わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
推し、という言葉がある。
元はアイドル……主に地下アイドルだろう発祥の、一推しが語源の言葉。萌え系のアイドルが地表に出てきたことでオタク界隈に一般化したそれは、文字通り、推薦という意味だ。自身の好意あまり余って誰かに薦めたい。誰かに知ってほしい。知り合いに、身内に、誰か知らない人に。
つまるところ、単純な好意表明とは少し意味合いが違うのである。単に好意を示したいのであれば、好きといえばいいのだから。
これはあくまで、視聴者側の言葉である。視聴者が応援するために、布教するために使う言葉。
故に、配信者側がその言葉を使う人間に対し、「この人はその推しの固定客である」と認識するのはおかしな話なのだ。所謂"推し変"──推しを変える事に対して残念がったり、悲しんだり、悔やんだりするのは、筋違いというべきか。
これはチャンネルの登録者やフォロワー数などにも言える事。
チャンネルの登録も、フォローも、あくまで視聴者本意の言葉である。その人を追っていたい。その人の動向が知りたい。その人の投稿をいち早く視聴したい。これに対し、配信者側がお礼を言うのもおかしな話だし、ましてや登録してください、フォローしてくださいと懇願するのも変な話である。
あくまで配信者は発信を行う存在であり、視聴を強制する存在ではない、というコト。視聴者もまた、配信者に発信を強制する存在ではないのは言わずもがなである。
住み分け、区分け。区別でもいい。
自身が何者であるか、という哲学はおいておいて、自身がどちら側であるかの確認はしておいた方がいい。
でないと。
「……雪ちゃんは燃えるの好きだねぇ、ほんと」
溜息を吐いて、言う。言った。
こうなるのだ。所謂炎上。誰か一人が悪いというわけでもないだろう。あるいは全員が悪い。踏み込み過ぎて、自身の立ち位置を見失って、喚いて事が大きくなる。MINA学園projectにいたころは結構な頻度で見た光景。
事の発端は、南雪──わたしと同い年の彼女の、個人配信。
いくつかのコメントの中で、恐らく彼女の逆鱗に最も触れただろうそれ──"いつも曲がった事が嫌いとか言ってるくせに、身内の転生はスルーするんですね"という、まぁ、害意オンリーのコメントだ。悪意ではなく、害意。
普段はほとんどコメントなんて読まないくせに、彼女はわざわざそれを拾って。
──"新人のデビューを曲がった事などと口にできるご自身を変えてみるといいと思いますよ"
と。まぁ、結構キツい口調で言った。
害意への反論など、他の害意の誘引にほかならぬ行為である。不快になるコメントは読まない。害意の見えるコメントは無視する。自衛もせずに傷つくのは勇気ではなく無謀だと、わたしが可憐ちゃんであったときから散々言っているのだが、彼女に自身を曲げるつもりはないらしい。
反応があるのが楽しくて仕方がない。自分の言葉に配信者や視聴者が感情を動かすのが愉快でたまらない。そういう人間がいるのだ。だから無理なものは無理として、正道を貫くのは諦めなよ、と……結構な頻度で諭した覚えがある。
それでも彼女は、曲げなかった。言いたい事を言う。はっきり言う。気を遣わない。気を許さない。
配信者として発信を曲げないのは問題ない。そうあるべきだと思う。けれど、自身の言葉で視聴者が変わると思ってはいけない。人は他人の言葉では変わらない、とまで言い切るつもりはないけれど、画面の向こうの人間の言葉で簡単に変わる程、軽い信念で生きてはいないのだから。
彼女はまぁ、正義感の塊みたいな子だ。曲がった事が嫌いで、自身の益になるとしてもそれが邪道なら拒否する。損な性格。それは度々のボヤ騒ぎという形で配信に表れている。
幸いにして、というべきか。MINA学園projectのクリエイター陣は彼女に理解があったし、動画投稿サイトの使い方も心得ていた。所謂スパム、あるいは連投に対して適切なフィルターを作り、ほとんどがそれをすり抜けない。その分通常のコメントも許可されない事があるのだが、何が引っかかるのかは明記されているので、まぁ。確認しない方に非がある。
