わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
「私は、自分にあまり自信が無かったわ。出来る事しか出来ない。出来ない事が出来なかった。それが、心から悔しくて、心から嫌で……心から、怖かった。いつか捨てられるんじゃないかって。いつか見捨てられるんじゃないかって。いつか、もういいよ、って。突き放されるんじゃないか、って……ね」
「基本ネガティブだよね、雪ちゃん」
「……貴女は本当にポジティブで、羨ましいわ。最初に意見がすれ違った時、"あぁ、この人は無敵なんだ"って思った。あらゆるものを自己にとってポジティブな要素であると考えられる、私には絶対に無理な思考をしていて、あまりにも眩しいって。そう思った」
ずっと。対抗心があったわ。
そう、雪ちゃんは言う。
「同い年で、自己紹介の時の得意な事も同じ。歌だった。むしろそれ以外に得意なことは無いと言っていたわよね。本当に。最初は、ずっと嫉妬していたわ。絶対に見せなかった……見せたくなかったけれど、本当に、ずっと。ずっと。ずっと嫉妬してたのよ。"なんでこんな、何にも出来ない子が、こんなにもポジティブなんだろう"って。"なんであんなに幸せそうなんだろう"って。私はちっとも、幸せになれないのに」
「まぁ、"物事の楽しみ方"みたいなものを知らなそうな子だな、とは思ってたよ」
「ええ、そう。私はあの頃、楽しむ事が苦手だった。嫌っていたかもしれない。MINA学園projectに応募したのだって、そんな自分を変えたかった、っていうのが二割くらいはあるわ」
「残り八割は?」
「インフルエンサーになるのに手っ取り早いと思ったのが、六割」
「アイドル好きが二割?」
「……そう」
なるほど。
結構、利用する気満々だったというか。自らの正しさを押し通すために、必要なものが何かを知っていたのか。
「貴女は大学生になってから、PCに触れたのだったかしら」
「ううん。Vtuberになってからだね。それまではずっと携帯端末」
「……それが信じられないくらい、私は結構な時間……PCに触れていたわ。情報の収集やプレゼンをする時に必要不可欠で、創作をする際にも何かと必要になるものだから」
「それでよくその性格でいられたね」
「……そう、思うわよね。ええ、私もそう思う」
悪意の温床で。よく。
「気に入らなかった、というだけなのよ。多分だけれどね。悪意や害意が当たり前になっているインターネットが、許せなかった。でも、単なるインターネットを使用しているだけの人間が何を言ったって……SNSやブログやらで何を言ったって、だれも見向きもしないわ。誰にも声を届けられないし、何の説得力も生み出せない」
「じゃあ、有名になるしかないね」
「そう。私は私の声を通すために、有名になる手段を得る事にしたわ。でも、不誠実を、不祥事を為して有名になっても意味は無いし、自分一人で面白い事をやる自信はなかった。ネガティブなのはその通りなのよ。自分が楽しむ事を苦手としているのに、誰かを楽しませることなんて考えられるはずがないの」
雪ちゃんは言いたいことがある時は雑談配信を、それ以外の時は、意外にもゲーム実況をしている。個人的に思う所はあれど、事実としてそれをやっている雪ちゃんは、それなりの人気がある。そういう、なんだろう、倫理観系統のゲームをよくやるので人気の半面コメント欄は嵐なのだが。
楽しいことは、基本遥香さんが考えていた。楽しい方へは、千幸ちゃんが導いてくれていた。
だから、怠惰。惰性。怠っていたのだろう。わたしも、雪ちゃんも。楽しさを自ら生み出すという行為を。
「そんな折に、MINA学園projectが募集をかけていた。天啓だったわ。私の目に付く場所で、Vtuberユニットの募集。ユニットだもの。箱推しが出来てくれば、私の声も届きやすくなると……全部、打算だった。正しい事、だの。正義、だの言っておいて。私は……こういう人間なのよ」
「わたしがVtuberを目指したのだって、ちゃんと夢があったからだけど、MINA学園projectに愛着があるわけじゃなかったよ。一応、就職までに実現できればいいな、程度の熱意だったし。結局それは実現しなかったけど、十分、満足できたから辞めた。VtuberやMINA学園projectにしっかり熱意を持っているのは遥香さんと梨寿ちゃんくらいじゃない?」
