南極大陸。
面積はオーストラリア大陸の約二倍。その98%が氷に覆われ、平均気温が最も低く、乾燥し、強風に晒され、また平均海抜も最も高い大陸である。控え目に言って、人間が定住する環境ではない。
サンジェルマン、カリオストロ、プレラーティの三人はファウストローブを身に纏っている。当然俺も黄金の鎧を装着済みだ。アダムだけが定番の白いスーツで泰然としている。
「大方の寒気は遮断しているはずだが、それでも少々冷えるな」
「断熱フィールドの造りが甘いんじゃないのぉ。どうなのよ、プレラーティ?」
「試作段階のものを無理矢理使えるようしたワケダ。多少の不都合には目を瞑ってほしいワケダ」
姦しい三人娘を傍目に、アダムはいつもの調子を取り戻したのか、悠然と歩を進めている。
目の前に広がるのは広大な湖。南極には数多くの湖があるが、その内のひとつ、ボストーク湖である。最も広い場所で幅40キロメートル、長さ250キロメートル、水深は最も深い場所で800メートルとみられている。面積は実に琵琶湖の20倍以上。
「ねぇ、本当に本気で潜るつもり?」
「ああ、アダム頼むよ。あまりやりすぎないでくれよ」
「まあ、やってあげるよ、そのくらいはね」
アダムは掌から火球を放つ。それはこちらの要求通りの大きさの入り口を作った。
「では行こう」
「気をつけるといい、近づきすぎないようにね」
「局長は来られないのですか?」
「濡れてしまうからね、僕の大事な服が。それに、分かっているからね、アレがあることは」
アダムはやはり知っているらしい。まあ神を相手取るつもりならそれくらいはな。
「なら、わたしも遠慮しておくワケダ」
「あーずるい。なら、あーしもお留守番させてもらうわ。頑張ってね、サンジェルマン」
「お前たちは……。まあいい、ではここで待ってなさい」
身体をくねらせながら寒さを演出しているカリオストロを尻目に、サンジェルマンが軽くため息を吐く。結局潜るのは俺とサンジェルマンの二人となった。
アダムの開けた氷穴へと飛び込む。斜めに空いた空洞を滑り落ち、しばらくして水の感触を捉えた。
分厚い氷に蓋をされた湖は漆黒の世界だった。見下ろせば奈落へと繋がっているような錯覚を起こす。聖遺物がなければ一寸先さえ見通せないだろう。どうやらサンジェルマンも視界は大丈夫なようだ。
落ちるように水中を進んでいくと、しばらくして湖底に人工物が目に入った。
右手でサンジェルマンを制しながら、人差し指でそれを指し示す。それに気付いたサンジェルマンは、なおも近づこうとするが、俺が腕を掴んで抑え止める。
≪これ以上近づくと防衛機能が働く≫
聖遺物を介して声を届ける。サンジェルマンは一瞬ぎょっとしたものの、すぐに視線でこちらに問うてきた。
「あれは何だ?」そんなところだろう。
≪神の遺体が納まっている棺だ≫
まるで棺らしくない様相だが。
≪今回は確認だけだ。根拠のひとつにはなっただろ≫
親指を立てて浮上の合図を出す。そしてちらりと自分の背後を見やった。俺が腕を振るうと、指先から光の粒子が生まれ、沈むように棺へと降りていった。
「なにをした?」サンジェルマンの目がそう言った。
≪保険をかけた。まあ、念のためにな≫
南極探査を終え、俺たちはパヴァリア光明結社のアジトへと戻った。アジトと言うと、なんとなく悪の組織のようだが、本社とでも言い換えればよかったか。いや、聞いた話では悪の結社っぽいようなことをやっていると言っていた気がする。そんなどうでもいいことを考えながら天井を見上げた。
広い部屋だ。五十畳くらいはありそうな客間のソファに腰かけている。アダムとサンジェルマンたちはこれからのことについて話し合っているはずだ。一段落したら俺も呼ばれるだろう。
室内に点在している華美な調度品を眺めていると、懐の端末がふるえた。そういえば先ほど電源を入れたんだった。
『やっと繋がったか。ボス、今どこにいるんだよ。見たぞ、あの怪獣大決戦。どういう状況なんだ?』
挨拶もなしに、奏はいきなり捲し立ててきた。やはりあの戦闘は衛星から見られていたようだ。派手にやらかしたからな。
「今はパヴァリア光明結社にいる。とりあえず状況は落ち着いた。ひとまずは静観する」
『パヴァリア……。ボスが戦ってた男がトップのアダムなんとかだろ? 捕まったってわけでもなさそうだし、何してんだ?』
ああ、そういえばキャロルは一時期パヴァリア光明結社に在籍していたと言っていたな。ならアダムと顔見知りでもおかしくないか。
「そうだな……」
どう説明すべきか思案していると、ドアをノックする音が聞こえた。
「また後で説明する。切るぞ」
何か言っていたようだが、構わず通話を切った。そして、来訪者に入室を促す。
「失礼する。こちらの話は落ち着いた。ここからは貴方にも加わっていただきたい」
「ああ、了解だ」
そう言って腰を上げる。部屋を出て、二人ともが無言で通路を歩く。到着した部屋では、アダムが優雅に紅茶を飲み、カリオストロとプレラーティが壁に背を預けていた。
「まあ、掛けたまえよ」
促され、アダムの正面に座る。その隣にサンジェルマンが立った。
「ひとまずは中止する。バラルの呪詛の解放はね」
抑揚のない口調でアダムが告げる。サンジェルマンは無言だ。怪訝そうな表情だが、とりあえずは受け入れるといったところだろう。
「神の力については……。君の意見を聞きたいと思ってね」
「神を倒すために、神の力を手に入れるというは、正道のようでいて、その実、酷く無駄なように思える。同種の力ではシェム・ハには敵わない」
部屋の中に静寂が訪れる。表情には見せないが、皆一様に不機嫌になったのが見てとれる。
「続けたまえ」
「前にも言ったが、シェム・ハは単独で同族を殺し尽くしたほどの化物だ。当時のアヌンナキとて強大な力を持っていたはずだが、それを圧倒した」
「だが、当時の力を持って復活するわけではない。弱体化しているはずだ、かなりね」
「もう察しはついてるんだろう? 俺はシェム・ハに対するカウンター装置だ。アヌンナキが造った、神造人間だよ」
「独りで相手をするということか、君が?」
「復活を阻止できなければ、そうなる」
ぎしっ――と耳障りな音が鼓膜を打った。サンジェルマンが握っていた木製机の端が悲鳴を上げた音だ。
「貴方は……何もかも自分が背負うつもりか。私たちはそんなにも頼りないのか」
彼女が何を言っているのか分からず、不覚にも呆けてしまう。言うまでもないことだが、俺と彼女は仲間ではない。先ほど会ったばかりの他人だ。
「多くの人間が勘違いをしていた。バラルの呪詛によって人類の相互理解は阻まれ、未来を奪われたと」
まるっきり答えになっていない答えだが、それを聞いたサンジェルマンの顔が歪む。
「真実は逆だった。言葉に潜んだシェム・ハを封印するための呪符、それがバラルシステム。人類の未来を守護する一種の結界」
いまさら口にするまでもない事だが、つまりはそういう事だ。サンジェルマンの苦鳴に対する上手い答えが浮かばなかったための、要する時間稼ぎにすぎない。
「期待していないわけではない。いざというときには、頼りにしている」
結局上手い答えが見つからず、俺は無難な常套句を口にした。