい。そう、思う。
あるいはミレニアさんの夢のように。目的を達したその暁には──その時に、初めて。少しだけ自分を出すのもいいかもしれない。それがいつになるかは、わからないけれど。
「そういえば」
──"欲しいものが出来たか?"
「いえ、ailaさんの歌聞いたんですよ」
──"おぉ!"
三月二十四日。MINA学園projectの二周年記念イベントの前日である今日だが、何故かわたしは社長と通話をしている。あれから本当に全曲送りつけてきや……送りつけてきた社長と何故か通話をするようになり、何故か999Pさんよりも頻度が高くなって、何故かわたしもそれを許しているのだ。何故か。
別に嫌ではないのだが、仕事は忙しくないのか、とか。何故一社員にここまで構うんだ、とか。まぁ言わないけど。
──"どっちが上だと思う?"
「どっちが上だと思いますか?」
──"質問しているのはこっちだぞ"
「そうですね」
──"甲乙つけがたい。初めてだ、この感覚は"
「ありがとうございます」
そもそも歌っている歌のジャンルが違うから、単純比較なんて出来ない。喉の使い方も違うし、年齢差などもある。声質も違う。それでも社長がこう言えるのは、社長として数多の"上手い歌手"を見てきたからか。あるいは、わたしとは違う判断基準を持って甲乙と言っているのか。
結局わたしはあんまりパソコンを触ってこなかった人間なので、昔から触っていた人間より知識が浅い。意欲的に調べるようにはしているものの、あんまり変な……海外のサイトやサウンド系のアプリは入れないようにしているので*1、どうしても今活動している動画投稿サイトが情報収集源になってしまう。
無論このサイトのジャンル量は相当だろうけど、実際にプロデュースする側ではまた視点も違うだろう。
「とりあえず好きにはなりましたよ」
──"そうだろうそうだろう!"
「特にこのonlyingというの。読み方があっているかわからないけれど、気に入りました」
──"あぁ、これはね。彼女の結婚祝いに私が贈った曲なのさ"
「へえ」
特にそういう印象は受けなかったけれど。
祝い事の曲にしては、随分と激しい。わたし好みのロック調。
──"君にも一曲贈ろうか"
「ボーカル依頼ですか?」
──"いや、プレゼントだ"
「この春風という曲は、門出の曲ですか?」
──"おかえり、の意味だな"
「このfall flatという曲は、旅立ちの曲ですか?」
──"失恋の歌だな"
「じゃあ、プレゼントは要りません。どうにも解釈不一致が激しそうです」
──"そのようだ。創作観自体が違うようだな"
HANABiさんとわたしも価値観の相違が激しいけれど、曲に対する解釈一致は大きい。それはわたしが、もともとHANABiさんの曲を好んで聞いていたから、というのも大きいだろう。好きな曲がHANABiさん色に染まっている。
無論、ロックが好きなのはわたしの生来の方だ。HANABiさんの曲を好きになる前から好きだった、というだけの話。
社長の作る曲はどれも凄いとは思うのだけど、音の方向が違うというか、向いている場所が違うように感じる。聞かせてもらった曲*2はどれもailaさんに向けて作ったものだから当たり前なのだろうけど、それだけではない違和があった。
「さて、そろそろマネージャーさんに連絡する事があるので、切りますよ」
──"えー"
「子供か」
──"ふん、仕事でもない時にふんぞり返ってなどいられるか"
「仕事でもない時に上司と通話しなければならないわたしの心労を汲み取ってくれませんか」
──"楽しんでいるだろう"
「パワハラですか?」
──"だからハラスメントという言葉を気軽に使うな! 今時怖いんだぞお前知らないわけでもないだろ!"
「サウハラですか?」
──"なんだサウハラって。パラサウロロフスか"
「パラサウロロフスこそなんですか。サウハラはサウンドハラスメントですよ声がうるさいって言ってるんです」
──"恐竜だ"
「そうですか」
知らんがな。
──"まぁ、わかった。マネージャーもそう遅くまではいないだろうからな。わかった。仕方ない。じゃあ切るぞ。切るぞ!"
