僕には子供の頃、
「イーくん! イーくん!」
そんな風に僕を呼ぶ、友達がいた。
サイズの合っていない、ブカブカのワンピース。
その黒いワンピースは、よく見ると汚れで変色していた。
でも、その頃の僕は、そんなこと、気付いていなかった。
公園で出会った彼女と、僕は仲良しになった。
周辺にヴィランの警戒情報が流れたから、僕の家で遊ぶようになる。
僕の家まで連れてきて遊ぶ友達は、彼女が初めてだった。
パソコンの前に2人で並び、一緒にオールマイトの動画を見ていた。
今になって思うと僕と違って、彼女はヒーローに興味はなかったと思う。
オールマイトの動画を繰り返し見る僕を、ずっと彼女は見つめていた。
そして、あの日だ。
なかなか個性の現れない僕を心配して、お母さんは病院へ連れて行ってくれた。
そうして幾つも病院を回った末に、有名な医者から無個性と告げられた。
落ち込んでいる僕の下に、いつもと同じように彼女は訪れた。
「どうしたの、イーくん?」
泣き疲れて、その時の僕は放心状態だった。
何も考えられず、呆然とオールマイトの動画を見ていた。
カーテンも閉めて、暗い部屋で、オールマイトだけを見ていたかった。
オールマイトのように成りたくて、オールマイトを自分のように思っていた。
でも、僕は無個性だ。
そう考える度にハンマーで、心を割られるようだった。
誰も彼も個性を持つ現代で、生まれ持った障害と同じだ。
オールマイトを見て、自覚する度に心が痛む。
尖った破片が突き刺さって抜けない。
届かない未来、オールマイト。
失われた個性。いいや、最初から無かった個性。
今まで気付かなかったけれど、生まれた時から、そうだった。
損失はゼロだ。
僕は何も得ていなかったから、何も失っていない。
失っていないのならば悲しむ必要はない。
そうして僕の中で、合理化する。
何度も繰り返すことで少しずつ、僕は痛みに慣れていった。
そうして僕は、失った事を受容しようと試みていたのだろう。
「イーくんが悲しいと、私も悲しいなァ」
そう言って彼女は横から、椅子に座っている僕へ抱きついた。
両方の腕を体に絡み付かせ、僕に顔を寄せる。
彼女の手が体を這って、彼女の柔らかい肌と擦れ合った。
彼女の温かさが伝わって、感情を抑えていたのに泣きそうになる。
そうして僕へ近付いた彼女は耳へ口を寄せ、
「ねえ、イーくん。個性が欲しい?」
とささやいた。
「個性って、他人に個性を渡せる個性もあるんだよ?」
そういう個性を持っている、という事なのか。
今さらになって僕は、ドキドキと心臓を鳴らす。
さっきまで無個性を受容しようと試みていた、僕の心は吹っ飛んだ。
すると外側を取り除かれたように、僕の中から欲望が立ち上がる。
個性が欲しい。
それこそ僕の心に封じていた本当の願いだ。
忘れつつあった傷跡は、僕に意識された事で再び開く。
でも、他人から貰った個性で良いのだろうか?
自身の物ではない個性で、ヒーローを張れるのか。
他人の個性を受け取れば、無個性である自分自身を捨てる事になる。
その瞬間、僕は無個性を救えなくなるだろう。
どれほどヒーローを語っても、無個性に対する言葉は偽りで虚ろになる。
だって僕は、無個性を捨てるのだから。
ヒーローとなるために無個性を捨てる必要がある。
そんな当たり前の事に、今さら気付いた。
それは、とても悪い事に思えた。
それは僕にとって悪だった。
僕は口を押さえる。
それでも断ることはできない。
口を開けば僕は、個性を望んでしまう。
その感情は僕の内側に留められず、流れ出してしまう。
事実として僕は、喜んでいた。
口を隠す手の下で、笑い声を必死に抑えていた。
でも抱き付いている彼女から見れば、僕の反応は明らかだった。
そんな僕をクスクスと笑って
「ねえ、イーくん。個性が欲しい?」
と彼女は繰り返す。
「欲しいのなら、イーくんから言ってくれないかなァ」
甘い言葉に誘われる。
僕の心と体は、いつの間にか分離していた。
心は今にも、口を突き破りそうだ。
体は冷や汗を流すほど、僕を引き止めていた。
呼吸を止めて我慢する
でも、すぐに限界となって開いてしまった。
「ふふ、ふふふふ、はははは!」
どうしようもなく笑い声が漏れる。
そんな僕を見て、彼女も笑う。
「うふ、うふふふ」
笑いながら僕は泣いていた。
泣くほど嬉しかったのかも知れない。
それとも泣くほど嫌だったのかも知れない。
ヒーローの僕と、無個性の僕。