だからこそ、こうして彼女の目に入っているのは、純粋な"嫌い"である。害意のある文章だ。中身がいないソレや、こちらに欠片も興味を持たぬ荒らしではなく、彼女の事が嫌いで、嫌がらせに来ているコメントである。
──"皆凪可憐は私たちの大切な仲間です。それは何も変わりませんし、どこかの誰かとは何の関係もありません"
──"可憐が卒業した理由は彼女の最後の配信で触れています。何も知らないのであれば、知る努力をしてから批判を口にしなさい。その上で理解できないというのなら、読解力を鍛えなさい"
言葉に棘がありすぎ。そして踏み込み過ぎである。
無視するか、ブロックしてしまえばいいものを。ちなみに削除権限を持つMINA学園projectのメンバーやクリエイターが手を貸そうとすると、彼女は大層不機嫌になる。無視や排斥をしていては、誰もわかってくれないわ、なんて言って。
「……かっこいいなぁ、ホント」
辛いと思わない事は無いのだろう。何度か、相談された事もあった。
泣かない事はないのだろう。通話越しの声が枯れている事はあった。
でも、曲げたくないのだろう。ただそれだけだ。嫌だから、やらない。わがままで──頑固で。
憧れる。そうであればよかったのに、と思う事はあった。
そうではなかったから。わたしは大丈夫だったから、そこまで強い感情がなかったから。結局、わたしが憧れている人は皆、全力の人間だ。
本当に、ああいう人たちは、なんて──。
「……息苦しそうで、羨ましい」
わざわざ口にして。言葉にして。音を編んで。
思う。自認する。再認する。確認する。
NYMUちゃんも、HANABiさんも、彼女も、本当にかっこいい。ああなれたらどんなに楽しいか、と。何度も何度も、何度も思っている。
まぁ。
わたしはわたしらしく、淡白にドライに、けれど楽しく生きているのだけれど。
ふむ。
「やっぱり人は変わらないよ、雪ちゃん」
なんせわたしがこうなんだもん。
●
MVが上がった。宣伝こそあったが、
意図こそないが、ある種炎上商法に近い。注目度はかなりのもので、それが好意であれ悪意であれ、わたしの……HIBANaのデビュー曲は、投稿後3分で4万回再生を記録した。約4万人が上がった直後にそれを見た、というコト。また同じくして開設されたHANABiとHIBANaのチャンネルは、既に10万人の登録者を擁している。
DIVA Li VIVAのブランド力、というのもあるのだろう。先日上がった動画の効果もあるのだろう。
だが半数……言い過ぎか、3割くらいは銃口であると思う。それくらいの気持ちで見ていた方が、そうでなかった時が楽しい。
〇
影法師。男か女かもわからないそのキャラクターが、崩れ落ちたタワーの根元のような場所で、何も見えない何かと手を繋いで歩いている──そんな始まりをするMVは、どこかおどろおどろしく、しかし曲調の荘厳さがそれを神聖なものと錯覚させている。
影法師は歩く。明らかに誰かと手を繋いでいる。明らかに誰かに話しかけている。けれど、そこに何がいるわけでも、何が見えるわけでもない。
そうして辿り着いた場所。それはタワーの中を通っていたエレベーターだろう、巨大な鉄の箱が鎮座する空間。周囲はグチャグチャになった鉄格子が群れを成し、月明かりに照らされて牙を剥く。その中を、影法師と何かは進んでいく。エレベーターは、開いていた。中には光。
エレベーターに入る。入った。その扉が閉じる。静かに閉じた。
瞬間、カメラが引いて鉄格子が、残骸が、すべて銀の砂になる。
それでもなお、エレベーターは上に昇っていく。何を頼りにか、まっすぐ、まっすぐ。
段々と、エレベーターも形を保てなくなる。それは風化という形で現れ、上部の方から段々と崩れていく。砂になっていく。
影法師はエレベーターの中で、その砂を受け止め、指の隙間から零して──笑った。笑みが見える。一瞬だけ。月明かりだ。
そのまま昇っていく。上へ上へ。鉄箱が壊れてもなお、銀砂を伴って。
粒となるまで遠くへ消えた影法師は、しかし、何かを落とす。
カメラの捉えたそれは──片腕だけがボロボロになった、ぬいぐるみだった。
ぬいぐるみは一人、起き上がって。
優雅にカーテシーを決めて、幕が下りる。
HANABi/aNABIHという飾らない文字と、DIVA Li VIVAのロゴが浮いて、終了。
●
まぁ、邪推の余地はいくらでもあるな、と改めて思う。
