その迷宮にハクスラ民は何を求めるか   作:乗っ取られ

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208話 死妖精(フィルヴィス・シャリア)(2/4)

 

 告白が終わり、唇を噛みながら下を向くフィルヴィス・シャリア。暫くして再び視線を上げるだろう時に映る世界は、決して今までのように見えることはない。

 

 

 今までの全ては、終わりを迎えた。そして二度と始まらないことを受け入れながら、少し前から生まれていた小さな自分に別れを告げようとしている。

 

 

 結果としては、半年という時間が満ちることはなかったけれど。楽しかった同胞、同年代の少女、レフィーヤ・ウィリディスと過ごした鍛錬の時間。

 蘇ることは無い日々の現実を受け入れ、区切りを付ける。小さな一人とは正反対、もう一人の黒き彼女が「絶対に受け入れない」と反発を見せる中で、フィルヴィスの心は僅かに揺れていた。

 

 

 

 そんな彼女と対峙する、向こう側。命令とはいえ冒険者を殺めたことに対して憤りを感じるエルフ達が居る一方、壮絶と表現して程足りない地獄を知って、各々の表情は酷く暗い。

 もしも己が経験したならば耐えることが出来るかとなれば、誰もが首を横に振ることだろう。語り部から言葉による情報だけでこれなのだから、彼女がどれ程の地獄を経験したかは誰にも想像がつかない程だ。

 

 

 

 しかし、唯一。先の男だけは、冷静な対応を貫いていた。

 

 僅かに表情を歪めることもなく、姿勢を乱すこともなく。傍から見れば、相当に真剣な様相と受け取れるだろう。

 

 とはいえ、タカヒロという男が抱く心境の真髄はリヴェリアにも分からない。蓋を開けてみれば「ケアンの日常じゃん」程度にしか思っていない爆弾が飛び出しても不思議でないことが恐ろしい為に、真実は今のところは闇の中へと葬るべきだろう。

 

 

 さておきフィルヴィスが置かれているのは、比べればリリルカが置かれていた状況など可愛く見える程の、深い闇。前も後ろも暗闇に閉ざされたフィルヴィスは藻掻き、苦しみ、だからこそ、ディオニュソスの言葉に“救われた”と思ってしまったのだ。

 確かに当時においてディオニュソスから貰った言葉は、少しばかりは彼女の心を癒したことだろう。生きとし生ける者の全てに見放されていた彼女にとっては、暗闇の中に見えた僅かな光だったかもしれない。

 

 だがしかし、抱える負の根底が解決したワケではない。噛み砕いて言えば“問題がない”と言っただけであり、最も重要な“何故”や“どのようにすべきか”という導きがスッポリと抜けている。

 故にディオニュソスの言葉は救いではなく、期待だけを抱かせて何もしないという、見放すよりも卑劣な行為。彼がそうした根底には、己の眷属であり助けを求め苦悩するフィルヴィスの様相さえも愉しむという卑劣さが存在する。

 

 

「進む先が闇に閉ざされた時、君は、法により定められた道を踏み外した。それによって、確かに足の裏は穢れただろう」

 

 

 ぐうの音も出ない程の事実をタカヒロから告げられ、少女の顔が苦悩に歪む。怪人になってからの己の過去の数々と罪悪感がフラッシュバックするように脳裏に浮かび、彼女は唇を強く噛んだ。

 

 歩んできた道を思い返させるタカヒロだが、それは彼女が己の過去と向き合う為。起こってしまったこと、彼女が犯した“罪”は取り消すことができない程のものである為に、忘れて良いとはタカヒロも思っていない。

 己の犯罪に心を痛めていたリリルカも、戦いを求めていたアイズも、復讐という行為(過去)(さいな)まれていたリューも。それぞれが自分自身の過去と向き合い、そして答えの一つを貰ったからこそ、前を向いて歩みを進めることができたのだ。

 

 

「だがしかし、君が持ち得る先の気高さはエルフの種族に相応しいと言える。怪人と呼ばれる存在に堕ちたとはいえ、その精神(こころ)が穢れてはいないはずだ」

 

 

 真紅の瞳を持つ目は見開き、ふと顔は前を向く。事実を告げた後に全く異なる見解を口にする、タカヒロ独特の言い回しと言えるだろう。

 確かにフィルヴィスは同じファミリアの冒険者を殺めたという事実はあるが、それは自発的なものではなく、ディオニュソスの命令によるものだ。例え自分の手を汚そうが忠義に尽くす姿勢は、タカヒロに、猛者という存在を思い起こさせている。

 