「……そうね。そうなのかもしれないわ。それでも、私は……こういう自分がとても嫌いだった。自分を嫌いながら、段々と増えていく視聴者に何かを掴んでいると勘違いして、言いたいことを言い始めたわ。間違っている事を間違っていると。正しいことなのに塞ぎ込むのは違うと。叩くものを、褒めるものを分別しなさい、と」
「配信を見に来てる人は"説教されに来てるわけじゃない"ってなるだろうね。配信内容がラベリングされてないのが生配信の悪い所だよ」
それに対し、"じゃあ見なければいいじゃないか"と言う反論を、誰かが必ず行う。でもその人だって、説教を見に来ているわけじゃない。"何事かを話す雪ちゃん"を見に来ているのであって、内容は特に聞いていない。ただ、"何事かを話す雪ちゃん"を否定されたから噛みついているだけだ。説教を見に来ている人間なんか、極々一部もいないだろう。
じゃあラベリングすればいいのか、と言われると、それも違う。そういうのがあるとわかった途端、他人の思いを踏みにじる事で快感を得ている奴らがこぞって集まりだす。馬鹿にすることが気持ちよくて仕方がない連中がお祭り騒ぎをしだす。
それは、自衛手段を持たない配信者にとっては毒にしかならない。異文化の残虐なお祭りを見せられているようなものだ。
しかし雪ちゃんは、それを敢行した。
雑談の後に、【言いたいことを言います】とか【許せない事がありました】とか、誰がどう見ても荒れそうな文言を毎回つけるようになったのだ。何度か、わたしや遥香さん、千幸ちゃんが諫める事があったけれど、それを"大丈夫よ"と、断った。
「だって私は、それを……そういう、"荒れるから正しいことが言えない"というインターネットの現状が嫌で、インフルエンサーになろうとしたのだもの。貴女の言う通り、視聴者には私の話を聞く気なんて、私の言葉を聞き入れる気なんて、欠片も無かったのでしょう事はわかっていたわ。聞いてくれる人は、そもそもわかっている人で。わかっていない……わかる気が一切ない人が、大多数であることくらい。知ってた」
「……ああ、なるほど。関係ない、というか。そうじゃない、のか」
「ええ、そうよ。わかってない人が大多数だとして。私の言葉の一切が届かないのだとして。……それが、諦める理由になるか、と問われたら、そんなことはないわ。根競べ、というものよ。私は、絶対に折れないし絶対に退かない。私の言葉を聞き入れる気が無い人達は、どの程度の覚悟があるのか、って。飽きていなくなっても、また来ても、スナック感覚でも、粘着して中傷を続けても」
私は絶対に折れない。諦めない。常に全力で、わかってくれるまで話し続ける。
強く。言う。
事実など、関係が無い。そんなことは知っている。だからなんだ。それが、私が言葉を失う理由になると思っているのか。
雪ちゃんは。言う。
「それが私のエンターテイメントよ。私は言いたいことを言い続ける。それが気に入らない人は私を叩き続けるし、面白がっている人は私で遊び続ける。互いに身勝手。関係が無いわ。口の中に銃口を突き入れて、私の思う正義を撃つのよ」
「いきなり物騒になったね」
「貴女に倣ったわ。こういう比喩表現は、貴女が得意だったもの」
そんな物騒なことは言いません。
「……貴女は、違った。最初から対話に意味が無いと言っていたし、自分の意見を言う事も無かった。いえ、言った事はあったけれど、あったとしても……酷く諦めたものだった。最初は、"どんな風に生きたらこんなにも無気力な人間が生まれるのだろう"と思っていたわ。ポジティブだけど、熱意が無い。前向きだけど、誰も見ていない。視聴者というものを、"一個一個の人間"ではなく"一括りのコンテンツ"にしか見ていない」
名前は覚える。個人は認識する。
けれど、総体にしか見ていない。視聴者という存在を、概念としてしか認識していない。
わたしの世界は酷くシンプルだ。基本、相手と自分しかない。複雑なものがなにもない。だからこそ、判断基準という点において他の人間とのズレが生じる。本来であれば中間にあるそれが、こっちかあっち、そのどちらかにしかない。
