緑谷出久と黒血   作:292299

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あなた以外、触れる事はできない

児童相談所から出た僕は、ドクターに引き取られる。

周囲に悪影響を与える狂気の波長、その治療を理由とされた。

許可を下したのは家庭裁判所で、有名な医師であるドクターの存在が大きい。

血縁のないドクターを、家庭裁判所は後見人と認めてくれたのだ。

 

「ワシは大切な子供のように、君を思っておるよ」

 

ドクター優しい人で、そう言ってくれる。

僕は個室を与えられ、まずは体を検査される。

今の僕は鉄の強度で、注射器も刺さらない体だ。

でも大きな病院だから、小さな診療所に無いような検査器具もあった。

 

「君の心臓は止まっておる。君が言うところの"彼女"に刺されたのじゃったな」

 

でも、痛みも苦しみも感じない。

心臓の止まったまま僕は動いていた。

 

「君の血管を流れ、そして肉体に浸透しておるのは、彼女の個性じゃ。君の停止した心臓、その機能は彼女の個性によって補われておる」

「彼女の個性は、僕を生かしてくれているんですね」

 

嬉しいと思って良いのかな。

少なくとも僕は嬉しく思った。

そう思うことは正しいのだろうか。

 

「そして狂気の波長、その発信源は心臓の位置にある。デルタ波の発せられる脳ではなく、心臓じゃ。狂気の波長は、心臓の鼓動のように発せられておるのじゃよ」

「じゃあ、狂気の波長を止める方法は、僕の心臓を止める事ですか?」

 

口に出すのも恐ろしいけれど。

狂気の波長を止めるために、僕を殺さない理由はない。

 

「いいや。君の心臓は無いも同然。その位置を抉ったとしても、狂気の波長は止まらぬじゃろう。血液を完全に除去したとしても止まるとは思えん。なぜならば実体がない。狂気の波長を止めるとすれば、同じ波長で相殺することじゃ」

「それは前に言っていた、同じ波長を打つけるという事ですか」

 

「注意するべきは指向性じゃな。同一の波長を、同一の方向へ向ければ、狂気の波長は増幅されるじゃろう。その場合は異なる人物を主とする波長じゃから、レゾナンスというべきか」

「レゾナンス?」

 

「共振、あるいは共鳴という意味じゃよ」

「それは、もしかして、僕と彼女でも起こるのでしょうか?」

 

「起こっていないのが、不思議なくらいじゃ」

「やっぱり、そうなんですか」

 

もしも狂気の波長が増幅されれば、もっと危険な物となるに違いない。

僕が狂気の波長に汚染される事は避けなければならない。

そのために必要なのは、自殺衝動に耐え切れる神経回路の発達だ。

 

いいや、そうじゃなかった。

耐え切るのではなく、受け入れて進むことだ。

目を逸らして、頭を抱えて、過ぎ去るのを待ってはいけない。

 

そうして言うのは簡単だった。

少しの間ならば自殺衝動に耐える事はできるだろう。

でも、思わず目を逸らしてしまうほどの苦痛が、ずっと生きている限り続くのだ。

 

死にたくなるほど、ずっと。

その時、人は世界を地獄と錯覚するだろう。

見えている世界が、人と違ってしまう。

それが狂気の波長だ。

 

「狂気の波長は、脳波の一種じゃ。その波長が発せられているという事は、逆説的に言えば、そこに脳があるという事になる」

「もしかして彼女の? でも彼女は亡くなっています。遺体も」

 

どうなったのだろうか?

でも普通ならば、もう火葬されているはずだ。

 

「どう見ても、そこに脳はないじゃろう。しかし、そこに脳があると仮定できる」

「彼女の魂、なのでしょうか」

 

僕の中で、彼女は鼓動を鳴らしている。

でも、その鼓動は世界へ流れ出して、狂気を呼び覚ます。

 

1つになりたい。

愛し合いたい。

同じ物になりたい。

私と同じものになってほしい。

 

忘れるはずもない心に焼き付いた、彼女の願いを思い出す。

でも、そうすれば僕と彼女は共鳴し、狂気の波長は増すだろう。

そうする事はできない。

 

そうする事はできない。けれど、

そうして諦める事は、目を逸らしている事と同じではないか。

無理と投げ出して、本当は楽になりたいだけで、考えないようにしている。

だから彼女の願いを叶える別の方法はないか、僕は探したい。

 

「同じ物になってほしい、と彼女は言っていました。周囲に害を与えず、その願いを叶える方法はないのでしょうか?」

「あれもこれもと手を出すのは良くない。とは言え、それも結果として狂気の波長を治療する方法と考えられる」

 

ドクターは少し考えると、脳のイラストを取り出した。

 

「狂気の波長から身を守る現実的な方法は、ステージ4の神経発達じゃ。現実的ではない方法として異なる狂気の波長を用い、大地震を超える出力によって相殺する。ここにヒントがある」

 

波長は波長によって相殺できる?

彼女と同じ個性を探し、それを用いて相殺する。

でも、狂気の波長を打つけても、周囲へ与える被害は変わらない。

そもそも彼女の個性は、通常では見られない希少な個性だろう。

彼女の個性を複製する方法はあるのだろうか?

