時は少し巻き戻り、フィンがステイタスを更新する前の早朝に遡る。
一通り読み終わった物語、一通り遊び終わった玩具。数年ぶりに目にすれば懐かしさも芽生えるが、区切りがついたタイミングでは、遊んでいた時の感情が思い浮かぶことだろう。
経過としてはどちらにも該当しないが、とある男もまた、ここに1つの区切りを迎えている。ここオラリオの地に流れ着いてから、それこそ流れに身を任せるようにして始まった師事が全ての始まりと言って良いだろう。
期間としては数カ月間ながらも、生半可なことはやっていないし、青年もまた生半可な覚悟で挑んでいない。相手の許可は得ていたとはいえ、自己評価をしても、随分と厳しく指導してきたことを思い返す。
今となっては、そんなことをしなくてもいい程に成長したと言っていいだろう。死の危険を十分に見極め理解しているし、あくまで鍛錬ながらも、己の限界もハッキリと見極めていることは伺える。
基本的なことしか教えることはできないながらも、教えることができるものは全て教えた。肉体的、精神的にも成長してきたことは感じ取ることができる上に、何より己が伝えたかった“攻撃能力”と“防御能力”からくる小手先の技術は、目を見張る程のものがある。
そして最後に伝えたスキル、“リング・オブ スチール”。相変わらずの早さで取得している点は笑うしかないが、それを使い熟してくれるならば、タカヒロにとってはそれ以上に嬉しいことは無い。これから先は、少年が決める物語だ。
「……そうか、巣立ったか。頑張ったな、タカヒロ」
少年の英雄録を語る青年の言葉を耳にするのは、足を左右に出す形で正座を崩し、ベッドの上に座っているハイエルフ。ストッキングによって隠されている柔らかな腿の部分には、語り部である男の顔が乗せられていた。上から彼女が覗き込む形で、相方の顔を見降ろしている安らかな状況だ。
説明する必要があるだろうか、膝枕というやつである。落ち込んでいた青年の様相に気づいたリヴェリアが、自室で話を聞いてやるとの文言で誘い、そのままベッドインしたわけだ。決して如何わしい意味ではない。
いつもならば苦笑いにて応じるようなシチュエーションでも、今回ばかりは青年もベッドに腰かけると、ポトリと頭を彼女の腿へと落としている。そして、先ほどまでの語り部となったわけだ。
やや目付きを細めて語っていた男は、ここにきて己が置かれている状況を思い出したようである。今しがた掛けられた言葉を耳にして、90度くるりと身体ごと、顔を横に背けた。
動く際に耳にかかった白い髪の毛をリヴェリアがかき上げてやると、腕を組んだ姿勢は崩さず、少し顔を赤らめ逸らしている。外では決して見せることのない、青年の珍しい表情だ。
そんな相手の仕草を目にして、リヴェリアの表情が一層のこと緩くなる。「くすぐったいか?」と問いを投げると、予想外の言葉が返された。
「……心地良いが、恥ずかしい」
なにか、こう、ゾワゾワっとした感覚がリヴェリアの背中を駆け巡る。噤む己の口は、きっと猫のようになっているはずだ。
物珍しすぎる今の顔を、間近で見ていたい、もっともっと照れさせたい。いつもやられっぱなしなためか、そんなSっ気に満ちた気持ちがヒョッコリと顔を覗かせている。
とはいえ今は、相手のために何かをしてあげたい衝動に駆られている。自称「少しだけ」落ち込んでいる青年を癒してあげることが彼女の仕事だ。
息子をあやすかのように、ゴワっとした白髪に手を添える。そして優しく、相手を褒めるかのように撫でてやるのだ。
「……フンッ、こんな時だけ母親になりやがって」
「よいではないか。もっと私を頼ってくれ、不安に思うならば甘えてくれ。私は、お前と共に歩みたいんだ」
「……ママァ」
「ぷふっ!ふ、ふざけるな馬鹿者!」
「いたい」
コツンと、青年の頭に拳骨が優しく振り下ろされる。ふざけながらも彼女の言葉通りに甘えてみた青年だが、実のところは先に受けた言葉の照れ隠しだ。相変わらず捻くれている。
さておきリヴェリアとしては、何故今のタイミングで卒業を口にしたのかが分からない。そのことを口にすると、青年から回答が返された。
