わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
あの場所に
高校生である彼女をリーダーに据えよう、と言ったのは、遥香さんだった。
MINA学園projectは元々姉妹で活動をする予定だった二人を基礎に作られたユニットであるのだから、その姉の方をリーダーにする、というのが最もしっくり来ると、そう思っていた。けれど、遥香さんが"リーダーは柄じゃないんだ"と辞退。わたしはそもそもリーダーには向いていない性格で、アミちゃん梨寿ちゃんは年少で責任が重い。
よって雪ちゃんか千幸ちゃん。そのどちらかを、リーダーにしよう、という話で纏まっていた。
雪ちゃんは、正義感の強い、まっすぐな性格だった。正義感。あるいは、正道を行く、と言った方がいいか。強い心。不屈で、諦めが悪くて、頑固で、粘り強くて、根性のある子。
千幸ちゃんは、頭の回転が早くて、少しだけ感情を抑えがちで、周りが見れて、人の意見がしっかり聞ける子。
どちらも、自分がリーダーになりたいとは言わなかった。
だから遥香さんは進言したんだろう。千幸ちゃんがリーダーであった方が、"うまく回りそうだ"と。そう言った。
リーダーを決めない、という手もあったけれど、外部コラボをする際や意見が分かれた際など、権力的なそれでなくとも"一番"がいたほうが何かと便利なのだ。年も真ん中目で、適任だった。責任はある。肩代わりできると言っても、リーダーであるという重責は、名前は、しっかりとストレスになるはずだ。
それでも、彼女は受けた。その進言を。
それが必要なことであると、判断したのだ。
「改めて──久しぶりだね」
「うん。久しぶり。大学は受かった?」
「受かったよ。もうすぐ、新生活が始まる」
「続けるんだ?」
「続けるよ。ずっと。やめたくなるまでは、続ける」
つまるところ。
今まで、一切。心の底から、やめたくなった事は。一度も。
「身長が変わってないからかなぁ。全然、変わった感じがしないや。HIBANa、でいいのかな。カリンさんの方が良い?」
「HIBANaでいいよ。ありがとう。そして、身長は0.000005km伸びたよ」
「じゃあ全然変わってないね」
コロコロと笑う彼女──千幸ちゃん。皆凪可憐であった時こそリーダーと呼んでいたけれど、卒業してからは普通に千幸ちゃん呼びだから、違和はない。千幸ちゃんだ。ほとんど──配信でキャラを作っていない、千幸ちゃん。わたしは勿論、雪ちゃんや遥香さんでさえ口調を変えたり言葉選びを変えたりしているのに、この子は素のままだ。NYMUちゃんのようにテンションが変わるわけでもない。
等身大、と呼ぶには変な感じだけれど、まるで画面の中からそのまま出てきたような子、というのが──初対面。そして、今なお彼女に抱く、印象。
「少しだけ、弱音を出してもいい?」
「いいよ」
「うん。私ね、実は悲しかったんだ。悲しかった、っていうか。今も、ずっと悲しい。みんなに帰ってきてとか戻ってきてとか言わないようにね、って言っておきながら……私はずっと悲しかったんだ。ずっと一緒にいられると思ってた」
「学園は卒業するものじゃない?」
「わかってる。私が悲しかったのは、その後。落ち着いたら連絡くれるかな、と思ってたら……一年間。ほぼ一年間、一切の連絡がないんだもん。"ああ、あれで縁が切れちゃったんだなぁ"って。思ったよ」
……それはまぁ、こっちの落ち度かもしれない。
わたしが可憐の存在を認められるようになったのは、つい最近のことだ。求められすぎて、億劫になっていた。感傷に浸されすぎて、忌避感が生まれていた。だからそれまでは一切の連絡をせず──皆凪可憐を封印していた。
それが。それは。傍から見れば。というか──メンバーのみんなから見れば。
縁を切ったと。そう思われても仕方がない。実際、彼女を認めるまでは、そのつもりだったのかもしれない。
「だから、"聞いたことがありすぎる声がいた"っていうのを亜美ちゃんからDMでもらった時ね。ソレを聞いた時、もしかしたら、って思った。思っちゃった。完全な一般人になってたら、もう会えないかもしれない。会えない可能性の方がゼッタイ高い。だけど、もし。少しでも……違う名前でも活動をしてくれるなら、また会えるのかな、って。縁はまだ切れてないのかなって。希望を持った」
「受験シーズンに余計な事考えちゃダメじゃん」
「受験シーズンに歌動画出す方が悪いよ」
「理不尽だなぁ」
