丁寧な見送りを受けつつアルヴの森を出た、二人組。入り口で待っていた翼竜に跨ると、往路で立ち寄った村へと進路を向けた。
機上の人ならぬ、騎乗の人。ワイシャツ姿の頼りになる背中に身体を預けるリヴェリアは、先に行われた親と相方とのやり取りを思い返して、柔らかな表情と喜びを隠せない。
「フフ……。嗚呼、私は、宜しくされてしまうのだな」
「神妙だな、どこで酒を口にした?」
「よ、酔ってなどいない!」
彼氏ならぬ婚約者に対して酔っぱらう状態異常、早い話が只の惚気である。今回は例のアールヴ事件こそ回避しているようだが、ツッコミを受けるには十分だったようだ。
航路において翼竜が言葉の全てを理解していたならば、砂糖がピトー管に詰まるか翼の上に着氷(氷砂糖)していた事だろう。そんな甘いやり取りが繰り広げられつつ、二人は往路の村へと辿り着いた。
街と呼ばれるような場所、それこそオラリオと比べれば規模は遥かに小さく、物静かで平和な場所だ。少し近くに少し大きめの街こそあり交易を含めた交流こそあれど、基本としては穏やかな場所である。
二人が泊まっている、尾ひれを付けても豪華とは呼べない普通の宿も、言ってしまえば“少し大きな民宿”と言えるだろう。リヴェリアとタカヒロの二人を除いて客はいないようで、装飾などの少なさなどと相まって、村全体と相違の無い雰囲気に仕上がっている。
ともあれ往路と変わらぬ宿泊とくれば、新鮮さも少しは薄れるものだ。少し時間があったので村の観光を手早く済ませると、二人は宿へと戻ってくる。
なお、往路の時もそうなのだが、オラリオと違って二人でいても姿隠しのフードが不要である為にリヴェリアの機嫌は非常に良好。実のところは往路の際も住民たちの間で話題となっており、タカヒロに対して僅かな嫉妬の心が向けられていた。
そんな視線を感じつつもオラリオの時のように“下半身がふしだら”な者は居ない為に、タカヒロが行動を起こすことは無い。今となっては“堂々と自慢してやろうか”と、少し吹っ切れた感情を抱いている。
何せ相方は、神々の美貌と真っ向から勝負することもできる程の持ち主ハイエルフ。タカヒロとて所詮は男。口にする事は無いが、そのような心を僅かながら抱いても不思議ではない。
「先の市場は、とても活気があったな」
「ああ。規模こそ小さいが、売り手の気迫はオラリオに負けず劣らない」
宿の入口の扉の先にある、20人ほどが入る事ができるだろう食堂のようなスペースの一角。4人用の机を挟んで流れる時間は村のように穏やかで、他愛もない話に花が咲く。
決して高級とは言えない紅茶のアクセントは、夕飯の時までには十分だ。互いに崩した姿勢と崩れつつある口調は、二人の間にある壁の低さを示しているのだろう。
「邪魔をするぞ、“小娘”」
数分後、とある女性の小さな声が、宿の入口から届いてくる。リヴェリアは顔を、タカヒロは瞳だけを動かして、入口へと目を向けた。
「翡翠の髪を持つエルフが来た。まさかと思ったが、先日隣村で噂話を耳にして尋ねてみれば……」
全くの想定外。もしもこれを想定のうちにできたならば、未来予知の能力でも無ければ不可能だろう。
今までには縁があった。別の縁で、最近、その人物に関する話も行った。
だけれども、現実となる点については想定外。それでも、再び届く聞き覚えのある声と姿を目にして、リヴェリアの目が見開いた。
「なんだと……」
その声は、忘れもしない。少し前に、己の身の回りで話題となった人物。約8年前、オラリオを襲った人的災害に隠された一つの事実。
