調理場で仁王立ちのままお腹を鳴らしているレヴィスが日没頃に発見された、翌日の昼。どうやら夜間に少しばかり雨模様となったらしく、街角の日陰は湿り気を帯びている。
しかし今は一転して、突き抜けるように澄んだ空。成層圏の近くにまで昇った際に見られる“ダークブルー”とはまた違うものの、いつまでも顔を上に向けたくなる程に綺麗な空だ。
“秋晴れ”と呼ばれる言葉があるが、まさに澄んだ空が抜けるように青い晴天。普通の晴天と何が違うかとなれば、移動性高気圧によってもたらされるモノ。台風の直後にも発生し、台風一過と呼ばれる場合もある。
理由を雑に述べるとなると、気圧の関係で、空高く舞い上がる塵埃の量が少なくなるのだ。夜間に雨が降った為に空気中の塵埃が洗い流された点も、少なからず影響している事だろう。
降り注ぐ日差しは微睡を誘い、現役を退いた老夫婦が街の隅にあるベンチでのんびりした余生を送る光景は、平和そのもの。街の警備を務めるメンバーは、そんな光景を目にして無意識に口元を緩めている。
彼らが掲げる“正義”、それを遂行しているが故に得られているモノだ。故に彼等は気を引き締め直し、今日もまた警戒に当たることとなる。
何せオラリオには、“闇派閥”と呼ばれる影の組織が蔓延る現実がある。起源を遡ればオラリオが出来た1000年前から存在するのだと言うのだが、真相は依然として不明のままだ。
闇派閥の実態は、犯罪を含めて何でもござれの無法者たち。影の組織と書けば隠密さを思い起こさせるのだが、事実、連中の足は速く足取りを悟らせない為、アジトについても不明のままで見当がついていない。
もっとも例外については漏れなく存在しており、少し前に、虎の尾を踏んで引っ張って毛を抜きかけたイケロス・ファミリアが該当する。このファミリアについては以前より存在を明らかにしながら犯罪行為を繰り返しており、オラリオで1年ほど過ごしている冒険者ならば大抵が知っている程だ。
逆に言えば、“別の何かへと目を向けさせない為にヘイトを稼いでいる”とも表現できる行動の数々。ここまでの深読みの憶測を持っている者は流石に居ない為に、単に“闇派閥と関わりのあるファミリア”と言う認識が一般的となっている。
オラリオの治安維持を責務と掲げるガネーシャ・ファミリアも問題視はしており、同様の認識だ。
いつかヘルメスが二つ名でタケミカヅチを煽った時に乱入していた、像を象った仮面を被るマッチョの神。普段の奇行と合わせて傍から見れば奇人変人の類ながらも、根っこはヘスティアに負けず劣らずの善神で、構成員も含め、オラリオに多大な貢献をもたらしている。
今日もオラリオのどこかで、ガネーシャ・ファミリアのメンバーが巡回を行っている。言ってしまえば警察のような役割を担っており、だからこそ、治安については何処よりも詳しいと言えるだろう。
「それにしても、イケロス・ファミリアが壊滅してから、オラリオ全域にわたって治安が良くなった。感謝しなくてはな」
「ああ、フレイヤ・ファミリアだろ。少しばかり身勝手なファミリアだと思っていたが、今回の一件で見直したよ」
答えたガネーシャ・ファミリアの団員が言う通り、イケロス・ファミリアを滅ぼしたのはオラリオで一二を争う強力なファミリア、フレイヤ・ファミリア。オラリオにおいては認知率が100%に迫る美の女神が率いる、精鋭揃いのファミリアだ。
トレンドカラーを示すならば、鮮やかな赤色だろう。少し鉄臭い様相も加わるかもしれないが、これは主神フレイヤによってもたらされるものだ。文字通り、神の産物である。
もちろん闇派閥側とて、フレイヤ・ファミリアが主犯である情報は持ち得ている。抱く感想は大きく分類して3種類があり、それは構成員によって変わるだろう。