むしろ多少、HANABiさんの愚痴がまだ入っているようにも見える。メッセージ性が強い。けれど、大部分はわたしの意見を聞いてもらったし、特に最後のぬいぐるみが起き上がるシーンについては、わざわざぬいぐるみの3Dモデルを作ってもらって、自分で動かした。
無論、HIBANaが影法師だ。ではぬいぐるみは。わたし。あるいは──皆凪可憐か。
と、考察されるだろう。それが予想通り、である。
実際はちょっと違う。起き上がるシーンはわたし考案だけど、落ちるシーンはHANABiさんのアイデアなのだ。そう、あのぬいぐるみはHANABiさんのなのだそうで。自身はあくまで舞台装置で、HIBANaを空へまで上げたら後は幕引きを担当する……そんなイメージ。
花火と火花の関係性。そういう話をしていた。
「そしてみんなの反応は、と……あは」
出るわ出るわ。動画に着いたコメントも、SNSの投稿も。「捨てる気満々で草」とか「流石に可哀想になってきた」とか「HIBANaって女? 声の高い男?」「どう聞いても女だろ耳詰まってんのか」とか。
いやー、いいねぇ。とてもいい。実にいい。実に面白い。
そんな予想通りの反応以外に、肯定意見も結構あったのは意外だった。声が綺麗だとか、MV怖い、曲がかっこよすぎるとか……嬉しい。コンテンツに、作品に対する感情は良いものだ。中には化け物みたいなトラッキング精度だな、という……普段DIVA Li VIVAを見ていないだろう視聴者のコメントもあって、さらに嬉しくなる。
そして。
──"惚れました"
一文。投稿直後に爆発的にgoodが押されていくそのコメントは、NYMUちゃんのもの。アクティブな子だなぁ、と思う。宣伝力の塊だから、ありがたいと言えばありがたいのだけど、HANABiさんが拗ねそうでもある。いや、別に紹介されることを嫌っているわけではないんだっけか。
なお、返信はしない。まだHIBANaの人格がしっかり定まっていないので、人格を想像でき得る文章・行動は出来るだけ取らないのが吉だ。
一貫した世界設定があった方が、視聴者を引き込みやすいというマーケティングでもある。
なお、評価はまぁ、これもまた予想通りだった。
爆発的に増える低評価。MVへの低評価ではなく、わたし……HIBANaへの低評価だろうそれは、今なお止まらない。高評価の80分の1ほどの量ではあるが、やはり多い。他のDIVA Li VIVA所属シンガー・ライバーのデビュー作よりかなり多い部類であると言える。
それを悔やむ、という事は無い。正直この高評価低評価は、高評価が100点、低評価が90点くらいに思えばいい。MVの良さが100点。わたしの行動でマイナス10点。だから低評価。その程度。
現状、この動画サイトでは検索一覧に評価が表示されないので、ほとんど意味のないものだとは思う。思うが、評価そのものは必要だとも考えている。☆5レビューしかない食べログを誰が利用するというのか、という話。
これもまた、スタンスによって受け取り方を変えればいいのだ。評価をされる側は前者に、する側は後者に。
そこまで言っておいてなんだけど。
「うーん、初動で1000は越えないのか……広報さん、宣伝足りないんじゃないかなぁ」
低評価は意外にも800を超えたあたりで失速した。再生数と高評価は依然として爆伸びしているにもかかわらず、である。それはHANABiさんとDIVA Li VIVAの技術さんの評価で、わたしの評価として800人から低評価がついたと考えれば……まぁ、そう、個人でそれと考えるなら、まぁ、満足は出来るけれど。
ああ、いけないいけない。低評価を望むような発言は控えなければ。そういう目的で作品制作を行っているわけではないのだから。
と。
その時、一件。新しい投稿があった。否、常にすさまじい量のコメントが投稿されているのだが、そのアイコンが……見覚えのありすぎるそれで、目についた、というべきか。
「いやぁ……まだ燃えるつもりなんだ。もしかしてヘイト背負おうとしてる?」
Minami yuki channel。言わずもがな、南雪。雪ちゃんだ。
──"聞いたことのない声で、圧倒されました。これからの活躍を応援しています"
うーん……。
不器用だなぁ。嘘が吐けなさすぎる。いや、ある意味で……可憐の声とは全く違う、という意味で、聞いたことのない声といったのかもしれないけれど。
