「――――っ……」
意識は覚醒するも、頭が揺れる。全身から痛みという痛みが生存に対する本能を発しており、上層とはいえここがダンジョンであったことを思い出す。
軽装だったとは言えアーマーの類は全てが原形を保っておらず、全身は自身で流した血に塗れている。いくらオッタルとはいえ、この状態でモンスターに襲われればひとたまりもないだろう。
流し見る視界の中に、己を打ち負かした男が居なければの話である。岩に腰かけ腕を組んでいる男だが、目深なフードにより起きているかどうかも分からない。
まるで自然体であり、気軽に声を掛けるのは憚られた。それでもオッタルは、声を掛けずにはいられなかった。
「……なぜ、残った。なぜ生かした。俺は、お前や同じファミリアの……」
「猛者がミノタウロスを教育して冒険者を襲わせたなど、何のことだ。自分は“モンスターと勘違いして襲ってきた冒険者を沈めた”だけのこと」
「しかし、殺すなとの指示は出ていたが相手は……!」
「……なるほど、茶番という事か。だがミノタウロスの強化種程度、話にならん。目的は傍観と言っただろ?少年を心配しているのならソレこそ無用だ、手筈を違えねば命を落とすことは無い」
襟を正すならば元凶の女神だろう。そう最後に呟く青年の足元には、いくつかの魔石が転がっている。オッタルが気絶しているときに襲ってきたのだろうモンスターのものと気づくのに、時間はかからなかった。
直後に投げ寄越された駆け出し用ポーションを一気に飲み干すと、いくらか身体の感覚が戻ってくる。上層からホームへと帰還するには、十分な体力となるだろう。
それを見越したかのように、猛者を打ち負かした戦士は立ち上がった。しっかりと魔石を回収している辺り、ダンジョンでのルールを守っている。
向けられていた盾はどこにもなく、姿こそ変わらぬ鎧なれど雰囲気はまるで違う。戦いの気配は既に影を潜めており、ただの男としての姿を示している。その背中越しに、青年は再び声を発した。
「だが貴様の策略でロキ・ファミリアの冒険者が一人、重傷を負っている。自分とて、このような茶番も度が過ぎれば貴様の主神を殺しに向かう。取り返しがつくよう気を配ることだ」
「……そうか。それは幾分、粗相をした」
そう言われ、武人の眉が少し落ちる。ファミリアは違えど、主神の為といえど、同じ冒険者が自分の所作で傷つくのは、やはり覚悟はしていても気分が良いモノではない。
しかし、まだ聞くべきことが残っていた。もう数メートルは離れてしまった背中を見据え、声を掛ける。
「精強ながらも見知らぬ面貌の戦士よ……是非とも、ご芳名を頂戴できぬだろうか」
「……生憎だが、精良な武人に名乗れる程の者ではない」
止まって答え、ガチャリ、と傷1つついていない漆黒の鎧の音を場に響かせ。
「あとは自分次第だ」と言い残すかのように追う者を残し、ダンジョンの闇へと消えてゆく。その足は、10階層へ続く正規ルートへ向けられていた。
――――そして、盛大な問題点に気づくことになる。
(……おや?そういやベル君、9階層のどこで戦っている!?)