仲間であるイケロス・ファミリアを討伐された恨み。手足となってくれていた駒を奪われた怒り。今までガネーシャ・ファミリアなどの追跡を振り切ってきたイケロス・ファミリアを、あっという間に滅ぼしたフレイヤ・ファミリアへの恐怖。
もちろん闇派閥側とて、まさか死刑執行がジャンケンで決められたなど想定にもしていない。独断専行を行うフレイヤ・ファミリアだからこそ、その先入観も影響していた。
故に先に行われた戦闘において更なる影が忍び寄っていた事など、輪をかけて想定にもしていない。神々ですら想定にできないイレギュラーは、実行に移されたならば、想像を絶すると表現するに相応しいだろう。
闇派閥にとって、運命の悪戯とは悲しいかな。ここでアイズ・ヴァレンシュタインがジャンケンに負けたことで、最も警戒すべき存在が浮上することは無かったのだ。
「そう言えば次の怪物祭だが、テイムするモンスターは決まったのか?」
「うむ。しかし、前回においては原因不明の脱走が確認されている。今回は試験的に一連の流れを確かめると、ガネーシャ様からのお達しだ」
「依然として原因が分からない脱走だよな。いつ試験するんだ?」
「奇遇であるな。ダンジョンからモンスターを連れて帰るのが本日。そこからは、一連の流れに沿うらしい」
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一方、場所は暗い地下となり。しかし道幅の大きな一本道を抜けるとやがて日の光と似た明るさが降り注ぐ光景は、トンネルを抜ける時の様相と似ているだろう。
とはいえトンネルを抜けた先が雪国という事はなく、眼下に広がるは木々の生い茂る肥沃なエリア。極一部に掘っ立て小屋が集まった村のようなエリアも見える、ダンジョン18階層の
一つの部屋とでも表現すべきか、他の階層にあるようなトンネル型通路を構成している壁という壁の一切を取り払ったドーム型の階層だ。高台にでも登ったならば、18階層の中心にある大樹と共に、全体を見渡すことが出来るだろう。
天井を埋めつくす水晶が、18階層というフィールドに光をもたらす。それは数多くの木々が光合成を行える程のエネルギー質量を持つほどで、太陽の日光と何ら変わりがない程だ。
この光については、出所も、何処から入っているのかについても全く分かっていない。そして不思議なことに地上と同じく約12時間サイクルで点灯と消灯を繰り返し、つまるところ日中と夜間すらも作り出しているのだ。
突然と此処へ連れてきて、「この上に大都市オラリオがある」と口にしても信じる者は少ないだろう。オラリオという街の規模を知る者や、雲に届かんばかりに空へと伸びるバベルの塔を知っているならば猶更となる。
少し科学を学んだ事がある者ならば、光の出どころや屈折現象、熱エネルギーなどに興味が湧き。少し建築を学んだ事がある者ならば、なぜ地盤沈下しないのかと真っ先に考えて、どちらも18階層で一生を過ごす事になる筈だ。
そんな場所へと訪れたのは、18階層の前後などベリーイージーモードとなる二人の“一般ピーポー”。どちらも冒険者として登録されていないため、名実共に一般人である点については間違いがない。「だからこそ」ではないが、正体を隠す為に共に厚手のローブ姿だ。
同時にどちらも、逸脱した人を総じて呼ぶ“
二人して並びながら、18階層の茂みをかき分け目的地へと進んでいる。光景を目にしたならば嫉妬によって某ハイエルフがプンスカモードになりそうな点はさておき、訪れた理由については、18階層でタカヒロとフェルズが発見した扉の先が
事実を知っているレヴィスの知識を筆頭に状況証拠としては結論が出ているが、念には念を入れての内容だ。
「此処だ」
「これは……なるほど。開閉の際は数度に渡って踏みしめる為に草木が育たない、か。これで隠蔽しているつもりとは、ずさん極まりない」