確かに声の出し方は大分変えたし、低め低めを意識してる……とはいえ、ねぇ。
「……あれ、でも、珍しく気を遣ってる?」
わたしに。
……まさか。彼女がそう簡単に自分を曲げるはずもない。それができるなら、もっと楽な道があっただろうに。それができるなら、いなくなるわたしの前でも笑顔を作れただろうに。わざわざ茨の道を──……。
「ああ、だめだな。本当に。わたしじゃ一生理解できないところにいるもん」
彼女の真意が読み取れない。なんならNYMUちゃんの意図も読み取れない。
一瞬、それを。携帯端末を。手に取って、アプリを立ち上げて。
踏みとどまった。相変わらず増え続けるアミちゃんのメッセージも、一件だけ──"可憐、使うから"というプレビュー表示が出たままの彼女のメッセージも、開かない。
少なくとも今、わたしの中に可憐はいない。それをすると──HIBANaが悲しい思いをすると思うから。
だから、ごめん。
そして、応援してくれて……ありがとう。
届けるつもりのない言葉は、夜の空気に溶けていった。
●
「ねえ、お姉さん。コラボいつにする?」
「気が早いね。まだデビューしたばっかだよ、わたし」
「善は急げだよ!」
「急がば回ろうよ」
NYMUちゃんはバーチャルシンガーではなくバーチャルライバーである。DIVA Li VIVA所属のVtuber、というヤツだ。だから主な投稿動画は企画ものだったりゲームだったりと多岐にわたるのだが、その中にはもちろん歌も含まれる。
わたしは逆に主な動画投稿が歌で、時たま、他所の動画にお呼ばれする可能性がある、程度の活動スタンスだ。NYMUちゃんの言うコラボは恐らくどちらも……動画も歌も、なのだろうが、歌はともかく動画や配信はやめておいた方がいいと思っている。
要はマーケティングで、ブランディング。あのミステリアスな影法師がすぐさまそういう所に出るのは、イメージ崩壊にしかならない。わたしは否定するけれど、HANABiさん曰く「杏さんは配信上では基本コメディなので」らしく、HIBANaとはイメージのギャップが大きすぎる。
「えー。えー」
「それに、お姉さんは社会人なのです。コーコーセーが思っているより忙しいの」
「……ぶー」
「お友達、わたし以外にもいっぱいいるでしょ?」
「いるけど……なんか、気を遣われちゃってさー」
……あぁ、配信でも何度か話していたっけ。
NYMUちゃんの身内……信頼のおける友人には、自身の活動の事を話していると。
所謂身バレ。しかし、そもそも身バレはそこまで悪い事ではない。あれの何が怖いのかといえばストーカー被害がある事で、身内にバレる分にはメリットの方が大きいのだ。
……いやまぁ、配信内の発言が過激だったりする分には、耳を塞がせてもらうのだけど。
わたしもオタクだからわかる。友達が300万の登録者数を持つVtuberだって知ったら、カラオケやら旅行の予定やらを組むのが少しだけ気が引けてしまうだろうことは。そうでなくとも、守ってあげたい、みたいな気持ちが働いてしまうかもしれない。
友情には余計な感情だな、と思う。
「Vのお友達は?」
「んー、……あんまりいにゃい。本当はゲームとか好きなアニメの話とかしたいんだけど、マネさんから止められてて」
「……まぁ、相手側に耐性が出来ていないと、確かにそうかもね」
所謂バズる覚悟、というヤツ。
一気に視聴者がなだれ込んでくることに耐えられるか。今まで許されていた……あるいは寛容に見られていた行動がすべて杞憂や憂慮、警告、そして批判に変わる事実に耐えられるかどうか。一挙手一投足が簡単に、自身の想定していない場所にまで拡散され、尾ひれがつき、事実無根のレッテルを貼られる可能性に心が対応できるのかどうか。
NYMUちゃんの視聴者は、やっぱり肯定者だけではない。彼女の好意の向く先を害して、彼女に嫌がらせをしようとするやつもいるし、単純に"人気のあるものが嫌い"というどうしようもない人間もいる。
相手が同年代の……高校生や大学生になったばかりの子だと、それに耐えきれない可能性は大いにあるのだ。
そういう意味では、NYMUちゃんのマネージャーさんは素晴らしい仕事をした、と言えるだろう。
「ディバ内の友達は?」
「それがお姉さんなのです」
