迷宮都市オラリオが築く1年において、ダンジョンへと潜る冒険者が最も減る日の1つ。オラリオの治安を担うガネーシャ・ファミリアが主催する、モンスターを公開テイムするイベントが開催されるのだ。
もちろんテイム前は人間に攻撃をする危険なモンスターと変わりはなく、そのために会場周辺は厳戒態勢が敷かれている。尤もそれ故に過去において問題が起こったことも無いのだが、活気に包まれる表側とは違って裏ではピリピリとした雰囲気が漂っていた。ギルドの者も、今日ばかりは会場の警戒に加わる者が複数人いるほどである。
いつにも増して人込みが激しい大通りの両脇には、所狭しと出店の数々が並んでいる。店にとってはここ一番の稼ぎ時であり、どの屋台も人でごった返していた。
もはや、歩くスペースは無いに等しい。案の定、そこかしこで迷子の類も発生しており、ガネーシャ・ファミリアの構成員やギルドが対応に当たっている。
「もーっ、遅いよベル君!」
「ごめんなさい神様!ついつい燥ぎ過ぎました……」
その様相を見た者が居るとすれば、玩具を受け取ってご機嫌な子供と比喩しただろう。ダンジョンの5階層で新しいナイフに夢中になって時間を忘れていたベルは、正午となるギリギリにホームへと戻ってきた。明らかに今までのナイフとは違う一級品に舞い上がる様は、どこかの師匠と似た様相を見せている。
結果として出遅れた二人だが、メイン会場の外とはいえ祭りのボルテージは最高潮。人波に揉まれながらも、様々な屋台を楽しんで渡り歩いていた。
一緒に居るヘスティアもお祭りの雰囲気を楽しんでおり、傍から見ればデートのようである。良くも悪くも神の威厳が希薄な彼女は、ちょっとやそっとじゃ神様だとわからないために、公に燥いでも問題が無いのである。己の初めての眷属である少年と、すっかり非日常を楽しんでいた。
「モンスターだあああああああああ!!」
空間が引き裂かれる。非日常と表現できた程に楽しさ溢れる祭りの空間は、本当の非日常へ。屋台に対面していた左方向、二人が居る遥か先で土煙が発生し、人々の怒号と悲鳴が響き渡る。
反射的にそちらを向き、ヘスティアを背中に隠すベル・クラネル。彼の小さな冒険が、今ここに始まろうとしていた。
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「■■■■■――――!」
銀色の毛並み、身長2メートルを超えるゴリラのような図体のモンスターが吠えながら地を駆ける。手当たり次第に露店を破壊していたソレは、一人の女神に目を付けると、脇目も振らずに進路を変えて疾走する。
“小さな女神を追いかけて。”それが、魅了されたモンスターに掛けられた無理難題の暗示である。随分とアバウトな内容だが、皮肉なことにオラリオにおいて該当する女神は一人だけというのが状況だ。
「シルバーバック!?神様、下がって!」
狙われている守るべき者の返答を聞く前に、少年はヘスティア・ナイフを抜刀する。左手には続けざまに新しいナイフを逆手に構え、瞬時に交戦態勢を整えた。
彼も対峙するモンスターを知っている。英才教育という名目のスパルタ教育であるベル・クラネルの冒険者アドバイザー、ハーフエルフのエイナによる情報によれば、ソレは12階層に出現する物理・近接型の大きなモンスター。身長は、優に少年の2倍はあるだろう。
繰り出される腕や足による攻撃は半端な防具では吸収できず、体格差と相まってレベル2の冒険者でも危険に陥ることがある。アーマーの類を装備しておらず、レベル1の冒険者、それも一カ月程度の駆け出しが対峙するべき相手には程遠い。
向けられるは強い殺気だ。己の目標を邪魔されたシルバーバックは、ベル・クラネルを完全に敵だと、排除するべき目標だと認識している。ここにきて、登録初日に言われた“冒険者は冒険してはいけない”というアドバイザーの声が蘇った。
だから、どうした。少年は申し訳なさを感じながらもエイナの言葉を切り捨て、果敢にも距離を詰める。
それでも、怖いものは怖い。単純な力比べならば自分は赤子の如く捻り潰されるだろう、それが現実。もしこの戦いに賭け事があったならば、少年のオッズは青天井になるほどの腕力の差。
