ロキ・ファミリアのホームである、城のような外観を持つ建物、“黄昏の館”の一室。一人用の個室があてがわれた人物は、ロキ・ファミリアの中でも突出した力を持つ証明だ。
部屋の主は、少女アイズ・ヴァレンシュタイン。“
そんな彼女は――――
「……
自室のベッドの上で一人、体育座りになってショゲていた。よき理解者の一人であるレフィーヤ曰く、朝食の場に姿を現さなかったので心配になって尋ねてみたら、そんな状態だったらしい。
今の時刻は昼食時である為に、半日ほどは続いている。大怪我を負った状態から復旧した直後である為に、食事を抜くという行為は誉められたものではないだろう。
直近の1年弱の間に起こった、ロキ・ファミリアにおける大規模な戦闘。59階層、メレン市街地、そして今回の
しかしアイズ・ヴァレンシュタイン個人にとっては、“敗北”続きと呼べる内容。冒険者であり、何より持ち得る戦う理由があるからこそ、彼女はその結果を良しと受け入れる事ができずにいる。
59階層では、奇襲と呼べる容で出現した二体目の汚れた精霊から一撃を貰ってしまった。
メレンへ赴いた時は、武器を携帯していない状況から、大群による奇襲を受けてしまった。
どれもこれもが、通常の冒険者ならば絶体絶命のピンチと表現できる程の状況。例え負けようとも命からがら生還できたならば、自身を誇って良い程だろう。
しかしながら、生還した過程には、常に誰かの助けが存在している。
――――だから、私程度の力で壊れてしまう剣じゃ、ダメ。それじゃ、ベルや、リヴェリア、タカヒロさんを、護れない。
――――剣を手に入れて、どうする?
――――強くなりたい。今までよりも、もっと強い相手に挑めるようになりたい。
新しいデスペレートを、ヘファイストス・ファミリアの椿・コルブランドに依頼した時に打ち明けた、アイズの胸の内にある確かな想い。普段はマイペースといえる彼女とはいえ、それはきっと、打ち明けるのに勇気と覚悟を要した事だろう。
――――私も強くなって、ベルが歩く道を、支えてあげたい。この先も、私を支えてくれた、皆と一緒に過ごしたい。
椿が口元を緩め、新しい剣の製造を承諾した、最後の一文。アイズとて勿論覚えており、今においても思い返すからこそ、膝先を抱く腕にかかる力強さが強くなる。
抱く覚悟に対して、結果はどうだ。59階層に引き続き、今回もまた、ベル・クラネルに助けられた。
彼の隣に並び、共に強くなると誓った筈。皆を護る為に戦い、勝利すると誓った筈。
しかし結果はどうだ。全てにおいて助けられるという、彼女にとっては無残の二文字に他ならない。だからこそ彼女は、不安と共に焦りの感情を拭えない。
恋などという難しい事は分からないが、ベルという相方が大好きな事は誰よりも自負している。そして彼女自身が戦闘に長けているからこそ、ベル・クラネルが驚異的な成長速度を見せており、いつか近いうちに己を追い抜いていくだろうとも感じている。
「っ……」
冒険者としては遥かに先輩であり、僅かながらも年上として、シッカリしなければならないのに。事実は逆で、いつも頼ってしまっている。二人でいる時は、存分に甘えてしまっている。
そんな自分に、彼は興味を持ち続けてくれるのだろうか。いつかは、言ってしまえば見捨てられてしまうのではないかと、極度な不安が少女の心を染め上げる。
自分でも気づかぬうちに、彼女は震えを生じていた。膝がガクガクと震えている。足元が遠かった。まるで自分がとても高く不安定な場所に立たされているようだった。
怖い。怖い。もう二度と、大切な人に置いて行かれたくない。
過去を起因としてアイズが抱える、心の闇。昔と比べれば随分と小さくなったものの、未だ晴れることは無い根深いトラウマ。
その者に依存していない、と言い切れば嘘になる。それでも、己がオラリオで見つけた“英雄”とは、それ程に大切な存在なのだ。
「っ――――!」
突如として優しく肩に手を置かれ、即座に後ろへと振り返る。それがリヴェリアでないと分かっていたからこそ、誰なのかと不安に思い。
振り返る最中、己が最もよく知る優しい手である事を。その少し後ろに並ぶ、最も頼りになる二名がくれる暖かさを思い出した。
「アイズ……」
「ベル……」
====