「切りますねこっちから」
切った。
気に入られた、という事だろうか。それとも、他の人にもこうなのか。多少、うざったるいな、とは思う。まぁ思うだけだ。言わないし、気に障るわけでもない。面倒なだけ。
それじゃあ、と。明日の予定を、麻比奈さんに聞くことにしよう。
●
皮肉を皮肉として受け取らなければ、そこに乗せられていた感情はどこへ行くのか。
配信に付くコメントというのは、直接的な悪意も多数あれど、皮肉や嫌味といった間接的な悪意も存在する。有名どころでいえば"お気持ち表明"だろうか。他、"お子様"だとか"お察し"だとか、随分と尊重した言葉の裏面に軽蔑を込めているように思う。"カッコよすぎて笑う"なんてのもある。
ただそれを、そのままの意味で受け取ってみる、というのは、中々に楽しいものだ。
だってそうすると、批判的なそれがすべて褒め言葉に変わる。発信とはすべて受け取り手次第だと再三言っているけれど、故にこそわざわざ相手の意思まで汲み取ってやる必要はない。
素直が一番!
「世間はそれをバカというのよ」
「バカな方が人生楽しいですよ」
「それはそうかもね」
DIVA Li VIVAの休憩スペース、ではない。
元からこの日は撮影……NYMUちゃんとのコラボが入っていたので、収録スタジオになる。
モーションキャプチャー用のスーツを身に着け、軽く準備運動をしていたわたしの横に999Pさんが来ていた。なんでもとある3D衣装のデザインを担当したらしい。わたしの、ではない。
NYMUちゃんも同じようにスーツを身に纏っていて、これまた同じく柔軟運動の最中。随分と体の柔らかい子だ。わたしとは大違いである。
「音声さん、いつもより多いですね」
「バカな方が人生楽しいわよ」
「それはそうですね」
別に激しい運動をするわけではないのだが、撮影というのは時に思わぬ偶然……あるいは事故で怪我をする可能性がある。柔軟や準備運動は何をするにも大切だ。体のスイッチを切り替える、という意味でも。
自信を持つ。自信を生む。わたしがわたしでなく、HIBANaであるための自覚を備える。
深呼吸。
まぁ、そのためにわざわざ対談でキャラクター性を見せつけたのだ。不慮の事故とはいえ、良い機会であったのは確かだった。そういうキャラクターである、というのが視聴者の一割にでも伝わっていれば十分。
NYMUちゃんの撮影が始まる。そこに、ゆっくりと。
歩いていく。揺らめく黒いシェーダーを纏い、白衣の何者かが。
そして、元気に最近あったことについて喋るNYMUちゃんを──背後から、縊いた。勿論力は入れない。両腕を彼女の胸元で交差させ、抱き着くように、憑りつくように。
これはまた散々燃えそうだな、とは思っている。可憐の時はイメージダウンを出来るだけ避けていた分、かなり楽しくなってきているな、と自己分析。
わたしとて不正や不祥事の炎上を楽しむのはよろしくないと思う。思えるだけの倫理観は育っているけれど、特に問題のない事で、周囲が勝手に騒いで燃える分にはエンターテイメントだと考える。豊かな妄想力を酒の肴に眺めるのがいい。お酒そこまで飲まないけど。
そのままの体勢で止まる。スタッフさんから合図があるまではこのままだ。映像技術の方でわたしの纏っている影のようなソレがNYMUちゃんを取り込んで、さらにはカメラまで取り込む、という段取りで、その編集のために多めに時間を取っている。
今回は音声込みの撮影のため、雑談は出来ない。NYMUちゃんの肩に体重をかけないように気を付けながら、待つこと三分程。
はいオッケーでーす! の声。
「ふぅ」
「どきどきした……」
「途中、何度か倒れそうだったね……」
人に寄り添いながら、その人に体重をかけないで止まっている、というのは結構難しい。動かないようにするのに手いっぱいになると、寄り添っている感……縊いている感じが出ないし、あんまりくっつきすぎるとNYMUちゃんが動いてしまう。
一発で行ければいいけど、はてさて。
次行きまーす、とのこと。一発OKだったようだ。まぁ後々悪かったら別撮りになるんだろうけど。