ため息交じりに小言を溢すレヴィスは、明るい時間帯に18階層の出入り口を使用したことが無いらしい。18階層においてわざわざ今のエリアに来る者など余程のモノ好きとはいえ、こうして指摘されたならば明らかに怪しさが伺える現状となっている。
もっとも
ともあれ、やはりここが
今回のように草木のヒントでもあれば話は別だが、地形としては基本として土もしくは岩肌となるダンジョンの通路では期待できない。わざわざダンジョンの壁を調べるなどすれば、逆に敵の目を引いてしまう可能性も十分に考えられる。
敵に見つかる可能性は今回も同様で、答え合わせが終わると二人は17階層へと逆戻り。そのまま10階層にある特定地点まで軽いランニングを行うと、目標の姿が見えてきた。
二人の視線の先、右手と右わき腹を伸ばして大きく手を振っているのは、ヘスティア・ファミリアの団長だ。その目の前では、レベル1及び同等程度に加減しているレベル2の団員達が、パーティー行動の真っ最中。
ヘスティア・ファミリアの団長ベル・クラネルは、そんな彼等の保護者役だ。タカヒロ相手ということでレア度の高い年相応の笑顔を振りまきつつ、今日も今日とて知らずの内に某女神をノックアウトしている。
メイン通路からも近いこともあり、時折ふとやってきた冒険者がベルを見てUターンすることも珍しくない。ベルが鬼畜の類と言う、根も葉もない噂話が先行していることも大きいだろう。
一応は後方も警戒しているベルは、気づいてこそ居るものの応対は見せていない。周囲の警戒と共に、少しだけ先の地点で頑張っているメンバーの活躍を観察し分析することが一番の仕事である。
パーティー行動には不慣れなレヴィスもまた、新米達を目にして学びながらベルやタカヒロに問いを投げつつ、数分が経った時。ふと見慣れない光景が3人の目に入ったタイミングで、各々の口から軽い一言がこぼれ落ちた。
「あっ」
「ん?」
「なに?」
目に映るは、人が20人は収容可能だろう、金属製で大きな正方形のボックス。更にはそれ自体が金属製の牢屋に格納されており、大型のキャスターによって通路を占領しつつ移動している。
護衛なのだろう両脇に控える多数の冒険者らしき姿は、ガネーシャ・ファミリアのエンブレムを掲げていた。箱の中身を知っているのだろうベルは、物珍しさ。残り二人については中身が分かっておらず、疑問符を脳裏に浮かべている。
その片方、「なんだあの大きな箱は」とでも言わんばかりに目で追うレヴィス。やがて視線で限界を向けると顔も向けており、そんな彼女の動作にベルが気付いた。
ベルの視線を察したレヴィスも、彼へと顔を向ける。そして自然と、質問と回答が行われた。
「ああ、君も見ていたか、クラネル。あの大きな箱は、何が入っているのだ?」
「あ、レヴィスさんは初めてでしたか。半年後ぐらいに行われる怪物祭でテイムされるモンスターを、地上に運んでいるのです」
「……は?」
興味を向けた謎の箱の中身は、レヴィスにとって、全くもって理解できない収納物。それが使われるイベントもまた、全くもって理解できない催しであった。
誰が、何故、どのように。最後だけは辛うじて理解できるとはいえ、前者2つの理由が意味不明にも程がある。
モンスター、これ即ち死、あるのみ。アイズ・ヴァレンシュタインもまた似たような考えを抱いており、理由は少し異なるものの、基本としては似たようなベクトルだ。
ましてや箱の中身は、ダンジョン内部における危険なモンスター。世界に散らばる、繁殖を続けて魔石が劣化し、神の恩恵を持たない者ですら討伐可能なほどに弱まったモンスターとは、訳が違う。
されど。それもまた、移ろいゆく時代の流れが生み出したものか。
以前のタカヒロとの問答でレヴィスが得た、一つの定め。ダンジョン内部で得られる産物で生活を豊かにする現代産業と同じく、娯楽においても同じことがあったのだろうと結論付けた。
