彼女が寝ている間に、他の家へ僕は預けられた。
その間に彼女は居なくなって、再び会うことはなかった。
お母さんが警察に事情を説明して、僕は何も知らされなかった。
僕は何も知らなかった。
そういう事になった。
お母さんが、おかしくなったのは、それからだ。
「お母さん! どうしたの!? 大丈夫!?」
「大丈夫よ、ちょっと切っただけだから」
お母さんが腕から血を流していた。
いくつも切った痕があって、すごく痛そうだった。
それから毎日のように、お母さんは腕を怪我していた。
お母さんが血を流しすぎて気絶し、僕は隣人へ助けを呼びに行く事もあった。
僕が救急車の呼び方を覚える頃になると、お母さんは入院した。
病院から電話が掛かってきた。
病院へ行くと、お母さんは彼女のようになっていた。
白くて冷たい、彼女のようになっていた。
まるで眠っているようだった。
その意味を僕は知っている。
「緑谷出久くんだね。お父さんについて聞きたい事があるんだ」
僕を病院まで運んでくれたのは警察の人だった。
「お父さんは今、どこにいるのかな?」
「分かんない。ずっと見てない」
「それは、いつの頃から?」
「えっと、彼女が居なくなった頃から」
「彼女? ああ、君の家で亡くなった子かな?」
ああ、やっぱり。
彼女は死んでいた。
悲しむよりも先に恐怖した。
彼女は個性をあげる、そう言った。
どう考えても、そのせいで死んでしまったのだろう。
僕のせいで死んでしまった。
罪を告白するのならば今しかない。
それでヒーローに成れなかったとしても構わない。
彼女の死んだ原因を隠すのは、ヒーローの行いではない。
本当は察していたはずだ。
おかしく思って、お母さんに聞くべきだった。
それなのに僕は目を逸らし、無知を装っていた。
だって個性を得たと言えば、誰に貰ったのか言わなければならない。
「僕に個性をあげたから、彼女は亡くなりました」
「それは、どういう事かな?」
「僕は無個性だったんです。でも今は、彼女にもらった個性があります」
「それを誰かに相談したことは?」
「いいえ」
「どうして言わなかったんだ?」
少しだけ変わる口調。
警察の人は怒っているようだった。
怖いけれど、僕は答えなければ成らない。
それは勇気なんて前向きな物ではなく、後ろから追われているようだった。
逃げるのは止めて、立ち向かわなければならない。
ヒーローとしての僕が、罪を犯した僕を見ていた。
いいや、違う。
他の誰でもない。
罪を犯したのは、ヒーローになりたい僕だ。
また僕は自身を切り離して、罪から逃れようとしている。
そうすれば、また気持ちいいのだろう。
そうして浮いてしまう僕を、僕は心に縛り付けた。
彼女について僕は話す。
僕が罪を犯した、あの日の事を話した。
すべて話し終えると、僕は児童相談所へ連れて行かれた。
警察ではなかった。
「僕は逮捕されないんですか?」
「刑事裁判、つまり俺たちの領分じゃない。おまえの処分を決めるのは家庭裁判所だ」
お葬式へ行った。
お母さんとお父さんは骨になった。
ヒーローを望んだ、その結果に思えた。
他人事のように流れる景色を掴み取り、僕の物にする。
そうして切り離した痛みを抱えて、自覚しなければ成らない。
痛みで心が潰れそうになる。
でも僕は被害者ではなく、加害者だ。
涙を流して同情を買うのは許されない。
もう死にたかった。
でも、それは痛みから逃れる行為だ。
僕は痛みを自分の物として、目を逸らしてはならない。
そうして何度も何度も繰り返して、逃げようとする僕に言い聞かせた。
家族を失った僕は、血縁に引き取られた。
でも、最初は優しかった人も、おかしくなっていく。
怒りっぽくなって、いつも見えない何かに追われているようだった。
物を投げられる。
棒で叩かれる。
首を締められる。
でも彼女に与えられた個性が、痛みを通さなかった。
僕の体は鉄のような強度で、素手ならば逆に怪我を負うだろう。
だから罰を与えるため、その人は車で何度も、僕の上を往復した。
もう、他人の視線に拘らないほど、正気を失っていたのだろう。