「許せなかった。悪意を受け入れて、害意を放し飼いにしている貴女が許せなかった。頻繁にエゴサーチをして、傷ついて、傷ついている自分を面白そうに観察して。悪意で、害意で得をしていたわ。貴女は。私よりも遥かにインターネットの使用歴が浅いクセに、この土壌に誰よりも適応していた。許せなかった。本当に許せなかった。そして──ズルい、と思ったわ」
「わたしは楽な方を選んだだけだよ」
「それに嫉妬しているのよ。いい、ここからは、私の特に醜い部分だから」
「聞くから、安心して」
「……ええ。私はね。私より出来る事の少ない人間が、幸せそうなのが──許せないの。だって、私が幸せじゃない。正義感なんかじゃないわ。嫉妬よ。全部嫉妬。嫉妬狂い。悪意も害意も、随分と楽しそうに人を傷つけるわ。人間を貶す事で騒げる。倫理を欠如する事が、知識を身に着けない事が、道徳心を学ばない事が、あんなにも人を楽しそうにするのか、って」
ああ、やっぱり。
溜め込んでいたなぁ、これは。ずっと折れないなんて。生物として無理だ。ストレスは根性でなんとかなる類のものではない。しっかりとした疲労。精神の疲弊。取り除かなければ、発散しなければ、命にまで係わる事もあるくらいの。
「私に対してだけじゃない。綺麗な絵を描ける人が、何も出来ない誰かに貶されて、幸せを奪われているのが心から許せなかった。苦労をして、努力をして、その末に結果を掴み取った人が、何もしていない誰かの心無い言葉で傷ついているのが嫌で嫌で仕方が無かった。それを為した誰かが、まるで大将首を取ったかのように騒いでいるのが。まるで世界を救ったかのようにニヤついているのが」
幸せを得る人間が、違う。
雪ちゃんは──酷く暗い顔をして、言う。冷たい声だ。底冷えする瞳。
こんなものを隠していたのか。ああ、そうだ。雪ちゃんは決して、わたしに。演技が出来る事が羨ましいとは、言っていない。そんなところまで──同じか。
「ずっとよ。ずっと対抗心があった。私達はほとんど同じで、でも絶対に私の方が出来る事が多い。私の方が絶対に、色々なことを為せる。私の方が絶対に──幸せになれる権利があるのに」
私は幸せじゃなくて、貴女はずっと幸せそうだった。
「貴女に酷いことを言ってしまったと、リーダーに言ったわ。でも、それだって……本心じゃない。そう思っているのは確かだし、罪悪感もあるけれど……でも、あの言葉はやっぱり、心の底から出たものなのよ。ずるいじゃない。一人だけ、幸せのまま。私達に影を落として、視聴者を散々悲しませて、自分だけ幸せにどこかへ行く、なんて。ずるいわ。嫉妬するわ。許せない。心から、許せない。許せない。許せない」
「……」
「貴女が歌以外の何もかもを得意としていないという事は、一年と経たずに確信に変わった。何をしても失敗して、すぐにトラブルを呼び込んで、周りに助けてもらわないと、何もできない。でも楽しそうだった。違いを探したわ。何故、って。何故って。何故って。なんで、あんな何も出来ない子が、私よりも──
今までずっと、言葉を選んでいた。
優劣という単語を出さないように気を付けていたのだろうことは伝わっている。
それを覆すほどの激情だ。今なお雪ちゃんは──私に、そういう感情を向けているのだろう。
震える手がずっと握りしめられている。
「対抗心だったわ。何度も言うけれど。私は、ずっと。貴女に勝りたかった。貴女が幸せで、私が不幸せであることが嫌だった。視聴者に言うように、私は貴女に言ったのよ。"私はやめないけどね"って。私は折れない。辞めない。退かない。諦めない。貴女はVtuberを辞めるのだから、失う。私は続けるのだから、失わない。それなのに、それなのに、それなのに! 最後の最後まで、貴女は幸せだった。そのまま、私の前からいなくなった」
激情だ。激しく。苛烈で、鮮血のように噴き出る感情。
勝手にクールな人だと思っていた。正義感の塊だけど、いつも冷静な人だと思っていた。突っかかりはするけれど、感情的にならないし、言葉も荒げない、凄い人だと──勝手に思っていた。
違うのだ。
この人は。この子は。もっともっと──幼い。清濁を併せて吞むくらいならば、大人にならなくていいと。我慢をするから、ストレスに耐えるから、絶対に濁だけは飲み込んでなるものかと。
熱い──狂うような熱量を持った、意志の人。