閉じられた瞳の奥に隠されている、翡翠と灰色のオッドアイ、すなわち左右で違う瞳の色を持つ存在は、紛れもない第一級の戦闘力を有している。リヴェリアと同じく魔導士だというのに剣を使った前線での戦闘も熟せるというフザケた存在は、オラリオにおいて最も有名だった冒険者の一人だろう。
いまだ記憶に鮮明に残る、オラリオにて生じた大きな出来事。一度は苦い敗北を味わっているだけに、当時の情景は鮮明に記憶されている。
その理由もあって、先に行われたベルやアイズ、リューとの会談が成立している。とはいえ、よもや当事者の身内が出先の近くに居るとは思ってもおらず、平凡な空間で行われた会話の中でリヴェリアとて驚いた程だ。
己の記憶にある一幕。相手が持ち得る強さを知っているからこそ、リヴェリアは立ち上がって対峙する姿勢を見せている。
リヴェリアにとって最悪と呼べる相性を持ち、彼女に超えられぬ壁と敗北を与えてきた相手。特徴的と言える声は、たかだか8年程度の歳月で忘れる筈もない。
「生きていたのか、“静寂”」
「貴様も変わらないな、若輩。いや、男遊びを覚えたか?」
「馬鹿者、そのような関係ではない!!」
閉じられた瞳に向けられる、力強い翡翠の視線。相も変わらず煽りの気配を見せるアルフィアとの間で生まれた一触即発の気配だが、これについてはアルフィアに誤算が生じていた。
それもそうだろう。昔のリヴェリアを知る彼女だからこそ、まさか横に居るのが婚約者などとは微かにも思っていない。
だからこそリヴェリアが加減無しの怒りを見せており、状況は酷く張りつめている。アルフィアとの相性は最悪と言えるリヴェリアだが、今の彼女ならば、何かしらの方法で一矢を届ける事だろう。
そんな緊迫した状況など僅かにも気にしていない第三者から、明後日の方向へと言葉が向けられた。
「“静寂”……。この人が、以前に言っていた“アルフィア伯母さん”か」
衝撃的でシリアスな出会いは、僅かにも動じない誰かの一言によって間髪入れずにコミカルへ。前を向いていたリヴェリアの顔はすぐさま机の対面へと顔を戻し、物言いたげな視線を相方に飛ばしている。
物言いたげな雰囲気は、アルフィアとて同様だ。何せ己を呼ぶ名前の後ろにくっついている文字列は、彼女が最も嫌う文言の一つである。
「……何故、
「とある筋から耳にしている。もっとも、生きていたとは驚愕だが」
もしも神々が会話を目にしていたならば、瞬時に嘘と見抜くことが出来ただろう。しかしアルフィアは神ではない為に、その事実は叶わない。
タカヒロ曰く、
「知っての通り、私がアルフィアだ。だが、伯母ではない。伯母ではない……!」
「母親の姉妹となれば、伯母で間違いは無いだろう」
「タカヒロ、そう言った問題では……」
珍しく“すっ呆け”た雰囲気を出し煽りを見せるタカヒロだが、先程アルフィアが口にした“呼び名”が原因である。ベート・ローガの時しかり、言葉には言葉でカウンターを行っているというワケだ。
しかしリヴェリアとしては、随分とアルフィアの様子がおかしいと感じている。以前のアルフィアならば、例え初対面の者が相手だろうとも、問答無用で“ゴスペル”を詠唱していたに違いない。
今のタカヒロは普段のワイシャツ姿であり、まとう雰囲気も傍からすれば一般人と変わらない程。アルフィアからは覇気も感じられず、何か理由があるのかと感じ取ったリヴェリアは、話の方向性を変えるべく口を開く。
「……で。今まで何をしていた。そして此処で何をしている、静寂」
もっともらしい質問内容。隣の席に腰掛け紅茶を注文したアルフィアは、リヴェリアの思惑に反して、素直に事情を語り始めた。
オラリオを離れた事や、進行した病魔によって、良くも悪くも“彼女らしさ”が薄らいでいる。これが普段のオラリオだったならば、真っ先に言葉による煽り合戦が生じていた事だろう。