“9階層”とだけ聞いて駆け出していった結末がこれである。肝心の弟子、ベル・クラネルがどこで戦っているかがわからない。脳内ARにマッピング情報はあれど、初めて来た9階層の端っこで戦っていた彼は迷子になったというわけだ。
迷ったときのお約束である、片っ端からマップデータを埋めるように走るゴリ押し技術を披露。結果として事象が済んでから無事に合流したのだがリヴェリアに呆れられたという、決して口には出せないポンコツっぷりを発揮していたのであった。
=====
ミノタウロスが現れたことで人気が疎らとなったダンジョン一階から出てくる、一人の男。ボロボロになったアーマーもさることながら痛々しい打撲痕を曝け出して歩くその姿を見たギルド職員は、何があったのかと目を見開いて振り返った。
オラリオに居る者ならば大半が知っている、その姿。名前を耳にすれば10歳以上は全員が知っているその存在。都市最強でありレベル7を誇るオッタルが満身創痍になるなど、のっぴきならない事情が発生したことは明白だ。
しかし持ち得る瞳は闘志に満ちており、今だ戦いの最中に居る様相を隠せていない。そのことも、ギルド職員が声をかけづらい要因となっていることは明らかだ。
幸か不幸か、目的の場所はバベルの塔にある上層のために街中を歩く必要はない。いくらかの者とはすれ違うこととなるが、そんなことは気にならない程である。
足掻きに足掻いた戦闘が終わり、目覚めてから1時間後。満身創痍のオッタルは、様々な者からの視線を受けつつフレイヤ・ファミリアのホームへと帰還した。
己の主神に、なんと報告するべきか。目指すべき目標が見つかったのは喜ばしいが、胸を張って言える唯一の道で負けたことも、また事実。
一から出直しとは、このことだろう。相手が見せた狡猾さの光景が薄まらぬうちに検討し、己の攻撃と防御に組み込めば、また一歩高みへと昇れることは間違いない。
それはさておくとしても、ともかく、主神の願いを果たせたことには変わりない。魔石灯の光が怪しく照らす、やや薄暗い彼女の部屋へと報告のために入ると、そこに居た主神フレイヤは――――
「あああああああ、なんて輝きなのかしら!何者にも染まっていない白!穢れなき白!ああ、染め上げたい!その先が見たい!ミノタウロスと戦っただけでこの輝き!柔らかそうな毛並み、子兎のような顔つき!戦っている漢の顔から突如として一変するあの花の笑顔!ああ抱きしめたいわ!頭を撫でてあげたいわ!むしろ撫でて欲しいわ!見てるだけで背中がゾクゾク以下略」
「……」
螺子が外れかけていた。手先でもってあと一山ぐらい左に回せば、ポロッと簡単に外れてしまうぐらいにまで緩んでいる。
両手を頬に当て、クルクルとコマのように回る姿は見ているだけで愛おしい。その仕草が自分の行いによって引き起こされているのだから、その言葉が向けられる対象が己でなくても、オッタルにとっては無茶をした価値があったというものだ。
それにしても正直なところ、第三者が見れば“ひどい”と思ってしまうレベルに達している。いかなる美男子が来ようとも、常に凛とした様相と高貴さはどこへやら。この暗さに対して魔石灯では力不足であるように、全く影を見せていない。
かねてより主神が、少年の事を話題にすると冷静さを欠く点については気づいていた。一人の少年に夢中になっており、その者の事となると、第三者から見た精神年齢は目を覆いたくなるレベルにまで退化してしまうのが主神フレイヤの現状である。
「……あら。どうしたの、オッタル」
「フレイヤ様、まずはタオルを。飛び散っております」
綺麗な筋を描く鼻部から振りまかれている赤い液体は、どこぞのアーティスト顔負けの様相を純白のカーペットに描いている。記憶が正しければ団員総出で敷き替えたのは先月だが、これを狙っていた……はずはないと思いたいが、考えるだけで頭が痛くなるオッタルであった。
クルクルと回転しているうちに己の自慢である眷属の痛々しい姿が目に入り、普段は冷静なフレイヤも思わず問いを投げていた。その姿を持つ者が他ならぬオッタルだったことと、ベル・クラネルの成長ぶりを見た直後で機嫌が良かったことも1つの理由だろう。
「それで、その傷はどうしたの?」
「いえ……ご所望の件は達成できたのですが、面目なく、幾分粗相を」
「そう……」
それもやがて落ち着き、オッタルは己の主神に対し、ミノタウロスを鍛えベル・クラネルにぶつけた旨を報告している。そもそもの発端が「あの子が苦戦しながら勝ち上がるカッコいいところが見たい!でも殺しちゃだめよ!」という主神の無茶振りであることを知るのは、今ここに居る2名だけだ。
傷については口をつぐんだオッタルだが、それがフレイヤにとってマイナスとなるなら必ず報告を行う男であることは彼女も知っている。であれば自分自身に関する口にしたくないことだろうと判断し、フレイヤもそれ以上の追及を避けていた。