「貴女にメッセージを送ったときも、意趣返しだった。貴女がHIBANaとしてデビューをしたとき、また、置いていかれたと感じた。失ったはずの貴女は先を掴んでいた。今度はなんとか追いつけるかもしれない場所ではなく、観察のしようがない遠くへ行ってしまった。焦ったわ。とても。震えたわ。凄く」
「"もし帰ってきたら、おかえりって、言いたいかな"って言ってたのは、そういう事か。嘘じゃなかったんだね」
「聞いていたのね。そうよ。貴女が近くにいてくれれば、まだ。私はこの嫉妬を……向ける先を、掴むことが出来る。酷い話だと自分でも思うわ。この暗い物をぶつけるために、貴女にいてほしい、だなんて」
「酷い話だね」
でも。
嘘じゃなく、本心だった、というのは。
その言葉自体はあまり好きじゃないけれど──なんだろう、少しだけ。
ずっと刺さっていたトゲが、とれたような気がする。
「『ヒアモリの塔』にコメントくれたのはなんで?」
「……純粋な気持ちは、二割。反応を返してほしいという思いが、三割。今ここで繋がりを見せておけば、いずれ……また貴女と相見えることが出来るんじゃないか、という打算、五割」
「八割打算だね」
「ええ、そう。卒業した時のままの貴女なら、もしかしたら、と。そう思っていたわ。でも、今回貴女が作り上げたキャラクターは、完璧に、そういう打算の類を打ち砕くものだった。一切の反応を返さない。可憐よりも徹底した無視。この子はまた、出来ない事を増やして──尚幸せを掴んだのだと。狂いそうになったわ。嫉妬で」
「……心境は、変わった?」
少し落ち着いた雪ちゃんに問いかける。
握りしめられすぎて白くなってしまった手はようやく解かれ、しかしくっきりと爪の痕が残っている。
「あまり、変わっていないわ。でも、あのカラオケで、一緒に歌った時。少しだけわかる事があった。貴女は……歌、という部分においては、ほぼ私と同じところにいる。そこだけは対等だと。今の所は、優劣のつけようがない程、拮抗している」
「嬉しいね。雪ちゃんは嬉しいと思える?」
「ええ、思えるわ。だから、歌っている時だけは。その時だけは、貴女が幸せでもいいと思えるの。歌っている間だけは、貴女が許せるようになったわ」
「基本的に一曲四分そこらじゃん」
「四分そこらだけ、貴女を許せるようになった、ということよ」
それは。なんとも。
……随分な進歩なのだろう。ずっとずっと、許せなかったのならば。
僅かでも心休まる期間があるというのなら、それは喜ばしいことだ。
「歌唱の技量については、もっと前からそれは知っていたけれど、遠くなって初めてわかったの。遠くなって、近づいて、許せる部分が少しはあるって。傲慢な考えよ。わかってるわ」
「傲慢でいいでしょ。何様であろうよ。雪ちゃんの世界観で言えば、何でもできる人が一番偉くて、幸せってことなんでしょ? 幸せな人が幸せじゃない人を見下すのは当たり前だって、歴史が言ってるよ」
「その肯定は受け取れないわ。私にとって傲慢は悪い事よ。謙虚をこそ正しいものだと思っている。貴女が肯定したからと言って、それは変わらないわ」
「自戒はするけど抑えられないんだ。人間だね」
傲慢であれ、というのは。わたしの世界観だ。どうせ隠せない悪性が人間にはある。誰も彼もが他人を愚かと見下している。時たまそうでない子が現れて、時代が時代なら聖女だのと呼ばれ、そして必ず損をする。
周囲が守ってくれなければ、必ず。自衛が出来る者ならば、傲慢を従える。
「……ああ、こういうのが嫌なんだっけ?」
「受け入れて戦わない所。本当に許せないわ。今その口に、手を突っ込んでしまおうかと思ったわ。喋れないように舌根を掴んでしまおうと」
「さっきから比喩が物騒じゃない? というか今の比喩じゃなくて、実行手段じゃない?」
「貴女の影響よ」
絶対違う。
「貴女の意見は到底受け入れられないし、意見を言わないのも嫌よ。かといって、簡単に受け入れて達観しているのも許せない」
「八方塞がりだ」
「だから、絶対に貴女とは分かり合えない。平行線よ。仲違いをする気はないし、絶縁なんてもっての外だけれど、仲良しこよしは出来ない。これから多分、誰かが企画した旅行に行ったり、またカラオケに寄ったりするかもしれないけど、一緒に手を繋いで、というのは絶対に無理」
「トマトとゼリーだね」
「……そうね。気もウマも合わないけれど、競い合いましょう」