ともあれアルフィアは、過去に縁があったリュミルアの森で、エルフ達に魔法を教えていたらしい。ワケがあって隣町でも教えを行っていたところ、アルフィアが口にした通り、噂話が舞い込んできたというわけだ。
エルフとて、翡翠の髪を持つ者など珍しい。ましてやここはアルヴの森とさほど離れておらず、そこから王族が飛び出してくる事など滅多にないだろう。
ならば考えられるのは、オラリオに居たエルフの王族、つまりリヴェリアが訪れた事。“男連れ”という点についてはフィン・ディムナかガレス・ランドロックだと思っていたアルフィアながらも、そこは予想を裏切られた格好だ。
理由はどうあれ穏やかさを持つアルフィアは久方ぶりにオラリオの者と出会ったからか、話は更に過去へと遡ることとなった。かつては敵であったものの、今においては敵対の気配はなく、双方ともに相手を知るからこその話の弾み具合と言えるだろう。
「ではお前は、やはりあの時……」
「ほう、まさか生存が想定されていたとはな。知っての通り、私は見事アストレア・ファミリアに敗れた。最後は炎に身を投げて、生涯を閉ざす……はずだった」
だが、死ねなかった。いくら内側から蝕まれていたとはいえ、レベル7の冒険者とは、ある程度の高所からの落下や業火にすらも耐えてしまう“人ならざる”存在である。
このように記載すると化け物のように感じるかもしれないが、それも杞憂で収まる程度。今まさにアルフィアと対話している青年と比べれば、彼女は十分に人の域と言えるだろう。
ともあれ。エレボスが与えた慈悲とも相まって寿命が延びた彼女だが、オラリオに居場所などあるはずがない。
幸いにもオラリオとは数多の住民で賑わう街の為、人混みや混乱の余波に紛れる事は容易かった。彼女は自然と、バベルの塔を中心に作られた塀の外へと足を向ける事となる。
英雄を求める世界とは、如何なるものか。オラリオと言う狭い世界に永くいたアルフィアは、健康に差支えのない範囲で、世界を旅して回ったらしい。
先に口にした教導については、その中で自らが気付き行ってきた事象の一つ。理由の一つには、恐らくオラリオでの罪滅ぼしも含まれているのだろう。
オラリオにおいて生じた、悲惨な光景。いざ悪となる覚悟は抱いたものの、逃げ惑う群衆の悲鳴に身がはちきれそうだった。
それを引き起こした闇派閥に、自身は間違いなく加担している。とはいえ、加わるに至るまでの経緯は単純ではなかった。
オラリオの遠い未来を護る為に、今を壊していいのだろうか。相方であった大柄の前衛戦士“ザルド”と共に悩み、“分からない”という結論に達した大きな悩みは、いまだ彼女の記憶と心に残っている。
これが、8年前に生じた出来事の一部。当時のレベル7が「身勝手」と言われた理由で闇派閥に加担した、オラリオの歴史において最も大きな事件の一つである。
また、たった今において語られた内容だ。答えがどうであるかなど、誰にも出す事は出来ないだろう。
生い先が短い、という意思決定のプロセスをスキップしてしまう要素はあったかもしれない。それでも大抗争という選択肢を選んだアルフィアともう一人の大男は、それがオラリオにとって正しい道であると信じていたのだ。
タカヒロという男の周囲で時たま口にされる議題。正義とは、正しい行いとは何か。
此度は口を閉じているが、もしも彼が口を開いたならば語られる言葉は一つだろう。
己が正しいと信じたこと。それこそが、紛れもない純粋な正義なのだと。
この考えはリヴェリアにも伝わっており、彼女も類似した答えを浮かべている。具体的な内容の答えが出ない議題を更に深堀する事を避ける為か、リヴェリアは新たな問いを投げるのであった。