「だったらこれを見て頂戴!もう最高以外の言葉が見つからないわよ、何回見ても飽きないわ!座りなさい、オッタル」
「は、はぁ……」
ということで、話題が戻る。年甲斐もなく燥いでいる彼女の姿を見て惚れ直す反面、その意識が向けられている例の少年に対し嫉妬の心が顔を出す。いっそミノタウロスではなくゴライアス辺りの首根っこを捕まえて持ってきた方が良かったかと取り返しがつかなさそうな考えが思い浮かぶが、例の青年に言われた文言が顔を出して収まった。
ウキウキでニッコニコの表情を浮かべるフレイヤの説明によれば、この水晶玉には“録画機能”なるものがついているらしい。それが何かは分からないものの「5回目よ!」と顔に力を入れる残念女神の横に座らされたオッタルは、戦闘の様子をまざまざと見せつけられ――――
「……本当に、話にならない。ミノタウロスの強化種を鍛えた存在ですら、ほど足りぬと言うか」
眉間に力が入り、額に流れる汗が確かに分かり、ポタリと純白のカーペットへと落ちていた。
――――あのお方が目を付けているレベル1の駆け出しが、シルバーバックとオークを倒した。
その程度のことは聞いていた。駆け出しながらも流石はフレイヤ様が目を付けたヒューマンだと、あのお方のお眼鏡に適うならば当然だろうと思っていた。
基本として、駆け出しの筋力ではシルバーバックに届かない。それを覆すぐらいのソコソコの腕前と武具が揃っているのだろうと、ダンジョンでミノタウロスを鍛えている時に思っていた。それでもって出来れば主神の興味が消えるよう、レベル1にとって無残な敗北となるであろうオーバースペックすぎるモンスターを用意した。
だが、そんな古く曖昧な情報は役には立たない。水晶越しながらも此度の戦闘を見せつけられ、“あり得ない”程に洗練された小手先の技術に眉間に力が入り、舌を巻く。
全てに無駄がなく、全てにおいて理想形。攻撃の組み立て方など、思わず彼とて唸りかけたほどのものがある。相手に通じることと通じないことをはっきりと見分けており、無駄な攻撃をしない分、結果として無駄な力と隙を作らない。
最初の一撃こそ不意のもので受けてしまっているが、それでも可能な限りを減衰させる立ち回り。
そして、己が対峙した謎の戦士の姿を思い出して身震いする。山の如き重鎮さの中に匠と言える技術を見せていたソレと比べてしまえば、いくらかの隙が伺えるというものだ。悪い例え方をすれば、少年の戦い方は、彼が見せたモノの劣化版とも言えるだろう。
それでも、相手が未だレベル1だということを忘れてはいけない。これがレベル3、4と成長してきて身体能力や反応速度が伴えば、此度の戦いで見せた技術は、より高い次元で生かされる代物だ。
恐らくはあの戦士に学んでいるのであろう、卓越した狡猾さ。しかしそれだけではなく、少年が持つ、底知れぬ潜在能力の高さが伺える戦闘だ。
なぜ己がその立場に居らず、なぜ己にその師が居ないのかと拳を握り締めてしまうが、ないもの強請りをしても仕方がない。背中も見えない目指すべき遥かなる高みと、下から猛烈な勢いで追ってくる2つの存在は、ハッキリと脳裏に残っている。
「ああ……やっぱり素敵だわ」
「……ええ。あの男とこの少年は、やがてオラリオの注目を集めさらうことになるでしょう」
「あら、オッタルもこの子の連れ去りたいぐらいの可愛さ分かったのかしら!?貴方も分かっているわね。もう一回、見るわよ!」
違う、そうじゃない。この女神、都合のいいところしか聞こえておらず、とうとう本音が漏れている。
注目している点だけは同じなものの、微妙に意見が食い違っている。加えて、相変わらず「見て見て!」と子供のように燥ぐ残念な主神がそこに居た。オッタルが予想するに、恐らくあと数日は戻らないだろう。
しかし、それはそれで居心地がいいと言うものだ。いつか遠方の地で「あんな風に笑うのか」と思った表情を見たことがあるが、それとはまた違う無垢な微笑み。
それを今、己というたった一人がすぐ横で見ているのだ。結果としてこのような状況を作ってくれた少年と重傷を負わせてしまったロキ・ファミリアの冒険者に謝罪をし、オッタルは瞳に力を入れて水晶を見つめるのであった。
「ああ、それと……」
ふと零れるように出される主神の言葉は、傍から見れば、思い出したかのように。
しかしその瞳は、少年に夢中な傍らで、しっかりと己の眷属を見ていたかのように。相変わらず録画画面が再生される水晶を見ながらも、フレイヤは口を開く。
「やっぱり男の子って、強者に挑む姿が素敵よね。私の瞳に映っている“2人の魂”が、とっても綺麗に輝いているわ」
「……はい、フレイヤ様!」
力の入った猪人の声と表情は、どこか、いつもよりも清々しく。遠い昔に冒険者になった頃の様相を、フレイヤに思い起こさせていた。
原作のフレイヤが好きな人、すみません