和解は、やっぱり無理だそうで。
わたしは雪ちゃんの事好きだし、すごいなぁと思うけど、半面、生き辛そうな世界観だなぁと思っているし、諦めたほうがいいよ、と思っている。だから、やっぱりわたしからも平行線だ。
平行線だ。絶対に交わらない。けれど、互いの事は見える。共にはいけないけれど、互いは認められる。
「またね、が良い? それとも」
「首を洗って待っていなさい、が良いわ。お互いに」
「……さっきからなーんか言葉選びが物騒だなぁ、って」
「気のせいよ。あるいは、闘争本能のようなものかもね」
「少年漫画みたいだ」
「読むの?」
「ううん。偏見」
握手はしない。
ただ、笑い合う。和気藹々としたそれというには、些か挑発的な──歯を見せ牙を剥かんとする、威嚇行為。
「それじゃ、いつまでもうかうかしているようなら──素っ首もらいにいくわ」
「そっちこそ、おちおち眠っていたら、真っ先に寝首を搔きに行くよ」
怖い怖い。
ああ、でも、わたしは。
やっぱりこの関係が、心地良い。どれほどの嫉妬を向けられても──人間らしいあの子が、大好きだ。
いつまでもライバルでいてね、雪ちゃん。
●
「身体測定、しませんか」
「Why?」
「何故、と聞かれましても……したいからです」
梨寿ちゃんはもじもじとしながら言う。
何故。もしかして、何かストレスが。あの遥香さんと四六時中一緒にいれば気を違えてしまうのもわからなくはない。
「可憐さんが抜けた事で、メンバーの運動神経格差が激しくなりました。HIBANaさん、責任を取って参考記録を残してください」
「……二周年記念イベントで運動会をやった結果、前は可憐がいたことで曖昧になっていた梨寿の運動できなさ加減が浮き彫りになってて、自分だけ万年最下位の運動できないレッテルが嫌すぎるから、記録としてだけでも可憐のソレを残してもらって、それにさえ勝てれば言い訳が出来る」
「アミちゃん翻訳ありがとう」
ストレスで壊れてしまったのは間違いないが、遥香さんが原因ではなく可憐が原因だった。いや企画したのは遥香さんなんだから、やっぱり原因はあの人だ。
「前身体測定大会みたいなのやらなかったっけ、企画で」
「やりましたけど、あれはVR重きというか、可動モデルをどこまで遠くに飛ばせるか、とか、上空から落ちてくるピンポン玉を上手く体で受け止められるか、とか……ちょっとバラエティ味だったじゃないですか」
「あぁ、何故か後ろに飛ぶアレね」
「可憐と梨寿だけです。後ろに飛ばすのは」
ふん。
「今回のはガチ身体測定だったんですよ。だから、お願いします。HIBANaさん、身体測定してください!」
「……えぇ~」
「嫌そう!」
そりゃ嫌だよ。
そうでなくとも、可憐の身体能力……あー、どうだっけ。どの程度でやってたかなぁ。
「まさかとは思うのですが、身体能力も演技で……?」
「自分よりすごいことは出来ないけど、出来ないフリをするのは出来るからね。正直、vs梨寿ちゃんであれば大差をつけて勝てると思うよ」
「まぁ可憐は下手とは言え一応ダンスもできたし」
「やっぱり下手だと思ってたんだ……」
あ、やば、という顔をするアミちゃん。
……知ってたからいいし。別に。
「……いいんです! 一つでも勝てるものがあればいいんです!」
「うぇ~……まぁ、やってあげてもいいけど、文句は言わないでね」
「ありがとうございます!」
……気が乗らないなぁ。
流石にDIVA Li VIVAのスタジオを使うわけにはいかなかったため、久しぶりに。
久しぶりに……MINA学園projectのスタジオに入った。クリエイターの一人が所有するスタジオ。使いたい放題ということではないけれど、普通のレンタルスタジオに比べて格段に早く安く快適に使える場所だ。
そしてそこに、置いてあった。
記念イベントで使ったままなのか、そのまま、学生時代を思い出す器具の数々が。
「……うわぁ、久しぶりだ」
「久しぶりと、思えるんですか?」
「いやまぁ、演技のキャラクターは自己と別人格だけど、記憶自体が分裂するわけじゃないからね。そこまで行ったら多重人格だよ。だから普通に、久しぶり」
「参賀さんと
「んー、あとで挨拶だけしようかな。お世話になったのは事実だし」
