張り詰める一方、極く微妙で神経的な不調和妙とでも言える空気が漂う、アルヴの森における玉座の間。本来ならばそう滅多に起こらない状況である一方、エルフたちは唖然とした態度で状況を受け入れている。
一度ヒューっと、秋口手前の風が駆け抜けたかと錯覚する。まるで玉座の温度を奪っていったかのようで、以後は気配を見せていない。
エルフ、特にこの森に住まう者ならば、誰が想像できただろうか。世界へと旅立った、あのリヴェリア・リヨス・アールヴが、再びこの地を踏む事を。
かつての日における壮大な旅立ち。森に住んでいたグリーンドラゴンを一撃のもとに葬った武勇伝は、今でも薄れることなく森の娯楽の一つとして語られている。
破壊された木々については、20年と少しの時間によって大まかな再生を終えている。今では、どこからどこまでが魔法“ウィン・フィンブルヴェトル”によって破壊されたかを断定することは難しい。
武勇伝と当時に、国王であるラーファルと大きな言い争いをして飛び出した事も有名だ。その後の対応としてはラーファルが各国に“通知”を出す程度に留まっているが、この対応を“穏便”と捉えている者が大半だ。
なんせ、まるで多大に勘当を言い渡すかの如き言い合いの様相は、語る者こそいなけれど、目撃者も少なくない。それが決別と捉えられたとしても、無理もない事だろう。
例え妻が相手だろうとも口には出さなかったラーファルだが、当時は同様の覚悟を抱いた程だ。
だからこそ此度の召喚に応じたリヴェリアに驚きつつ、こうして久々に話をすることが出来た点は、王ではなく親として喜びを隠せない。想定外の事象として
勿論、彼の所に対しても、オラリオで吹いていたリヴェリアの春風についての情報は舞い込んできている。流石に第一報は誤報の類かと疑っていたものの、エルフならば仕方のない事だろう。
今の今まで無風であり、突如吹いたかと思えば相手がヒューマンだと言うのだから衝撃も相当だ。何がどうなったかについては全く想定も出来ておらず、それは今とて変わらない。
しかしこうして面を合わせてみれば、リヴェリアが彼を選んだ理由が少し分かった気がしていた。妻のフォターナは更に一歩踏み込んだ場所まで察していたが、これは性別の違いからくる持ち得るレーダーの性能差が原因だろう。
彼は、リヴェリアがハイエルフである点を利用する様子など欠片も見せていない。鎧については棘やくたびれた黄金色などを筆頭に賑やかであるものの、基本としてはリヴェリア好みの落ち着いた様相を見せている。基本としては、だ。
ともあれ、そのような者は同胞となるエルフにおいて当てはまる者も幾らかは居るだろう。だからこそラーファルやフォターナは、先に記した内容ではなく、別となる大きな理由があったのだと推測した。
そう思っていた時に生じたのが、先の問答である。
彼女はアールヴの名を継ぐハイエルフとはいえ、貴族を下郎と呼ぶなど、本来は有り得ない。抱く怒りもまた隠すことが出来ておらず、引き下がる気配など欠片もない姿勢は正に、徹底抗戦の構えと呼べるだろう。
故にリヴェリアは、冷静だった。そのうえで隠さずに纏うオーラは尋常の範囲ではなく、衛兵とて思わず身震いしてしまう程。言葉に出すことは無くとも、抱く覚悟は伝わっている。
そんな彼女にあそこまで言われては、地位のある貴族のエルフとて反論の言葉が見つからない。また、ハイエルフのリヴェリアに対して先のような言葉など、平時ならばそれだけで問題だ。
だからこそ貴族は顔をラーファルへと向けており、王の判断を待っている。一度、静かに目を閉じたラーファルは、やや距離があるもののリヴェリアと顔を合わせて口を開いた。
「やはり、“王”に成る事は出来ておらんか」
「っ……?」
ラーファル王の言葉が、リヴェリアには分からなかった。どのような意図から生まれた言葉かと考えを巡らせるが、該当するものは見つからない。