 理由は違えど彼女と同じく心中に正義を掲げる男だからこそ、見抜いた心。と言えば聞こえはいいが、エルフスキーだからこそ見逃さずにシッカリと捉えた、フィルヴィスの心中にあったエルフとしての気高き心。

 自身の言葉が届くかどうかは分からないことなど、タカヒロとて理解している。しかし彼女が言うように心身共に穢れたことが本当と言うならば、誰かのために戦うなどという“立派な戦う理由”を抱く事など出来はしないのだ。

 

 

 

 ここでタカヒロは、フレイヤから借りた道具をフィルヴィスの前で使用する。今まさにロキとヘスティアがディオニュソスと対談を行っている最中であり、一見すると切迫した様相だ。

 

 

 

 しかし、ロキがディオニュソスを呼び出した時間からすれば随分と経っていると言えるだろう。まだ始まっていなかったかと驚きの感情を浮かべるロキ・ファミリアの眷属達だが、これにはれっきとした理由がある。

 なんせロキは、フィルヴィスから得られる回答の内容によっては、此度の呼び出しを茶番で凌ぐ想定だったのだ。万が一にもハズレだった場合を考え、要らぬ詮索が広まらないようとするトリックスターの配慮である。

 

 

「――――ディオニュソス、茶番は終わりや」

「ふっ……見事だ、ロキ」

 

 

 フィルヴィスが口にした内容は、斥候とフェルズの魔道具によってロキへと届いている。証拠が揃った為に王手を繰り出したロキに対し、ディオニュソスは優雅さを残したまま肯定した。

 

 まるで、日常の一コマと変わらないかの如く。自然体の様相で振舞う姿に、ヘスティアが口にした“怖さ”は見られない。

 

 オラリオを滅ぼすような事を企てた理由を聞いたロキに対し、ディオニュソスが答えた内容は単純だ。簡潔に述べるならば、地上の状況を1000年以上前へと戻すため。

 神が地に降りて蔓延った今を壊し、精霊による加護こそあったとはいえ、神々による“恩恵”を受けずともモンスターへと立ち向かった世界を造るため。しかし神は地上で力を使えない為に、色々と模索して編み出した“策”が現状と言うわけだ。

 

 

 ディオニュソスが口にした一連の説明に対し、数秒と経たずに口を開いたのはタカヒロとリヴェリアだった。

 片や一部の例外を除き、そもそも神々を信用していない。片やロキにも通じる程に頭が回るからこそリヴェリアは、タカヒロの言葉から、隠された事実に気づいたのだ。

 

 

「今語られた未来が目的ならば、神々だけを順に殺せば済む話だ。神々の言う“子供達”、更に言えば“一般人”を巻き込む必要は、どこにもない」

「……そうか。神ディオニュソスが望んでいるのは、英雄の再来ではない。考えたくもないが、単に――――」

「リヴェリア様……?」

 

 

 タカヒロが口にした、最も効率的“ではない”方法をとる理由を考えた時。ディオニュソスの鉾の向けられる先が神ではなく子供であるならば、彼の天界での性格と合わせて考えられることは、ただ一つ。

 これだけは、最も近くに居たフィルヴィスとて知らなかったこと。闇に隠された、真の狂気。

 

 

 タカヒロと同様に、ロキも真相を察していた。神ディオニュソスが、真に望んでいる光景とは――――

 

 

「――――せやろか。嘘やろ、自分。子供等が恐怖に泣きわめく姿でも見て、愉悦に浸りたいだけとちゃうんか?」

 

 

 先の一文に続いて事実が口に出された瞬間、場の状況は一変した。エルフたち全員の手足に力が入り、近くの者と顔を合わせている者も少なくない。

 瞳を見開くフィルヴィスもさることながら、最も変わったのはディオニュソス。今までにディオニュソスが被っていた甘いマスクなど、もはや偽装の頭文字すら成していない。

 

 

「くひっ、ひひひひっ……!」

 

 

 下品、いや“気が狂った”と表現できる笑いが辺りに響く。自身の顔を右手で覆ったディオニュソスの目は見開いており、口調にも濁りの色が感じられる。

 

 

「なぁんだぁ……バレているのかぁ」

「ディオニュソス、何故こんな事をするんだ」

「観念しーや、全部お見通しやで」

「やめろよロキィ、そしてヘルメスゥ。ここまでくると不愉快だぞぉ?だが、そうだ、当たっている、当たっているとも!何処で調べた?よくぞ調べた、よくぞ見抜いた!誉めてやろう」

 

 

 答え合わせは、ここに終了。整った容姿、歪んだ表情が破綻する。

 勝利を確信して揺るがないと思い込んでいる為に生まれた愉悦のような感情がディオニュソスを支配し、相手を見下したくて仕方がない。此度の呼び出しも、見抜かれていた場合を想定して挑んだことだ。

