「えっと?な、なにを言っているんだ?」
やや紅潮した顔でこちらを半分上目遣いで見ながらそう聞いてくる。相当恥ずかしいのだろう。男同士とは言え、見た目は女の子のそれだ。その姿を見て自分から言ったことなのにやや罪悪感を感じてしまう。
でも、もう行ってしまったことは変えられないし、反省はしているが後悔はしていない。とりあえず、確認がしたい。
「そのままの意味だよ。人目につくところだとまずいと思ったから」
その言葉を聞いた葵は案の定、更に顔を真っ赤にする。家の中だし、俺しか見ないというのにちょっと恥ずかしがり過ぎな気もするけど。
それからしばらくしても葵は何もしようとしない。言葉も発さずに俯いている。しかし時折頭をぶんぶん横に振ったりしているので俺の言う事が聞こえていないという訳でも無いだろう。
このままでは埒が明かない。仕方が無いがもう少し強く聞いてみるべきか。
「葵、これは本当に大事な事なんだ。嫌だっていうのは伝わってきているけど、それでもダメ?」
しかし葵はこれに答えてくれることは無く、だんまりを決め込んでいる。お互いの間に気まずい空気が流れる。
何ともなしにふと時計を見てみると既にかなりの時間が経っていることがわかる。日を改めたほうがいいか?
いや、しかし今日を逃してはそのままうやむやになってしまうのではないか。そんな考えが頭の中を支配していった、そんなときに耳にかすかだが、衣擦れの音が届く。
反射的に彼の方を向く。既に上半身には白い肌が顔をのぞかせ、それを隠すものもなくなっていた。しかし、それにより青黒く変色した皮膚がより強調され、際立ってしまっている。
葵は首だけを器用に後ろに向け表情を隠しているが、その顔を仮に見たならきっと一番真っ赤になっているに違いない。
「ほら、これで満足だろ。もう服を着るからな。全く、男の裸なんて見て何になるんだが僕はさっぱり意味が分からない」
それにしても、酷い。寒くもないのに何故か長袖を着ていた理由も今分かった。身体のいたるところが痣でいっぱいになっている。これでもう確信した。俺は葵を守らなければいけない。
いそいそと服を着るその姿を見て何故だか自分がとても滑稽に思えてくる。気付くためのヒントはいくつもちりばめられていた。
何となく葵が普通の家で産まれて、普通に生きていたわけがないとわかっていた。なのに、それを無意識に見てみるふりをすることで大丈夫だと思いたかった。自分が情けない。
「これだけやったんだから、ちょっとは嬉しそうな顔をしていてくれなきゃ割に合わない。それにしても何か身体がやけに熱いな」
「葵、服脱いでくれてありがとう。どうかしたか?」
「お前、何て顔しているんだよ。ちょっと怖いぞ。って、あっ」
俺の視線が捲っていて露わになっていた腕に向いていることに気が付いたのだろう。急いで戻すが、今更それに意味がないことに気が付いていないわけでは無いだろう。
しきりに喉が渇く。母の用意してくれたお茶を一気に飲み干す。やっぱりというべきか、それは既にぬるくなっていた。
「あー、もう。そういう事だったか。こっちだけ損じゃないか」
先ほどまでの恥ずかしがった顔は鳴りを潜め、今度はバツが悪そうにこっちを睨んでいる。あんまり怖くないけど。
これではっきりした。葵はあの親のようなもっと別の何かにひどい仕打ちを受けている。友達がこんな風になっているのは嫌だ。
「葵、ごめんね。今まで気づいてあげられなくて。今すぐあそこから逃げて」
俺の中では葵の反応について二つのパターンを考えていた。一つ目はこれで解放されるんだ、という晴れやかな表情。二つ目は、今更何を言っているんだ、とばかりにこちらを冷めた視線で失望の表情。
しかし、そのどちらでもない。俺の言葉を聞いて、聞こえていなかったとばかりに普段と変わらない様子なのだ。
俺にとっては大きいことだが、それを感じさせない葵がとても不気味に感じてくる。
「例えば、だけどね。あそこから逃げて、それでどうする?どこに逃げるんだ。お金もない。親戚だっていない」
俺は言葉に詰まった。そんな返し方をされると思っていなかったって言う事もあったが、それでも自分が何も考えていないことを思い知らされる。
「な。そういうことだろう。ちょっと聞いただけでもこれだ。どうせ無理だ。はいはいこの話はおしまい」
「で、でもこのままじゃ葵が」
どうにか言葉を絞る。このままじゃ、また俺は何も出来ないまま終わって、それで。
「はいはい。どうせ僕だからとかじゃなくて、たまたま虐待さている子どもがいたからだろう」
「でも、でも」
「わかった。もう大丈夫だから。じゃあね。僕は行くよ」
そう言い残すと、葵は部屋から出て行った。あれは葵の本心なのだろうか。分からない。
あの時の葵はとても遠いものに見えた。まるで初めて会った時みたいに全てを拒絶している様な、そんなような。
確かに俺にも何か出来るかもしれないと思ったはいいが、言われた通りだった。何も考えていない。先も見えていない。
彼の言うようにこの事にはもう触れないほうが良いのかもしれない。そう考えるようにもなった。だって、自分でもういいと言ったんだから。
そこまで考えて、最後に一瞬見えた表情がとても悲しそうで、それを思い出して再び悩んだ。