レフィーヤからリヴェリアへ、そしてロキ・ファミリア所属のエルフ数名によってヘスティア・ファミリアへと伝わった緊急連絡。本日は幾らか予定が組まれていた白髪の男二人だが、当然と言わんばかりに全てをキャンセルした上で迅速な代理の処理を行い、わき目を振ることなくロキ・ファミリアへとやってきた。
他のファミリアながらも門番はスルー同然で二人を通し、入口で待機していたリヴェリアと合流。三人揃って、こうしてアイズの部屋へとやってきた。
アイズの出迎えがなかったのは、ノックすらも聞こえない程にふさぎこんでいたのだろう。あまり眠れてもいないのか、少しやつれたような印象を3人は抱いている。
ベッド端に腰掛けるアイズの隣に、ベルが座る。その前の空間にタカヒロとリヴェリアが並び立つ形で、アイズの不安を聞いていた。
少女の目尻に浮かぶ微かな潤いは、三人が駆けつけてくれた安堵によるもの。僅かに残る震えと相まって、抱く不安の大きさはくみ取れる。
頼れる者達が揃ったことで、数分ほどで悩みを吐き出し、アイズはまた体育据座りへと戻ってしまった。こんな時こそ我先に支えてあげたいベルだが、どうにも“適切”な言葉が見つからない。
「アイズ君」
「……?」
一方のタカヒロはアイズの名前だけを口にして、言葉は続かない。他3人は何事かと顔を見るも、そこには普段と同じ落ち着いた表情があるばかり。
すると彼は、すぐ左に居る相方へと、左手で作った拳を掲げて親指だけを向けながら。彼だからこそ許され、彼が持つ度胸があるからこそ行える発言を実行し――――
「遥かに先輩、遥かに年上」
悲惨さ漂う湿った空気もまた、諸行無常。僅かな抵抗すらも許されることはなく、一撃のもとに破壊された。
「プッ」
「……」
――――な、何も言えない……。
突然の爆弾発言により、目じりに雫が溜まった崩れそうな表情が僅かに綻ぶ。ネタの内容が内容である為に、困り果てて苦笑すらも行えないベル・クラネル。リヴェリアとの間にある距離感によって生まれた差が、三者三様となって表れていた。
事実である上に発言者に悪意の欠片もないからこそ、リヴェリアは物言いたげな瞳と共に鼻先が触れ合いそうな程に顔を近づけて、“何か”言いたそうな姿勢を隠していない。“センパイ”との語呂合わせで“
冒険者歴、20年以上。人生歴、
神々を除けば、これら二つに届く者など、過去の歴史においても滅多にいるものではない。元々の種族がハイエルフである為に長寿な上、神の恩恵でレベル7となっている為に、推定すらできない程に輪をかけて長寿になっている事だろう。
それは美貌とて同じであり、比喩表現を抜きに、成人以降は僅かにも劣化していない。同僚のフィン・ディムナもまた、同じ恩恵と若作り種族パルゥムである為に、見た目の変化も最小限となっているのだ。
そんなリヴェリアもまた、何度もタカヒロに助けてもらった実績があり、立ち位置としては、アイズとあまり変わらないと言えるだろう。魔導士という職業上は止むを得ない部分があるとはいえ、更に遡った怪物祭の時も含め、何度かアイズにも助けてもらっている。
大きな感謝と共に自覚があるからこそ、リヴェリアは否定の言葉で返せない。愛ではなく恋を知った最近は僅かな幼さの側面を見せる事があったものの、リヴェリア・リヨス・アールヴとは、アイズ・ヴァレンシュタインよりも大ベテランなのである。
「……何が言いたい」
「ベツニ?」
男も煽っている自覚はあるのか、珍しく僅かに口元を釣り上げて、すっとぼける。ゼロ距離で顔を向け合う姿は、リヴェリア側に笑みが無く僅かに頬を膨らませているために、傍から見たならば喧嘩のように捉えるだろう。
実際は、じゃれ合っているだけだ。出会った頃から変わらぬ煽りとジト目の応酬は、二人にとって確立したコミュニケーションなのである。
リヴェリアも、タカヒロが見せた対応について、落ち込んだアイズを笑わすためだと分かっている。落ち込んでいるのが一般的なエルフだったならば王族ジョークとなり逆効果だったが、アイズとなれば効果がある。
「……」
「……」
睨めっこの如き顔の向け合いは、どうにも収まる気配が見られない。どちらも引かない様相は、互いが持ち得る負けず嫌いな性格を体現している。
線の細く整った華奢な顔は僅かに上に向けられ膨らみ、備わる翡翠の瞳は真っすぐ男を映す。二人きりならば麗しい口を塞ぎに行くだろうが、此度の選択肢としては不適切。
ならばと、膨らんだ頬の左右に、左手の親指と中指を沿え。悪戯の様に、相手の表情を崩してみる事にした。
