わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
昨今の声優は、ルックスも気にしなければならない。
そんな、あまりにも悲しい噂が流れ始めたのは、偏に声優イベントやデジタルラジオ……ファンの前に出て、喋ること、触れ合う事が増えたからに他ならない。配信媒体の充実と、アニメ終了後に行われるアニメの名を借りた声優のバラエティー。
そこは声優自身の名を広める場所であると同時に、本来ならば裏方に徹していて良かったはずの声優が、無理矢理に表舞台に引っ張り出される晒し台でもある。
声が可愛ければ/カッコよければ顔も比例する、なんて事は無い。無論、努力で変えられる部分もあるだろう。髪型に始まる清潔感の部分は特に。メイクをすれば、底上げも出来る。しかしそれは、言い方は悪いが付け焼き刃だ。
骨格の問題。遺伝子の問題。他、アトピーやアレルギー、傷など、様々な「本人ではどうしようもない見た目の問題」を抱える人間は多い。
彼ら彼女らが演技を志す事は、認められない事なのか。
画面に出た瞬間に、誹謗中傷を受けなければならないと──評価のために、そもそも起用しないなどと。
「そんなことはありません。歌が歌えれば、声を発せられれば、文字が書ければ。絵を描ければ。技術は必要です。努力も必要です。折れない心も必要です」
お立ち台、とでもいえばいいか。
少しだけ高い台に乗った女性が、マイクに向かってしゃべっている。随分と、高尚なことだな、とは思った。
「本来必要な運は、私達が用意しましょう。私達は発信の場を用意します。そこで上手に踊れるかはあなた達次第です。バックアップはしましょう。フォローもしましょう。しかし、成功は約束しません。自分たちでつかみ取りなさい」
所謂歓迎会、のようなものである。
わたしと、他……幾人かの老若男女。別日のオーディションだったのか、それともHANABiさんのような特別枠のスカウト組か。見覚えのない人々が、この会議室らしい場所に集まっていた。
ちなみにHANABiさんはいない。なんでも、もう制作に取り掛かっているのだとか。わたし達のデビュー曲の、MVの。
「この部署……バーチャルクリエイトはまだ発足したばかりの若い部署です。そしてそれは、もっとも先を行く部署であるといえます。DIVA Li VIVAにとっての新しい風を常に吹かせている。そんな場所なのです」
要は表に出られない人間が活躍できる場ですよ、と言いたいんだろう。
……表に出られる人間の思考だな、と思った。別に、自身の容姿を嘆いているわけでも彼女を僻んでいるわけでもない。ただ、なんだかな、と。
一応、Vtuberを志した者として。バーチャルというものに感動を覚えた者として。
──気にくわないなぁ、と思った。
そんな、避難所みたいな。そういうんじゃない。もちろんそういう側面も持っているのは事実だ。自分に自信がない者が、綺麗なキャラクターを通して世界と触れ合える。それはまあ、あるのだろう。そういう目的で入ってくる者も、少なからずはいる。多からず、かもしれない。
でも、それだけじゃあないんだ。それが主目的じゃあ、ないんだ。
「私達は、あなた達の活躍を、心から願っています」
MINA学園projectに集まったみんなの思いが一つだった、などとは思っていない。この人の言うように自分の容姿になんらかの忌避があった子もいるかもしれないし、キャラクターになりたい、と思って入ってきた子もいるだろう。
そしてわたしのように、現実のその先に触れたくて──バーチャルというものに夢を見て、その門を叩いた子もいるはずだ。
わたしは、わたしの世界観においては、それが一番だ。
いつかNYMUちゃんが見せてくれた、あのキラキラしたステージ。世界が瞬時に変わって、見た目がコロコロ変わって、光が出て、空を飛んで、弾けて。
少なくとも。わたしは、ならざるを得なかったのではなくなりたくてなったんだ、と。
「HIBANaさん。HIBANaさん?」
「──……あ、はい」
「貴女の順番ですよ。自己紹介」
……古風な。なんて言葉は飲み込んだ。超大手芸能事務所。なるほど、歴史はあるらしい。
自己紹介かぁ。ウチの会社、仲良くなりたい奴だけ仲良くなれ。名前は名札あるからいいだろ、みたいなところだから、社会人になってやるのは初めてかも。
いや、まぁ、可憐ちゃんとしてなら何度もやっていたけど。
