それから小学生、そして中学生になった。そして俺たちとそれを取り巻く環境は良い意味でも悪い意味でも特に変わっていない。
いや、一つ変わったことがあった。単純に会う時間が異様に減った。
小学校も大体中学年になった時くらいだったと思う。どこからか彼は本を見つけてきて、そしてそれから会う時間がかなり減った。勿論、絶対に見せてくれない。
俺は他に友達なんていないし、葵のことを友達だと思っている。だからそうなることはちょっと、いや大分辛かった。しかし、聞いてみても彼の言うことは一点張り。
『君には関係がないことだ。ああ、大丈夫だ。気にしなくても良い』
俺なんかみたいな奴に正直、彼の考えていることはよくわからない。だから仮に相談されたとしても上手く返せないだろう。
実際、俺は彼の地獄のような家庭について何をするわけでもなく、逃げた。だから俺に言っても無駄だと考えているのかもしれない。
でも、聞くことくらいならできる。俺なんかでも共感して、どうにか足掻いて、助けになれる。
結局、無力さを痛感するだけだった。時折服がはだけて見える痣に変わりはない。いつも通り話す。いつも通り笑う。でも、それがどこか歪に思えた。
「別に、どこでも良いじゃないか。僕は君の行くところに合わせるさ」
中学校生活もラストの一年になったが、彼の高校に対してのスタンスは全く変わっていない。どうやら県内で一番の高校にも入れるらしいが、そんなもの眼中に無いらしい。
俺だって彼の足枷になんかなりたくはない。折角そこに行けるのに俺なんかのためにレベルを下げては勿体無いだろう。
そして考えた。特にやることもないし、彼に少しで近づきたいと思ったから、勉強をそこそこ頑張り始めた。俺がそっちに合わせるという気概で、だ。
幸い?と言っても良いのだろうか、時間はかなり有り余っていた。相当無駄に使っていたのがちょっと悲しい。
その甲斐あってか、絶対無理という状況からどうにか可能性くらいは出てきた。まぁ、これからの頑張り次第という所ではあるのだが。
そんなことを考えていた矢先に事件は起きた。
「あー、今日信楽は休みだ。じゃあホームルーム始めるぞ」
いつも通りやる気の欠片も見えない担任の声で朝が始まる。普段と同じように聞き流そうと考えていたが、今日は聞き捨てならないことが耳に入る。
葵が学校を休むなんて珍しい。昔、『家にいてもつまらない』そう言い放ち、明らかな不調でも来ていたのが懐かしい。
昨日は元気そうにしていたのだが、何かあったか。形にはならないがもどかしい何かが心のなかで形成されていく。
あの時はいつもよりだいぶ弱々しくなっていた。息は苦しそうで、40度くらいはもしかしたら出ていたかもしれない。足元もおぼつかなくて寧ろよく無事だったと思うくらいだったんだけど。
その時は恩を返すチャンスが来たとばかりに頑張って看病したのだが、その日のことを話そうとすると途端に恥ずかしそうにするので彼にとっては思い出したくないことかもしれない。
まぁ、そんなことはいいんだ。そんなときでも来ていたのに、今日は休んでいる。葵の家に恐らくだが看病する人間は存在しない。
もしかしたら今も倒れているかもしれない。そう思うといてもたってもいられずに、結局早退することにした。
俺だって一応優等生風を気取っているのでまぁ、楽に行けた。保健室で無駄に休まされたが、その間もずっと胸に淀みのようなものを覚えていた。
慣れ親しんだ道を通る。足取りは自然と速くなり、いつの間にか全力疾走になる。冷たい切り裂くような風が吹き抜け、身を縮める。葉は既に落ち、すっかり朽ち果てていた。