どちらも本当で、どちらも僕だった。
「ヒーローになりたい」
歯を食い縛って、顔を歪めて、僕は別れを告げる。
無個性の僕を、ヒーローの僕が否定した。
言ってしまった言葉は、もう取り消せない。
「僕は、ヒーローになりたい」
そう告げた僕は、良い気分だった。
不要な物を切り捨てたように体が軽い。
どうして僕は、こんな素晴らしい事に悩んでいたのだろう。
無個性なんて何の意味もない。
そう結論した。
オールマイトのようなヒーローになるんだ。
無個性だからと言って諦める必要はない。
僕をヒーローにしてくれる。
その彼女を見ると、
「じゃあ、私をあげるね?」
手から棒のような物を取り出していた。
黒くて、長くて、まるで剣のように先は尖っている。
それはスルリと僕の胸を突き刺して、スルスルと潜り込んで行った。
痛みはなかった。
正確に言うと、痛みを感じていなかった。
幻ではなく現実に、黒い鉄の剣が、僕を貫通している。
疑問の声を上げようと意識したものの、体は動かなかった。
それなのに彼女は、ニコニコと嬉しそうに笑っている。
「前世の時からね。好きだったんだ。"僕"も壊れてる人が好きだから」
彼女の言葉が分からない。
「絶望している人も好きで、だからデクくんを見たら我慢できなくなっちゃった」
理解できないまま記憶に焼き付けられる。
「1つになりたい。愛し合いたい。同じ物になりたい。私と同じものになってほしい」
体から力が抜けて、彼女に支えられる。
「好きです」
暗くなる視界に、彼女の顔が浮かぶ。
その表情は本当に嬉しそうで、世界で1番キレイに思った。
僕の気絶していた時間は、数分だ。
お母さんに呼ばれて、僕は目覚めた。
知らぬ間に点いていた電灯は、僕の目を痛いほど照らす
「イズク! イズク!」
「お母さん?」
お母さんは泣いていた。
僕を抱き締めたまま、お母さんは聞いた。
「どうしたの? 何があったの? 大丈夫!?」
「うん」
「よかった」
「どうしたの、お母さん?」
僕は辺りを見回す。
すると僕の胸は真っ黒に染まっていた。
着ていたはずの服が、なぜか片腕に引っ掛かっている。
同じように黒く変色していた、それはポトリと、床に落ちた。
「何でもないのよ」
そう言って僕を抱き締めたまま、お母さんは後ろ向きで歩き始める。
「お母さん、どうして後ろ歩きなの?」
「お母さんだって、たまには後ろ向きで歩くのよ?」
「お母さん、服を脱いだままだよ」
「いいの。このまま、お風呂へ入ろうね?」
「お母さん、下ろして。自分で歩くよ」
「お風呂から逃げようとしても、そうは行きません」
「お母さん、どこを見てるの?」
「お母さんは、ずっとイズクに夢中よ?」
僕の後ろだ。
首を回して、
「ダメ!」
大声で怒鳴られた。
「お母さん、こわいよ」
「ごめんね、イズク。でも、もう少し我慢してね。おねがい」
お母さんの笑顔は、ゆがんでいた。
「いや。いやだ、はなして!」
「おねがい! おねがいだから!」
痛いほど抱きしめる、お母さんの腕は解けない。
そのまま少しずつ、部屋の出口へ向かって行く。
どこかへ連れ去られるように思えて怖かった。
お母さんが、お母さんではないようだ。
「うわああああああん!!」
僕は暴れて、手足を振り回す。
すると何処かに当たって、お母さんは悲鳴を上げた。
その隙に抜け出した僕は、振り返る。
「見ないで! イズク!」
彼女が横になっていた。
電灯に照らされているせいか、白く見える。
変わった所はなくて、眠っているように思えた。
それ以上は、どこにも不思議な所はない。
「起きちゃうから、静かにしないとダメだったの?」
「ええ、そうよ。ごめんね、イズク。さあ、早く行こう?」
お母さんは声を震わせながら、両方の腕を広げて僕を迎える。
「じゃあ、一緒に入ろうよ!」
お母さんが、その言葉を理解した時は遅かった。
僕は彼女に触れて、その違和感に気付く。
白くて、冷たい。
「ねえ、お母さん。寝てるの?」
「ええ、そうよ。寝てるの」
まるで体から急に、温かさを抜かれてしまったようだ。
彼女は目を閉じたまま、口は半開きになっている。
でも温めれば、また動き出しそうに思えた。
「さあ、もう行こうね?」
お母さんに抱き上げられる。
静かになった僕は、お母さんに運び出される。
「ねえ、お母さん。寝てるだけだよね?」
「そうよ、寝てるだけ」
その言葉を信じるしかなかった。
だって、死体を見るのは初めてだったから。