アールヴという、エルフにとっては神聖となる名前の一つ。エルフの始祖を指し示すものであり、直系となる王族のみが名乗ることを許されている。
しかしそうなると、先のラーファルが口にした内容と食い違う。リヴェリアは彼の子であり間違いのない王族ながらも、そこには理由が存在する。
下種な言い方をすれば、彼とてただ王に就いているだけの阿呆とは違うのだ。ラーファルは、アールヴの名前を持っているという事実と“エルフの王”が純粋にイコールとは捉えていない。
王である者の条件、もう少し簡略化したならば、王とは何か。万人に問いを投げれば、万人が違ったニュアンスの回答を示すだろう。
集まった回答を多勢で吟味したならば、全く違う答えも生まれるはずだ。象徴、君主、それこそ表現方法の一つだけに焦点を当てても様々である。
アルヴの森の王である為には、どうあるべきか。良くも悪くも崇められる孤高の王という存在として悩み抜いたラーファルは、己として一つのポリシーを抱いている。
早い話が政治的な要因を中心とした、彼が描く、国民たちが平和に暮らせる森の姿。そして、それらの一つ一つを全うするために必要な、王の姿が、今ここで語られていた。
リヴェリアが抱いていた考え、それが捉えていた範囲など比べ物にならない程に、広い視野。ラーファルは、この国に住まうエルフを想わなかった事など一日たりとも在りはしない。
国とは何か。難しい定義である。様々なファミリアが主神の下で行動するオラリオにおいては随分と希薄な概念であり、意識している者も少ないだろう。
しいて言うならば、ファミリアが国の代わりだろうか。国もファミリアも、そこに生きる者、一人一人によって集合体を成している。
「お前に譲れぬ想いがあるように、私にも譲れぬ想いがある。アルヴの森に住まう者達の繁栄を願い、
リヴェリア・リヨス・アールヴの父であるよりも、王としての立ち位置を全うする。それが、ラーファル・リヨス・アールヴの掲げる戦う理由なのだ。
これらの言葉を口にするにつれて、リヴェリアの表情に困惑が生まれている。相手が嘘を吐いていない事はリヴェリアも分かっているからこそ、世界を見ていた筈の己の視野が如何に狭かったかを、そして狭きを捉える事の大切さを痛感した。
万物流転。この世全てのものに永久はなく、常に遷り変わる定めにある。
エルフ故に長年を生きてきたラーファルも、この理を理解しており。己が率いる一族が今後も栄える為には、変化が必要だとは感じている。
だがしかし、ただ変われば良いという単純なものではない。適切なタイミングを損なえば、生じるものは変化ではなく混乱だ。
ラーファルが最も警戒している事態の一つである。そして文化や伝統と呼ばれる言葉があるように、古くから伝わる事象を受け継ぎ示すことは、己がエルフの一族であることを意識して誇るだろう。
例えリヴェリア・リヨス・アールヴからは、問題として映ったとしても。これらを遂行することでエルフの皆が意識するのは、己がエルフだという誇りであることに違いはない。
そしてアルヴの国に住まう者達の数ある誇り、その中の一つ。アールヴの名を持つ者の存在とは、特にアルヴの森に住まうエルフにとって、最も重要な一つなのだ。
もしもアールヴの血筋が途絶えたならば、どうなるか。それはもう、アルヴの森の民に留まらず、エルフにとって暗黒の世が始まると表現しても過言は無いだろう。
かつてラーファルは、リヴェリアが持つ使命を「世継ぎを生む事」というニュアンスで表現した。そして対するリヴェリアが、「私は人形ではない」と怒りを示したのは間違いのない過去である。
ラーファルは決して、リヴェリアを森に閉じ込めたいワケではない。その身がリヴェリアの父である前にアルヴの、そしてエルフの王である以上、断腸の思いで父としての立場を切り捨てているのだ。