笑う。希望。そう言われて、少しだけ……なんだろう、嬉しいと思う自分がいた。
だから、そうか。彼女は。千幸ちゃんは。
この子は、わたしを見ているんだ。可憐を通してわたしを見ている誰かでも、わたしを可憐と見て接していたみんなとも違う。この子は、わたしそのものに繋がりを感じていた。
糾弾するでもなく。引き戻そうとするのでもなく。
演者だ。わたしは。どこまでも。どこからも。端から端まで、演者だった。視聴者には演者ではなく役を見てほしいと思うし、むしろ触れてほしくないと思うけれど……彼女は、何だろう。
かつての仲間。友人、ではない。それよりももう少し深くて、でも遠い関係。
「そうしたら今度は、でっかい所でデビューしたでしょ? あの時思ったんだ。切れそうだった縁が、少しずつ太くなっていってる、って。オカルトだって笑う?」
「その方が面白いね、って言う」
「うん。そう言うって知ってた。それでね、HIBANa。その太くなっていっている縁は、私が望めば望むほど……頑張れば頑張る程、太くて、強くて……近くなっていくって。そう思った。思う事にした。そしたらね、大学入試、受かったんだ」
「それは関係ないと思う」
「やっぱり?」
「心の拠り所にするのは良い事だと思うけどね。不安を拭えるのなら、ちょっと誇大妄想入ってたって宗教とそう変わらないよ。安心感は必要だし」
「出た、久しぶりのよくわからない話」
「適当言うの大好きだからね」
仲の良い人と会話すると、どうしても詩的になってしまう。リズムが乗ればポエムコア。吟遊詩人の才能があるかもしれない。楽器は出来ないので殴打用。
「でも、そう。結構……目標に出来た。落ちたら多分、配信なんかやってる余裕ないだろうし。勿論大学でも勉強するよ? でも、心の余裕みたいなのがないと色々大変だろうし。HIBANaに会いたい、って。それだけで、ずっと暗かった、不安だった受験勉強に、光が差したんだ」
「何か報酬をもらってもいいヤツ?」
「何が欲しい?」
「高校生に集る程大人止めちゃいないよ」
「ハグならどう?」
「何故欲しいと思ったのか」
構わず抱き着いてくる千幸ちゃんを、受け止める。
なんだね。そんなに……寂しかったのか。一年。一年か。そうか。わたしは……忙しかったから、体感3ヶ月くらいの感覚だったけど。高校生はまた、違うか。勉強で早く感じるかもしれないし、空白で長く感じるかもしれないし。
なんにせよ。これで、目標達成、なのかな。
「雪ちゃんがね」
「ん」
「"私は辞めないけどね"って……言っちゃった事、凄く後悔してた。正しくありたい、って思ってたのに、自分の心はこんなにも醜かったって。最低な人間だった、って。ずっと言ってた」
「わたしももっと早くに言うべきだったと思ってるよ。違うか。最初から。辞めるつもりで入った、って。言うべきだった」
「そんな事言ったら、遠慮しちゃってたかも。こんなに仲良くなれたかなぁ」
「なれたよ。わたし以外の誰かがそれを言っていたら、わたしは距離を置いただろうけど。みんなは、むしろ距離を詰めてきたよ。縁が切れそうだった、ってさっき言ったけどさ。切ろうと思ってたよ。切られると思ってたからね」
だって、裏切りだ。
わたしは辞めるつもりだった。満足して辞めた。その事実に、卒業をした事そのものに、何の悔いも無い。個人的に。わたしのみの完結で、自己として。円満だ。大団円クラスのハッピーエンドだった。
でも、MINA学園project総体としてみたら、裏切りだ。あるいは、欠落か。
メンバーが卒業した、という負債はどうあれ残る。卒業できる場所であるというステータスもつくかもしれないけれど、この若い業界においては、そのステータスはあまり意味をなさない。
もっと人数の多い箱であれば。卒業も引退も、悲しいけれどよくある事、であるような箱であれば、違ったのだろう。でも六人だ。クリエイター陣を入れても十二人。一人が抜ける、というのは……身を裂かれる思いだったのかもしれない。わたしにはその痛みを理解することは出来ないけれど、ショックはあったのだろう。
今までずっと、視聴者の話をしてきた。視聴者の事を、その反応を見て、色々考えていた。
だからずっと、みんなの事は無視していた。
「ありがとうね。無いものとして扱わないでくれてさ。場がしんみりするから、名前を出しちゃいけない人、みたいにしないでくれてさ。みんな、結構頻繁に名前を出してくれて。可憐を完全に忘れずにいられたのは、みんなのおかげだと思うよ」