「結果はどうあれ、お前たちの計画は終わった。そしてオラリオの外に出る事に成功したにも関わらず、甥の子には会わなかったのか」
「……我が妹の子より、“終末の時計”を遅らせることを選んだ。だから、今の私に、“
華奢な身体を蝕む病の為か、それとも双子の妹やその子供であるベルを心から想う気持ち故か。リヴェリアの凛とした声に、消え入りそうな静かさが返される。“甥”や“子”と示して決して名で呼ぶことは無いのは、彼女が持ち得る心境が原因だろう。
続けざまに、一人では部屋から出る事すらも困難な程に病弱だった妹の事や、妹とアルフィアとの関係性。特に、妹と自身が持ち得る才能の差に関する
時折顔が歪むほどの痛みに耐え生きていることこそが己の罪滅ぼしなのだと信じて、彼女はあれから8年近くの年月を生きてきた。生き抜き生かされたからには何か理由がある筈だと言い聞かせ、半ば流離うように過ごしてきたらしい。
「もっとも、お前達エルフのように世間の情報を絶っていたワケではない。世間知らずの年増ほど、手に負えないものはないからな」
「余計なお世話だ、まったく」
ちょくちょく生じる煽りは、挨拶のようなもの。ともあれアルフィアは、オラリオにおける事情についても、遅れながら――――具体的には半年ほど前の情報ながらも、彼女の耳に届いている。
遅れが生じている点については、伝言ゲームが基本となる為に仕方がない。それでも彼女の耳に届く音の数々は、オラリオで生じた出来事を大筋ながらも伝えてくれた。
だからこそ。以前とあまり変わらぬ、オラリオの実態を嘆いている。
甥の子たちが剣を持たなくて済む平和な世界を望んだが、僅か数年で訪れることはない事実はアルフィア自身が分かっている。今こうして視線をリヴェリアに合わせることが出来ない理由の一つだろう。
遥か千年の時より昔から紡がれるダンジョンとの抗争は、たかだか一世代で解決できるものではない。恐らくはレヴィスに聞いても、同じ答えが返るだろう。
しかし。これでは、“約束された時”には間に合わない。
己が生き残ったのは、残り僅かの命を使って次の手を打つ為か。何時しか彼女は、このような考えを抱くことになる。
未だ残る焦りの心と共に、アルフィアがリヴェリアを見据えた時。横に居た彼女の相方が目に入った。
あの
「先程、妹の才を奪ったと口にしていたな」
「ああ、その通りだ」
生まれつき病弱で、誰にでも優しかった自慢の妹。誰かが誤って彼女の甘味を口にしてしまった時だけは鬼神の如き様相だったものの、それは可愛らしいエッセンスの一つだろう。
才能の化身と呼ばれた双子の姉とは、随分とかけ離れた様相である。だからこそアルフィアは、先にタカヒロが口にした“奪った”という表現を使っているのだ。
しかしどうやら、タカヒロはモノ申したいことがある模様。この手の流れにおいては明後日の方向や感情が付きまとう恐れがあるものの、内容は核心を捉えている。
この事をリヴェリアも察しており、そして此度においては明後日の方向性が生まれる事もないだろうと安心している。だからこそ彼女は薄笑みを作り、相方の言葉を待っているのだ。
「その考えは否定させて貰おう。奪ってなどいない。確かに隔世こそしたかもしれないが、優しさを基調とした血統は、脈々と受け継がれている」
「なにっ……?」
まるで、アルフィアが知る愛しい
今の言葉を、雑音として処理することなどできなかった。次の言葉を待つという、彼女にしては年に一度もない状況に心拍数は上昇し、心の内で“まさか”と思える回答を望んでいる。
「軽い白髪に深紅の瞳。到達現在レベル5、二つ名は“
彼女の知る神が残した、最後の悪戯か。例え己が地獄に落ちようとも忘れることは無い鐘の音が、目の前にいる男の口から届けられた。