理由としては、気持ち的な問題だ。実際にはタカヒロも会場入りするものの、少年は心身共に一人で挑むことになる。弟子ではなくなった悲しみも含めての試練を乗り越えることで、また一回り育つことができるのだ。
そのことを伝えると、彼女もまた、レフィーヤが卒業するときはこうなってしまうのだろうかと不安を漏らす。すると青年は、その時はコレが逆になるだけだと、支えてあげる姿勢の言葉を口にするのだ。
互いに照れつつ、それでも自然と薄笑みが零れてくる。青年は最後に上に顔を向けると、吹っ切れたように上体を起こした。
「どうだ、もう大丈夫か?」
「ああ。どうやらベル君は、未だ自分の背中を追うらしい。いつまでもショゲていては、示しがつかんからな」
「ああ、違いない。勝ってこい、タカヒロ」
互いに目元は凛々しく、口元は少し緩め。拳を突き出し合わせると、青年は普段の様相を見せながら、とある場所へと足を進めていた。
=====
一方、こちらは巣立った雛鳥。いや、もう雛と表現するのは失礼だろう。
対人戦闘に特化しているながらも、レベル差をひっくり返す偉業を何度も行ってきた“未完の英雄”。約1か月でレベル1から2へのランクアップという偉業でかつてない程にオラリオを騒がせ、今現在もレベル2から4への飛び級に匹敵する成長速度でヘスティアの胃を騒がせているベル・クラネルその人だ。
モンスターとの戦闘経験は少ないが、そこは、少年を支える少女の出番となるだろう。逆にそちらは、モンスターを相手した戦闘に特化した経験を持っている。
「……そっか。教えてもらう、関係、終わっちゃったんだね」
「はい。……今は、少しだけ、寂しくて……甘え、させてください」
「ん……いいよ。頑張ってたもんね」
場所は、かつてベルがアイズの手を引いて辿り着いた場所。こちらもこちらで、少女が膝枕にてベルの悲しみを癒している。少しだけと口にする少年だが、アイズに対しても、本音はしっかり伝わっていると言っていいだろう。
前日に涙として流したものの、もう少しだけ、悲しみに浸っていたかった。ポッカリと空いた心を満たすように、アイズが与えてくれる優しさに甘えていたいそのような感情は、止まるどころか強さを増している程だ。
「すみません。だらしないですよね、男が、こんな……」
「そんなこと、ないよ。私は、嬉しい」
「……ありがとうございます、アイズさん」
プクリと膨らむ片頬と共に、ペタンと音を立てて、ベルのおでこに優しく彼女の手のひらが添えられた。少年はその行動にて、無意識に“やってしまった”ことを思い返す。
綺麗な顔の片頬が少し膨らむ、見慣れた愛しい相手の表情。密かに決まっていた約束を、わざとではないながらもベルが破ってしまい、少し不貞腐れた気持ちを表現している。
「ベル、二人の時は……」
「あはは、すっかり癖が出ちゃってますね。ごめんなさい―――アイズ」
「ん……合格」
満足気に己を見下ろしモフモフな髪を優しく撫でる、向日葵の如き無垢な笑顔に元気をもらう。相も変わらず彼女らしいイントネーションとの会話ながらも、それがエリクサーより効果があると気づくのに時間は然程かからない。
ならば、あとは己が頑張るだけ。大手を振って彼女の横に立つことができる、似合う男になるために。欲を言えば彼女を守れる、そんな男になるために。リヴェリア・リヨス・アールヴを相手にそんなことができる、己の道標に少しでも近づくために。
涙を見せるのは、これが最後だ。少女が心配した、悲しさに包まれた少年の顔は何処にもなく。あるのはただ、59階層にて彼女が見惚れた、据わった表情をした雄の顔。
膝を貸してくれたアイズに薄笑みを向けて礼を述べると別れを告げ、ベル・クラネルは大事な所用を済ませるために、冒険者ギルドの本部へと歩いていく。年齢的には幼いながらも立派と言えるその背中を目にするだけで、彼女の顔にも笑みが浮かぶほどだ。
己が心を寄せる者に元気をもらった少年の覚悟は、もう誰にも止められない。
二日後に己が示すのは、オラリオを代表する強者達が一同に背中を追う人物が見せてくれた姿の鱗片。その者の存在を示すからには、己をここまで引き上げてくれた最強の戦士が見せる背中に、泥を塗ることは許されない。