「それは、みんながいる時に言おうよ」
「それはそう。でもホラ、千幸ちゃんはリーダーだから」
代表だから。持っているでしょう。みんなの気持ち。
前にも述べたけれど、エモの材料に使うのは、オタクとしてはアリだ。ならば加えて、エモの材料でなく。単純に、思い出話を話すのは、本当に嬉しい。視聴者は勝手にしんみりするかもしれないし、勝手に悲しむのかもしれないけれど、発信は受け取り手で変わる。それは同時に受け取り手が受け取った感情など、発信者は持っていなかったかもしれない、という事だ。
すべての視聴者が"そう"受け取ったことも、もしかしたら。わたしだけは、"そう"受け取らないでいられたかもしれない。あるいは可憐をもっと早くに認めていられたら。
「でも、辞めた事は本当に後悔していないし──皆凪可憐をみんなの許に預けられた事を、誇らしく思う」
「娘さんを、お預かりいたします」
「娘なのかなぁ。どちらかというと、会ったことのない姉妹、って感じだけど」
「実はね、私。
「いきなりだね」
カリン、というのは。わたしが皆凪可憐になる前に使っていた、ハンドルネーム。とあるコミュニティに集った十人。二人は配信者。四人は候補者。四人はクリエイター。候補者は配信者となり、クリエイターは二人が追加で参加した。
相変わらず。HIBANa以外のハンドルネームは、全部本名と関係がある。特定が余裕過ぎる脆弱セキュリティ。
「演技っていうの。私は出来ない。全く別の人になりきって、同じはずの声が別人に聞こえるし、性格も趣味も違って、同じ質問をしても違う答えが返ってきて、それがあらかじめ考えたものじゃなくて。"キャラになって考える"っていうのは、凄く憧れた。ゲームのスキルみたいだな、って思ってた」
「ゲームタイトルは?」
「カリンの塔」
「随分攻めたね」
詳しくは知らない。
「何にもなかったよ」
「……まぁ、思春期はどっちかだよね。全能感か──無力感か。どっちかに振りきれる」
「頭が良くて、ダンスの振り付けを考えられて、いつもどっからか面白いお話を持ってくる遥香さん。運動神経抜群で、六人の中でダンスが一番踊れて、でも泣き虫な亜美ちゃん。お絵描きが上手くて、遥香さんと同じくダンスの振り付けをいっぱい知ってて、しっかりしてる梨寿ちゃん」
「運動神経は壊滅的だったけど」
「それが可愛いんだよ? ……雪ちゃんは、とってもカッコよかった。どこまでもまっすぐで、"凛としている"ってこういう人の事を言うんだな、って思った。芸術全般、家事全般。なんでも出来る人だ、って」
「本人は何も極められないのよ、って言ってたけどね。器用貧乏が悩みだったって」
「知ってる。私には作れない、すっごく美味しい料理を出された後に、でもレストランで出すような味にはならないから、って落ち込んでた。何を言ってるんだろう、とは……ちょっと思った」
「流石」
あの正義感の塊は完璧主義者というか、目標地点がめちゃくちゃ高い。富士山を一息で飛び越えられない事を悔やむような人間だ。自身に満足する事柄があるのかどうか。歌でさえ、ずっと上を目指している。
「何にもないなぁ、って。ずっと思ってた。みんなキャラ濃いなぁって思ってたし。遥香さんがリーダーっていう目立つものを渡してくれた時は、同情されてるのかも、って思った」
「あの人に同情という感情があると?」
「無いんじゃないかなぁ」
「良かった。幻覚を見ているのかと」
同情を誘いに来たくせに、自分は持っていないのだ。
図々しいにも程がある。まぁ、結果。彼女が訪ねてきてくれたから。こうなっている。遥香さんが訪ねてきてくれなかったら……今、みんなとこうして親交を戻すことが出来ているかどうかは、わからない。
疲れないのかな、とは思う。
「その時はまだ遥香さんの事よく知らなかったから、そう思ってた。リーダー属性を付け足せば、特徴のない私に特徴が出来るからなんじゃないかな、って。……実際の所は、本当に違ったのかはわからない。私は初めてリーダーっていうのをやったんだ。学校ではそういうの、やらなかったから。初めて。初めて、やって。向いてる、って。思えるようになった」
「前を向くようになったよね。明るくなったってわけじゃなくて、顔を上げるようになった」
「そんなに俯いてた?」
「雰囲気」
……なんか前に、遥香さんと同じようなやりとりをした気がする。これがデジャヴか。理解した。