 

 

「私が求めるのはただ一つ!嗚呼、愛しきオルギア、すなわち下界がモンスターに蹂躙されていた昔日!あの時代は良かった!誰もが醜悪な怪物から逃げ惑い、つんざかんばかりの悲鳴を上げる!(そら)よりそれを眺めていた私は、いつも胸を高鳴らせていた!」

 

 

 歪んだ笑みを浮かべるディオニュソスは、口を閉じる気配がみられない。かつてを思い浮かべるように悠々と“趣味”を語る姿は、邪悪の文字が相応しい。

 

 

「知っているか、ロキ!!脆弱な子供達は理性が振り切れた途端直後、笑うんだ!“この前”だってそうだった!」

 

 

 まるでつい最近、それこそ地上に居る際に目にしたかのような表現。先の報告を聞いていたロキは、その対象が誰であるか1秒と掛からずに取り出せた。

 故に抱くは、怒りの感情。眷属を愛する女神は、目の前の男が許せなくて仕方がない。

 

 

「“彼女、高貴なエルフ”だってそうだった!多大なる恐怖は偉大なる絶頂に変わり、精神と魂を解き放つ!!どれだけ肉や酒を貪ろうと届かない最高の瞬間は、怪物の爪牙に切り裂かれる血と臓物をもって完成となる!」

 

 

 どこぞの“彼女彼女”とビートを刻んでいた誰かと似てよく喋る、オリンポス十二神の一つディオニュソス。単語単語のイントネーションが浮足立っており、彼の普段を知る者からすれば程遠い存在だ。

 

 

 バッテリー切れのように、魔道具として効果がなくなったのか。映像が途切れ、同時に周囲は静寂となり物音の一つも立ちはしない。恐怖もさることながら、“唖然”とでも表現すれば的確だろうか。

 もはや、確認するまでもなかった。真に穢れているのは果たして何かと問われれば、そこに居る者は同じ人物を指差すだろう。それはフィルヴィスとて同様だ。

 

 

 

 しかし、分からない。こうなっては、己がどうしていいのか、何を信じていいのかが分からない。

 

 

 

 今までを選ぶか、未来を選ぶか。どちらを選ぼうが、それこそ彼女の自由に他ならないだろう。

 か弱い一人の少女に決めろと言う方が、まさに無理難題そのもの。だからこそタカヒロは言葉には表しておらず、一方で背中を押してくれることを待っているフィルヴィスは、今までを貫くという選択肢に心が傾きかけている。

 

 

「私は……貴方が思うように強くはない。弱い女だ。どちらかを諦める理由すらも、己一人で見つけられない」

「そのようなことはない。私とて、過去の一部をいつまでも引きずっていた、弱い女だった」

「えっ……?」

 

 

 フィルヴィスにとっては自虐のつもりだった、先の一文。しかしそれをリヴェリアに拾われ、まさかこうして、問答ではなく会話となることなど予想だにしていない。

 それに加えて、発言の内容が内容だ。ともあれフィルヴィスにリヴェリアの言葉を遮る度胸も気もないために、彼女は驚きの表情と共に、玲瓏(れいろう)な言葉を拝聴している。

 

 

「答えを貰ったからこそ、こうして顔を前へと向けることができている。お前も生きていれば、いつかそのような者と出会うことができるだろう」

「私が……」

 

 

 神の愉悦の為に言葉を掛けられ、道化の如く仕えてきて。そして今まさに闇に隠れていた真実を伝えられても、彼女はディオニュソスのことを諦めきることができないのだ。

 

 それはフィルヴィスという一人の女が、一人の男しか知らない為。少し周りを見ればアレ以上に優しい心持った者など星の数にのぼるのだが、視野が狭まってしまっている為に仕方がない。

 偽りだった言葉とはいえ、絶望の底に居る己に手を差し伸べてくれたと勘違いしてしまった初めての異性だからこそ。自虐する内容のように心が弱っていた彼女は、ディオニュソスに仕えると決意した。

 

 

 だが、弱い事そのものは問題はない事だ。だからこそ、男女とは寄り添い手を取り合って弱みを補い合い、共に前へと進むのである。

 

 

 此度の問題は、相手が寄り添うことを行わなかった点だろう。リヴェリアが言う通り、ちゃんとした相手を見つけることができたならば、彼女は今まで以上に羽ばたく筈だ。

 

 

「生きるという事は――――知り、迷い、足掻くことだ。お前も“穢れを知らない”という言い回しは耳にしたことがあるだろうが、ただ孤独に生きることで生まれ出るものも、確かに幾つかは在るだろう」