少年に突き飛ばされた先で己の眷属を見守るヘスティアも、その結末は容易に想像できていた。眷属も相手のモンスターを知っているようであり、恐らく結末は見えているだろう。
しかし、同時に疑問も芽生えている。では何故、己の眷属は足を震わせることもナイフを落としてしまうことも見せていないのか。相手のモンスターを知っているならば、実力差は分かっていることになる。
だから何故――――という神の疑問は、少年にとって大したことではない。
相手の視線と行動から狙いは見抜けている、ここで自分が引けばどうなるか。オラリオに来て唯一自分を迎えてくれて、これほど素敵なナイフをプレゼントしてくれた神様を見捨てる選択肢など、彼の決意と恩義には存在しない。
そして何より、先の例は単純な力比べとなった場合の話である。力で不利なことは多々あるだろうと覚悟しており、故に鍛錬においては小手先の技術を学んできた。
あんなモノよりも遥かに高く、絶対に崩せない巨壁を知っている。それと比べれば、己にある勝機は十分だ。己の目指すところに昇るならば、このような有象無象で立ち止まっては居られない。
「■■■■■――――!」
「ッ――――!」
雄叫びと共にモンスターの右手が振り上げられ、向かってやや左上から下ろされる。狙いの先は自分自身、欠伸が出るほどに当然の回答だ。
相手は10階層より下に出現するモンスター、直撃を受ければ致命傷は免れない。そのセオリーを確認するために、一度地面を叩かせようと回避行動を選択した。
(……あれ?)
少年は内心で呟く、何かがおかしい。あのまま降り下ろせば、拳は“自分は余裕を持って回避できる程度”の位置に落ちるだろう。モンスター故に何もわかっていないのかは少年の知るところではないが、鍛錬で鍛えた観察眼が“何かある”と告げていた。
そして鍛錬通り、相手を広く見たが故にソレに気づく。モンスターの両手を封じていた手枷の先にある鉄の鎖が、ワンテンポ遅れて腕の軌道についてきていることに。
シルバーバックの狙いはコレだったのだ。余裕を持って回避したのちに攻め込む隙を与え、鎖を鞭のようにしてダメージを与える算段である。右に避ければ拳と鎖、左に避けても今のベルが持ち得る脚力では鎖のリーチが届いている。後方へ退避しても同様であり、大きく引けば間が開いて次の攻撃が来る故に質が悪い。
左右への道は厳しいけれど、直撃を回避できれば隙であることに変わりはない。また、最初に出てくる拳をマトモに受ければ力の差により吹き飛ばされるだろうが、構造上どうしても“しなる”動きを見せる鎖ならばそうでもない。
相手の力が働くベクトルだけを変える技、人呼んで“受け流し”。レベル3の冒険者でも使えるものは非常に少ない、小手先の技術による防御法である。
(よし、鍛錬通りに上手くいった!)
少年にとっての英雄と共に積み重ねてきた鍛錬は短けれど、それでも絶え間ない努力の結晶そのものである。咄嗟にこれらのことを判断した少年は、左手の“兎牙”を繰り出して鎖に当て、反時計回りに体を回転させる。
鎖の力をそのまま右方向へと受け流し、自身もその動きに逆らわない。放たれるは師に学んだカウンター攻撃。受け流す際に行った回転によって、慣性力による一時的なブーストを発揮しているオマケ付きだ。
もっとも、長引かせれば持久力の差で不利になる。狙うは一点、人間でいうところの心臓である“魔石”の破壊。モンスターの核といえるモノであり、モンスターを戦闘不能にして抜き取ることでギルドに売却しているのが普段のダンジョンでの行いだ。
しかし今回は、それを行う余裕は微塵もない。同時に、相手は最初に放った一撃の力の全てを向かって右方向に流しており、リーチのある右手も左手も、ましてや踏み込んでいる両足も、少年の反撃に対して使えない。
故に結果として隙だらけ、守る相手が居るだけに長引かせることもない。最初で最後の一撃でもって、少年は戦闘に片を付ける。
「そこだ―――っ!」
回転エネルギーを上乗せした一撃を相手の左胸に対し、切り裂くのではなく突き立てる。もし少年が前者を選択していたならば、攻撃によって与えたダメージは切り傷程度に留まり致命傷には程遠い。