「みんなの意見を集める事がね、楽しくなったんだ。正しいんじゃなくて、良い道を探すことが楽しくなった。リーダーって呼ばれるのも嬉しいし、相談を受けるのも凄く嬉しくて、楽しかった。これが向いている事なんだって。生まれて初めて。"向いている"って感覚に出会った」
「向いてる事、ね」
わたしなら、歌。演技は自然と培ったものだ。だから向き不向きじゃないように思う。
自覚が無いだけ、かもしれないけど。
「だから遥香さんにはすごく感謝してるし、MINA学園projectでVtuberになれたことが本当に良かった」
「まるで引退をするかのような話だぁ」
「しないよ」
焦ってでもなく。断言する。
ヒュウ。随分と、強くなった。
「最初は羨ましかった。段々楽しくなって、誇らしくなって──寂しくなった」
「感情七変化だね。グラデーションにしては荒いかな」
「それで、今嬉しいよ。嬉しいし、楽しいし、誇らしい」
「羨ましいと寂しいはどっかへ行った?」
「ううん。可憐ちゃんがいない事、寂しいし。HIBANaが大きなトコであんなに凄い歌を歌っているのが羨ましい」
「グラデーションから合成になったね」
「全部の色を混ぜるとどうなるんだっけ」
「色なら黒だし光なら白」
「どっちが好き?」
「HIBANaは影法師」
「でも火花は光でしょ?」
じゃあ、どっちもで。
すごく。豊かになったらしい。良い事だ。
「千幸ちゃんの名前って、そのままだったよね。たくさんの幸せが欲しい、って」
「雪ちゃんと被ったときはどうしようかって話になったけど、込められた意味が違うからいい、ってなったね」
「今、幸せ?」
「すっごく」
「いいね」
ようやく、体を離す千幸ちゃん。
長い長いハグだった。寒い日にはちょうどいいくらい、温かくなった。暖かくなったかもしれない。
「そういえば自分の苗字、書けるようになった?」
「うん。もう間違えないよ」
「見習いは脱出できたかい、
「全然。ずっとみんなに教えてもらってる。これからも引っ張っていくつもりだけど、みんなを見失うことは無いよ」
「うん。頑張ってくれたまえ」
「また会える?」
「いつでも会えるし、いつでも連絡してきてよ。また深夜まるっきり通話とかしよう。平日はダメだけどね」
「……本当に、また会えてよかった。可憐ちゃん。カリンさん。HIBANa。それじゃ、またね」
「また」
言って、別れる。
別たれる。道は分かれて、けれど、永遠に交わらないわけでもない。区画開発が激しいのだろう。思わぬところでぶつかるし、上下ですれ違うかもしれない。
ならばそれを、わたし達は縁と呼ぼう。
切れていなくて。切らなくて。
本当に良かった。
●
小さなことで怒る事が、人生を楽しく生きるコツである、と言った人がいた。
寛容に受け入れる事。受け止め、優しく返す事。それらはすべて"我慢"であり、"ストレス"であると。何事もスパイクを起こすより、日常的に消費していくのが健康的であると、そう言っていた。
小さな事で、怒る。ならば、小さな事で喜ぶのもまた、健康的なのだろう。
花が咲いていたから。鳥が鳴いたから。ふと、懐かしい記憶を思い出せたから。喜ぶことを我慢しない。溜め込まない。喜びをストレスにしてしまわないよう、適度に吐き出す。
誰がそれを言ったのか。
……ああ。だから、それを言ったのは、わたしでも、わたしでも、ワタシでもない。
「良かった。怒り続けていたあなたは、悲しみ続けていたあなたは。喜べるようになったんだ。喜びを、耐えなくて済むようになったんだ」
「……アナタか」
「うん。今度はちゃんと、久しぶりだね。王様。前は連れてきてもらったから──連れ出すよ。今から、私のいるところへ」
後ろから、腕を回される。
あぁ、と感嘆が漏れた。感嘆か。愛憎か。哀愁か。
割れていく。パネルの一枚が落ちるように、廃墟の古城が。壊れていく。消えていく。
「勝手な事をするけれど、怒るかな」
「──あぁ、怒ろう。そして、喜ぼう。あの出会いこそが、小さく、小さく、小さく──素晴らしいものであったことを」
そして──。
●
撮影が終わった。
あのドッキリの時に撮った映像の続きでありながら、かなりの時間が経過した設定のシーン。生放送で行われたHIBANaとMINA学園projectの歌コラボ&NYMUちゃんとのダンスコラボはしかし、MINA学園project側のコンテンツになっている。
こちら側では、彼女らは幻影で。
それに繋がる撮影を、今終えた。
「お疲れ様」
「あ、お疲れ様ー」