影が晴れるとどこかの古城……廃墟と化した城にいる、というシーンになるため、わたしは何段も重ねられた木の台の上に置かれた椅子に座り、足を組む。NYMUちゃんは元いた位置でしゃがみこむ。
スーツ以外の小道具にはマーカーがついていないため、映像には映らない。既に用意されているステージ、玉座や階段、カーペットや壁などといったものはモデルとしてモニタの中に存在しているため、撮影の合間合間に位置を確認している。まぁ動画として出す場合の最終調整は後々行えるため、壁の中に入ってしまっていても修正は利くのだが。
「久しぶりだな、アナタと会うのは」
「え? この間一緒に歌ったばかりだよ?」
「ああ、アナタにとっては、そうだろう。そう思うのだろう」
正直な話、NYMUちゃんとHIBANaでは属する世界が全く違う。NYMUちゃんもそこそこファンタジーな見た目をしているけれど、もっと明るめの……ポップでフワフワでわーい! な感じのファンタジーだ。陰鬱で渇ききったHIBANaのソレの対極にある世界。
が、NYMUちゃんは多数の自社コラボで、割とそういう経験はしてきている。わたしのような超絶シリアスなタイプにも、ゲラの凄い飛びぬけてはっちゃけた人とも合わせられるのがNYMUちゃんの良い所だ。故にこうやって、わたしの世界の方にNYMUちゃんに飛び込んでもらう形となった。
「ああ──長い年月が経ったよ。アナタが来てくれて良かった。何か、アナタにあげられるものはないだろうか」
「うーんとね。じゃあ、やってほしいことがあるんだ」
「ほう?」
この先の台本は、NYMUちゃんがわたしに"目を瞑ってほしい"と言い、カメラも暗転。カメラ映像はまるで瞼が開くように光を取り戻し、その先にいたNYMUちゃんの大人ver.みたいな人に微笑みかけられ、再度映像がブレる。このあたりの映像については後々挿し込まれるので今は気にしないでいい。
鮮明になった視界には、NYMUちゃんの姿は無く。しかしそこは廃墟でない、活気あふれる街。周囲を見渡して目を凝らすと、遠くの民家の屋根にNYMUちゃんがいて、そこへ歩き出すところから、『ヒアモリの塔』のピアノアレンジが流れ出す……というものになっている。
「目を瞑ってほしいな」
「ああ、いいだろう」
目を瞑る。
はい、オッケーです。そのまま目を瞑っていてください! と言われた。そんなことあるわけがないのだが、まぁ従う。失礼しますね、とは技術さん。耳にイヤホンが付けられる。胸元のマイクも別のものに替えられた。
そしてまた、再開した。
「じゃあ、目を開けて!」
NYMUちゃんの声に、目を開ける。
変わらぬスタジオの光景。しかしモニターの中には、廃墟の古城ではなく活気あふれる街並みが広がっていた。
そして。
──"さぁ、捧げよう。
ああ、やっぱりか、と思った。
イヤホンから流れてくる、遥香さんの声。サプライズを用意している、というのはわかっていたし、全く関係のないヤツを呼ぶというのも、HIBANaであれば納得は出来る。視聴者は納得しないだろうけど。
転生先と転生元のコラボだ。おそらくあちらのコメントでは「大丈夫なのか」とか「いいのか?」とか……そういうコメントが咲いている事だろう。
何が大丈夫じゃないのか。
「──夢を掴め」
──"夢を掴もう!"
だから、言う。冒頭の台詞部分を、HIBANaの声で言う。
結局、転生が嫌われるのは──捨てたと。見捨てられたと思うからだ。転生した事実を認めず、過去を隠さんとするからだ。それ以外の理由も勿論存在するが、元ファンが批判者と化するのは、それが大きな理由だと思っている。
故に、認めよう。記憶の摩耗したHIBANaは、皆凪可憐と全く関係がなく。そうでありながら、HIBANaには、ワタシには、影響を及ぼした誰かが存在する事を。
「──皆で、進め」
──"皆で進もう!"
知らない言葉を紡ぐ。知るはずの無い言葉が流れる。
そしてそれは──確実に、あちらにも届いている。
「──早く来い、ワタシのいる所まで」
──"行こう、先の先まで!"
