透き通るような白い肌と、同じく白亜のような長い髪。その瞳は爬虫類のような鋭さだった。だが、その瞳の奥にはどこか……。
「不遜である」
思考を遮って、女の声が響く。奏の声に似ているな、と埒もない考えが浮かんだ。そして奏はこんな口調ではなかったと苦笑する。
「まがいもの風情が」
声の主へと、改めて視線を向ける。知識の通りの姿、それは正しくシェム・ハだった。仁王立ちになってこちらを見下ろしている。
「エンキ――ではないな。誰の差し金ぞ」
口にした名をすぐさま訂正し、こちらに問う。しかし、知らないことは答えられない。
「いや、詮無き事ぞ。疾く去れ」
掲げた右手から閃光がはしった。ぎりぎりでシールドが間に合う。我ながらよくできたと快哉を叫びたい気分だったが、今からこれと戦わなければならないと思うと、その気分も霧散した。光を抑え込んだシールドが、役目は果たしたとばかりに崩れ去る。
「神は、必要ない」
神が実在しない世界でも、人は生きていける。俺はそれを知っている。
「愚鈍にすぎる」
再び光がほとばしった。今度は余裕をもってシールドを展開したが、予想以上の衝撃に身体が吹き飛ぶ。
天も地もなく、重力も引力もなく、光も闇もない精神の世界。物質世界ではありえない法則を頭に叩き込みながら、なんとか体勢を整えた。
精神世界では些少の傷はまさしく問題にならない。如何にして致命の傷を与えるか、致命の傷を避けられるかという戦いになる。
シェム・ハの対抗装置として造られたからなのか、かつてない力の高まりを感じる。かつてなく意識が先鋭化されているのを感じる。或いはこれが、世界の影響を受けないということなのか。
『彼』の記憶にあるシェム・ハは圧倒的な力を有していた。今のシェム・ハは、確かに弱体化している。それでも強敵には違いないが、覆せないほどの差ではない。
「絶望に沈め」
戦闘の始まりはゆっくりとしたものだったが、次第に高速戦闘へと移り変わる。攻防が絶えず入れ替わり、しかしどちらも致命の傷を与えることができない。
時間の感覚も曖昧だ。現実から隔絶されたこの世界では彼我の距離すらが曖昧に感じられる。
洋々と放った光の弾丸も、シェム・ハが腕を振るうだけで霧散した。いつの間にか手にしていた、剣とも槍ともつかぬ白銀の武器と剣戟を交わす。
薄闇の中で、互いの生み出す白銀と黄金の残光が彗星のように煌めく。
打ち合う甲高い音だけが響き、光の交差だけがいや増していく
どのくらい戦っていただろう。数分のようであり、数時間のようでもある。先に苛立ちを感じ始めたのはシェム・ハのようだった。
「不浄の地にしがみつく毒虫がッ!」
見下した感情の吐露。シェム・ハは声を震わせながら、剣を持つ右手を高々と掲げた。刀身から放たれた流星雨に続いて、シェム・ハが身体ごと突進してくる。
飛翔しつつそれをかわす。だがシェム・ハは悠然と追ってくる。上段から振り下ろされた剣を弾こうと、こちらも剣を構えるが、それは失策だった。
その軌道が大きく変化する。狙いは俺じゃない。気付いた時には遅かった。光の翼の片翼が斬り落とされた。自身の身体が傷ついたわけではないので痛みはないが、突然片翼を失ったのだ。当然、体は崩れる。
「終焉だ」
突き出された剣の切先が飛び込んできた。剣で弾くには体勢が悪い。時間的な猶予もない。俺は身体を捻りながら、最短の軌道でシェム・ハの手首を掴んだ。
「――ッ!?」
シェム・ハの双眸が驚愕に見開く。そして、にやりと笑った。
胸を突き刺された激痛を覚えて、しくじったと自覚する。刀身の形状など、どうとでもなる。だがこれは好機でもある。
逃げられぬように、手首を握り潰すほどに力を込める。光刃が袈裟斬りの軌道で煌めき、返す一閃が胴を裂いた。シェム・ハの身体から光の粒子が飛散する。
「――ありえぬッ!! 我が滅するなどッ!!」
視界がぶれる。まだだ、まだ終わっていない。必死に意識を繋ぎ止める。だがそう長くは持ちそうにない。
「理解できぬッ! なぜひとつに溶け合うことを拒むッ! 愚昧なる個は集約し、完全なる一へと昇華する。それが何故分からぬッ!」
「……それはただの無への回帰だ。独り善がりのデストルドーだ。人の心はそんなに単純じゃない。簡単には分かり合えないかもしれない。だが、だからこそ、人と人は繋がれる。繋がれることを……俺は信じる」
「それが原因で未来にまた傷付き苦しむことになってもか?」
「……確かに人は、未熟で、未発達で、今なお争いを続けている。だが、神のいない世界であっても、人の意志は未来に向かって伸び続ける。どんな障害があっても、遅々とした進みであっても、人は神の手を借りず、自分の足で歩いて行ける。人の歴史は、人が作る」
猛烈な目眩。全身の血が温もりを失ったかのような冷たさを感じる。ぞわりとした悪寒を感じて、身体から力の喪失を知覚した。
この感覚は二度目だ。もう二度と味わいたくないと思った、あの感覚。
意識が遠のいていく。
「……かつて、人が神を必要とした時代は、確かにあった。神々は人々を愛し、人々も神々を崇拝した。だが、誰もが子供のままではいられないように、誰もが巣立つときがくる。神の手を、離れるときが、きっと……」
あの時代の『彼』は確かに笑っていた。
シェム・ハが何事かを言っているが、もはや聞き取る余力は残されていなかった。
「――互いに時間は残されていない……か。だが、いいだろう。貴様の心底、得心がゆくとは言い難いが…………今少し、信じてやろう」
かろうじて聞き取れた最期の言葉は、酷く悲しく、そして僅かの慈愛を感じさせる声音だった。
この女神の深層を理解できていれば、結果はまた違ったものだったのかもしれない。
そんな小さな悔恨を抱きながら、俺の意識は奈落の底へと落ちていった。