スタジオ横の更衣室で座っていたNYMUちゃんに、スポーツドリンクを渡す。いつかのお礼。先輩からの奢りに、年長者からの奢りで返す。
わたしもNYMUちゃんももう撮影が入っていないため、スーツの中の薄着……これも後々脱ぐのだけど、温度の保たれた更衣室ではちょうどいいくらいの涼しさのコレで、少しだけ休憩をする。
「お姉さん」
「うん」
「名前、杏っていうんだね」
「HANABiさんか、麻比奈さんとの会話を聞いたね?」
「聞いちゃった」
盗み聞きとは悪い子だ。
「金髪ちゃんは、ニーナちゃんだよね」
「え! なんで知ってるの?」
「麻比奈さんがポロっと」
出会った時には知っていたワケで。
随分と今更だ。
「ぬ……前マネさんめ……!」
「前マネさん?」
「うん。DIVA Li VIVAに入ったばっかの時は、私のマネージャーさんだった。途中から今の人になったんだ」
「へえ。じゃあ色々知ってるわけだ」
「プライバシーの侵害だー!」
「聞かない聞かない。直接話してくれるでしょ?」
「……うん」
マネージャーさん側もそんなの話したら仕事に関わる。守秘義務あるだろうし。
しかし、前はNYMUちゃんのマネージャー。ふむ。麻比奈さんは結構前からいるのかもしれないな。
「それで、わたしの名前がどうかしたの?」
「お姉さん。私は結構頭が良いのです」
「へぇ、衝撃の事実」
「そんなに?」
「オタク的意見で言えばアホの子だよね」
「ひどすぎる」
元気っ子がアホの子なのは相場。
「で」
「ゴホン。それで、お姉さんにドッキリを仕掛ける時、実灘さんからこんな話を聞きました。お姉さんはデビューするとき、皆凪可憐と皆影蓮菜という名前でかなり迷っていた、と」
「プライバシーの欠片もない人だねあの人」
「打ち合わせの時とか、ダンスの練習をする時とか、結構お話したのです。色々聞いちゃった」
「結びなおされた縁が早くも切れそうだよ」
「それで、それで。わたしは頭が良いのです。皆凪可憐と皆影蓮菜には、共通点がありました!」
……。
まぁ、わかりやすい。
「皆の字、なんて言わないよね」
「うん。言わない。頭が良いので!!!」
「天才!」
「わーい!」
本当にこの子高校生なんだろうか。幼稚園児では?
「ふっふっふ。二つの名前をローマ字に直すと、なんと同じ文字が使われているのです!! 世紀の大発見……!」
「まぁ、そうだよ。アナグラム。アルス・マグナ」
「ある……?」
「MINANAGI KARENとMINAKAGE RENNAは、アナグラムで合ってる」
そうだ。
そして。
「お姉さんの名前は杏。ANNを引いて、残る文字が──お姉さんの本名であると、推測しました!」
「ゴツい苗字だから、あんまり可愛くないんだけどね」
そう。
皆凪可憐と皆影蓮菜は、
脆弱セキュリティ。
「正解?」
「うん、正解」
「じゃあ、私も私の名前を教えてもいいですか」
「教えたいの?」
ぐい、と身を乗り出して。
言う。聞いてくる。言ってもいいか、聞く。
「教えたい。教えて──Vtuberとしてじゃなく、私として、お姉さんの隣に行きたい」
「隣? 今も随分隣だけど」
「お友達に……なってください」
何故か手を差し出して、頭を下げるNYMUちゃん。
……まぁ、心の壁があったのは認める。わたしはとことん排他的な性格だから、友人だの友達だの上っ面を並べておいて、そこまでは踏み込まない人間だ。それを。NYMUちゃんは、入ってくると。入って来たいと、言いたいのか。
ああ。なら。
「うん、いいよ。友達になろう。教えてくれるかな、名前」
名前とは、相手を認めるために呼ぶのではない。
相手に認めてもらうために、呼びかけるものだ。わたしを。わたし本人を。ずっと隠していた芯の部分を。
「アニーナ・マージリンって言います。これからよろしくお願いします!」
「ほんとに?」
「うん。だから、運命だと思った」
「惜しいね、Kが無い」
「う」
「全く一緒より、ちょっとくらい違った方が良いよ」
さて、と立ち上がる。
「どこ行くの?」
「シャワーだよ。一緒に入る?」
「え」
「なーんて、冗談。流石に狭いよ」
……この流れもなんかやった気がする。デジャヴ二個目。
とりあえず。
久しぶりに、本名を教えた友達が増えた事を──喜ぼう。
「早く浴びて、早く帰りなよ。風邪を引いたら元も子もないからね」
手をヒラヒラ振って。
わたしは、シャワー室へ入るのだった。
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