わたしはかつて、Vtuberだった。 作:雁ヶ峰
ピンポーン、と。チャイム。ベル。あるいは正解のボタン。
まぁ普通に。チャイムが鳴った。土曜日の正午のことだ。2月は下旬。まだ寒さの昂りが収まらない時期。しかも雨が降っていた。
なんだろう、と思いながら、インターホンを覗き込んだ。通販での買い物をした覚えもなければ、来客の予定もない。仕事関係は電話か社内SMSで来るし、アポイントメントも取られていない。
だから、なんだろう、と。
そこにあった顔を見て、心から「げ」という音が出た。女らしい。乙女らしさバリバリの音だ。
「やぁ、いるんだろう。知ってるよ。だって車があるからね」
にこやかに、雨合羽を着て、そのフードだけを取って。
差した傘の下に、少女を連れて。その人は。その女性は。立っていた。
MINA学園projectの最年長。
●
流石に雨の中を突っ返すほど薄情であるつもりはないので、一旦、という形で家に挙げた。何度か来た事があるからだろう、来客用のスリッパを履いて、濡れた合羽を脱衣所に干して。手を洗いうがいをして手を洗わせてうがいをさせて。手際よく効率的に最短で合理的。喋りさえしなければロボットなんじゃないかと見紛う程、テキパキとすべてを済ませ──リビングに入った。
もう一人の、彼女よりかなり幼い少女もそれに倣い、入っていく。
溜息。
仕方がないと諦めて、わたしもリビングへ向かった。
「それで、何か用ですか」
勝手にTVをつけて、ソファでくつろぐ彼女に、問う。一応お茶を淹れて彼女らの前に出す。ありがとう、ありがとうございます、の声が重なる。
遥香さんは完全にくつろぎモードで背をソファに預けているけれど、少女……
「ん、お誘いに来たのさ」
「何の?」
「ちょいと、同情をね」
遥香さんはこちらを見ずに、そう言った。
〇
──"やぁやぁ、良く集まってくれた。うんうん、私はとても嬉しいよ。元は私達姉妹だけだったこのprojectが、こうして、一つのユニットとして活動できる程にまで成長した。私達だけでは絶対に辿り着けなかったライブなんてものまで実現したんだ。心から──ありがとうを言わせてほしい"
──"だから、このライブは絶対に成功させよう。なんとしてでも。見た人全員が素晴らしかったと言う光景を、私は見たいんだ"
──"千幸。可憐。雪。梨寿。亜美。今日ばかりは全力で頼らせてもらうよ"
──"さぁ、行くぞ!"
●
懐かしいものを見せられている。小さいとはいえ一つのライブスタジオを使って行った、Vtuberイベントがあった。言わずもがなMINA学園projectのライブだ。と言ってもトークライブ……歌+トーク+歌+トーク+トーク+歌という形式の、どちらかと言えばトークの方が長いそのイベントは、しっかり、成功に終わった。
そのライブ映像だ。技術班の誰かが撮ったのだろうその映像は、ダイジェスト版として期間限定で動画投稿サイトに上がっていたこともあったっけ。
スクリーンに映る少女たちは、なるほど。一歩離れれば離れるほどわかる──アイドルだな、という印象。
「リーダーから」
「……」
「リーダーから、連絡……来ていないだろう? 今日家に行くって言ったら、可憐の名であの子を呼ばないようにね、って釘を刺されたよ」
遥香さんは最年長だけど、リーダーじゃない。
リーダーは高校生の子だった。千幸ちゃん。でも、まとめ役はこの人だった、という話。
やれやれと肩をすくめた彼女の横で、梨寿ちゃんが肘でその脇腹を突っついた。
「あの子はもう割り切ってたよ。可憐はもういないんだから、あの子の家に行ったってしょうがない、ってさ。うんうん、同意も同意。そう思うよ。あの可愛らしい、コロコロと笑う可憐はもういないんだろうさ」
「……本題は?」
「雪といいお前さんといい、雑談を嫌う癖は直した方がいいぞぅ、世渡りのためにはさ。……まぁ、最初に言った通りだよ。お誘いに来たのさ。同情をね」
「それがどういうことか、と聞いています」