縦に開いた細い口から漏れ出た空気。王族の威厳など欠片もない、餌を待つ口を開けた魚のような滑稽な表情は、男にとっても新鮮で可愛らしい。
恐らくは、両頬を押されたことで生まれた自分が見せている間抜け面が分かるのだろう。すぐさま自身の両手でもって男の手首を掴み、レベル7の力を発揮して引き剥がしている。
白く細やかな肌が染まってゆく。今の顔が、熟れた林檎――――とまではならずとも、相当に染まっている事は、リヴェリアとて分かっている。
そこそこの時間を共に過ごし慣れたつもりでいたが、普段はこのように直接的なスキンシップを取らない事もあり、こうして僅かに雑な接触を受けると照れくさい。
ツーンとした態度で口をつぐみ、腕を組んでそっぽを向く。漫画ならば間違いなくプンスカとでもルビが振られているだろう表情は、到底、
無論、これもまた二人の間におけるコミュニケーション。僅かにも離れない身体の距離が、互いの関係を示している。
つまるところ、未だ衰えを知らない馬鹿ップル。真似してベルの両頬を人差し指で押したアイズは、突如として現れたベルの間抜け面を見てツボに入ったらしい。此方も此方で、ベルがプンスカな対応を見せている。
相方にポカポカと背中を叩かれつつ、声を上げまいと自分のお腹を抱える、一人の少女。そこに、先程までに生じていた悲しみは見当たらない。
お約束のフレンドリーファイアと引き換えに、アイズの中に、相手の話を聞ける心の余裕が生まれた。僅かながらも相手の心のケアを行い、タカヒロは、アイズの悩みに対する答えの一つを口にする。
いつかの夜、オラリオにおいて有名な酒場での出来事。できるならば思い返したくない一方で、ベル・クラネルにとって絶対に忘れてはいけない、心象に焼き付く一幕の情景。
そんな事があったと、最も親しい者の例題を。悲しみではなく悔しさとして、それでも感情に流されることなく守るべき事は守ったうえで、常に前を向く事が強さの秘訣だと口にする。
「負けを知らない者が居るとすれば、窮地においては置物よりも役に立たないだろう。自分も最初は、負けてばかりの繰り返しだ」
「えーっ、本当ですか~?」
思わず本音のツッコミがベル・クラネルから飛び出すも、アイズとリヴェリアもまた同じ感想だ。いざ戦いとなれば、全てを片手間に薙ぎ倒すような今の彼からは、どうにも想像する事は難しい。
しかしベルとしてはベート・ローガの時の“嫌な予感”は浮かばない為、今回については本当なのだろうと納得した。このように生じる疑義については、タカヒロの自業自得に他ならない。
ともあれ、ならばとタカヒロは、自分が体験してきたことを口にする。数多の負けの先に生まれる勝利とは、単に片手間で勝つ勝利などよりも何倍もの発見と閃きが生じる価値のあるモノだと、悩むアイズに対して聞かせるように語りかけた。
故に、負ける事が悪い事ではないと。命を拾ったならば、その失敗をどう生かすかを考え、繰り返さないよう対策を行い、改善の為に努力する事。装備の更新も、その中の一つに含まれる。
冒険者と呼ばれる職業に、もしも仕事の優先順位があるならば。この一連の行いを無駄にしない事が最も大切であると、タカヒロはアイズとベルに諭している。
何千の数値など優に超え、万単位の回数にのぼる試行錯誤を重ねてきた男の台詞だ。普段からの信頼や、だからこそ今に持ち得る圧倒的な強さを皆が知っているからこそ、言葉の重みは非常に高いと言えるだろう。傍から見た話に限るのだが。
「悩み、考え、それでも分からなければ、仲間を頼る。問われたならば共に悩み、答える事が役目であることは分かっているだろう?“先輩”」
「っ、お前はまた――――!」
そして再び繰り広げられる、煽りという名の惚気劇場。小難しい話が終わった際に突然とシリアス君が退場する彼らしい場の作り方は、ベルもまた感じ取っている。
ここから先は、とりあえず、アイズが悩んでみる段階。とはいえ先程までで十分に悩んだかもしれないのだが、そこは聞いてみなければ分からない。
戦術面での対策か、装備面での対策か。結果としての対策がどちらになるにせよ、とにかく、アイズと意見を交わしてみよう。
行儀悪く肘で小突きながら揃って廊下を出ていくリヴェリアと、されるがままの師の背中を見送りながら。ベルは、少し穏やかな表情になったアイズの横顔を、己に湧き出た悩みを抱えつつ堪能するのであった。