右手に構えるナイフは、信頼する鍛冶師が作り上げた、守るべき者からの贈り物。ヘスティア・ナイフという得物は一級品であり、故に技術が伴えば、少年の筋力だろうとシルバーバック程度の装甲は貫通する。
「すごい、すごい切れ味……!」
5階層での試し切りである程度は分かっていたものの、やはり今までのナイフとは比べ物にならない切れ味だ。相手が10階層以降のモンスターであるために多少の不安はあったものの、まさに杞憂と言って良い程に一流の攻撃力に、逆に少年の背中が震えることとなった。
その一撃によって体内の魔石は砕かれ、戦いは終了。思わずベルに駆け寄ろうとするヘスティアだが、少年は新たな脅威を感じ取る。間髪入れず、第二ラウンドが開幕となった。
「神様きちゃダメだ!オーク!!」
前方から距離を詰める3メートルほどの緑色の巨体は、先ほどよりも重量級。シルバーバックよりは若干弱いが、それでもレベル1からすれば十分に脅威となる相手である。
先ほどと違って既に戦闘は始まっており、相手の突進術が持つエネルギーはマトモに受ければ吹き飛ばされるだけでは済まないだろう。
しかし悲しいかな、オークが持つ武器は大きな斧。先ほどよりも攻撃後の隙が大きく、基本としては先ほどの立ち回りで対処できると少年は判断した。
シルバーバックとは逆で向かって右からの攻撃を今度はヘスティア・ナイフで受け流し、今度は相手の力と相対する右回転でもって、ヘスティア・ナイフにて魔石ごと肉を切り裂く。相手の強度の違いと突き・切り裂きによる必要なエネルギーの違いを正確に把握し利用した、有効的な攻撃だ。
もっとも、少年の腕力では、こうでもしなければ致命的なダメージを与えられないことも事実である。再び灰になって消えゆく死体を据わった表情で見つめ、次の瞬間には花のような笑顔で己の女神に勝利報告を行い、追手が居るといけないためにその場所から離脱するのであった。
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「ああっ―――――」
バトルフィールドが見下ろせる、少し離れた高台。周囲に誰も居ないとはいえ、はしたなく街中で喘ぎ声を上げるフードの女性。己が見出した魂が脅威に対して勇敢に立ち向かう少年の姿に酔い、何を隠そう“感じて”しまっているのだから色んな意味で質が悪い。
彼女にとっては住民を傷つけるつもりはなく、この付近には居ないものの街中の至る所に彼女の眷属、それもレベル5や6の団員がスタンバイして万が一の暴走に備えている。モンスターに掛けた魅了の類も、一般市民を攻撃しないよう暗示している。一方でベル・クラネルが脅威を乗り越えることができるならば、この女神にとってはその他の事象は大して問題ではないのである。
そう。彼女こそが、この騒動を引き起こした張本人。よりにもよってオラリオにおける2大ファミリアである片割れ、フレイヤ・ファミリアの主神に他ならない。
なお、既にベルが使用できる魔法を具現化させたグリモアも彼女による差し金だ。この神は、ベル・クラネルという少年の成長を見て愉しむという、どこぞの青年と似たようなことを生きがいとしてしまっている。
ベル・クラネルそのものを求めているかどうかが決定的な違いだろう。少年を強くして自分のファミリアに
また、彼女の視点では小手先の技術までは見抜けない。いつも隣に居る人物は“別の用事”でダンジョンに潜っているために、少年が持ち得る技量を判断できる者は一人として居なかった。
「あんな顔を向けてもらえるヘスティアには妬けちゃうけど、楽しかったわ。……思い出すだけでゾクゾクしちゃう。また遊びましょう、少年……」
不敵な笑みと共に、その姿が路地裏へと消えてゆく。なんだか赤い雫が等間隔で落ちているが、きっと気にしてはいけないはずだ。
きっかけは街角で見かけた時だったと、後の彼女は語っている。その頃から突如として発生した、今回のようなベル・クラネル育成企画だが、フレイヤが考える以上に、少年が飛躍した成長をしていることを知るすべはない。