「今。うち……MINA学園projectの士気、ああモチベーションって言った方が分かりやすいかな? とにかく雰囲気はお通夜ムードというか、少々ピリピリし始めていてね。こんな状況で二周年記念をやっても楽しいそれにならないだろうし、何より視聴者に抜けてしまうだろう?」
だからさぁ、と。
行動の合理性に反して、発言の迂回が酷すぎるその人は、ゆったり、たっぷり間を取って、言う。
「喧嘩を売ってくれないかな。動画でも配信でも呟きでもなんでもいいよ。名指しで、ウチの子らが焚き付けられるようなことをさ。
「わざわざわたしの嫌いな言葉選びをする辺り、結構深刻っぽそうですね」
「そりゃあもう! なんせ、年少組がお前さんの卒業を納得していなかったのは……納得できていなかったのは、ひとえに私達年長組のフォロー不足だ。ぶっちゃけて言えば、雪は"あんな"だから頼れないし、リーダーだって自分の受験もあっていっぱいいっぱいだった。本来は私が何とかしなきゃいけなかった事なのに、楽観していた結果がコレさ。ほんと、情けない」
遥香さんは言う。まるで懺悔でもするかのように、独り言のように。
でもどこか芝居がかっているというか。声質がふざけているように聞こえる損な声をしているというか。お笑い芸人に向いていそうな声というか。
だから、感情が一切伝わってこなくて……この人は、本当に苦手。
「年少組がお前さんとすっきり袂を分かれられるような、キッツい言葉を吐いてやってくれないか。可憐で返事をするのが嫌なんだろ? 可憐として見られている状態で意思を、言葉を演じるのが嫌なんだ。知ってるさ。何度も相談された。それでいいのかって。私は演じている事しかできないけれど、それでいいのかって言われたね。だから、可憐じゃなくていい。HIBANaっていうんだろう? お前さんの新しい名前。いや、新しいなんて言うのはお前さんが嫌がるね。お前さんの、別の名前。HIBANa。頼むよ。お願いだよ」
スラスラと言葉が紡がれる。どもる事も、考える事もなく。まるで台本でもあるかのように。
ないのだろう。だけど、どうしても思えてしまう。感情がこもっていないと思ってしまう。
一つ。溜息を吐いた。違う。吸うから──深呼吸。
「断ります。それは、HIBANaのイメージを損ねますから」
「じゃあ、ここで頼む。録音された声を公開しない事を誓う。誓約書を書いてもいい。あの子らに声を届けてやってほしい」
まるで断られる事が分かっていたかのように。
わたしの批判を楽しむそれとは違うけれど、この人もまた、相手の行動をあらかじめ予測している。わたしがこの人を苦手としているのは、あるいは。単なる同族嫌悪なのかもしれない。
同族、というにはあまりにも──この人の方が、才能にあふれているけれど。
「梨寿」
「……」
「……お願いします」
こちらが黙ると見るや否や、妹にも頭を下げさせて。明らかにこっちが悪者だ。その程度の事に心折られる程優しいつもりはない。どころか、少しイライラしているところはある。やめてほしい、と思った。
頭を下げる、なんて。──まるでこっちが上にいるみたいじゃないか。
「余計なお世話だと、考えないんですか」
「考えている。その上でのお節介だよ。知っている。余計なことをしていると心から思っている。でも、必要な事だと。必要になると、考えている」
「今、わたしの中の遥香さんの印象、最悪にまで落ちてますよ」
「だろうね。私もお前さんの立場になってみたら、こんなことするヤツ大っ嫌いだ。今すぐにでも目の前からいなくなれと思うだろう。勝手にへりくだりやがって、と。そう思う」
わかっているなら、なぜ止めないのか。
決まっている。
「……二日。待ってください。わたしの声を出すか、HIBANaの声を出すか。"こちら"で相談してから決めます。わたしの一存で決められる事ではありませんから」
「それでいい。ありがとう」