確かに小さくなってしまっているが、己が頼った師の姿は、心に宿る情景から消えそうにはない。そして授けられた言葉の通り、ここからはベル・クラネルの冒険だ。
独り立ちした少年は立派な戦士として、オラリオの歴史に名を刻むことになるだろう。史上類を見ないスーパールーキーの登場に神々が興奮し、ギルドが頭を抱えフレイヤが鮮血を撒き散らしヘスティアが胃痛に悩む時は、目と鼻の先に迫っている。
その幕開けとなる場所は冒険者ギルドの本部であり、ベルは入口に立つと、建物の全体像を一度見上げた。何気に、こうして落ち着き払って見上げるのは初めてかもしれない。意識してみると歴史ある風格が漂う、他とは少し違った立派な建物だ。
そして、ギルド内部で何名かの者から声を掛けられている。ここ最近の
もっとも、ベルとて建物の内装を眺めに来たわけではない。据わった表情をして足を動かし受付に辿り着くと、何かとお世話になってばかりであるエイナ・チュールと対面した。
エイナとて久々に目にする、ベルの姿。色々とゴタゴタな状況は知っているために応援してあげたいものの、どうにも口は重くて開かない。
とはいえ、その反応も当然だ。傍から見ればヘスティア・ファミリアの負けが確定している為に慰めにもならないだろうと思っており、逆に何故ベルがこれほどまでに落ち着き払っているのかを問いたい程である。
「ど、どうしたのベル君……。二日後に、
「エイナさん……ランクアップの申請に来ました」
「えっ!?れ、レベル3になれたんだ、おめでとう!」
「いえ――――」
ベル・クラネル、レベル4に昇格。呆気にとられる周囲のついでにエイナは昇天……の一歩手前で、なんとかして踏みとどまった。既にレベル5へリーチをかけていることは伝わらない上に、眼鏡も割れておらずセーフである。
さておき冗談かと疑いをかけるも、ヘスティアが署名した書類もある上に、なんなら背中を晒すとまで言われているために信じるしかない状況だ。レベルを低くして申請するならまだしも、これを疑うとなると、ヘスティア・ファミリアに対するギルドの冒涜に他ならない。
しかしながら、冒険者ギルド内部ではハチの巣をつついた騒ぎである。ファミリア側も秘匿権利があるために詳細までは聞けないが、レベル3をすっ飛ばして4になるなど、文字通り前例のない状況だ。
どう対応していいか、そんなマニュアルなど存在しない。故に、ああだ、こうだと意見が飛び交っており、陰から見ていたフェルズが腹を抱えて笑いを堪えている。
それでも報告するべきことは報告を終えており、提出する書類は提出した。あとは、二日後の本番に備えるだけである。人垣が割れ、場に居た全員の瞳が少年の背中に向けられており、辺り一帯の空気は重々しい。
そんな空気を入れ替えるようにして扉を開けた先に、己が最もよく知る青年の姿があった。鎧姿ではないものの、己を引き上げてくれた存在は、目にするだけで自然と口元が緩んでしまう。
「手続きは終わったか?このあとしばらくして移動となる、準備を済ませよう」
「はい、“師匠”」
ほう。と言いたげに、タカヒロは少しだけ驚いた表情を見せた。驚きの対象が呼び方の事だろうと分かったベルは、己の心の内を口にする。
「どうお呼びするか悩んだんですが……僕の中では、師匠はやっぱり師匠でした」
駆け出しだった自分をここまで引っ張り上げてくれた、掛け替えのない存在。学んだことは何があるかとなれば、全てを口に出せるほど少なくはないだろう。
それでいて、己が戦士として目指す紛れもない道標。故にベル・クラネルにとってのタカヒロという男は、師という立場でもって不動なのだ。
「……そうか、構わんぞ。では今から移動だ、有象無象の度肝を抜くとしようではないか」
「はい、任せてください!」
二人して、同時に片方の拳を突き合わせる。共に凛々しい表情は、負け戦へと赴く戦士の様相とは程遠い。
少年の名前が再びオラリオの地を駆け巡るまで、残り二日。なお、それは二日ぶりの出来事となるだろう。
裏話:翌日のアポロン陣営
「ベル・クラネルがレベル4だって!?」
「ふ、ふふふふふ不正乙」
「ひ、一人しかおらんしなんとかなるやろ(楽観視)」
(だから言ったのに……)
ヒロインよりヒロインしてる少女がおる