ダンジョン内部だというのに、風が優しく頬を撫でる。さらりと流れた奇麗な赤い髪が視界に被り、己の立ち位置を思い返す。
時の流れが決めた事ならば口を出す権利はないと、レヴィスは静かに目を閉じて想いに
「ベル君。ならばテイムされたモンスターは、どのように扱われる?」
そんな答えを示した自称一般人も、怪物祭の事となれば知識は皆無。抱いた純粋な疑問を示すも、回答は腑に落ちない内容だった。
「うーん……モンスターにもよるのですが、力仕事とか、あとは人や物資の輸送などに使われているらしいです」
「力仕事の、要員……?」
疑問符が表れている珍しい表情と共に、その辺のモンスターよりも、例えば豊饒の女主人の方が数倍も上だろうと言うタカヒロの考えは、誰にも伝えられることなく奥底に仕舞われた。確かに間違ってはいないが、口にしてはいけない、という点も間違ってはいない。
とはいえ実際は、テイムした上層のモンスターよりも、例えばリヴェリア・リヨス・アールヴの方が力持ちだろう。神の恩恵を受けた冒険者、その中でも第一級冒険者とは、色々と見た目によらないのである。
「クラネル。テイムとは、どのように行うのだ?」
「あ。それでしたら、えーっと、確か……」
ゴソゴソとバッグパックを漁ったベルが両手で取り出したのは、タカヒロもレヴィスも見慣れた一冊の本。オラリオの冒険者においては、これを頼りに知識を身に着けている者も多いだろう。
いつかリヴェリア・リヨス・アールヴが選定した迄は良いが、サインを行った為にオリジナルがガラスケースへと厳重に封印された教本だ。ダンジョン内部の事だけではなく、オラリオに関するガイドブックの一面も兼ねている。
リヴェリアから教導を受けていたタカヒロはダンジョン及び戦闘に関する内容しか学んでいなかった為に、テイムについては知識がなかったのだ。本を受け取ると興味深げに眺めており、レヴィスも横から覗いている。
「モンスターの魔石部分に魔力を込めて、テイムを行うらしい。これ以外は書かれていない」
「……なるほど、分からん」
しかし、それだけだ。もとよりテイムなど万人がこなせる技ではなく、インスタントに行えてしまっても非常に大きな問題となる為に、詳しい内容は秘匿された扱いなのである。
その理由を察した二人は、共に僅かに顔をしかめる。片や“緑色の、とある魔石のような何か”の取り扱いには慣れているが、この世界の魔石の扱いはド素人。
もう片方はそれ以前の問題で、そもそもにおいて、“魔力ゼロ”。勿論ノウハウとて皆無である為に、実験の段階にすら程遠い。
結局のところは新手を創造する前にヘスティア・ファミリアのメンバーが鍛錬を終えることとなり、二人もテイムの件から注意を逸らした。水面下で一命を取り留めた女神が事情を知れば、ホッと溜息を溢しているだろう。
そしてタカヒロは、レヴィスが味方に付いたという大きな問題を、どうするべきかと考える。主神からは何も言われていない上に、どこかでニアミスが起って内戦が勃発しても面倒事が増えるだけだ。
抱え続ける前に正直に話すかと考えを纏め、帰宅する。偶然にも広間に居たヘスティアを隅に呼び、レヴィスの件について考えがあると前置きをして、持ち得る計画を口にした。
「レヴィスの件について、ロキ・ファミリアを巻き込むつもりだ」
「!」
ティンときたヘスティア。頭の中は既に、ロキに対する“仕返し”で満たされている。
ニヤリと擬音が鳴るかの如く、わるーい表情を浮かべる善神の中の善神。彼女が持ち得る善神という二つ名は、ロキを相手にした時には消え去るのが定石だ。
護りたい?この笑顔。それはきっと、流石のベル君でも回答に数秒を費やすことだろう。
「ロキが相手かい?オッケイ、盛大にやっておくれよ」
「分かった。ではロキ・ファミリアには、全てを伝えよう」
そして、
しかし、
ニュアンスは同じなれど微妙に異なる、二人の言葉。