「これが最高ですか。遥香さん。あなたの想像した、わたしの譲歩は」
「ああ。それ以上はいらなかったし、それ以下だったらもう少し粘っていた」
本当に。本当に。苦手。
手玉に取られているような感覚が。オタクとしてはMINA学園projectで一番好きな人なのに、わたしとしては一番苦手。
ゆっくりと頭を上げた二人。さっきまでの真剣な目はどこへやら、安堵とふざけを綯交ぜにしたかのような表情の遥香さんと、思いつめた顔の梨寿ちゃん。年少組のフォローというのなら、自分の妹のフォローを一番にすればいいのに、と思った。
「ん? あぁ、梨寿がこんな難しい顔をしているのは、お前さんをなんて呼べばいいかわからないからだよ」
「──……ああ」
ああ。そういう。なるほど。確かに。
この二人には本名を教えていないし、わたしは皆凪可憐ではなくなった。今でこそNYMUちゃんがわたしを"お姉さん"と呼んでくれているが、かつてわたしがMINA学園projectにいた頃にわたしを"お姉さん"と呼んでいた子は一人だっていない。
故に。今、梨寿ちゃんの目の前にいるのは、誰とも知れぬ、名前のわからぬ誰かだ。
「HIBANaと、呼んでくれればいい。今のわたしはそれだから」
「……嫌だけど、わかりました」
「フォロー、出来ていないようですけど?」
「したさ。だから物分かりが良いだろう? する前は、なんとしてでもって、引き戻すと言って聞かなかったからね」
「諦めてません」
「物分かり、良くないけど?」
「管轄外だ」
何が管轄外だ。
本当に。適当しか言わない人だ。
「HIBANa……さん。言いたい事があります」
「別に、呼び捨ててでもいいけどね」
「私はまだ中学生で、難しい事はわかりません。その、お仕事が忙しいとか、あると思います。でも戻ってきてほしいって思います。今も思ってます。だから、言いたい事と、聞きたい事があるんです」
「聞くだけは聞くけど、答えるかどうかは別だよ」
「言いたいことから言います。あの動画、見ました。二つとも見ました。聞いたんです。お姉ちゃんと一緒に聞きました。凄かったですね。本当に、綺麗でした。この人は可憐ちゃんじゃない、って感じたことが本当に嫌でした。今日会うまで、別人だと思いたかった。今目の前にいるのに、嫌です。涙が出そうになるくらい」
声は震えていた。姉の遥香さんと違って、なんと情動の籠っている声か。胸の締め付けられるような声は、オーディエンスに感動を呼ぶことだろう。わたしにはあんまり届かないのだけど。
その横で遥香さんがやれやれと肩をすくめているのが、感動を薄れさせている要因だと思う。
「聞きたいことは二つあります」
「うん。まぁ、聞くだけは聞くよ」
「一つ目。正直に言ってください」
梨寿ちゃんは、ひと呼吸置いた。
「嫌ですか。戻ってきてほしい、と言われるのは。帰ってきてほしいと言われるのは。嫌ですか」
──……。
本当、聡明な子だなぁ。
「何も感じない」
「……っ」
「言われているのは可憐だからね。梨寿ちゃんも、MINA学のみんなも、ファンの人達も。わたしやHIBANaに戻ってきてほしい、帰ってきてほしいって言ってないでしょ? ただ、まぁ」
中学生に言うには、言葉の棘がありすぎるか。
ゆっくり吟味する。さて、語彙語彙。
「わたしはもうわかんないんだよね。可憐の気持ち。これでわかってくれる?」
「……そう、ですか」
「うん。だから多分、二つ目の聞きたい事っていうのも、これで答えになるよね」
「お前さん、自分がされて嫌なことは他人にしない、って言葉知ってるかい?」
……これかぁ。
ああ、やっぱりそうだ。だから、本当に同族嫌悪なんだ。
「──ありがとう、ございました」
「偉いね。お礼が言えるんだ。感情、グチャグチャだろうに」
「良い子に育っただろう?」
「遥香さんとは似ても似つかないね」
「あっはっは」
ぽんぽん、と梨寿ちゃんの頭を叩く……撫でる遥香さん。