「……」
HIBANa、と呼ばれた。だから、本名ではなくキャラクターとしての自己紹介でいいのだろうか。いや、でも、詳しい設定まだ決まってないし。
軽い経歴とか言えばいい感じかな、と思って会議室の壁際に立っている麻比奈さんを見ると、気を付けの姿勢のまま右手でサムズアップしてくれた。やっぱりあの人面白いな。
とりあえず黙っていてもアレなので、お立ち台の方へ行く。なんというか、見た目が云々を言った癖にこういうコミュ障殺しみたいなことはやるんだなぁ、という感想。わたしは別にいいけど、この場にいたのがHANABiさんだったら泡吹いてたと思う。
女性の退いたお立ち台に立って、五秒くらい、思案する。
いう事。組み立てる。うん。
「初めまして。わたしはHIBANaと言います。かつては別の箱で、Vtuberとして活動していました。歌うのが好きです。喋るのはまぁまぁです。相方のHANABiとの活動が多めになりますが、手伝い得る事があれば出来る限り駆け付けますので、お気軽にご連絡ください」
……なんだかカスタマーサポートみたいになったな。
自分のワードセンスに疑問を抱きながら、マイクスタンドから一歩離れる。一礼。
そのままお立ち台を降りて、元の椅子へ戻った。
特に何を言われるという事もなく、まばらな拍手が起きたのみ。この人たち、多分バーチャルシンガーやVtuberだけじゃなくて、HANABiさんと同じようにクリエイターが大半なのかもしれない。要は他人にあんまり興味がないというコト。
麻比奈さんを見る。
b。
その後も自己紹介タイムが続いたが、驚くことにわたしのソレが長すぎたんじゃないかと思うほど、短い。ひとりひとり。名前だけ、という人もいた。仲良くする気/Zeroか? いやわたしも人の事言えないけどさ。
そして最後の一人が終わり、ようやく。
歓迎会のキモ。ぶっちゃけこれが楽しみだった──立食パーティーに移る。
●
NYMUちゃんが配信内でよく話していた事だった。
DIVA Li VIVAは社内レストランを持っていて、そこでよくパーティが行われる、と。
いやいや一流企業じゃんそれは、なんて思っていたのだが。
「……一流企業ッスわ、これは」
あくまでバーチャル事業は部署の一つ。大手芸能事務所であるここは、お金ががっぽり入っているらしい。こんなラフな格好でいるのが場違いに思えてくる。まぁ他の人も結構ラフな格好なんだけど。この時期に短パンタンクトップはどうなんだ、と思ったりもした。ラフすぎる。
あと着物の人もいた。おめかしなのか普段着なのか知らないけど、気合入りすぎだろう。……いや、わたしがおかしいのかな。そうだ、ここってオーディション……かなり狭き門なんだっけ。
「HIBANaさん、食べていますか?」
「麻比奈さん。……ああ、ここは上司の目がありますもんね」
「ふふ、咎められることは無いと思うのですが、体裁というものがありますからね」
壁際……というか窓際で一人料理に舌鼓を打っていたわたしの横に、麻比奈さんが来る。手には山盛りのサラダ。サラダオンサラダ。温サラダ?
肉も食べましょうよ、と言おうとした。言わなかった。よく見たらお皿の底面に、びっしりローストビーフが敷き詰めてあったから。凝り性だなぁ。
「ほかの人とは話ました?」
「サーモンが美味しくて」
「HIBANaさんも人と話すの苦手なんですか?」
……この場合の"も"は、麻比奈さんも人と話すのが苦手、という意味ではなく、HANABiさんもわたしも、という意味での"も"だろう。そして苦手かと問われると。
「いえ、むしろ好きですよ。知らない人と話すの。……相手に仲良くする気があれば、ですが」
「あー……」
ここでなるほど、と言わないのはプロフェッショナルである。言葉は濁したり濁さなかったりする。これが大人。近くに人がいないわけじゃあないからね。
ついでに、何人か。ちらほら。ちらっちら。
わたしを見ている人がいるのにも気付いている。一人チラッチラどころではない、熱烈な視線を送ってきている女の子がいるのだが、なんとなく面倒くさい予感がするのでガン無視中。
「まぁ、HIBANaさんとHANABiさんは特別枠と言いますか、あまり表立って他の人との絡みを見せるタイプではないので、問題ないとは思いますが……」
「自社内はなるべく仲良くしてほしいよね。スケジューリングするマネージャーさんなら特に」