「他にいるでしょ?」
「いるけど……いるけど……」
少し意地悪だったかな、と反省する。
いるけど、誘えなかった。あるいは誘わなかった。その上でわたしを誘ってきたのだ。
しかしコラボ。うーん。悩ましい。歌であれば……イメージを壊す事なく行けそうではあるけれど。
「じゃあcoverでコラボしよう! 一枚絵のやつ!」
「……それが妥協点かな。うん」
「やた!」
ガッツポーズをするNYMUちゃん。そしてすぐさま携帯端末を取り出し、何やら文字を打ち始めた。
連絡だろう。報連相がしっかりしている。いや、相談せずに決めたわけではあるのだけど。
わたしも麻比奈さんとHANABiさんに連絡しないと。
「そういえばー……動画、見たよ」
「ありがとう。惚れたかい」
「うん」
はっきり言うなぁ。
いや振ったこっちが悪いんだけどさ。
「あと、皆凪可憐ちゃんの卒業の歌も聞いた」
「へぇ」
「いい曲だった。可憐ちゃんに翼が生えるシーンで、青空じゃなくて夜空だったのがすごく好き」
「ありがとう。あ、金髪ちゃん。意地悪な事聞いてもいい?」
「え、うん」
二人ともメッセージを打ちながら。
わたしは、意地悪な質問をする。
「どっちが良かった? 可憐の卒業ソングと、HIBANaのデビュー曲」
「卒業の方は悲しくなったし、昨日のやつはカッコいいって思った」
「……」
……ちぇ。
引っかからないなぁこの子。全然。どっちも良かったとか、わかんないとか、どっちか片方を上げることを期待したのに。パターニング追加不足。ううん、ある意味で、期待していたかもしれないけれど。
まぁ、この意地悪な質問の答えはそれである。良さ、などというよくわからない評価基準ではなく、何を受け取ったか、何を感じ取ったかの感想を出す。良さを聞かれているのに、という言葉も出るだろうが、そもそも論。作品に対する情動は感想のみでいいのだ。
ただ、順位をつけるために評価が存在する。新規視聴者のために評価が存在する。
「よし、連絡おっけー! それじゃ何歌おうか。好きなアニメ、なぁに、お姉さん」
「アニメ限定なの?」
「別にアニメじゃなくてもいいけど……あんまりドラマとか見ないから。お姉さんはいつも何聞いてるの?」
「オールドロックンロール」
「オールドファッション?」
「OK、アニメにしようか」
デビュー曲がシンフォニックメタルなのも、6割くらいわたしの趣味。残りはHANABiさんの趣味。わたしが激しいのが好きで、HANABiさんが荘厳なのにしたいらしかったので、折衷案である。
しかし、アニメか。
アニメ。見ないわけじゃない。けど。
「アニメだと、愛が足りないんだよね……」
「愛?」
「うん。タイアップ曲ならまだしも、アニメの主題歌を歌うなら、そのアニメに愛情がある状態で歌いたいじゃん? 歌いやすいからとか、流行ってるからって理由で、アニメ本編を見たことないのに主題歌歌うのは……ちょっと」
もにょる。
これはオタクとしての立場である。誰かの歌を歌う、というのは二次創作行為であるのだから、原曲へ、原典へのリスペクトが必要だ。
だから、その。
アニメオタクを名乗れるほど傾注した事のないわたしでは、ううん、難しい。
「……それじゃあMINA学園projectの曲とか!」
「それは蛮勇が過ぎる」
水も被らずに火事現場に突っ込んでいくつもりか。
批判は大好きだけど、わざわざ刺激してまで引き出すものではないだろう。況してやわたしを知らないNYMUちゃんの視聴者を巻き込んでまで。わたしに悪意を持っているならともかく、純粋さを汚してまで貪りたいものではない。
だから、逆に。
「NYMUちゃんの曲。デュエットカバーしよう」
「お!」
「わたし、NYMUちゃんのオタクだから。曲にも愛情がある」
「お、おう!」
「権利関係とかはマネさんズにぶん投げて、さっそくカラオケに練習しに行こう」
「おおー!! ……明日お仕事じゃないの?」
「2時間くらいに抑えよう」
セーブのできる社会人である。
●
視聴者と配信者の距離というのは非常に大切だ。
視聴者が配信者の行動を少しでも不快に感じたら。「元は良かったのだから今を直すべき」とか「もっとこうできるはずだ」とか「その行動は間違っているから正さなければ」とか──そういう事を、1㎜でも感じ始めたら、それは近づきすぎである。