その人は逮捕されて、僕は児童相談所へ戻された。
僕は痛みを受け入れる。
それとは別に、ヒーローならば救わなければならない。
でも狂ってしまった、その人を救う方法は分からなかった。
何を言っても僕の言葉は、その人に届かなかった。
オールマイトならば、どうしたのだろう。
きっと、その人を救うまで、諦めないに違いない。
その人に僕は会いたかったけれど、お医者さんに止められた。
僕を無個性と診断した、あの有名な、お医者さんだ。
「君が近付けば、さらに悪化するじゃろう」
「おかしくなったのは、僕のせいですか?」
「どうして、そう思ったのかな?」
「最初は優しかったんです。あんな事をする人じゃなかった」
「君のせいではない。原因は君に与えられた個性じゃ」
「個性の?」
「君に与えられた個性は血液で、流体でありながら鉄のような強度を持つ。本来、このような金属流体は水銀か、あるいは君の体が蒸発するほどの高熱を宿しているはずじゃ。しかし君の体温は、タンパク質が硬化しない程度しかない。面白いじゃろう?」
「面白いんですか」
「いや、すまん。興味の出る話題から入ろうと思ったのじゃが、余計な事じゃった。研究者は誤解されやすが、けっして命を軽く思っている訳ではないんじゃよ?」
「お医者さんじゃないんですか?」
「研究によって、人を救う医者じゃ。じゃが、金の亡者とも言われておるよ、ホホ!」
「そうなんですか」
もしかして今のは、笑うポイントだったのかな?
「君の個性は、ある電磁波を放っておる。1から3ヘルツのデルタ波じゃ。これが他人の脳へ届くと自殺衝動を喚起する。これをワシは、狂気の波長と名付けた」
「じゃあ、みんなが、おかしくなったのは」
お医者さんは肯定した。
「脳の神経発達によって、この電磁波を受けた結果は異なる。未熟な神経回路網であるほどデルタ波の干渉は大きくなり、この狂気の波長に対する抵抗力は弱まるのじゃ。これをワシは4のステージへ分類した」
嬉々として語るお医者さんに対して、僕の意識は遠くなる。
それでも僕は、この話を受け止めようと意識を強く持った。
無知から、僕が殺してしまった人々を知るために。
「ステージ1、自殺衝動を他者へ転換する」
僕を引き取った人は、僕を痛め付けた。
それは自殺衝動に耐え切れず、他人に押し付けたからだ。
「ステージ2、自殺衝動に耐え切れずに自害する」
お母さんは自身を傷つけていた。
自殺衝動を他人に押し付ける事はなかったけれど、自身に向かってしまった。
「ステージ3、」
お母さんの精神は未熟だったと、そう言うのだろうか。
そうは思えなかった。
「でも、大人です。大人なら子供よりも、心は発達しているでしょう?」
「子供が思っているほど、大人は大人ではないんじゃよ? 他者を傷付け、その他者を傷付けたという事実から目を逸らし、自身を正当化する。他人から受けた痛みを、また他人へ押し付け、自分に都合のいい真実しか見えん」
「お母さんは、そうじゃなかった! 僕が無個性と分かった時も優しくて!」
ーーごめんね、イズク
傷だらけの赤い腕。
白くて冷たい。
死体。
「お母さんは優しかったんです」
「ステージ2、少なくとも君を傷付ける事はなかった。しかし自殺衝動に抗うこともできなかった。狂気の波長を相殺するほど、神経は発達していなかった。これは心という曖昧な概念ではなく、物理的な神経の問題じゃ」
「お母さんは強かったんです」
「それでも足りなかったという事じゃよ」
「あなたは、どうなんですか?」
「もちろん対策を施しておるよ」
「対策があるんですか!?」
「波長である以上、その法則に縛られる。障害物に強く、理論上は惑星を射程に収める。しかし混線という性質は変えられん。もっとも、核爆発どころか大地震を超える出力じゃ。同じ波長を打つけない限り、現実的ではないのう」
「惑星って、地球全土!?」
「理論上の話じゃ。現実には、そうなっておらん。不思議じゃのう」
いつ起動するのかも分からない終末装置と同じ話だ。
もしも狂気の波長が世界に広まったら、どのくらい人は生き残るのだろう。
「他に対策はないんですか?」