「あ、いえ、そういうわけではなくて」
「ごめんなさい。HANABiさんにするような意地悪を言っちゃった。……うーん、じゃああの子。さっきからこっち見てる子、話してみようかな」
HANABiさんは、その。弄り甲斐があるから、ついつい意地悪をしたくなってしまう。HANABiさんはそれを意地悪だとわかってくれてるからいいけれど、まだ会って日が浅い人にやるべきではなかったな、と反省。麻比奈さんには立場もあるだろうし、無茶ぶりは控えめにしないとね。
「あの子……? あ」
キョロキョロと麻比奈さんが辺りを見渡して、その子に気が付く……直前か直後か。ほとんど同時。あ、と気の抜けた声を出した麻比奈さんの膝の上に素早く座ったその子……その少女は、キラキラした目と共にその口を開いた。
「お姉さんがHIBANaちゃん、だよね? これ終わったら今日カラオケいかない?」
──……。
圧よ。
少女。多分、高校生くらいかな? あるいは大学生に上がったばかりか……。とにかく恐らくわたしより年下であろうその少女は、屈託のない笑みを浮かべ、麻比奈さんの持ってきたライムジュースのストローに勝手に口をつけ、サラダ下のローストビーフを勝手に摘まみ……自由かよ。
そんな少女を膝に乗せた*1麻比奈さんは、困った顔をしながらも親戚の子をなだめるような……なんだ、優しい表情。
「それはいいけど、金髪ちゃん。君の名前は?」
「金髪ちゃん! 良いあだ名もらいました!」
「NYMUさん、声が大きいです……」
……はー。
へぇ。ほぅ。
ハ行変格不活用。
「NYMUちゃん」
「ううん、金髪ちゃん」
「NYMUちゃん」
「No、金髪ちゃん」
NYMUちゃん。だ。
まぁ、いてもおかしくはないが、歓迎会にいるのは……いや看板なんだからいてもおかしくはない。いてもおかしくはない。いてもおかしくはない……?
しかし。そしてしかし。だがしかし。
……年下だったかぁ。それで幻滅、なんてことは無いけど……同い年か、一個上くらいに思ってたな。なんでだろ。話す言葉がしっかりしてる……こともないし、行動も大胆だし……。なんでだっけ。
「OK、金髪ちゃん。わたしこの辺全然知らないから、安くて音の漏れないところでお願いね」
「任された! それでですね、お姉さん。HIBANaちゃん」
「なんだい」
うーん、なんでだろう。年上だと思ってた理由。バーチャルだから? 何がだからなの?
……一歩先にいる、という事が、年齢も上だと思っていた、って感じかなぁ。我が事ながら難解。
「あの動画、見ました。聞きました。今度コラボしよう!」
「急だね。傾斜87度くらいあるよ」
「ファンです! 今度お泊り会しよう!」
「急だね。180度くらいあるよ」
テンション高い子だな……。わたしは割とダウナーというか、可憐ちゃんの時は結構はっちゃけられていたけれど、素のテンションは割と落ち着き目というか……。いやでも、嫌いじゃない、というか。
NYMUちゃんそのまんまだな、というか。
NYMUちゃんをそのまま幼くして、髪色を青から金に変更するとこの金髪ちゃんになるんじゃないかってくらい、顔も整っていて……そういえばやっぱり外国人だったんだ。じゃあニーナちゃんっていうのが本名か。
そして、何よりその目。
世界が楽しくて仕方がないと言わんばかりの、瞳。
……3Dモデルのエフェクト的な輝きではなく、感情の現れ。
すごく、憧れる。
「ほかに歌った動画、ないの? もっと聞きたいんだけど」
「──……」
そうか。
いや、まぁ。そうか。そうだよね。あの動画でファンになった、ということは。
それまでの事は、知らなかったと。そういう事だ。
別に不思議じゃあない。この界隈は非常に視野が狭い。その箱に入り浸るとその箱がまるまる世界に見えてきて、誰もが知っているものだと思い込みがちだ。わたしはMINA学園projectのオタクだから、日本全土にMINA学園projectの名前が知れ渡っていると……まぁ20%くらい思っているけど、実際は1%にも満たない。Vtuber、バーチャルというものを知らない人の方が多いくらいだ。
そしてそれは、箱の中のライバーも同じ。
これほど大きな箱の中で、常に外の……視聴者を見なければならないNYMUちゃんが、有象無象の他箱を知らないことに何の疑問があろうか。
「
「おお~! やった! それはそれとして今日カラオケ行こうね!」