距離が近くなりすぎて、親近感が湧いてしまっている。まるで自分の事のように考えてしまっている。
そういう時は一度遠ざかるべきだ。双方に不和と不利益しか生まないのだから。
という話を、昔。皆凪可憐の配信で言った事がある。
もちろんもっと言葉は柔らかかったし、べきだ、とか、である、なんて口調ではないのだけど。
それでも同じ意味の言葉を吐いて。
その日の夜、わたしは彼女──南雪と喧嘩をした。
受け入れられなかったらしい。彼女はもっと、視聴者とは密接に関わるべきだと考えていて、人と人は分かり合えるのだと、努力さえすれば理解しあえるのだと言って聞かなかった。親近感が湧くのは当然だと。視聴者は家族だと。
何を経験し、何を食べて生きていたら、こんな純粋な子が育つんだろう、と思った。大学生である。大学などという、人類の坩堝のような場所にいて、よく。よほど周囲に恵まれたのか、あるいは恵まれなかったからここまで尖ったのか。
なんにせよ、それはわたしの受け入れられる思想ではなかった。ので、言い争い。口論。口喧嘩。
その喧嘩は一週間続いた。一週間口を利かなかったわけじゃない。一週間、毎日。相手を説き伏せるために通話をして、なんなら日曜日には彼女の家に呼ばれてまで、言い争いをした。ここまでくると議論だ。討論かもしれない。お互い平行線の主張を続け、最後には。
「最後、どうなったんですか? あの時、画面越しからも伝わる険悪ムードで割とみんな萎縮していたのに、週が明けたらケロっとしてコラボするものだから、一部ではヤったんじゃないかって噂が立ってましたよ」
「それは酷いセクハラだね」
「まぁオタクなんてそんなものです。性愛のない純粋な友情が成立すると思ってませんから」
「それは酷い偏見だね」
寝っ転がったHANABiさんの背中を踏み踏みしながらの雑談。
集中高めで制作作業をした結果、背中の凝りがマズいところまで来たらしいので、わたしがマッサージをしている。なお外出嫌いのHANABiさんはマッサージ店には行こうとしないし、対人が苦手なのでマッサージ師を呼ぶようなサービスも使いたがらない。
ので、わたしの出番である。
「別に、特別なことはなかったよ。わかったわ、貴女とは絶対に分かり合えない事が、って雪ちゃんが結論付けて」
「……雪ちゃんがですます調じゃないことに違和感を覚えるオタク」
「わたしが、じゃあもう良くない? 無駄だよ無駄、この話し合い、って言って」
「杏さんだと思えばわかりますけど、可憐ちゃんだと考えるとゾっとするほど言葉が冷たいですね」
ツッコミがうるさいなぁ。強めるぞ。
「うぐ」
「じゃあ、先に。"その先"に辿り着いた方の主張が優れていた、という事で。って話で、終わった」
「ぐぐぐぐあいたたたたたたた」
「よーはライバルだよね。同い年だったし、歌動画の再生数も抜きつ抜かれつだったし」
今わたしたちがNYMUちゃんに抱いているそれとはまた別の、強敵と書いてトモと呼ぶような、ライバル。
だから、今もわたしと彼女の主張は平行線だ。戦いは続いている。そしてまだ、わたしは。
「辿り着いてないからなぁ。足掛かりはHANABiさんが持ってきてくれたけどねー」
「杏さんこれ杏さんこれ揉み返しきちゃいます痛い痛い」
「大丈夫大丈夫今まできたことないでしょ」
「それは! そうです! けど!」
まぁ、大分ほぐれたので、足を離す。
疲れみ。
「ふぅ……。んー、うー。……言っておきますけど」
「ん?」
「私はMINA学のオタクなので、雪ちゃんの歌も大好きです。ですけど、私は一切、負けるつもりはないですよ。手を抜くなんて死んでもしません。何の気遣いも何の躊躇もなく、圧倒的な差を叩きつけることになっても……杏さんは平気ですか」
……ふふふ。
かっこいいって言ってるじゃんか。ずるいよ。
「平気だけど、彼女、食らいついてくると思うから……全然差を埋められなくて、HANABiさんが自信喪失しないか心配かも」
「いい度胸です。……なんで杏さんがそっち側についてるんですか?」
「わたしもMINA学のオタクだし」
先に行くけど。
どうせ、辿り着く前に並んでくると思ってるから……折れないでね。
〇
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