元々、MINA学園projectはこの姉妹が始めたものだった。そこにクリエイターやわたし達ライバーが集まって、一つのユニットとなって世に名乗りを上げた。
……感謝の念はある。大いにある。わたしがあの時遥香さんにDMを入れなければ、彼女がそれを受けなければ。今のわたしはここにいない。HANABiさんにも出会えていなかっただろうし、就職先さえも違っていたかもしれない。今も昔も変わらず苦手だけど、人生における恩師を選べというのなら、迷わずにこの人を選ぶだろう。
HANABiさんは恩師というか、半分家族。
「お、凄いね」
「何がですか?」
「ほら、丁度雨が上がった」
言われて外を見てみれば、確かに。
雨が上がっている。物語のような展開は、しかし。
「いつから上がってましたか?」
「梨寿が話し始めた時には」
ニヤニヤとしながら。
本当、苦手。
●
HIBANaのアカウントを開設した。SNSに。HANABiさんのアカウントは既にあるので、プロフィール欄にDIVA Li VIVAの文字を追加するだけでいい。
遥香さんの"お願い"に答えるにせよ答えないにせよ、やはり作る必要があったらしく、渋々の開設となった。外部からのDMや通知の設定などを一通りして、とりあえずDIVA Li VIVA関係の人達をフォローしていく。開設後10分と経たぬうちに1.3万人のフォロワー。これはすぐにでも可憐を抜くだろうなぁ。
「最初の投稿、なんにします? ミステリアスなイメージがいいんですよね」
「うーん。どうしようかなーって思ってる。ほら、さっき話した喧嘩売ってくれって話。あれがあるからー」
「おや、杏さん受けるつもりあるんですか? てっきり突っぱねるのかと」
「無かったら持ってこないでしょ。……HIBANaとしてのブランディングと、MINA学オタクが二周年記念を成功させたいという気持ちを今天秤にかけてる」
「それは難題ですね」
「六波羅」
「探題ですね」
なお、新人Vtuberがよく設置しがちな匿名投稿ポストは設置していない。あれは掲示板と何も変わらない。匿名の文化を自身のコンテンツに組み込むのは、一つとして利点がないと思っている。批判も肯定も否定も同情も、匿名である必要が一切ない。自身を認知されたくないのなら、悪意も好意も伝えなくていい。義務ではないのだから。
何よりそんなものを設置したら、自身の活動を他人のアイデアに任せることになるじゃないか。発信者である以上、発想の部分くらいは己が根元でありたいと思う。
「ほら、MV撮ったとき、結構不敵に笑ったじゃん? あそこから拡大解釈すると、ミステリアス且つ利己的で裏で糸引いてる……こう、黒幕キャラに行けると思うんだよね」
「あー……。OPで手を広げて首をかしげて三日月形の笑みを浮かべている感じの」
「そうそれ」
オタクなので、抽象的なアニメのOPで話が通じる。アニメオタクじゃなくても出来る通常スキル。
アシンメトリーの白衣と影法師、ぬいぐるみを持っている事など、悪役に持っていきやすい要素がそろっている。
「でもそれ、NYMUちゃんとコラボしづらくなりません? 元気・光属性みたいな子じゃないですか」
「光と影って感じの一枚絵、お願いします」
「私が描くんですね。知ってましたけど」
「お金は出るので。DIVA Li VIVAから」
「便利ですねぇ自社コラボ」
本当に。余計な契約がいらない。マネージャーさんに投げるだけでいいとか、楽にも程がある。
そして、うん。
天秤は傾いた。
「まぁ、遥香ちゃんと千幸ちゃん以外が沈んだ顔の二周年記念イベントとか見たくないですからねぇ」
「そして丁度麻比奈さんからOKが来た」
「あれ、今決めたんじゃないんですか?」
「いやいや、どうするにせよ許可関係の連絡はしといて損はないでしょ」
「流石、デビュー後一番目の歌配信が権利関係でお蔵入りになった伝説を」
「あれは誤BANなのでノーカン」