「はいはい。それと、わたしもNYMUちゃんのファンだから。そこは負けないよ」
「お? よくわからないけどこっちも負けないよ!」
HIBANaが歌った動画は、本当はまだ無い。これを言ったとバレたらHANABiさんがまた拗ねるだろうなぁ、なんて思いつつ、しかし目の前のファン第一号を悲しませるわけにもいかない。断腸の思いである。わたしはそこまで強い思いを持っていないけれど。
「それとさ、金髪ちゃん」
「うん? なぁに、お姉さん」
……ふふ。
スルーしていたけど。そう。これだよ。これ。
なーにが妹扱いだ。わたしはお姉さんなのである。見よこの純粋な目。ふふん。
「なんでもない。そうだ、金髪ちゃん。友達ってこのフロアにいる? 紹介してほしいんだけど」
「おお、いいでしょう! 安心して、お姉さんのあの動画、ディバの仲良しグループラインに共有したから! 布教だ布教だ!」
「なるほど、50万回再生はそれが理由だね」
しかしテンションの高い子である。
MINA学園projectは……聡明でしっかりした、落ち着いた子が多かったから、意外。いやNYMUちゃんがしっかりしていないとは言わないけれど。……動画を見る限り、配信を見る限りでは、結構ポンコツっぽいけど。
でも、うん。
好きだな。かっこいい。
「よし、それじゃあマネさん、お姉さんのお皿はお願いします」
「はいはい。あんまり大きい声出し過ぎないようにね」
「はーい!」
うるさいよそれは。
……これはわざとだろうなぁ。
麻比奈さんに目礼をして、席を立つ。掴まれる手。引きずられる体。
特に抵抗なく、そして。
わたしは、DIVA Li VIVAの門戸をようやく叩いたのだった。
〇
──"わたしは、みんなに出会えて。皆さんに出会えて。本当に、幸せでした。この一年間、本当に。この喜びは、この思い出は、一生忘れません"
──"今日でわたし、皆凪可憐はMINA学園projectを卒業します。いなくなります。それを、悲しんでください。存分に泣いてください。祝福してください。応援してください"
──"もうわたしは帰りません。それがわたしのけじめです。皆凪可憐の最後は──みんなに囲まれて、幸せで、それで、それで"
──"ありがとう、と。この言葉で締めくくらせていただきます"
──"ありがとう。みんな。ありがとう!"
●
「それで、
「……楽しくて、つい」
「杏さん、この間私にお説教しませんでしたっけ」
「しました。面目ありません」
「……この時期は寒いんですから、気を付けてくださいね」
「はぁい」
NYMUちゃんとの5時間カラオケを経て、HANABiさんの部屋。
はしゃいだ。はしゃぎ過ぎた。あとNYMUちゃんは案の定高校生だったらしく、ちょっとやばいかな、とか思っていたのだけど、同意の元だからいいよ、とのこと。良くないと思う。
渋るNYMUちゃんをなんとか帰して、ようやく帰宅したら……小鬼がいた。大鬼ほど怖くはないので。
HANABiさんはふぅとため息を吐くと、わたしの横……ソファにちょこんと座った。
「え、なになに」
「割と心配したんです。既読はつかないし、電話も出ないし。割と不安だったんです。杏さんは返事、そこそこ早い方なので」
「……心配性だなぁ。わたし、社会人だよ?」
「知ってますよ。ただ──」
……ま、わかっている。
この人は引きこもりで、コミュ障で、友達は少なくて、アガリ症で……とにかく人付き合いが下手だ。
だから、おそらく。
わたしよりも。わたしの価値観よりも、友人、親友という言葉の比重が高い。
「まぁまぁ、みなまで言いなさんな。これからはより密接な関係……相棒なワケだし、もうちょっと連絡頻度高めるからさ」
「……そうしてください」
口を尖らせて。
ぐい、とお酒を呷るHANABiさん。まぁ、一連の弱り方は酔っているが故である。この人、結構飲むんだよね。
「それで、どうでしたか。歓迎会」
「うーん、収穫は微妙だね。とりあえず部署の一番上の人はわたし嫌いかな。まだ話してみないとわからないけど、第一印象嫌い。でも責任感はありそうだし、仕事は出来そうだった。どの道わたし達が関わるのはマネージャーの麻比奈さんだけだろうから、あんまり関係ないんだろうけどね」
「お友達は出来ましたか」
「それは上々。流石はNYMUちゃんパワーというべきか、知っている名前の人とわんさか知り合いになったよ。ヘルシンキさんって女の人だったんだね」