「もしも私が、ハイエルフでなかったならば。私が、こうして玉座に座る者でなかったならば。お前達を心から祝福しているよ、リヴェリア」
「っ……!」
問答の終わりに出された優しい口調の言葉は、母のフォターナが口にしたとて同じ内容だっただろう。 目を見開き、思わずそちらへと顔を向けたリヴェリアだが、ゆっくりとした深い頷きで返され、口に出す言葉が見つからなかった。
かつて一方的に反発してしまった過去を思い出して、謝りたい衝動に襲われる。当時あれ程の激情を向け、今もなお己の未来を案じてくれていたのかと、リヴェリアに大きな衝撃が伸し掛かった。
心の内は、態度や表情として表れる。口元をやや強くつぐみ、両手に拳が作られた。
やや下へと向けられた顔の位置は、どう謝ってよいか分からないと言いたげな様相。同時に伏せられている目元と隠れる翡翠の瞳が、彼女が持ち得る懺悔の気持ちを表している。
視野が違っていたからこそ生じてしまった、すれ違い。
決まったと、貴族は思った。思惑通り、これでリヴェリア・リヨス・アールヴは、貴族が思い描く王としての道を選び、己が用意した見合いの相手と縁談が成立するだろう。
どこぞの馬の骨かは不明ながらも、まさかヒューマンの相手を見つけていたとは思わなかった。しかし王家のエルフが“見合う”となれば、即ち決定に等しい事。もう暫く時間はかかるだろうが、それこそ時間の問題だけだろうと、貴族は思った。
しかし――――
「――――ラーファル王の掲げる正義を抽象的に表現するが、情ではなく政治的要因を優先すると理解した。宜しいか?」
纏まりかけた筈の場に、据わった声が静かに響く。声と同様に据わった表情も変わらずであり、漆黒の瞳が、ラーファルの翡翠の瞳を貫いていた。
先とは違って語尾に付属していない敬語が何を意味するか、未だ誰にも分からない。しかし劇場で脇役にスポットライトが当たったかの如く、場を包み込む空気と注目の対象は明らかに変貌した。
男の言葉でリヴェリア・リヨス・アールヴの表情に色が灯り、顔は持ち上げられて前へと向く。翡翠の瞳に映る背中は微塵も怯みを見せておらず、僅かにも揺るがない。
大地の如き重厚さは、心中に絶対の正義があるからこそ。リヴェリアがエルフの為に、ラーファルがアルヴ国の為に動くように、この男もまた別の理由を持っている。
リヴェリアが、タカヒロがヒューマンであることなど関係ないと口にしたように。リヴェリアがハイエルフであろうがなかろうが、青年にとっては関係のない事だ。
しかし後者の考えは、同時にタカヒロの都合しか見ていない。それを理解しているからこそ彼は口を閉ざしたままでリヴェリアの意見に対して否定も肯定もしておらず、只静かに、互いの本音が揃う時を待っていた。
此度の問題は、二人だけの規模とは訳が違う。リヴェリアを王族として見ていない彼だが、リヴェリアが王族である事を否定したり拒絶するつもりは欠片もない。
欠けていたピース、すなわち相手の父ラーファル・リヨス・アールヴの胸の内。約30年前ではなく、今の時に生きる彼を知る必要が、タカヒロにはあった。
彼とて決して、ラーファルの考えを否定するわけではない。むしろ先程までに示された王としての在り方を貫ける彼を、内心では称賛している程だ。
先程は“王の御前”故に、勝手な発言をしないと口にしたタカヒロ。しかしながら、此度においては発言にそぐわないことを行っている。
故に何か訳ありかとラーファルも捉えており、相手の瞳をしっかりと見返して口をつぐむ。名実ともに王の立場にあるのだ、人を見抜く観察眼は備わっている。
「……いかにも。この席に着く遥か前より覚悟し、己が下す決断において最も筋を通してきた事象。今この時においても、間違っていないと信じている」