そう思っていたけれど、ドクターの答えは僕と違った。

 

「脳の波長は当然、狂気の波長となるデルタ波だけではないのじゃ。安静時に確認されるアルファ波を、狂気の波長と同じように出力すれば、何らかの変化が現れるかも知れん」

「そうすればデルタ波を上書きできる!?」

 

「デルタ波は1から3ヘルツ、アルファ波は8から13ヘルツじゃ。異なる周波数じゃから干渉はせん。つまりデルタ波とアルファ波は相殺する事なく混入し、その影響を脳は同時に受ける事となる」

「それは、どうなるんですか?」

 

「そもそも脳波は発せられる物であり、与えられる物ではない。自身の意思と関係なく、異常な反応を引き起こされる。さらにデルタ波はアルファ波の変化した物で、同時に存在するはずもない。その結果、非常にリラックスした状態と、自殺衝動に襲われる状態を、短時間で急激に繰り返すじゃろう。血管は異常な収縮と拡大を引き起こし、正常な鼓動を維持できなくなった心臓は停止する」

 

もっと酷いのではないか。

そもそも出力の問題を解決できない。

これは別の問題に対する参考程度に考えた方が良いだろう。

 

「さて、現在の問題となっておるには狂気の波長じゃ。これまでの話は覚えておるか?」

「心臓の位置に、彼女の脳波があると聞きました」

 

するとドクターは、空中に映像を投影する装置を取り出す。

普通の家庭にはない、高度な教育機関で使われる物だ。

もちろん普通の病院にも必ずあるとも言えない。

維持費を考えれば、そこまで高度な装置は持てないからだ。

 

スイッチを入れると、色の着いた水玉模様が並んだ、

ドクターは、それを2つ並べる。

 

「これは君の遺伝子発現を解析した結果じゃ。左は以前の結果で、右は最近の結果。これは個性遺伝子を調べる際に使われる。今では無個性のデータが希少になって、比較のために最新情報は重宝されておる。なにしろ遺伝子的に純粋な人類は少なくなっておるからの。もちろんRAWデータを処理した君のマイクロアレイデータも、データバンクにアップロードしていた」

「マイクロアレイ?」

 

「要するに、これを見れば、どのような個性が発現しているのか分かるのじゃ。いわゆる異形型の個性から、人ではない遺伝子が同定される事もある」

 

さらにドクターは、また違う水玉模様を映し出した。

 

「こちらは最近の君の血液の結果じゃ。前の2つとは、まるで違うじゃろう?」

 

単純に色が違うのだろうか。

それにしても長すぎて、どこを見れば良いのか分からない。

 

「これから分かる事は、君に個性遺伝子は発現していないこと。しかし、君の血液は個性遺伝子が発現していることじゃ」

「僕は無個性のままで、彼女の血液と個性が、僕の中にある」

 

彼女の個性によって、僕の血液が変化したのではない。

彼女の血液は、そのまま僕の中を流れている。

これが彼女にとって、僕と1つになるという事だったのか。

 

「血液型は一定せず、常に変化しておる」

「それは危険なんですか?」

 

「幼少期は血液型が変化する事もある。個性によって、血液型が変化する事もある。とは言え、普通の人間ならば限度を超えて不安定と言える。しかし、これで安定していれば正常な状態とも言える」

「正常な状態なんですか?」

 

「肉体に異常は見られん」

「ええ? それで良いんですか?」

 

「たとえ炎上している個性であっても、肉体に異常がなければ問題ないのじゃよ」

「個性の影響で、人とよって正常な状態が違うんですね」

 

人という枠から外れてしまう。

個性によって基準を修正しなければならない。

無個性の僕は、人としての指標でもあったのだ。

 

「ともかく君と個性は別物で、だから君は個性を制御できない」

「どうすれば良いのでしょう?」

 

しかし、自分で考えるようにドクターは促す。

 

「その方法は、もう話しておるよ」

 

不可視の脳、それに干渉する方法だ。

たとえ僕の胸を抉っても、虚空の心臓は鼓動を止めない。

でも、脳に干渉する方法ならば、すでにある。

 

「僕の脳波ですか? でも、出力の問題は解決していません」

「彼女の波長と合わせれば、その出力を君の物とできる。もっとも彼女と近く、同一と言える君だから取れる方法じゃ」

 

しかし彼女と同一になるという事は、

 

「そのためには狂気の波長と同調する必要があるのでしょう?」

「それを受け入れる方法も、すでに君は知っておる」

 

狂気から逃げるのではなく、

狂気と戦うのでもなく、

狂気から身を守るのでもなく、

 

彼女の魂を受け入れる。

 

しかし、その出力は地球全土を射程に収める。

高速で回転する星へ、速度を合わせて着地するような物だ。

速くても遅くても、速度の差はエネルギーとなって体を引き千切る。

 

「僕に、できるのでしょうか」

「君は、やりたくないのかな?」

 

彼女が待っている。

手を伸ばす必要もないくらい、すぐ側だ。

 

僕は胸に手を当てる。

虚空の心臓を握り締めて、彼女に誓う。

 

「やらせてください」

 

これはヒーローになりたいからじゃない。

この時は、ただ彼女に会いたいと願った。

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