学校をサボって若干の罪悪感を感じつつも、取り敢えず目的の場所へと着くことが出来た。コンビニに寄って桃の缶詰も忘れずに買っておいた。缶切りがあったかどうかはわからないけど。
何事も無いようにと祈りつつチャイムを押す。返事がない。もう一度押す。先ほどと何も変わらない。行儀が悪いとはわかってはいるが、扉に耳を当てて中の様子を伺ってみる。
微かに、しかし確かに助けを呼ぶ声がした。聞き間違えるはずもない。葵だ。
夢中になって扉に手を掛ける。袋なんか持ってる場合ではない。ギィーと嫌な耳をつんざく音を立てながらも開いた。中の様子が直ぐに鮮明にわかる。
そこには目いっぱいに涙を浮かべて必死に行為を拒絶する
頭が、血が沸騰した。許せない。俺は、あいつを。壊さないと。
思い切り奴を蹴る。部屋の隅へ吹っ飛んだが関係無い。追うことにする。汚い何かがこちらを見てくる。醜悪な顔つきを更に歪ませる。殴る。拳に何かの液体が飛んでくる。気にする必要はない。もう一回。
今度は腹に。出っ張っているのだから、何度かやらなきゃ致命傷にはならないだろうが、なるまでやれば良いのだ。もう一度。もう一度。
「もうやめてくれ!」
反射で我に返る。横たわる葵の父は既に抵抗する意思など欠片も見えない。目には怯えが見て取れる。何となく、萎えた。
視線を少女に移す。剥ぎ取られた服と手首に付いた痣が痛々しい。そして、その少女は葵にとてもよく似ていた。整った顔つきはそのままに髪の毛を伸ばしたらそっくりだ。
何はともあれ、自分の上着を着せる。このままでは目に毒だ。こんなところに置いておけば、危険なような気がした。そうして、ここから移動することを決めた。
「えっと、大丈夫?じゃないだろうけど、取り敢えずここから離れよう。立てる?」
「あ、うん。大丈夫、かな」
弱々しく、作った笑みを浮かべて感情を殺そうとしていた。しかし、身体の方は無理なようで腰が抜けている。細身な彼女なら、簡単に持てそうだ。今は男性に対する恐怖については我慢してもらう他ない。
「あっ///」
思った通り、かなり軽かった。これなら俺の家まで5分とかからないだろう。兎にも角にもここから移動しなければ行けない。時間も平日の午前なだけに人に出くわさなかったのが救いだった。
俺の部屋に行っても、しばらくは心ここにあらずといった感じになっていたが、徐々に自分を取り戻してきたようで、落ち着いて話せるようにもなった。
「ありがとうね。助けてくれて。本当に、嬉しかったよ」
噛み締めるように、そう言う。笑顔がとても素敵で可愛い。特に目がくしゃっとなるところも本当によく似ている。
恐らくは妹か姉なのだろう。どういうわけだったのかはわからないが、生き別れた家族と感動の再開の予定があんなくそったれたことになったに違いない。
彼女は俺の部屋でどこかソワソワしながらも寛ぎ始めた。上着の匂いも嗅がれていて大分恥ずかしい。でもあれ脱いだら色々と見えたらいけないとこが見えてしまうから仕方ない。
「ええと、そんなに臭いかな?」
「いいや、全く。寧ろこの匂いはとても安心するよ。改めてだが、雄二。本当にありがとう。僕を助けに来てくれたんだな」
「全然。そう言えば、葵知らないかな?君には悪いんだけど、弟?兄?に用があってね。そうしたらあんなことになっていたから」
「そうか、わからないよな。うんうん」
「どういうことかな?」
訳のわからないことを言いながらもうんうんと頷いて一人で納得してしまっている。やはり天才肌なのか。そう考えていると、いきなり視界が天井を指す。
「僕が正真正銘、信楽葵だよ。まぁ、性別は変わってしまったがね。ごちそうさま」
遅れて自分が押し倒されていたことに気がついた頃には、唇が甘い感触によって塞がれていて、何も言うことが出来なかった。