「……ああ、合成音声作ってるあの人ですか。昔、一緒に仕事した事ありましたけど……ボイスチャットしませんから、私。知りませんでした」
こちらによたりかかってくるHANABiさん。身長がそこそこあって胸もそこそこあるので、上半身は結構重い。まぁソファの背もたれへとベクトルを流して、わたしも梅酒の缶を開けた。
ごく。ぷはぁ。
「う~……私は杏さんがほかのクリエイターに取られないか心配なんですよ……」
「なるほど、それが本音か」
「だって……あそこは私が憧れた人とかも、いるんです……杏さんを見つけたら、取られちゃったら……勝てないかもしれません」
「勝てません、とは言い切らないんだ?」
「言いませんよ、そんなこと。私自身に自信はこれっぽっちもありませんけど、私の作る作品は……杏さんで作る作品は、絶対最高のものになりますから。でも、相手も最高だったら……知名度が勝敗を分けます」
……クリエイターっていうのは複雑だねぇ。
わたしにはよくわからない世界だ。カッコイイとは思うけど、なりたいとは思わない。
もっとも、わたしだって演者として、発信者として、クリエイターであるかもしれないのだけど。
「歌」
「ん」
「歌、いっぱい歌ってください。わたしは貴女の歌と、声と、感情の表現と、……そういうのが好きなんです。わたしがファン第一号なんです。わたしが一番、あなたのすごいところをしっているんです」
「うんうん。ありがとう」
「デビュー曲も明日にはできます。私の仮歌だと、イメージがつかみづらいかもしれませんが、これは、門出の曲ではなく、世間の目を、スポットライトを──強制的に、全部。杏さんに向けさせるための……曲です」
「随分と物騒だね。それに強気」
「私は貴女と。貴女と。貴女と。貴女と。先に行きたい。行きたいんですよ。もうすぐで見えそうだったあそこに」
HANABiさんは結構飲む。けど特に強くはない。度数の高いやつをガンガン飲む癖して、すぐに酔いつぶれる。戻したり、怒ったりすることはないけど……まぁ、この通り。絡みはしてくる。
すでに上体は倒れ、わたしの膝の上でモゴモゴ言っているだけ。心配をかけたのは悪いな、と思うけど、不安を紛らわせるためにお酒を飲むのは辞めたほうが良かったんじゃないかな、と思う。
「……それと。でびゅーの、しーえむ。撮っといたので」
「はいはい、あとで見ておくから。おやすみ。ベッド行け……なそうだね」
「……」
そのまま。HANABiさんはスヤスヤと静かな寝息を立て始めた。
髪に指を通して、梳く。サラサラと流れるそれは、少しだけ明るい色をしている。
そーっと、慎重に。起こさないように*2HANABiさんの頭をソファに下ろして、毛布をかけた。部屋の温度は問題ない。一応、ソファの下にクッションを敷き詰めておく。落ちたとき痛いだろうし。
そしてイヤホンを取り出して、TVに挿した。リモコンリモコン……。あった。
わざわざCMを録画するなんて、思ったより紹介を楽しみにしていたのだろうか。わたしは別に、いつか見られればいいや程度の感覚だったんだけど。HANABiさん、本当に気合入ってるんだろうなぁ。
録画リストから──あった。
再生。ぽち。
〇
──"DIVA Li VIVAのバーチャル事業部から、新たなアーティストがデビュー!"
──"透き通る光粒の歌声、HIBANaと、常に新たな世界を創造し続けるHANABi"
──"二人の織り成す仮想世界は、現実世界のその先に、今辿り着く──!"
●
時間にして、10秒。
本当にサラっとした紹介だ。名前と、シルエット二つ。紹介になっているのかどうか怪しい。
けど。
「……へぇ、わかってるじゃん。いいね、好き」
その先。わたしが憧れた、その先に。
辿り着けるらしい。わたし達は。いいね。それは。とても。
良い。素晴らしい。やる気が出る。
「……もうわたしは帰りません。それがわたしのけじめです」
だから。
「わたしは、今から。いなくなった皆凪可憐ではなく──HIBANaとして、新しい扉を開きます」
眠ったHANABiさん以外、誰もいない空間で、宣言する。
思い出は忘れない。幸福も忘れない。感謝も忘れない。
その上で。その上に、新たな思い出を重ねよう。幸福を積もう。感謝を振り撒こう。
それが。今、わたしが行きたい場所だから。
〇
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