「脳神経を発達させ、狂気の波長に干渉する余地を与えない事じゃ」
「神経の発達?」
「要するに自殺衝動を受け止め、目を逸らさず、それでも生きようとする事じゃよ」
生きている、それだけで狂気を振り撒く。
死ななければ僕は、また誰かを殺してしまう。
世界のために僕は死ぬべきなのか。
「僕は死ぬべきでしょうか」
「彼の個性を解き明かす前に死なれては困る」
愚問だった。
生きる事は正しいのか。死ぬ事は正しいのか。
その答えを他人に求めるのは、責任を逃れようとしているに過ぎない。
尋ねながら僕は密かに、生を与えられる事を期待していたに違いない。
僕の命の責任を、他人に負わせてはならない。
決めるのは僕だ。
「ヒーローに成りたいんです。オールマイトのようになりたい。他人に迷惑をかける僕は死ぬべきなのかも知れない。でも、まだ死にたくない。お願いします。狂気の波長を抑える方法を調べてもらえませんか」
もしも他人に死ねと言われたら、どうするのか。
生死の問いに、死ねと言われたら僕は、どうしていたのか。
その意思に従って死ぬのだろうか。
僕が死ぬことは決して、悪いことではない。
でも、僕はヒーローになりたい。
恋に焼けるように、愛に溶けるように、想い続けている。
ヒーローになりたいと望み、彼女に与えられた。
それが僕に残された全てだ。
「僕はヒーローになって死にたい」
どんな形で死ぬのかを選びたい。
「どちらにしても君を安楽死させる権利は、どこの誰にも許されてはいない。ある日、突然ヒーローがヴィランとなって君を殺さない限りはの。もちろん、君が自殺する権利も与えられておらぬ」
「そう言ってくれて、ありがとうございます」
僕は死を背負った上で、ヒーローへ進み続ける。
もしも他人に死ねと言われたら、なんとか説得するしかない。
僕に対して、そう言うのは当然のことで、間違ってはいない。
「では、まずは引っ越しじゃ。私の病院へ来てもらう。君の個性を治療するという名目で、後見人に代わる家庭裁判所の許可は取ってある。保護者の件で、ずいぶんと時間は掛かったがのう。あとは君に同意してもらうだけじゃ。子供を働かせるのは違法だから給料は払えんが、その代わりに生活費は掛からんぞ。ホホ!」
「ハハハー」
僕を笑わせようとする、この人なりの冗談なのだろう。
僕は空笑いしつつ、そう思った。
「あの、さっき僕が遮ってしまったステージ3を聞かせてもらえませんか?」
「ステージ3、自殺衝動を留めるものの受け止め切れん。自害は自制できるとしても、動くこともできないじゃろう」
ようやく狂気と拮抗できる、という事か。
「ステージ4、自殺衝動を受け入れ、それでも生きたいと願う」
「僕は、それが出来ているのでしょうか?」
「家族を失った子供の脳神経が、刺激によって急速に発達するのは前例としてあるじゃろう。むしろ子供であるほど、神経は著しく発育する。もっとも大人になってから、その反動として精神が不安定になるものじゃ。子供の頃は天才だった、という奴じゃよ」
僕は今、未来を前借りしている状態なのか。
「周囲の環境に求められて大人になる事と、自ら大人になろうと成長する事は、同じように見えて神経回路の発達が異なるのじゃ。歪な環境によって構築されるのは、歪な神経回路網じゃよ」
このままでは、いずれ代償を支払う時がやってくる。
環境に追われて大人になるのではなく、自ら大人になる意思を持たなければ成らない。
僕はヒーローになりたい。
それは僕の自己顕示欲から来るものなのか。
それとも人を救いたいからヒーローになりたいのか。
あるいはヒーローへ近付くために、ヒーローとなるのか。
「ステージ4に、どうすれば成れますか?」
「自殺衝動という過大なストレスを受容できる神経回路の発達じゃ。嫌な感情や記憶から目を逸らせば、その部分の神経は衰え、君の個性が放つデルタ波の干渉を受けやすくなる。このステージ4を言葉として表すならば、受容、感謝、慈悲、忍耐、ユーモア」
受容、感謝、慈悲、忍耐、ユーモア
「そして死が待っているとしても、希望を持って未来へ進むーー勇気じゃ」