 

 

 生まれた城を、生まれた国を飛び出してオラリオに来てからのこと。特にここ数年間のことを振り返るリヴェリアの表情は、いつもと違う。

 翡翠の瞳は真っすぐとフィルヴィスの瞳を捕らえ、僅かにも逸れることは無い。少し目を見開くフィルヴィスもまた、不思議と翡翠の視線に吸い込まれるようだった。

 

 

「しかし寄り添って生きてこそ、育まれ出るものの方が遥かに多い。私は“互いに寄り添いたいと想える者”と共にあって、答えを貰い、そして大切なことを学んだのだ」

 

 

 心の奥底から抱いているからこそ表に出せる、確かな気持ち。世界広しと言えど彼程の者は居ないと、彼女は己の気持ちに対して一つの答えを持っている。

 

 一筋の風が、後ろから翡翠の髪を優しく撫でる。対面しているフィルヴィスだけが、王という殻が取れたリヴェリアの柔らかな表情を目にすることが出来た。

 

 

 

 刹那に見えた大輪の花は、どれ程の言葉を揃えれば表す事ができるだろうか。

 

 

 

 少なくとも今のフィルヴィスに、それを表現できる言葉は見つからない。同じ女性、それもエルフであるフィルヴィスですら息を呑んだ、恐らくは1秒程度の僅かな時間。

 リヴェリアが対外的に表情を崩さない事を知っているからこそ、言葉が重みを帯びて彼女に届く。悩みを一人で抱えているからこそ、ストンと心の底にまでもたらされた。

 

 

 しかしそれも、風の作り出した幻影かと思える程に一瞬だけ。すぐさま普段の凛とした表情に戻ったリヴェリアは、表情に負けず劣らずの凛々しい声にて続けざまに言葉を口にする。

 

 

「アールヴの名において認めよう、フィルヴィス・シャリア。お前は間違いなく、誇り高き我等がエルフの同胞だ。その身に堕ちてなお仕えると決めた者の為に立つその姿は、決して穢れてなどいはしない」

 

 

 王であり、エルフの象徴となるリヴェリア・リヨス・アールヴから出された言葉。タカヒロが抱く考えを知り、彼と共に過ごす事で新たな発見を得た彼女が考えて出した、王の言葉だ。

 

 

 この一言を貰ったが故に、どれだけフィルヴィスは救われたことだろう。地面へと向けられた表情からは力の一切が消えており、持ち得る戦意もまた同様だ。

 そしてリヴェリアもまた、この一言でフィルヴィスが改心してくれればと、どれだけ望んだ事だろう。その結末が有り得ないと分かっているからこそ、翡翠の瞳と共に表情は一際(ひときわ)に険しくなる。

 

 フィルヴィスと同様の過去を経験したことはない為に、リヴェリアが浮かべることのできる考えは憶測の域を出ないものがある。だからこそ考えを今に向けており、目にしているのは事実だけだ。

 今ここにある問題点は、フィルヴィスという同胞がディオニュソスに依存してしまっていること。それを変えることが出来る力を持っていないリヴェリアは、だからこそ、間違いのない事実を口にする。

 

 

「だがしかし、道を誤り、神ディオニュソスの味方をする以上は我等にとっての明確な敵でもある。オラリオを守るために、お前の存在を野放しにする事はできない」

「――――ええ。その通りです、リヴェリア様。私は、“貴女”の敵となってしまった」

 

 

 その一言で、表情に敵意が灯る。争いは辞められないかと訴えるようなリヴェリアの瞳に対しても決して怯むことなく、力の籠った瞳で見返している。

 遮るように、そして向けられる敵意から最も大切な者を守る為に。ガチャリという重厚な鎧の音と共に、二枚の盾が二人の間に割り込んだ。

 

 

「例え目を覆うような絶望を知ったとしても、敬拝する者から答えの一つを貰ったとしても、主神の為に戦うと掲げた正義を貫ける。あのように見事な“戦う理由”こそが、本当の強さに必要な根源だ」

 

 

 フィルヴィスの長い耳に届くのは、変わらず暖かく力強い、据わった声。この身を委ねてしまいたいと思えるほどに嬉しい言葉によって、彼女の中で一つの決心がついたようだ。

 

 

 リヴェリアという王の言葉も、タカヒロという戦士らしき何かの言葉も届かなかった。ならばこれ以上の問答が続く筈もなく、双方が臨戦の態勢を見せている。

 

 

 嵐の前の静けさ。互いに勝敗が見えている戦いは、避けられる様相を見せていない。

 


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