何も言わずにスタジオだけ借りて帰る、というのは流石に不誠実だ。積もる話こそないけれど、挨拶くらいはしておくのが社会人だろう。
「じゃあ、まずは握力測定からです!」
「梨寿ちゃんは何gだったの?」
「……馬鹿にし過ぎではないでしょうか?」
いつになくハイテンションだった梨寿ちゃんが、一瞬で冷える。ごめんて。
「梨寿は7㎏。私は42㎏でした」
「ん、んん? 梨寿ちゃんの7㎏を小馬鹿にしてやろうと身構えていた矢先に何か変なものが聞こえてきたぞぅ。アミちゃんなんだって?」
「左手が40㎏、右手が44㎏でした」
「ゴリラですよ痛い痛い痛い!」
ゴリラのリの辺りで、アミちゃんが梨寿ちゃんの肩に手を置いて、ラの辺りでそれを握りしめた。……44㎏って、男子高校生の平均くらいじゃないっけ。
こわ。
「とりあえずやってみるけど……多分普通に7㎏は超えるからね?」
「つべこべ言わずに早くやってくださいです」
「何故煽ってくるのか」
……心置きなく、この子を泣かそうと決めた。
●
「それで、結果はどうだったんですか?」
「……握力と腹筋と反復横跳び以外、負けた」
「よっっっっっっっっっっっっわ」
「そんなに言うんならHANABiさんもやってよ……!」
「あ、もしかして私が運動の出来ない系クリエイターだと思ってます? 運動は健康維持に必要ですからね、結構運動するんですよ、室内でですけど」
「嘘つき。そんな器具みたことないよ」
「じゃあここに来てください」
椅子の横。HANABiさんの座る横の地面を指さして、ここ、と。
素直に行く。
「よ、と」
「わ!?」
……久しぶりに大声が出た。
まさかいきなり足を払われるなんて思っていない。そして、浮遊感。
仰向けの姿勢。お尻と背中、首にかけてに抵抗。
「軽いですね。随分」
「……」
所謂、姫抱き。もう少し砕くのなら──お姫様抱っこ。
一切の不安定感無く、HANABiさんはわたしを持ち上げている。
「これで証明になりますか?」
「なったからおろしてください」
「前、言いましたよね。私は昔、何でもできたって。芸術関連だけじゃないんですよ。運動も得意でした。姉もそうですね。運動が苦手だから創作へ行ったのではなく、創作が好きだから運動の道に行かなかっただけです。私の場合は嫌がらせ100%ですけど」
「おろしてください」
「社会人だから。忙しいから。通勤で十分運動しているから。そんな甘い考えだから、中学生に負けるんです。運動は良いですよ。脳の酸素を一旦減らして、そこから回復した時のインスピレーションは他と比べ物になりません。これでも毎朝カーテンを開けて日光を浴びる、みたいな事もしているんですよ。クリエイターにとって、健康は何よりも大事ですからね」
「おろしてー。っていうか前寝坊してたじゃん」
「寝坊はしますよ。十分な睡眠時間を取らないと体が弱ってしまうから。約束があったのに寝坊したのは悪いと思ってます。反省もしてます。ごめんなさい」
「HANABiさん?」
「……すみません、ちょっとした悪戯心です。こうして持ってみると、杏さん、凄く小さいんですね。子供みたいです」
「謝っておきながら一切降ろさないのは何故」
「よいしょ」
ようやく、降ろしてくれた。
地に足がついた。足に地面が引っ付いた。ジャンプすれば地球の位置が変わる。
地動ならぬ天動ならぬ自動説。
「運動関係の器具は私室に置いてありますよ。入れた事ありませんから、知らないでしょうけど」
「このマンションまだ部屋があるのか……」
「鍵かかってるので入れませんから、探しても無駄ですよ」
「運動器具以外、何があるの?」
聞くと、HANABiさんは一度口を開いて、閉じて、すぼませて、目を左、右、上、とやって、再度此方を向いた。
「……まぁ、オタクの趣味ですよ。杏さんに見せるものじゃ、ありません」
なんだろう。特大ポスターとかかな。
MINA学園projectはグッズ展開をしているけど、始めたのはわたしが卒業した後だ。だから、わたしはそういうオタクグッズ? というものをよく知らない。
コミックマーケットというものの存在は知っているけれど、行ったことは無い。
「杏さんにはまだ早いです」
「?」
以降、HANABiさんは何も語ってくれなかった。
〇
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