かつて共に組んでいた円陣を思い出す。前は六人だった。今は、五人だ。フォーメーションも変わっている。六芒星は五芒星へと転じ、星になった。
高みへ行くには持って来いだ。花火よりも高い位置に、星はあるのだから。
通話が切れる。
「おーい、王様! 早くこっちまで来てー!」
そのタイミングで、NYMUちゃんが少し離れたところに作られた台の上で、大きく手を振った。
ゆっくりと立ち上がり、台を降りる。ゆっくり、ゆっくり。まるで足の重さが無いように。まるで体の重さが無いように。少しずつ、NYMUちゃんの元へ近づいていく。
「あぁ、アナタは、とても活力のある魂をしているようだ」
「ありがとう!」
「それで、今度はどこへ連れて行ってくれるのか」
『ヒアモリの塔』は流れていない。ならば、まだ台本に無いことが起きる。
NYMUちゃんは台の上から降りて、ワタシを指さした。
違う。
後ろだ。
「……」
そこに、いた。今さっき。イヤホンの向こうから聞こえていた声の持ち主達が。MINA学のスタジオとDIVA Li VIVAのスタジオは車で一時間くらいの距離にある。瞬間移動でもしない限り、この一瞬で移動できる距離ではない。
だから、最初から。
彼女らは──DIVA Li VIVAの収録スタジオにいた、という事だ。
「やぁ王様。いつぶりかな?」
「これは、夢か」
「そうだ。これは君の夢だ。NYMUの力に便乗させてもらったよ」
「ならば、アナタ達は」
「幻影のようなものさ。過去ではないし、未来でもない。好きだろう、そういうの」
カンペが出る。HANABiさんと社長、原坂さんが許可を出している、だって。へぇ。そういえば言ってたね、あなたに吐いている嘘がいくつかある、って。
だって、そうか。そうだよね。一番。最初に出した、HANABiさんからの依頼で歌った動画。あれは、可憐がいなくなってしまった事への愚痴だった。愚痴だ。そうだ。彼女は、今でも──未練がある。散々彼女の天才性を聞かされたけれど、もしかしたら。手を付けた作品で、初めて未完成に終わった作品だったりするのだろうか。可憐。皆凪可憐が。
ああ、そんなにも公私混同をするのか。知らなかった。わたしの価値観では、それは許されない。けれど、どうだ。それは──新しいと、錯覚できる。未完成だから、無理矢理手を加える、なんて。「戻ってきてほしい」とか「帰ってきてほしい」とかいう人たちと、まるで同じじゃないか。
違う。まるで、じゃなくて。同じなんだ。あの人は。本当に。同じ。
「この身はもう、動かない。ヒトのそれではない。だが、声は残っている」
「十分さ」
「アナタ達は、ワタシをなんと呼ぶ?」
「HIBANa。散るように生きなよ。名前らしく」
言ってくれる。
そして、今まで話していた遥香さんの後ろから、懐かしい顔が現れた。
「いなくなった人に、戻ってきてほしいなんて言うのは、残酷だって思うよ。そんな、足を引っ張るような事、したくない。同情を誘うような事、したくない。だから、戻ってきて、なんて言わないよ。可憐に、戻ってきて、なんて言わない」
とうとう名前を出した。しかも、ワタシに向かってだ。この場の映像がどれほど残るのかはしらないけれど、少なくともあっちでの生放送……二周年記念イベントでのアーカイブには残るだろう。編集で消そうにも、恐らく何千人の記憶に残る。
それをやってのけるのは、度胸か。あるいは、余程人生を楽しく過ごせる人間か。
あぁ、これが褒め言葉になるのが、リーダーだった。
「一緒に歌ってよ、HIBANaさん。あなたが歌ったことのない歌を、一緒に」
HIBANaが歌ったことのない歌。
つまり、可憐の卒業後に出た歌──ではない。あれは五人で歌うための譜割になっている。この場で。即興で。練習もなく、やるというのなら、それは。
あぁ、コメントが気になる。もっと杏らしさを取り戻さないと、HIBANa色が強くなりすぎる。批判を見るのは、自己暗示を解くためのキーのようなものなのに。独白さえもHIBANaに影響されている気がする。
「アナタは、どうする」
「私は踊るよ。そこに、好きな人がいたんだ。完璧」
用もなく事務所にいたのはその練習か。高校生の癖に遅い時間までいたのを咎めた事もあったし、撮影が無いと言っていたくせに休憩スペースにいたのを見る事もあった。
ダンスはそんなに簡単なものではないけれど、可憐のパートに関してはそこまでの難しさは無い。ポテンシャル差が存在するから、あまり足を上げたり跳んだりするものは与えられなかった。だからと言って、そんなすぐに覚えられるものではないはずなのに。
あぁ、もうこれはどうしようもない。相手は生放送だ。収録のようにうだうだと考え込んでいる時間は無い。カットが出来ないのだから、即断即決がキモだ。
サプライズが来るのはわかっていた。聞かされそうなものをピックアップして、HIBANaで発声する練習もした。それで終わりだと思っていたけど。
「わかった。歌おう」
「ありがとう!」
モニターに映る、NYMUちゃんの衣装が変わる。いつものどこか未来チックな衣装から──どこか鉱石を思わせる、キラキラした衣装。MINA学園project全員の衣装との共通点を持ちつつ、アレンジの加えられたソレは、あの人の作品だろう。アレンジ。アレンジだ。
声を吐く。息ではない。声を、深く深く吐いて──吸う。
まぁ、なんだ。
わたしはかつて、Vtuberだった。
そして今、ワタシはバーチャルシンガーとなった。
その時々の、全力を尽くす。ならばシンガーとして、強く歌おう。
「『空が零した夢』」
わたしの目的地が、空である理由を。
〇
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