幼稚園児の朝は早い。俺は一人慣れた足取りで歩みを進める。少し前まではお母さんと一緒に通っていたのだが、断った。こんな姿を見られるのはもう御免だったからだ。
きっと明日なら、そのまた明日ならと期待をするのにも疲れてしまった。俺はもしかすると自分では気が付いていないだけで何か変なのかもしれない。
目的の場所が近づくにつれ、落ちていた気持ちがより一層深く沈む。周りには友達同士でじゃれ合ったり走り回ったりしながら仲良く通園している。羨ましいな。そう思いながら門を潜り抜けた。
いつも通り、大部屋の中ははしゃぐ子供たちでいっぱいだった。しかし、今日はどこか落ち着かない様子だ。
色々と聞き耳を立ててみるに、新しい仲間が来るとかなんとか。どこか少し肌寒くなってきたこの時期にはやや珍しい。
少しして、ガラガラという音がして引き戸が開かれる。それまで騒がしかったのが嘘のようにシーンとする。
入ってきたのはいつも明るい先生と黒い漆のような黒髪を真っ直ぐに伸ばして堂々とする顔の整った少女だった。
「はーい、静かにしてねー。今日は皆のお友達が新しく増えます。じゃあ自己紹介してみよっか」
「僕の名前は信楽葵と言う。親たちの都合でこんな時期に来たわけだが、まぁ空気のようなものだと思っていてくれ」
形式的に頭を下げ、その場から自分たちのところに来る。すぐ横を通った。一目ぼれだった。一瞬ではあったが遠くを見て何かを諦めたような瞳のあの子はなんとなく寂しそうに見えた。
「あー、少し緊張しちゃったかな。みんなは葵くんといっぱい遊んであげようね」
先生が何かを言っていたが、そんなことよりもこの胸の高鳴りを抑えられそうにない。こんな事初めてだ。
何となくわかった。俺たちは普通じゃない人やモノに対して過剰に反応し、避けてしまうということを。いつも通りに皆思い思いに遊んでいるが、そこに信楽葵はいない。
一人でいる彼女に何となくそうなってはいけない気がして、俺は目の前に立つ。反射的に彼女は俺の方を向く。
「キミ、そんなところで何してるの」
「別に、何をしていようが関係ないだろう。空気のようにしてくれと言ったはずだ。暇なら先生のところに行くといい」
特になにも考えずに来てしまった。顔に熱が籠り、心臓がドクドクと波打つのがうるさい。積み木に似た何かに彼女は一人集中している。遊びを邪魔されたためか、やんわりと拒否される。
「俺もそれで遊びたかったんだ」
嘘だ。どちらかというと外で走る方が好きだ。現に俺たち以外は皆砂場で遊んだり鬼ごっこをしている。だからと言って俺が混ざることは出来ないのだが。
それにしても家族以外とこんなに話せたのは始めてかもしれない。俺はどうやら人見知りと言うものらしい。頭では何をするのかわかっているのに口に出せない。そんな俺を見て気味が悪く思ったのか、いつの間にか周りに人はいなくなっていた。
「わかった。じゃあこれは」
そう言いながら、手に持っていたものをこちらに渡してくる。若干不服そうだ。
「ほら、お前のものだ。これで満足だろう」
そしてまた何かを探しに行った。俺も同じように立ち上がり後ろをコソコソと着いていく。彼女は振り向く。俺は止まりきることが出来なかった。あの遊びなら俺は負けだ。何だか楽しいぞ。
「何がしたいんだ?玩具はもうお前に渡した。何故だ」
心の底から不思議そうに首を傾げる。俺が近づいた訳、言ってしまっても良いだろうか。いや、しかしそんなどうしようもない理由を受け入れてくれるとも思えない。俺は喋るのが上手いわけでは無いし、かと言ってこれから何か言い訳を考える時間があるとも思えないし、どうしようもない。
「何だ、いきなりだんまりか。ええと、なるほど。どうせ罰ゲームで僕にからかって来いとかそういうものだろう。この通り面白みもないから次からはやめてくれ。じゃあ」
納得がいったのか俺に言い聞かせるようにそんなことを言い放ちまたも立ち去ろうとする。無論変わらぬ無表情で。そういうつもりではないんだ。俺は、本当は。
しかしうまく言葉が出てこない。こういう時どうすればいいかなんて誰も教えてくれなかったし。諦めるしかないのか。ん?
「!???」
いつの間にかこちらを振り向いていた彼女は何故だか顔を真っ赤にさせながらこちらを睨みつけている。何故だろうか。それどころかこちらにぐんぐん顔を近づけて俺に迫ってきた。
「お、お前は人を見ていきなり好きだとか言う非常識な奴なのか!?大体僕は」
「え、え、声出ていたの」
赤面しながら無言で頷く彼女に伝染したのか俺も顔が一気に熱くなってくる。やってしまった。ああもう全部台無しだ。
ここから逃げ出したくなってきたが、もう開き直ることにしよう。
「そうだよ、一目ぼれしたんだよ悪いかあああああ!」
ムキになって自分では考えられないほどの大声が出る。穴があったら入りたい。
「残念だが、僕はその言葉には応えられない」
気が付くと恥ずかしいのは俺だけになってしまったようだ。そして何故か笑われている。ちょっとどころか大分凹むが、そんなことは関係ない。だって今俺は彼女と喋れているのだから。
「だって僕はね。男だからさ」
「え?」
「くふふ。今も笑えるよ。だって髪が伸びていて若干小さいからってお、女に間違えて、しかも告白するなんて」
「忘れてくれませんかね。ほんと」
あれから少し経って二人で遊びながら的確に葵は俺の心を抉ってくる。気のせいじゃなければその時の話をしているときはやたらと嬉しそうにしている。恥ずかしい。
「なんにせよ。恋人にはなってあげられないけど」
そうだよな。俺たちはもう、
「トモダチにはなってあげよう」