権利関係は早め早めが一番なのだ。既に自分の声が企業のコンテンツになっているのだから、確認を取るのは当たり前。……まぁ麻比奈さんの返信メッセージは「あ、問題ありませんよー」という驚くほど軽いものだったのだが。
なお、HANABiさんの言う伝説の誤BAN配信の時の録画だが、実はまだ手元にあったりする。これはまぁ、いつか。身内で、お酒でも飲みながらね。
「え、今スルーしましたけど、声でやるんですか? 投稿じゃなく」
「一つ目の投稿が声のみの方がインパクトあると思わない?」
「んー……まぁ、文字だとどうしても私の言葉が入ってしまいそうですし、杏さんの文章だとボロが出そうですし」
「出ないが?」
というわけで。
「レコ部屋借りるよ」
「暖房付けてくださいね。冷えるので」
「ノイズ乗らない?」
「乗りませんよ。誰の部屋だと思ってるんですか」
……確かに。杞憂だった。
それじゃあ。
〇
──"ワタシに"
──"ワタシに、言うのか"
──"ワタシに、言うのか、君たちは"
──"ワタシに死ねと、そう言うのか、君たちは"
──"嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ"
──"お願いだ──ワタシを──殺さないで──!"
●
ボイスメモの形を取って投稿されたソレは、真っ黒な画面に響く……悲哀の感情をこれでもかと込めたもの。歌い上げるように音階を取って、祈るように苦しみながら、伝えるべきものを込める。
これはファンへのメッセージではなく、彼女らへのメッセージ。だけど、同時にHIBANaが──あの影法師が、こういうキャラクターであることを決定づけるパッケージだ。
そして、気付いてはいるだろうけど、納品報告として。
SNSツールのダイレクトメッセージで、HIBANaのアカウントから実灘遥香のアカウントへ、言葉を送る。
──"これでいい?"
──"ウチには、伝わった。ありがとう。でも、言葉が欲しい。あの子達を突き放してほしい"
──"図々しい"
──"ありがとう"
なんだって、作品の解説を己でやらなければいけないのか。
そんなものは自分たちで解釈してくれ、と思う。
思いながら、送る。
──"戻ってきてほしいと。帰ってきてほしいと、可憐に言うっていうことはさ"
──"HIBANaに死んでほしいと、いなくなってほしいって言う事だって、わかってる?"
──"これでいいかな"
──"十分だ。今度、何かで対価を支払う"
それには返事をしないで、閉じる。
まぁ、なんだろうね。わたしは今、HIBANaだから。それが決別だよ。
●
HIBANaのファンアートが描かれ始めた。特にタグ付けはしなかったので、皆が各々にHIBANaの名とイラストを上げているのだけど、いやはや、やっぱり絵が描ける人はすごいな、と思う。HANABiさんもイラストレーターだけど、やっぱりHANABiさんにはHANABiさんの作風がある。タッチ、というヤツ。
それがイラストレーターそれぞれにぞれぞれあるのだ。各々のタッチで、影法師が描かれている。圧巻。嬉しいコトだ。
そしてすさまじい想像力である。
あのMVにおいて、HIBANaの顔は一瞬しか映らない。それも口元だけだ。それまではずっと真っ黒で、わたしの言うアシンメトリーの白衣でさえ真っ黒に染まっている。
だというのに、恐らく形からだろう、それを見抜く人がちらほらいた。"黒い"ではなく"暗い"白衣を着た、真黒の──髑髏。骸骨。流石に顔の細部までは妄想になってしまうのだろう、それならば描かない方が"らしい"と判断したのか、その顔は骨しかなく──そして、すべてが涙を流していた。
あのボイスメモからの想像だろうけど、ちゃんと悲哀を受け取ってくれた事に喜びを覚える。
なお、悪意があるのかなんなのかは知らないけど、HIBANaに可憐の衣装を着せたイラストを描く人もいた。スルーするけど、絵は上手いと思うよ。
しかし、なんだろう。
どうにも……肯定ムードだな、と感じた。