少しの間を開けて口に出された、ラーファルの胸の内。言葉の中において断定をしていないのは、やはり彼も、一人の親としての立場を完全に捨てる事ができないため。
そして王として、己の抱く考えが正しいと知りながらも。己の采配が民を誤った方向に進ませていないかと、常に不安が付きまとう。
しかし王の椅子に座る以上、そんなことは承知の上。歴代の王がそうしてきたように、彼もまた、己の考えが正しいという正義を掲げ、今日を含めた対応を続けている。
それは、どれほどの未来になろうとも変わらない。タカヒロの目を見つめ、ラーファルはハッキリと言い切った。
「なるほど。形だけの王では務まらない、精良な心構えです。では此方も、その方面から説得をさせて頂こう」
どの様な手かと、ラーファルは気持ちを構える。だがしかし、可能な予想にも限度というものはあるだろう。
ラーファルの前に立つのは、過去において、様々な事象に対して真正面からゴリ押してきた実績を持つ“ぶっ壊れ”。更には様々な場面においてゴリ押しレベルの“カウンターストライク”を発動してきた実績持ち。
此度においては絶対に見極めなければならない互いの本音、あと1つ相手の手に残っていた“王としての決定”が明確にされる時。即ちタカヒロが攻めに回る為の方針が、定まる時を待っていた。
勿論ながらタカヒロも、無策のままアルヴの森へ訪れているワケではない。目に見える装備というワケではないが、持ち得る武器防具の数々は把握している。装備とは容あるものだけではなく、スキルや恩恵の類も含まれるだろう。
そう。もとよりこの青年は、ロキ曰く“エルフならば眉唾”となる、ドライアドと生命の樹の恩恵を受けているのだ。その二つが持ち得る政治的要因の強さで言えば、何よりも有効な手立てとなる事は明らかとなる。
とはいえ、所持していることが証明できなければ“嘘つき”と同じこと。故に青年は、いつかアイズの相談事に遅刻した際に出会っていた、とある人物に協力を仰いでいた。
「えっ……?」
タカヒロが左手を軽く上げると、どこからともなく一人の人物が現れる。周囲の疑問符を気にすることなく歩く姿は、長いエルフの耳や翡翠の髪と瞳を始めとして、アールヴ一族の女性陣営と似た容姿をしている点は、偶然か必然か。
エルフにしては、肌の露出が非常に多い。本当に簡素な麻らしき衣類を纏った女性は、僅かにブレることなく、整った足運びでタカヒロへと近づいている。
権能を振るう“人ならざる存在”を前に全てのエルフの目が開き、動くことも言葉を発することも叶わない。直感的に相手を大枠として捉えることは出来ているが、具体的に誰かとなれば、見当がついていない。
しかし、その中には例外も存在する。チェックメイトとばかりに思っていた貴族その人であり、完全に飲まれた場をかき乱すようにして声を張り上げた。
「な、何者だ“この女”は!衛兵、摘まみ出せ!!」
「言葉には気を付けた方が良いぞ?下郎」
「なんだと!?おのれ、下等なヒューマン風情が――――」
謎の美女に顔を向けたかと思えば、ヘイトは一瞬にしてタカヒロへ。青年としてもそうなるように言葉を選んでいるが、もちろん理由あっての言動だ。
リヴェリアは相手が誰であるかを直感的に理解しており、衣服が汚れることを構わず、既に“この女”に対して片膝を床に下ろして敬意を払う。周囲に困惑した空間が作られる中、状況をわかりやすく説明するために、タカヒロは普段の調子で口を開いた。
「全てのエルフが崇拝しているのだろう。下郎の言葉を借りるならば“この女”は、大樹の精霊、“ドライアド”だ」
生み出された状況は、彼が得意とするカウンターに基づくもの。持ち得る威力については語るまでもなく、こればかりはリヴェリアすらも予測していなかった、驚愕と呼べる者が現れた。