あのボイスメモだって、取り様によれば邪推ができる。ネットにおける批判にお気持ち表明を出した、という風にだって受け取れるはずなのに、そういう風に見ている人が存外少ないのが、意外だった。
動画投稿サイトのコメントも、かなり落ち着いてきている。評価の声が高くなっているのだ。
「そりゃあ、良い曲やしなぁ。いいモン見せられたら、感想を形に残しときたくなるのが人間ってモンよ」
「悪感情が良感情に劣るとは思えないです」
「ひねくれてんなぁ。素直に喜んだ方が人生楽しいぞ~?」
DIVA Li VIVAの休憩スペース。土日に予定が無かったらとりあえずDIVA Li VIVAの事務所に行ってみる、という習慣をつけることにした。まだ入社したてということもあって、人脈づくり……というか、ある程度の出会いは必要だと思う。孤立しないと得られないものより、孤立しなくても得られるものの方が大衆受けがいい。
そんな邪な考えで来たそのスペースに、ギターを持った女性がいた。
春藤、という名前で活動している作曲家兼ギタリストの人で、MINA学園projectやDIVA Li VIVAの活動する動画投稿サイトとは別の、もう少しアングラ寄りの動画投稿サイトで演奏動画を上げていた人だ。首から上をカメラに映さないスタイルで、アパートの一室のような所でギターをかき鳴らす姿は、視聴者にカッコイイと思わせるソレがあった。
「嬉しいんですけどね。もう少し注目度があってもいいのにな、っていう」
「十分やんか。上目指し過ぎと違うか?」
「目的地はてっぺんのその先ですから」
「かぁ~、そりゃあかっけぇなぁ」
春藤さんは関西弁……なのかどうかわからない話し方で、座っているのにギターを肩から降ろすことなく、なんなら話の途中にジャラァンとかやったりしている。わたしは楽器ができないので実感はないのだが、それ重くないんだろうか。
「弾いてみるか?」
「出来ない事はしない主義です」
「てっぺんに行くのは出来るってことか」
「勿論」
紙コップから梅昆布茶をズズ……と飲む。美味しい。
自分の家じゃ絶対にいれないけど、無料で飲めるサーバーに置いてあったら飲んでしまうもの第一位。しょっぱあったかうま味。ズズーっ。
「大層な自信やけど、そやったら自分の曲歌ってみんか? ロック、好きだって聞いたで」
「口軽いなぁ」
「嘘つけんからなぁあの子」
気を付けないと。まぁ隠す事でもないからいいんだけど。
しかし、ふむ。コラボ……というか、春藤さんはライバーではなくクリエイター側のギタリストなので、普通にボーカル依頼のようなものか。
確かにわたしはロックが好きだ。オールドロックンロールとメタルが好きだ。付随する激しいロックが基本好きである。
「頷きたい」
「頷いてくれんのか」
「HANABiさんが泣くかもしれない」
「なんじゃそら」
そう思うのもまぁ無理はない。わたしとHANABiさんは他のボーカルと作曲者の関係から見れば、少々重すぎる関係だというのはわかっている。正確にはHANABiさんがめちゃくちゃ重いのだという事はわかっている。
わかっているが、ううむ、わたしあの人のあの在り方が好きなんだよな……。
「じゃあHANABiも巻き込むか」
「あれ、知ってるんですか?」
「昔一緒に仕事した事があってな。所謂"歌い手"の大合唱のヤツでさ」
「へぇ」
知らなかった。オタク敗北。
不思議はない。HANABiさんも、そのアングラ寄りの動画投稿サイト出身だから。
でも、知り合いなら……いけるかも。
「ちょっとHANABiさんと相談してみますね」
「おうおう、頼むわ。ついでに今フレンド送っといたわ」
「はーい」
フレンドリー&スムーズ。円滑なコミュニケーションの取れる人間は仕事がしやすいね。
うん、こういう出会いがあるのなら。
これからも、ちょくちょく顔を出すのはアリだな、と。結論付けた。
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